海城探訪記
さる2025年4月29日、山陽路を日帰り旅行してきました。
目的地は芸予諸島の大三島。厳密に言うと愛媛県今治市なので四国なんですけどね。
そこに何があるかというと、甘崎城という古い城跡があるのです。
尼崎じゃないですよ。「あまざき」です。
城跡と言っても、もちろん天守閣なんてありません。一目で城跡とわかるような遺構自体、ほとんど残っていません。
ただ、このお城、海に浮かぶ小島を城砦化したもので、普段は海水に隔てられているのですが、大潮の干潮の時のみ、陸地と繋がるのです。
で、4月29日がちょうど大潮で、仕事も休みだったので、車でひとっ走り行ってきました。
姫路城を横目に見つつ、まずは姫路市内のカフェに入って朝食をいただきます。
アーモンドトーストが有名なお店、といえばご存じの方もいらっしゃることでしょう。
朝食を食べた後、午前中には岡山県備前市の閑谷学校を見学しました。
ここは日本最古の庶民のための学校と言われています。
これに関するお話はまたいずれあらためて。
さて、岡山県を後にし、山陽自動車道から西瀬戸自動車道に入って、広島県尾道市の生口島から多々羅大橋を渡ると、愛媛県今治市の大三島です。
とてもいい天気で、絶好のドライブ日和です。
目的地の甘崎城は、大三島の東側海岸。橋を渡ってすぐのところなので、一度見に行っておくことにします。
けれど、ご覧のとおり完全に海の中。現在の時刻は14時少し前ですね。
干潮は17時頃なので、その頃にまた戻って来ることにしましょう。
お昼ご飯は道の駅で海鮮丼♪
お腹がふくれたら、大山祇神社にお参りに行きます。
この地に造営されたのは霊亀2年(716年)と伝わるとても由緒のある神社です。
ご祭神は大山積神。磐長姫と木花開耶姫のお父さんです。
境内には樹齢二千年を超える楠が多数生えており、歴史を感じさせます。
併設の国宝館は、武具、特に薙刀や甲冑の展示が充実しており、見応えがありました。
悲劇的な伝説で有名な、鶴姫着用と伝えられる甲冑も残されています。
そろそろ甘崎城に向かうとしましょう。
時刻は16時40分頃。かなり海が割れてきています。
日本のモン・サンミッシェル……というと言い過ぎですが。
島と陸地が砂州で繋がった地形のことを「トンボロ」と言います。
唐代の詩人蘇軾が考案したとされる豚肉料理――
(それは東坡肉だ)
西伊豆のB級グルメ――
(嘘やで~)
……まあボケはこれくらいにして。
陸繋島と呼ばれるものですが、中でも、干潮時のみ陸と繋がるものを、「タイダル・アイランド」と呼ぶのだそうです。
さて、島に渡ってみました。
陸からの距離は、およそ160mとのこと。
はい。ただの小島です。
お城の面影を感じさせるものはほぼ皆無。
この向かって右のあたりが船着き場だったのかな~、と無理矢理想像を膨らませる余地もないではないのですが……。
しかし一ヶ所だけ、確かに城跡だと納得させられる遺構が残っています。
それが、島の南東部の一角。
はい。立派な石垣ですね。
ちゃんと算木積みの技法が使われているようです。
このお城、古代より大山祇神社の東方鎮護の役割を担っていたそうですが、その後村上水軍の拠点の一つとなり、さらに豊臣秀吉が瀬戸内を制すると、藤堂高虎の支配下に置かれ、彼の従弟が城主となります。
この石垣も、築城の名手と言われた高虎の手が入っているのでしょうか。
ロマンですね~。
しかし、慶長13年(1608年)に藤堂高虎が移封されると、甘崎城は廃城の憂き目を見ることとなったのでした。
ここで一句。
藤壺や 海賊どもが 夢のあと
芭蕉先生ごめんなさい^^;
陸に戻って、17時10分頃。
完全に繋がっている様子がよくわかります。
名残りを惜しみつつ大三島を後にし、山陽自動車道の吉備サービスエリアで、岡山名物デミカツ丼を食べて、帰宅しました。
できれば尾道あたりで一泊したかったのですけどね。
いささか慌ただしくはありましたが、充実した一日でした(*´꒳`*)