乱入
少女の目尻が段々と下がる。
垂れ下がった髪や顎先からは水滴がポツポツと垂れ地面を濡らしていた。
額に前髪を貼り付けながら少女は言う。
「アンタ……死んだはずじゃ」
先程までの怒りは何処にいってしまったのだろう。思ってもいなかった人物を前にして少女は変に冷静になっていた。
アキは先程の失態を思い出す。少女に怯え吃りながら謝るという恥ずかしい失態を。でもきっとそのことをこの二人はもう気にしていない。それよりもセキが生きていたという衝撃の事実を目の前にしているのだから。
「……ええ、まあ色々とありまして。何から説明すればいいか」
絞り出したアキの言葉がこれだった。はぐらかすつもりはない。だってアキは今までの自分とは違うのだ。様々な情報を得て、更にはシラファとの邂逅を果たした。もう躊躇う必要などどこにも。
だから続けてアキは勘違いがないよう説明を続ける。
「お二人には申しないですがセキさんは――」
「とりあえず速くこれ乾かしてよ」
「へっ?」と間抜けな声を出す。
少女は自身の濡れた身体を見下ろしていた。これが先決だと言わんばかりにアキの話に割り込んで。
「風魔法、得意なんでしょ?こんなの一瞬じゃない」
手をヒラヒラと振り水気を切っている。まるでアキのことなど他人事のようで気にしてもいない。……なんという精神力。
アキにとって初めてのパターンだった。まさかの展開に戸惑う。こっちはどう相手を納得させようかとか色々考えていたのに。
「魔法はその、使えないです……すみません」
「ってことは噂は本当だったってことね」
理解したというふうに少女が手を打つ。
噂――十中八九シラファとの会話のことだろう。だからここまで冷静でいられたのか?
それにしてもあっけらかんとし過ぎているように見える。
「え、えっと。私はアキといいます」
「あらご丁寧にどうも。アタシはエステル、こっちのはセシルっていうの」
「……ど、ども」
苦し紛れの自己紹介だった。だがそれさえも普通に受け止められて普通に返された。ただ少年の方はちょっと態度がおかしい。さっきまではあんなに元気だったのに。
「あの、なんとも思わないんですか?」
「何が?」
「私がセキじゃなくてアキっていう別人なことにです」
「うーん?」少女が首を傾げる。何を言いたいのかよく分かっていないようだった。
少ししてから「あ、成る程ね」と口を開く。
「だってアタシ、セキと話したことまったくないし。というかほとんど知らないから」
「あ……!」
ようやく腑に落ちる。
そうだ、勘違いをしていた。学園長のリギルから「セキはアイドル」と聞いていたからてっきりこの子達とも仲が良かったんだろうと思い込みを。
「あっでも勘違いしないでよね?別にアタシは薄情者じゃないし、セキが亡くなったって聞いて何も思わなかったわけでもないから」
「ええ、分かってます。というより――」
――そっちの方が助かります。
話が拗れそうなので最後まで伝えることはない。
アキにとって一番恐ろしいのはセキと親しかった相手に全てを伝え宥めること。それが必要ないとなれば、重かった心も少しは軽くなるようなものだ。
多少の緊張感が解ける。もしかしたらエステルとは仲良くできるかも、そんな魂胆が思い浮かんできた。
シラファとは心から分かりあえることができなかった。でも、この目の前の少女となら。
「ねえセシル。いつまでそうしてるつもりなの?そろそろなにか言ってよ」
相変わらず顔を赤くしたままのセシルは顔をぶるぶると思い切り振ると咳払いをする。どうやら仕切り直しのつもりらしい。
「あー……オレはセシル。騎士科の三組で学籍番号は16K0――ぁいたっ!」
「なに馬鹿やってるの?自己紹介はさっきやったでしょ」
「いやだってさあ……」
セシルが痛そうに頭を擦る。
押し問答を始めた二人の距離はかなり近い。まさか、とアキは一つの想像をした。
「二人は恋人――」
「違う!」
「んなわけないでしょ!」
猛烈に否定をされた。
「えっでも仲が良さそうですが」
「こいつとは幼馴染なだけ。それに……ねぇ?」
「な、なんだよ」
エステルが意味ありげな笑みを浮かべる。セシルが口角をヒクつかせながら一歩引いた。
「セシルはアンタのことが――むっ!」
何かを言おうとしていたエステルの口をセシルが塞いだ。セシルの顔は真っ赤になっていて、エステルは「んー!」と唸っている。小声で「何バラそうとしてんの!?」と囁いているのがアキの耳には届いていた。
「……」
ジト目でその様子を観察する。
アキは鈍感系とか難聴系とか呼ばれる類の人間じゃない。今までの二十数年を男性として生きてきた一般的な人間だ。交際経験こそない恋愛弱者だが、それでも分かる。
――セシルはセキのことが好きだったんだ!
