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籠姫   作者: 桐龍潮音
13/14

泣き夜の誘い






「落ち着いたか?」






一体どれほど泣いていたのだろうか。

気がつけばあれほど喚き散らしていた声は枯れ、止めどなく流れていた涙は乾いていた。

何もかもを絞り出した体は力が入らずぐったりとしていて、頭は靄がかったようにぼうっとしている。

金の鬼に抱き込まれていなければ、こうして座ってもいられないだろう。

ひどく惨めな姿を晒しているのは想像に難くない。






「…っ……」






申し訳ありません、そう言おうとした。

勝手に泣き喚くという醜態を晒すことが王族である鬼に対してどれほど礼を欠いていることなのかなど、分かりきっている。

それに加えて勝手に泣き喚いた私をこの金の鬼は咎めもせずに、あろうことか傍で宥めてくれた。

だからこそこの非礼を詫びなければ。

そう思いはしても、言葉は喉に張り付きひりひりと痛むばかり。

声として出てはこなかった。






「…ッ、…ッ!」


「無理をするな。泣き過ぎて声が枯れたんだろう」






そう言うと金の鬼はその指先でそっと私の喉元に触れた。

喉元は急所だ。

僅かな力で死に至らしめることができる。

反射的にびくりと恐怖で体が震える。






「安心しろ。治癒をするだけだ」






震える私にくつりと笑った金の鬼。

その笑みには嘲りも蔑みもなかった。

彼がその口元に浮かべたのはぐずる幼子を宥めるような温かな苦笑。






――――どうして…?






喉元に当てられたひやりと冷たい指先から温かなものが流れ込んでくる。

それは喉から体中へと徐々に広がっていき、全身に行き渡る頃には泣き喚いて疲弊していた体調はすっかり元の調子へと戻っていた。






「これでいいだろう」






喉元から離される白い指。

ああ、この指も銀の鬼とそっくりだ。

本当に彼らは声と髪の色以外は驚くほど似ている。






「…とんだ醜態を晒してしまいました。申し訳ありません」






金の鬼の腕の中からそっと身を引き、手をついてひれ伏す。

先程は声にすらならなかった言葉がするりと喉を通って零れ落ちる。

まるで泣き喚いて声を枯らしたことが嘘であるかのように。






「顔を上げろ、籠姫」






一瞬の躊躇いの後、ゆっくりと顔を上げる。

正直、銀の鬼への想いを再認識してしまった私としては、銀の鬼とそっくりな金の鬼の姿をこれ以上見ていたくなかった。

しかし『籠姫』である私には王族である金の鬼の言葉に逆らうことなどできない。






「随分と泣いていたな」






金の鬼の白い指先が私の頬に触れる。

涙の跡を辿るように滑る指先に羞恥が湧き上がる。

体の調子は回復してもらったが、泣き腫らした顔はそのままだ。

きっと無様であるに違いない。






「本当に申し訳―――」


「何故、あんなに泣いていた?」






私の言葉を遮るようにして発せられた金の鬼の言葉。

それは私が泣き喚く前に問いかけられた言葉と同じものだった。

思わず伏せていた目線を上に上げれば、赤く輝く瞳に捕らわれる。






――――どうして…?






どうして、この鬼は私のことを気にかけるのだろう。

どうして、この鬼は泣き喚く私に付き添ってくれたのだろう。

どうして、この鬼は泣いて疲弊した私を癒してくれたのだろう。





どうして、どうして、どうして。






「お前のその涙は――――」






深く、深く、深く。

どこまでも、深く。

私という存在のその深淵を、赤い視線が射抜く。






「――――銀緋を想って流したものか?」






嗚呼、どうして。






この鬼には全て見透かされている気がしてしまうのだろう?






