113 (第8部 ボビー)
ストロベリー基地は、長いトンネルで外海とつながっている。
コンクリート製で、地下鉄電車ぐらいなら通り抜けられそうな直径がある。
ところが今日、このトンネルの中ですれ違っても、コバルトとリリーは言葉を交わすどころか、視線を合わせもしないのだ。
「喧嘩でもしたのかな?」
と僕は思ったが、質問はしなかった。
僕はリリーを目で追ったが、遠ざかりながらリリーは手を振ってくれた。
ところが次の瞬間、僕はトンネルの壁にヘルメットをゴンとぶつけてしまったのだ。
コバルトの仕業に違いない。
「痛っ!」
「ちゃんと前を見ていないからだよ」
「嘘だ。わざと左に寄ったくせに」
「トルク、今日は連絡事項はないのかね?」
僕とコバルトはパトロールに出かけるところだった。
腹が立って、僕はコバルトを横目でジロリと見たが、まったく同じ視線が返ってきたのは少し怖かった。
考えてみてほしいが、サイレンは人間の何倍もの大きさがある。
サイレンよりも大きな生物と言えば、地球上にはシロナガス鯨などほんの数種類だけだ。
「連絡事項じゃないけど、ちょっと変な話があるよ。ボビーといって、面倒くさいシャチが最近目撃されてるんだって」
「ふうん……、私の機嫌を悪くさせまいと猫なで声を出すお前よりも面倒くさい者が、この世に存在するのかね?」
また腹が立って、僕は腕をボンと蹴飛ばしてやったが、コバルトは笑い始めた。
「ふふふ……」
「ボビーのせいで、一昨日ついに死人が出たんだ。ナイフで立ち向かおうとしたらしい」
「ボビーというシャチは、まさか体全体が黒一色のやつか? おやまあ、あいつ相手にナイフ一本でとは、なかなかの蛮勇だな」
「あんたも知ってるのかい?」
「このあたりの海に住んで、奴のことを知らないサイレンはいないよ。そうか、人間の世界ではボビーと呼ぶのか」
「そうらしい」
「ボビーが住むのはもう少し南海のはずだが、何かの事情で北上してきたのだな」
「まさか湾内にまでは入って来ないだろうけど、水兵や潜水夫たちが水中作業を恐れ始めている。そんなにすごい奴なのかい?」
「お前は見たことがないから、気楽なことが言えるのだよ。それで私に、どうしろというのだね?」
「ううん、ただ気をつけろってだけの話」
「そうかい」
ところが次の瞬間、コバルトはとんでもないことを言いだした。
「それでお前は、いずれリリーと結婚でもする気なのかね?」
「えっ?」
「だからお前はリリーと……」
「そんなこと考えたこともないよ」
「リリーはやめておけ」
「考えたこともないってば。だけど人間とサイレンが結婚って、過去に例があるのかい?」
コバルトは僕の表情をチラリと探ったようだ。
「先例ということなら、伝説がある。だがリリーはやめておけ。尻に敷かれるどころか、胃の中に入るのがオチだ」




