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大洋を航海中、進路前方に不意にゴムボートが現れては、誰だって驚くに違いない。
あの輸送艦のブリッジでもきっと同じだったろうが、当直の見張り員がまず声を上げ、艦長の注意を引いただろう。
「艦長、前方に漂流中のゴムボートが見えます」
もちろんこれはランドセルから取り出し、ついさっきコバルトが膨らませてくれたものだ。
「どうも私は気が進まないのだがな……」
と言いながらも、コバルトは僕の言う通りにしてくれた。
「アホーイ」
ゆらゆら揺れるゴムボートの上で大きく両手を振って、僕はお決まりの言葉を叫んだ。
いかにも船を失ったばかりで、助けを求めている漂流者という感じ。
漂流者であれば、助け上げてもらえることに疑問はない。
ところが縄バシゴが下ろされ、甲板にまでよじ登ったところで計算違いに気が付いた。
乗組員の制服がおかしいんだ。海軍のものではない。
ブリッジから降りてきて、艦長も自ら僕を迎えてくれたようだ。
背が低くてヒゲもじゃで、ギョロリとした目玉の男がいて、乗組員の一人が「艦長」と呼んだんだ。
「お前は誰だ? こんなところで何をしていた? こんな好天の日に遭難したのか?」
艦長の目つきは嫌に鋭く、びしょぬれの僕を頭の先から足先までねめ回すんだ。
ここでやっと、僕は意味に気がついた。
これは海軍の輸送艦ではない。同じアメリカ軍でも、陸軍の輸送艦なんだ。
どこの国でもそうだろうけれど、海軍と陸軍は伝統的に仲が悪い。よっぽどの理由がなければ、共同作戦もやりたがらない。
「これはまずいぞ」
と思ったが、もちろん僕は顔には出さなかった。
艦長よりは少し若く、対照的に背が高くてスマートな感じの男が口を開いた。どうやら副長のようだ。
「艦長、こいつは水兵で、しかも部隊章はストロベリーですよ」
部隊章というのは、自分が所属している部隊のシンボルマークを描いたワッペンのこと。
僕の制服の左肩にある部隊章は、ご想像の通り赤いイチゴで、それが大きな口を開けて牙をむく様子が描かれている。
そもそも愛想のいい人物ではなかったらしいが、艦長の機嫌はさらに悪くなったようだ。
「ストロベリー? たしか何もかもが最高機密扱いの薄気味悪い部隊だよな。お前は何か知っているか?」
「いいえ艦長」副長は首を横に振った。
「おおかた訳の分からない連中が、訳の分からない兵器の研究でもしてやがるんだろう。まさか悪魔と取引してるんじゃあるまいが」
もちろん僕は黙っていた。取引相手は悪魔じゃなくてサイレンですよ、などと答えはしなかったんだ。
そのかわりに僕は、この海域を機雷が漂流している可能性があること。それが大型で強力な機雷であることを話した。
だけどそれも、艦長の表情をやわらげはしなかったんだ。
「そんなことを、なぜお前が知ってるんだ?」
考えてみれば、艦長の疑問は当然だ。
だが僕に言えたのはただ、
「ストロベリー隊員に質問することは一切禁じられていると、ご存じありません?」
「知らねえよ。これは海軍じゃない。陸軍の輸送艦だからな。海軍の決め事なんざ関係ねえ」




