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籠姫   作者: 桐龍潮音
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過去―――真名





「そんなに急いで何処に行くんだい、紫黎?」






秘密の赤い花園へと向かって森の中を走っていると、不意に背後から声をかけられた。

聞き慣れた柔らかな声に振り返れば、そこには朝日に照らされた父さまがいた。






「父さま!」






踵を返し、父さまのもとへと駆け寄る。

そのままの勢いで私の身長に合わせて身を屈めてくれた父さまに勢いよく抱きつく。

そんな私を抱きしめ返す父さまの力強い腕に何とも言えない安心感を感じた。






「父さまこそ家にいないと思ったら、こんな所で何してるの?」


「散歩に出てたんだよ」






そう言いながら優しく私の髪を撫でてくれる父さまの手はいつも冷たい。

鬼は皆、人のように体温を持ち合わせていないのだ。

人間を支配していることに加え体温の無い体と完璧な美貌を持ち合わせているせいで、ちまたでは鬼というものは冷酷なイメージが濃いけれど私は父さまを知っているからそんな風に思ったことは無かった。

だって、父さまの仕草や表情はいつも柔和でとても優しい。

だからこの体温の無い手だっていつもすごく温かく感じられる。






「それで、紫黎はこんなに朝早くから急いでどこに行くんだい?」


「秘密の花園」


「秘密の花園?」


「うん。あのね、烈花れっかがすごくたくさん咲いてる所が森の奥にあるんだ」






母さまが好きな赤い花。

美しく甘い良い匂いのする素敵な花。

あんなに大量の烈花が咲いている場所なんて他にはそうそうないだろう。






「へぇ、それは僕も見てみたいな。一緒に行ってもいいかい?」


「ダメー。だって父さまが知っちゃったら秘密じゃなくなっちゃうもの」






顔の前で大きくバツを作って見せると、父さまは一瞬びっくりしたような顔をした後クスクスと笑いだした。

その笑いに合わせて紫色の髪が微かに揺れる。






「ケチだなぁ、紫黎は」


「そうよ、私ケチなの」






そう言って父さまの腕からするりと抜け、にやりと笑ってみせる。

淡い日差しの中、私と同じ紫の瞳を細めながら父さまはまだ笑っていた。






「それじゃあ父さま、私もう行くね」


「昼には帰ってくるんだろう?」


「ううん。夕方まで帰らないと思う。母さまにお弁当作ってもらったし」






手にぶら下げていたカゴを持ち上げ、ほら、と見せる。

カゴの中には母さまお手製のお弁当と茉莉花から作ったお茶を入れた水筒が入っている。






「それじゃあ、一日中その秘密の花園にいる気なのかい?」


「うん」


「紫黎をそんなに惹きつけるなんて、その秘密の花園はさぞかし綺麗なんだろうね」


「うん…とっても綺麗よ」






いつ見ても溜息が出そうなほど綺麗なの。

赤い花も。

その周りを囲む緑の森も。

その花と森の上に広がる切り取ったような青い空も。






そして、最近来るようになった銀色の鬼も。






「だから私だけの秘密。ケチな私は誰にも見せたくないの」






秘密だからこその美しさ。

暴かれてしまえばすべてはきっと色褪せてしまう。

そして夢のように消えてしまうかもしれない。






だから私がその秘密を守るの。






「…そう。ならあまり遅くならないうちに帰ってくるんだよ」


「うん。いってきます」






何処か寂しそうな、笑みを浮かべ見送ってくれる父さまを背に、私は走り出した。

銀色の鬼が待つ秘密の赤い花園へ。






「紫黎、秘密はいつか暴かれてしまうものなんだよ…」






背後で呟かれた父さまの言葉。

けれどすでに秘密の赤い花園へと意識を向けていた私は、深く考えることなくその呟きを忘れてしまった。





* * * * * * * * * * * * * * * * * *










「もう来てたの?」






息を切らし、秘密の赤い花園へと辿り着くとそこにはもう銀の鬼がいた。

森の中から吹いてくる風に短くも長くもない銀の髪を靡かせ、空を静かに仰いでいた。

私の声にこちらを向いた鬼の顔も、その足元に広がる赤い花―――烈花―――も美しすぎて本当に現実なのかと疑ってしまいそうになる。






「おいで」






私を呼ぶ低く透き通った声に導かれるようにして、一歩一歩鬼へと近づいていく。

足をかすめる烈花の感触も、頬を撫でる風の気配も、頭上から差し込む日差しの暖かさも、ちゃんと感じているのに何処か現実味に欠けるように思えるのは、目の前で私を見つめる銀の鬼のせいなのだろうか。






