分からないことだらけ
「ロウハ商店のディン=ロウハです。何度もすみません、先程とは違う要件で参りました」
扉をノックすると共にディンが声を出す。その時のディンは今までの軟派な雰囲気は失せ仕事人の顔になっていた。こんな一面もあるのかと新鮮な気持ちになる。
「どのような要件ですか?」
「学園長にお会いしてもらいたい人がいます。名を、アキと言う者です」
「……」
沈黙が走る。返答はない。
何かいけないことでもしたのだろうか。つい口を開きかけたが振り向いたディンに静かにしてとジェスチャーで示される。
しばらくしてから、ようやく言葉が返された。
「……お待たせしました。どうぞお入りください」
ガチャッと扉が開かれる。開かれた扉の側にはスーツを着た真面目そうな女性の職員がいた。秘書、という奴だろうか。
室内は思ったより広くない。書類の積もったデスクとファイルがびっしりと詰まった本棚。壁には何かの賞状や絵画のようなものがある。
そしてそのデスクの奥の椅子に一人の高齢の男性が座っていた。身だしなみこそしっかりしているものの、そのスーツはぱんぱんに膨れているし、ジャケットに至っては脱ぎ捨てられている。
所謂、筋肉質でワイルドな男性というやつだった。想像していた人物像と違いすぎて度肝を抜かれる。
「……学園長?この人が?」
「こっこら!失礼だぞアキちゃん!」
声に出していたことに気付きハッとする。急いで頭を下げた。
「ごっごめんなさい!つい本音が……」
「別に気にやしねえよ。それよりも半年ぶりに会えたことのほうがワシは嬉しいね」
学園長は懐かしむような顔をしていた。最初の印象こそ、厳つい見た目だったから厳しそうだと思っていたが思い違いだと気づく。シワだらけの顔を更にしわくちゃにしてこちらを慈しむ姿は何故かスッと心の中に落ち温かい気持ちになった。
アキは自分の顔に手を当てる。そこでようやくいつの間にか自分の頬が緩んでいたことに気づいた。
「あれ……なんで」
「セキの記憶ってやつかもな」
「セキさんの?」
「例えお前さんが別人でも肉体は一緒だ。もしかしたら覚えてるのかもしれない。ここの空気や感覚ってやつを」
セキの記憶が残っている。けど自分はアキで別人で、彼女のことは何も知らなくて。本当にセキはこの身体で生きて存在していた。理解していたのにより実感が深まって複雑な気持ちになる。
胸の内がモヤモヤするこの感覚。筆舌にし難いが気持ち悪さとしてずっと残っていた。
「あの、学園長。私は……自分のことが知りたいです。セキさんがどうなったか、これからの私がどうなるのか」
それは自分の逃げからの言葉だった。実際覚悟などできていようはずもない。けど知ってしまえば突き進むしかなくなる。迷わなくて済むようになる。
「それはお前さんの本心なのか?」
「それは……」
図星を突かれてたじろぐ。学園長の目はアキの心の中を真っ直ぐに見透かしていた。
「ある程度の事はそこの坊主から聞いたんだろ?だったら理解してるはずだ。聞いたら引けなくなるってことにな。……セキはここでの大事な存在だったんだよ。お前さんはそれを継ぐことになっちまう」
「ではそれを聞かなければもしかして」
「ああ、ワシはお前さんの意思を尊重するつもりだ。アキという別人として生きることも自由だ」
自由……。その二文字がアキには甘美な響きに聞こえた。てっきり、強制的に次人者というやつとして働かされるのだと思っていたのだ。
道が一つしかないと思っていた状態からの新たな選択肢。自分はどうしたいのか、またここで新たな生活を送りたいのか、それともセキの代わりになりたいのか。
でもそこでシラファの顔が思い浮かぶ。微笑んではいたがどこか影のある顔。それを思うとやっぱり自分はセキの代わりにはなりきれないんだなと思い知らされる。
正直なところ、もう全てを捨てて逃げてしまいたかった。
「ごめんなさい……。今はまだなんとも」
「そうかい。ま、自由を選んだとしても生活は保証してやるよ。一応はセキの選んだ次人者だからな」
「本当に助かります」
アキの中のセキの記憶が学園長は良い人だと示している。きっとその言葉にも偽りはない。逃げるだけなら簡単だ。自分が自由を選べばそれで終わって色々なしがらみもなくなる。
――だったらもうここで終わりにしてしまえば。
一瞬、悪魔の言葉が囁いたが、かぶりを振って元に正す。いくらアキが小心者で軟弱者だとしても即決するという事態だけは全力で避けたい。
だってまだこの世界に来てから一日どころか半日も経っていないのだ。それだけで決断するなんてどうかしてる。
自身の見た目や、周りの常識が変わって自分はおかしくなっていたんだ。
「……セキさんはどんな人だったんですか?」
