再会
質素な机と椅子、申し訳程度の観葉植物に棚。天井からは灯りが垂れ下がっていて壁も石材が剥き出し。窓は一切なく少々薄暗い。
何故かそこにある場違い感たっぷりのソファにアキは座っていた。
部屋の奥にはキッチンがあるようで何かの焼ける音といい匂いがする。どこか落ち着かず膝の上に乗せた手をソワソワさせる。
――ここは昼間に会った長髪のイケメン教師の部屋だ。
あの後セシルとエステルの二人は寮へ帰され長髪男――イヴァンというらしい――とアキは二人っきりになった。
ここで何をしていたかを適当に説明したアキだったが、そこで自分が泊まる予定だった宿舎の話になったのだ。しかしイヴァンに「飯の伝手はあるのか?」と聞かれようやく今日食べるご飯がないことに気がついた。
彼が言うに食堂はもう閉まっているらしくなにか食べたければ外の飯屋に行って金を払うしかないとのこと。
もちろんお金なんて持っているはずがない。なんなら地理もないため出て行ったら最後ここに戻れない可能性もある。それに加えてこの世界の常識も不確かなんだから難しいと言わざるおえない。
すると「飯くらいなら作ってやる」と言うもんだから食欲に負けてアキは釣られてやってきたのだ。
連れてこられる最中アキはでかい一軒家を想像していた。けどそれは大外れで答えは学園の地下室だった。
地下室は男のロマン。そうは言うけど快適さは一軒家に劣る。ここは埃っぽくないし生活必需品も揃っているけど、なんというか外が見えない分気分も暗くなる。……結局はただの体感の話だが。
「なんでこんなところに住んでいるんですか?」
「仕事場と近くていい。効率的だからだ」
返ってきたのは至極真っ当な答え。合理的といえば聞こえはいいがどうも彼の人間性が掴みづらい。
ちなみにイヴァンは今厨房で料理を作ってくれている。何を作っているかは知らない。まあ変なものが出なければ何でも食べる。
ここからはイヴァンのことが見えず死覚になっているのをいいことにアキは部屋の観察に勤しむことにした。何せ暇だし、この世界の新しい文化に触れるのはちょっとだけ面白い。
そんなこんなで周りの物を見繕っていく。
棚にある書物は……『魔法学Ⅲ』『魔磁気反発の理論について』『ディミトリーレジン解釈』
創作物なんて一つもなくぎっしりと難しそうな書物が並んでいた。一つだけ手に取ってみるがさっぱり分からない。
パラパラと適当にページを捲っただけでその本を元の場所に戻そうとした。その時に目敏くアキは気づく。
「あれ?」
隙間なく並んでいる本の背表紙、その奥に隠されるように一つの本があった。疑問に思ってそれを取り出す。色合いや大きさからして雰囲気が違う。タイトルは――
「『あの空の下で君は』」
フッ、と失笑が漏れる。見つけちゃった見ーつけちゃったと心の中でほくそ笑んだ。
中身は見た感じ学校物の恋愛小説。隠されていたところを見るにこれはイヴァンの趣味、自分の本心を露見させたくないがためにこうしていたに違いない。
しかしあの生真面目そうな先生もこーんなラブストーリーを読むんだなと本を胸に抱いた。
他にも掘り出し物はないか、そうやって恋愛小説を片手に探索を進める。いつまでそうしていたのだろう。本棚に身を乗り出していると「おい」と声がかけられた。
「勝手に物を漁るな。散らかるだろ」
背後にはイヴァンが立っていた。近くの机には二人分のご飯が乗せられている。
一応移動させた本は元の位置に戻したりしているが、これは傍から見ればただの荒らしだ。別にそうでもないのにアキは悪いことをしていた気分になった。
「べ、別に荒らしているわけでは……」
持っていた恋愛小説をサッと後ろに隠す。
あからさまな行動。バレてないことは絶対ないはずなのに彼はそれ以上声をかけることなく椅子に座った。アキもそれに続く。
「学園長から全てのことは聞いた。いや、そもそも昼にお前と話したときから大体のことは把握できていた」