つい顔をニマニマとさせる。いや、セキはアキではないし恋愛感情を向けられているのが自分でないのもも重々承知の上だ。それでもなんか思春期の少年を目の前にして顔が緩むのを止められない。
尤も、男性に思いを寄せられても嬉しくはないが。
「な、なんだよその顔」
「いえー?何も?」
エステルを解放したセシルは先程とは違いアキのことを横目で睨みつけてきた。途端に苦い顔をすると深く息を吐いて不満気に俯く。拳はギュッと握りしめられていて苦しそうだった。
「……オレが好きなのはセキでお前なんかじゃない。だけどお前が同じ姿をしてるから調子が狂うんだよ」
「あっ……」
それは決して茶化せそうな雰囲気ではなかった。
今になってデリカシーのない行動をしてしまったかもと気づく。
セシルからすればアキの存在は地雷と言ってもいい。なにせ好きな人と同じ見た目をしている。セキが亡くなってから時間が経ってようやく忘れかけていたのに中身が違う別人としてまた目の前に現れて。しかもそんな地雷といえる存在がセキのことでおちょくってきた。
「あ、あの。決して馬鹿にしたわけではなくて」
「……いいよ分かってる。これはオレの問題だからな。まだ忘れられてないんだよ」
セシルが目を反らす。彼は頭をガシガシと掻いて「だから今のはおあいこだ。お前も変なことに巻き込まれてて大変そうだからな」と笑った。
「はい……ありがとうございます」
詰まっていた息を吐く。良かった、彼が優しい人で。
人の死が絡んでいるんだからしょうもないことで調子に乗るのは止めよう。今更にして当たり前のことを再認識した。
「というか忘れてないわよね?アタシびしょ濡れなんだけど」
「やっべ」とセシルが声を漏らす。誤魔化すように苦笑いすると「オ、オレもう帰ろうかなぁ」アキ達に背を向ける。
それを見かねたエステルはセシルが落としていった小杖を持ち上げるとその背中に向けて構える。
「逃げたら燃やすわよ?」
「うっ」
セシルの足が止まる。「わ、分かったよ」がっくしと項垂れるとトボトボとした足取りでこっちに戻ってきた。
「すみません私のせいで」
「いいのよ、こいつに責任取らせるから」
「それはご愁傷様で……」
項垂れたままのセシルを見つめる。エステルを怒らせてしまったこと、アキに出会ってしまったこと。ダブルの意味で辛そうだ。
「ま、それは置いといて何の用で来たの?」
「セキさんのことを聞きたかったんですけどエステルさんは知らないみたいですし――」
セシルへ流し目を向ける。
「今はお邪魔そうなのでやめときます」
「……その方がいいと思うわ」
そこであっ、とアキは思い出す。
「そういえば魔法って私も使えるんでしょうか」
「んー……どうなんだろ。魔法は肉体に起因してないからなあ」
「……つまりどういうことですか?」
「魂に依存するってこと。だから試してみないと分かんない」
「そうですか……」
ならほとんど期待はできないかもしれない。前世では魔法の存在自体がなかったのだ。それなのに今になって使えるとは到底思えない。
まさかの事実に少し、いやかなり落ち込む。
いやまだ決まったわけではないんだし努力はしてみよう。良かったら参考書とか貸してくれないかな、微かに期待を込めてアキはエステルに聞こうとした。
「おい、いつまで残ってるつもりだ。もう外も暗くなるぞ」
しかし言葉を発する前に男性の声で遮られる。しかもどこかで聞いたことのある声で。
この声は確かお昼くらいに――。