89
「出かけるって、こんなに遅い時間から?」
従姉はいぶかしげな顔をしたが、上着を着た祖父と一緒に、僕は家を出た。
家の前には海軍の公用車が駐車しているが、祖父は運転手に軽く手を振るだけで済ませた。
真夜中近い道路を、僕と祖父は並んで歩き始めたんだ。
「そうだトルク、好奇心から質問するのだが、サイレンはみな海の事物にちなんで命名されているのだろう? 例えばリリーはウミユリだし、スターはヒトデから。だがコバルトだけは、どうしてコバルトなのだね?」
「サイレンたちの名前をどうして知ってるんです?」
「わしだって提督さ。機密情報に近づく資格はある」
「それは……」
僕は口を開きかけたが、すぐに気を変えた。やっぱりこれは裏切りになるんじゃなかろうか。
「……その理由は話せないよ」
「なぜだね?」
と僕を見つめるが、祖父は怒っている風ではない。
「その話題はコバルトが嫌うんだ。お祖父さんの耳に入れて、それがどこからどう漏れて広がるか分からない」
フフフと祖父はおかしそうに笑った。
「まあいい。きくまいよ。恋人たちには秘密が必要さ」
「そんなんじゃないよ」
僕は一応否定したが、自信を持って否定したわけじゃない。あのジャジャ馬は僕の恋人なんだろうか。
それ以上は言うこともなく、僕と祖父は歩き続けたが、川が見えてくるまで、いくらもかからなかった。
「こっちだったかな?」
土手を駆け下り、草の生えた川原を歩き始めたが、そのとき聞こえてきた。
「助けて助けて……」
暗闇に子供の声が叫び続けているんだ。
僕は祖父を振り返ったが、反応は祖父の方がよほど早かった。
「トルクあそこだ。子供がおぼれかけている」
祖父が指さす方向へ、僕は駆け出した。
月のある夜だったのはラッキーだった。流されてゆく小学生ぐらいの男の子を、僕はすぐに捕まえることができた。
「ほら、もう大丈夫だよ」
男の子は泣いているが、祖父がなだめてやっている。右手に釣りざおを握りしめているから、親の目を盗んで、こんな時間に一人で釣りに来ていたのだろう。
「トルク、散らばっている釣道具を集めてやってくれ」
その通りにして手渡すころにはもう泣きやみ、男の子はしゃくりあげるだけになっていた。
「もういい。帰る」
5分後には、僕と祖父は男の子の背中を見送っていた。家はごく近いと言うので、送ってゆく必要までは感じられなかった。