「銀緋」






長身の鬼を見上げるようにして見つめ、その名を呼ぶと優しく頬を撫でられた。

鬼特有の体温のない白い指。

父さまの手から感じる安心感も温かさもこの鬼の指からは伝わってこない。

けれど代わりに切ないような甘い痺れが伝わってくる。

その甘い痺れに、ただでさえ走ってきて上昇していた体温がさらに熱を帯びる。






「今日は銀緋より先に来ようと思って急いだのに…もう来てるなんて。あなたって暇な鬼なのね」






熱を帯びた自分の体が何故か恥ずかしくて、憎まれ口をたたきながらしゃがみ込み、いつものように烈花を摘み取る。

烈花の燃えるような赤さが何だか自分の恥ずかしさを代弁しているようで、ちょっといたたまれなかった。






「もしかして職無しとか?」






この鬼と出会ってから一カ月ほどが過ぎていた。

この赤い秘密の花園を見つけた時から毎日のように通い続けていた私は、あの日――この銀の鬼と出会った日――の次の日もこの花園へやって来た。

殺されかけるという目に合った場所に再び行くというのは自分でも正気でない気がしたが、それでも習慣となっていたせいだろうか、この花園へ足が向かってしまったのだ。

そうしてまた足元に広がる烈花を摘んでいたところへ、この銀の鬼が現れた。

さすがにその日は警戒して家へ逃げ帰ったのだが、また次の日もこの花園へ来るとこの銀の鬼がいた。



この花園に来る、銀の鬼がいる、家へ逃げ帰る―――そんなことを何日か繰り返してるうちに、驚いたことに銀の鬼の方から私に話しかけてきたのだ。

「我の名前は銀緋。この真名にかけてお前を殺したりはしない。だから逃げるな」と言われ、以来警戒しつつもこの花園で銀の鬼と過ごすようになった。



何しろ、鬼にとって真名というのはその存在を縛る力がある。

それを他人に教えるというのは、ある意味自殺行為に等しい。

人間はその存在自体にあまり力がないため、真名に縛り付けられることもない。

しかし鬼は魔力のようなものを持っており、その存在に力があり過ぎる。

だから鬼が真名を教えるのはよほどのことなのだ。

そしてその真名に誓って殺さないというのならきっとそうなのだろうと思い、私はこの銀の鬼の言葉を信じることにした。

少なからずこの銀の鬼に興味があったので、何かあった時は教えてもらった真名で縛ればいいのだと、楽観的に考えて。



ちなみに、嘘の真名を言ったりしたらその存在は無くなってしまうらしい。

私は『間の子』だから鬼ほど強く真名に縛られることも真名によって命を左右されることも無いが、それでも多少は真名によって縛られることもあるのだそうだ。

真名について教えてくれた父さまは「簡単に真名を教えてはいけないよ」といつも私に注意している。






だから私はいまだにこの銀の鬼に真名を教えてはいない。






「お前、この花を摘み取っていつもどうしているのだ?」






私の軽口を無表情で受け流し、銀の鬼が問う。

朝の日差しを背に私を見降ろすその姿は、長身のせいもあってかなりの迫力がある。

最初の頃だったらその迫力に気圧されていたかもしれないが、今ではそうなることは無かった。

自分の真名にかけて私を殺さない、という言葉通りこの鬼はこの一カ月間、別段私に何か危害を加えることは無かったので、最初の頃にこの鬼にに抱いていた恐怖心や警戒心は今では無いに等しいものとなっていた。