「……」


「だんまりか」


「…申し訳ありません」


「謝罪など求めていない」


「……」






暫くの沈黙の後、真っ直ぐ私に向けられていた赤い視線がふと外れる。

その瞬間、安堵感が体を駆け抜けた。

ああ、もう見透かされなくてすむのだ、と。






「…籠姫。お前は食事をとっていないのか?」






何の脈絡もなく、ふと投げかけられた金の鬼の問い。

若干戸惑いながらも、私から外れた金の鬼の視線を辿る。

するとそこにあったのは小さな金の御膳に乗せられた食事。

私の夕食だった。






「はい…。今日はあまり食欲がなかったものですから」






私の食事は朝・昼・晩と定期的に与えられる。

誰かが運んでくるのではなくて、気がつくと音もなくこの金の御膳とともに食事が現れるのだ。

恐らく銀の鬼の術であろうが、最初の頃は不気味で仕方なかった。






「人の子は脆い。俺達鬼と違って物を食べなければ容易く死に絶える」






そう言いながらするりと金の鬼が手を動かす。

すると少し離れた場所に置かれていた金の御膳が私の目の前へと音もなく移動した。

この金の御膳が現れてからだいぶ時間が経っていたが、これも銀の鬼の術なのであろう、赤い器に盛られた料理の数々からは温かさと美味しそうな匂いが漂っている。

泣いたせいか、少しお腹が空いてきたような気がする。






「これは…」






料理に気を取られていた私の耳に、ふと金の鬼の戸惑ったような声が聞こえた。

視線をそちらへ向ければ、金の鬼は金の御膳に乗っていた赤い液体の入った茶碗を手に取っていた。

毎食の料理とともに出されるその液体は、私には見慣れたものだった。






「それが、どうかいたしましたか?」






最初のうちはその鮮やか過ぎる赤色を不気味に思って残していた。

しかし残すと必ず銀の鬼が現れ飲み干すまでずっと「飲め」と言いながら傍から離れてくれなかったのだ。

まるで一滴たりとも残すことなど許さないとでもいうかのように、じっとあの赤い瞳で見つめられていればさすがに居心地が悪くなり、それからは毎回きちんと飲み干すようにしていた。






「…お前は、これが何か知っているのか?」


「…いいえ。ただ、毎食ごと飲むように銀緋さまに言いつけられていただけです」






鮮やか過ぎる赤は私に血を連想させる。

だからこそ最初は飲むことなんてできなかった。

しかし、渋々ながら飲んでみたその液体は、特に錆のような独特な血の味はしなかった。

むしろほのかに甘く、一度口をつければ一気に飲み干してしまうほど美味なるものだった。

そのため最初のうちを除いて今までは特に気にすることもなく、毎回の食事とともに飲んできた。

きっと鬼たちの間では、人でいう水のように飲み慣れた飲みものなのだろうと思って。






「…そうか」


「…あの、それはただの飲みものではないのですか?私はてっきり鬼の方々の間では飲み慣れたものなのだと思っていたのですけど…」






鋭く細められた赤い瞳。

断片的な問いかけ。

何かを思案するように茶碗の中の赤い液体を見つめる金の鬼の姿に、言いようのない不安が押し寄せる。






「いや、鬼にとっては飲みなれたものだ」


「そうですか…!」


「鬼にとっては、な」


「え?」






金の鬼の含みのある言い方に戸惑う私の目の前に、茶碗が差し出される。

早く飲めとでも言わんばかりに差し出されたその茶碗をおずおずと金の鬼の手から受け取る。

何だか釈然としない不安を抱えつつもそっと口をつけ、赤い液体を喉へと流す。






「その液体は鬼にとっては飲み慣れたものと言ったが、どうして飲み慣れているのだと思う?」






ほのかな、それでいて芳醇な甘さが口に広がる。

その途端、くらりと意識が一瞬ぶれる。

次いでゆらゆらと夢の中にいるかのような浮遊感。

私を取り囲む何もかもが曖昧になっていく。

そのあまりの気持ちよさに、もっと、もっと、と赤い液体を流し込む。






「飲まなければ生きていけないほど必要不可欠なものだから、だ」






もっと、もっと、もっとちょうだい。

赤くて甘いこの液体を。

浅ましくも喉を鳴らしながら、貪るように求めているの。

ああ、本当はこんな茶碗一杯だけでは足りないのよ?