無言のまま作ってくれたご飯に手を進めていたアキだったが、その手が止まる。
「ではあの時私をすぐ見逃してくれたのは」
「お前がセキの肉体を纏った別人だと予想がついていたからだ。それでいてあまり巻き込むべきでないと思った」
ああ、だから……と納得する。どうもあの場でのイヴァンの反応は不自然だった。絶対に別人でないはずなのにみすみすと見逃してしまったあの態度が。
「それにしても随分とセキの事情に詳しかったんですね。他の教員もそうなんですか?」
「いや、ここまで知っているのは私ぐらいだろう。他の教員であればおそらく別の人間だと気づくはずがない」
「そうだったんですね」
手元のフォークを口に運び含んだ。内容は目玉焼きやベーコンといったあまり技術を必要としないものだったが素直に美味しいといえる。
そこでアキは一つ気になった。
「あの、セキさんとはどういうご関係で?」
イヴァンの手が止まる。言葉を選んでいるようだった。
「……強いて言うなら友人か。向こうがどう思っていたかによるだろうが」
「本当ですか?」
「何を勘繰っている?……気持ち悪いぞ」
そう言うと眉をしかめられた。アキはイヴァンとセキは恋仲だったと予想したのだがそれは違うらしい。
けどまあいいやと嘆息した。
普通の関係である方が助かるのは違いない。何しろ恋仲となればアキと相手の距離を調整しないとセシルの二の舞になりかねないからだ。一応もう少し確認をしておこう。
「セキさんは恋人とかいらっしゃったんですか?」
「……なんだ、恋物語が好きなのか?だったらお前が隠している後ろの本を読めばいいだろう」
一瞬ドキッとする。
「ち、違います!生徒や教員との適切な関係を築くためには必要なんです!」
「というか」アキは続けて切り出した。
隠していた恋愛小説を目の前にバッと出す。
「これ、イヴァンさんの物ですよね?恋物語が好きなのは貴方なのでは?」
どうだ、してやったりと笑みを浮かべる。しかしイヴァンの表情は変わらない。片方の口角を軽くあげると「ハッ」と鼻で笑ってきた。
「残念だったな、それは私の物じゃない」
「へえ、じゃあなんでここにあるんですか?」
「ここに同居人がいたからだ。女性で恋愛小説が大好きなな」
「……」
確からしい理由だった。こんな陰気な地下室に同棲してくれる女性がいるの?と疑問が浮かびはしたもののアキはイヴァンに負けた気分がして落ち込む。
何に負けたかと聞かれれば、それは人間の男としてというやつで、前世においてまったく女性と縁のなかったアキはこのイケメン教師を目の前にして何も言い返せなかった。
顔が良くて彼女も困らなかったんだ。そんな想像をするが、結局今の自分は女性だということを思い出しやるせなくなる。
「……さいですか」
「理解してくれたならいい。とりあえず速く飯を食って風呂に入ったら寝ることだ」
イヴァンはいきなり落ち込んだアキを少しだけ気味悪がっていた。……というか、今なんて?
「ふ、風呂?」
「なんだ、入らないつもりだったのか?」
「いえそうじゃなくて」
食べかけの料理に視線を下ろす。
お風呂……つまりは自分の身を清めることで、そのためには産まれたままの姿にならなくてはいけない。でも今はセキの身体で自分ではなくて。
そもそもよく考えたら鏡も見てないから顔の形状もよく知らないわけだ。
でも入るか入らないかと聞かれたら体を洗いたいしもちろん入るしかない。
そう、これはアキ自身の心の問題なのだ。
「……」
ひたすらにご飯を口にかきこむ。急いで全ての料理を平らげると一言告げた。
「それではお風呂に入ってきます」
「そ、そうか」
――アキは開き直ることにした。
それでいてさっさと済ませようと決意も。やましいことは何もない。終始イヴァンが気味悪がっていたのを視界の端に留めつつ風呂場に足を急ぐ。
途中ですが長くなるので切ります