「母さまにあげているの。母さまはいつも私が摘んだ花を部屋に飾ってくれるのよ」


「毎日摘み取る必要があるのか?」


「この花はね一年中咲いている強い花だけど、一度摘み取ってしまうと一日しか持たないの。強いようで弱い…不思議な花でしょう?」






ふと、横を向くとすぐ近くに銀の鬼の顔があった。

青く澄んだ二つの瞳、雪のように白い肌、ほとんど色の無い薄い唇、日差しに煌めく銀の髪。

どこもかしこも美しく整った綺麗な鬼。

いつの間にしゃがんだのだろうか。






「この花とお前は逆だな」


「逆?」


「お前は弱そうに見えて強い」






白く優美な鬼の手に赤い花が一輪摘み取られる。

摘み取った花を鼻に近づけ、瞼を閉じそっと匂いを嗅ぐ鬼の姿の艶やかさに思わず目を奪われる。

花の赤さが映える白い肌の美しさは、まさに圧巻。






「…私が、強い?」






本当にそうだろうか。

この鬼に殺されかけた時だって、刃向いはしても内心は恐怖でいっぱいだった。

絶対に屈してなどやらないと、弱いところなど見せてたまるかと、その恐怖心を必死に押さえつけていたにすぎない。

それにこんなに近くにいれば、私が真名で縛り付けるその前にこの鬼は私を殺すことができるだろう。

純血の鬼にとって人も間の子も虫けら同然にひ弱なもの。

それでもこの鬼は私を強いと言うのだろうか。






「お前は強い」






白い瞼がゆっくりと開かれ、そこから海のような青い瞳が覗く。

白と赤と青。

三色が織りなすコントラストの幻想。

ああ、何て綺麗。






「我よりもきっと強い」






烈花を持つ白い手がゆっくりと私に伸ばされる。

そして何を思ったのか、鬼はその手に持った赤い花を私の髪にさした。

花の蜜の匂いに酔っているのか、それとも目の前の鬼の美しさに酔っているのか、軽い眩暈をおぼえる。






「…お前には赤がよく似合う」






青い目を細め、形の良い唇を僅かに持ち上げ銀の鬼が微笑む。

一カ月前、初めて出会った時の去り際に見せた笑みとよく似た微笑み。

そう言えば、この一カ月間傍にいて話をしたりはしてもお互いに笑うことなんてなかった。

鬼と『間の子』。

同じようで同じでない異種族同士。

何処かで互いに警戒し合っていたのかもしれない。






「…そうかしら?私はあなたの方が似合うと思う」





不意打ちの笑顔に戸惑いながらも、お返しのつもりで私も鬼の髪に烈花をさす。

指に触れた銀髪のあまりの柔らかさに少し驚いた。

完璧な冷たい美貌を持ったこの鬼の雰囲気からして、その髪はもっと堅いものだと思っていたから。






「ほら、やっぱり良く似合う」






この半年間、銀の鬼がこの赤い花園にいるのを見る度に赤が似合う鬼だと思っていた。

名前に『緋』という字が入っているせいだろうか。

銀の髪の上で揺れる烈花を見て自然と笑みが零れる。

思った通り、良く似合う。






「…どうしたの?」






銀の鬼は私を見つめたまま固まっていた。

常に無表情だから気がつくのが遅れてしまったが、完璧に固まっている。

瞬きすらしていないのだ。






「…笑った」


「え?」


「ようやく笑った」






銀の鬼が笑う。

さっきの薄い微笑みなんか比じゃないくらいに綺麗に。

蕩けるように甘く柔らかく、まるで子供のように笑ったのだ。






「初めてお前を見た時…お前はこの花を見ながら笑っていた」






この鬼と初めて出会った時…。

ああ、そうだ。

確かに私は笑っていた。

この花を渡した時の母さまの顔を思い浮かべながら。






「その笑顔をもう一度見たいと思っていた」






白く優美な手が私の頬をそっと包み、青い瞳が私の瞳を覗き込む。

そのどちらからも逃れることができない。






「だから、嬉しいのだ」






『間の子』の私を殺しもせず、遠ざけもせず、それどころか綺麗に笑いかけて。

いつも無表情のくせに、不意に見せる笑顔はこんなにも美しく温かくて。

冷たそうな雰囲気のくせに、私が笑っただけで子供のように喜ぶ。






何て、変な鬼。






「…私の名前ね、紫黎っていうの」






父さまに何度も簡単に教えてはいけないと言われていたのに。

さっきまで教えようなんてこれっぽちも思っていなかったのに。






気がつけば自分の真名を銀の鬼に教えていた。






「紫黎…良い名だ」






蕩けそうな笑みのままそう言って、銀の鬼は私を抱きしめた。

驚きと恥ずかしさで頬に熱が昇るのを感じながら、私もそっと大きな背中を抱きしめ返した。






「銀緋…」






私を殺しかけておきながら逃がして。

何の気まぐれか毎日此処へやってきて。

不意に子供のように笑う、変な鬼。






そんな鬼を私は愛しいと思ってしまった。

その愛しさが友情なのか恋情なのか今はまだ判断できないけれど。






それでも、この胸に宿った気持ちは愛しいという思いだった。

















































初めて抱いた愛しさ。

戸惑う胸のその奥で。

宝物のようにキラキラと輝いていた。




だから心の奥の宝箱にそっとしまったの。

壊れないように、失くさないように、大切にしまったの。















まさか後でその宝箱がパンドラの箱になるとも知らずに―――――…





















こんにちは。

作者の桐龍朱音と申します。

この度は『籠姫』を読んで下さってありがとうございます。

五話にての遅ればせながらの挨拶ですいません(ーー;)




未熟者ですので感想や評価を頂けると、とても助かります。

どうぞよろしくお願いします!





ちなみに。

本文に出てきた烈花というのは想像上の花です。

私的には彼岸花のような花をイメージして書いております。

そして、知っている方もいらっしゃるかも知れませんが茉莉花というのはジャスミンのことです。

なので紫黎の水筒の中身はジャスミンティーということになります。







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