「鬼にとっては、な」






ああ、もっと、もっと、もっと。

これがなければは生きていけないの。

だけどこれを飲んでしまえば、私は―――…






「そんな液体を欲するお前は、どっち・・・だ?」






最後の一滴が、喉を滑り落ちていく――――――――






「あ……」






ぱちん、と夢からさめるように曖昧だった意識がはっきりとする。

しかしそれも一瞬のことですぐに強烈な睡魔に襲われる。

はっきりとしたはずの意識がまた遠のき始めた。






「…っ…ぁ」






いつもこの赤い液体を飲むとこういう状態になってしまう。

飲んでいる時は夢の中のようにふわふわとしたいい気持になってしまい、周りのことが一切分からなくなってしまう。

そして飲み干した後は決まって強烈な睡魔に襲われるのだ。

だからいつもこの赤い液体を飲むのは食後にしていた。

飲み終わってから眠ってしまっても、大丈夫なように。






「起きろ、籠姫」






眠りに落ちる一歩手前。

ひんやりとした手に両頬が包まれ、ぐいっと顔を上向かされる。

霞む視界の中で赤い瞳が爆ぜるように燃え上がる。






「『お前・・は眠ってはならぬ。鬼狂・・は眠れ』」






――――き、きょう…?






がくり、と私の中で何かが力を失う。

すると今までの睡魔が嘘のように急速に意識がはっきりとし始めた。

まだ微かに絡みつく睡魔から抜け出そうと瞬きを繰り返している間に、金の鬼の手は私の頬からするりと離れて行った。






「今のは…言霊、ですか?」


「そのようなものだな」






その存在自体に魔力がある鬼は、言葉に魔力を乗せて言霊としてより強い術を扱う。

もちろん言葉にしなくても術は使えるのだが、言霊として術を行使した方がその力は増すのだと父さまは言っていた。

だから鬼が言霊を使うのは、強い術を使う時。

私を眠らせないようにする術は、そんなに強い魔力が必要なものなのだろうか?






「あの、ききょう、というのは何なのですか…?」






言霊のことも気になるが、それよりも気になるのは先程金の鬼が言霊で言っていた『ききょう』という言葉だ。

言霊については父さまに教えてもらっていたから知っていた。

しかし『ききょう』なんて言葉は聞いたこともない。

それを私に向かって言う意味も分からない。






「鬼狂い―――それが、鬼狂ききょうさ」


「鬼狂い…?」


「もしやとは思っていたが…」






そう言いながら金の鬼は何かを探るように目を閉じる。

暫くそうした後、再び目を開いた金の鬼はすっと立ち上がり私を見下ろす。

そして戸惑ったままの私に向かってその白い手を伸ばす。






「籠姫よ。少し散歩に連れ出してやろう」


「さん、ぽ…?」


「ずっとこの中に居て飽き飽きしているだろう?この籠の外へ少しだけ出てみたいと思わないか?」






それは、なんて、甘美なる誘い。

けれど同時に不信感も募る。

この鬼は何がしたい?

何故、会って間もない『籠姫』を籠の外へ連れ出そうとする?






「そう警戒するな。危害を加えるわけではない。俺は少し確かめたいことができたのだ。それにはお前の存在が必要でな。そのついでに閉じ込められた『憐れなる籠姫』に息抜きを与えてやろうというわけさ」






薄らと笑みを浮かべそう言う金の鬼。

その顔と差し出された手を交互に見つめた後、私は恐る恐るその手に自分の手を預ける。

くいっと引っ張られて立ち上がった私を満足げに見つめながら、金の鬼は問う。






「ここから出ることに躊躇いを見せるとは、案外この籠の中が気に入っているのか?」






優し気な微笑みに包まれた言葉の毒。

気に入るなんてこと、あるわけがない。

ふざけるな、とそう罵りたい激情が一瞬だけ湧き上がる。

けれど震えるような呼吸をひとつ漏らすことで、どうにかその激情を抑える。






「…金緋さまは意地悪なお方ですね」






自由を奪い。

愛する人たちを奪い。

幸せな思い出さえも奪い。

そうして代わりにとでも言うかのように、全てを失うという絶望と逃れることのできない降伏を与える。






この籠は略奪と支配の象徴。

『籠姫』となった娘たちの生き地獄。

この命も、この意思も、この籠の中では私のものであって私のものではなくなる。






「私は『籠姫』なのですよ?気にいるも気に入らないも、そのような意思を持っても無駄というものでしょう?『籠姫』はこの籠の中で生かされているに過ぎない存在なのですから。金緋さまはそれをお分かりなっていてそういう質問をなさるのでしょう?」






籠の中の鳥のように。

閉じ込められたこの命。

心は自由であっても、それを告げる意思は意味を為さない。

全ては飼い主の心次第。

飽いたら殺され、気に食わない意思は聞いてももらえない。

捕えられたが最後、待ち受けるは飼い慣らされた空虚な日々。






「泣いていたかと思えば、なかなかに肝の据わった籠姫だな。俺にそのようなことを言うなど」






くつくつと笑う金の鬼の顔が赤い花園での銀の鬼と重なる。

その姿にもう何度目かになる、『この心も飼い慣らされるか壊れるかしてしまえば、きっともっと楽だったのに』という思いが湧き上がる。

矜持を守るために保ち続けたこの心。

それさえなかったら、銀の鬼への複雑な想いなど気がつかないでいられた。

今みたいにふとした瞬間に彼を思い出して、切り裂かれるような胸の痛みを感じることなどなかった。






――――私は、なんて愚かだ。






けれど、私は守り保ってしまった。

この、心を。

今になって思う。

私がこの心を守り保ったのは、本当に自分の矜持を守るためだったのか、と。






本当は、銀緋を愛するこの心を失いたくなかったんじゃないの――――?






「…お気に障ったのなら、申し訳ございません。けれど私はもう、この籠の中から出ることを―――自由になることを、諦めているのです」






私に背を向け、金の鬼がゆっくりと歩き出す。

繋がれた手に引かれて私もゆっくりと歩き出す。

なんて現実味の薄い現実。






「今こうして籠の外へ出られても、自由を求めないのか?」






ひらりと翻る赤の着物。

靡く金の髪。

まるでそこに柵などないかのように。

するりと通り抜けていく。






「……本当に、金緋さまは意地悪なお方」






繋がれた手が。

私の黒い髪が。

私の白銀の着物が。






――――嗚呼…





泣いて、喚いて、叩いて。

それでもびくともせず、私を逃がさないと冷たく拒絶していた金の柵を。

ああ、今私は通り抜けていく――――。






けれど。






「銀緋さまが私を手放してくださらない限り、私に本当の自由など訪れないのです。だから金緋さまも先程『息抜き』と仰ったのでしょう?」






通り抜けた先に広がるは、月が輝く夜に包まれた赤い花園。

銀の鬼が作り出した、あの赤い花園にそっくりな幻想の世界。

籠の中から毎日のように見ているその風景の中で、金の鬼が振り返る。






「そうだな…自由を夢見ようともお前は逃げられない」






籠の外もまた、銀の鬼に支配された空間。

例え檻から出ても、ここはまだ王宮の中に作られた幻想の世界。

銀の鬼の支配からは逃れられないことを、私は知っている。






「銀緋が籠にいるお前を望み続ける限り、な」






――――そして、私の心が銀の鬼を愛し続ける限りは。






私は本当の意味であの籠の世界から自由になることなど、できないのだ。

どんなに自由を願っても。

例え本当に外の世界へ解放されても。

心は銀の鬼に繋がれたままだから。






「可哀想に」






金の鬼の憐れみの言葉に、誰かが私の中で嗤った。












































































































































































































体は籠に。

心はあなたに。

捕らわれた私には、もう二度と自由になどなれないのでしょう。





あなたを憎む心だってあるのに。

どこかで捕らわれたことを喜んでいる私は。

きっと、ひどく、愚かなのでしょうね。





















お待たせして申し訳ありません(>_<)

やっとこさ物語が動き出します!




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