まともな決断をするためには少しでも情報が必要だ。自身の役目については教えてくれなくても生前のセキの性格や生き様だったら教えてくれるかもしれない。
だったら、聞けるところは全部聞いておかないと。
「まあそう急ぐなよ。自己紹介もまだだろ?ワシはリギルっていうもんだ。学園長をやってる」
「あ……そういえばそうでしたね。私はアキといいます」
「お前さんがどのような決断をするにしろ、顔を合わせる機会は多いだろう。よろしく頼む」
「はい、こちらこそ」アキは頭を下げた。そして続けて「先程の質問についてを」と言う。
「そうだな、分かりやすく言うとアイドルみたいな存在だった。ワシのことも慕ってくれておじい様と呼んでくれていたよ」
「学園の中では随分と顔が知れていたんですね」
「ああ、殆どの生徒や教員と仲が良かっただろうな。普通なら喧嘩の一つや二つ起きそうなもんだが、そうさせない程のカリスマと力があった」
「それは凄いですね。私とはまるで……真反対です」
言ってから言葉のチョイスを間違えたかな、と気が付いた。真反対などと自分を卑下しても心証が良くなるはずもない。
「……あの、ちょっと気になったんですが力とは何ですか?カリスマは分かるんですが」
アキは誤魔化すように質問を被せる。卑屈な奴だと思われたかもしれない。
「魔法の力だよ。アイツはかなり長けていてな。理由についてはお前が次人者になった時の話だから説明できねえけどよ」
「魔法……?」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。この世界が前世とは違う場所であることはおおよそ理解できていた。それでいてアキは、てっきり漫画のような世界ではなくて文明が少しだけ劣った世界だと思っていたのだ。
まさか……ファンタジー世界だったのか?
「何?魔法を知らないのか?それはおかしい……いや、まさか……」
学園長もといリギルは組んでいた足を解くと急に考え始めてしまった。そしてデスクの引き出しから一冊の書物を取り出すと読み始める。
「ワシらが勘違いしていたということか……?だとすれば話が変わってくるかもしれん……」
「えっと」
「ああすまん、立ち話もなんだ。ゆっくり腰を落ち着けようじゃないか」
リギルは変わらずドアの側に立っていた秘書に目を向ける。彼女は軽く会釈をすると「こちらへ」と一言発し、アキをそばにあった高そうな革張りのソファへ導いてくれた。
一人残されたディンは戸惑っていたようだが、リギルが彼に一言添える。
「ロウハの坊主、すまんがお前さんは出てってくれ」
そう言われ別室へと誘導される。わざわざ着いてきてくれたディンが可哀想になって視線を向けるが、彼は手をヒラヒラと振って平気だよとジェスチャーをしてくれた。
閉じられた扉を最後にディンの姿は見えなくなった。
そこでようやくリギルが腰をあげた。そして机を挟んだ対面のソファに腰掛ける。それから遅れて秘書がカップが乗ったトレイを持ってきて配膳をしてくれた。
「お茶は好きだった……ってそうか。お前さんは別人だったな」
「いえ、嫌いじゃないですよ。むしろコーヒーとかよりは好きです」
「そりゃ良かった」
せっかく用意してくれたんだし、とカップに口をつける。別にお茶はそこまで好きなわけではないけど、上品な匂いを感じなんとなく高い茶葉を使ってるんだなと気が付いた。
アキは口を話すと顔をあげ目の前の学園長と目を合わせる。
「アキ、お前は自分が精霊の生まれ変わりだと言われたらどう思う?」
「……へ?」
突拍子もない言葉に固まる。
精霊って……なんだ?いや、魔法がある世界なんだし精霊だっているかもしれない。それでも自分が精霊の生まれ変わりだと言われたらやっぱりそれは――
「そんなの、ありえないですよ」
アキにはこれまでを生きてきた前世の記憶がある。自分が精霊の生まれ変わりならばそれについての説明がまったくつかない。
「やはりそうか……。いやなに、今の質問は忘れてくれ」
そういうリギルの顔は明るくない。お茶を飲んでから軽く嘆息すると、疲れたように少し長い瞬きをした。よく見れば表情も強張っている。何かに悩んでいるのは一目瞭然だった。
「……分かりました」
あまり触れないほうがよさそうだと察する。ついでにアキも気まずくなって困ったように視線を右往左往させた。
「ワシはお前さんにはセキを忘れてもらって普通に過ごしてもらいたいと思っている」
そんな中の突然の言葉だった。今まで全ての選択はこちらに委ねていたというのに。
「え、どうしてですか?」
「理由は話せん。それについてしりたければお前自身の持つ役割について深く知る必要がある。そんな覚悟は今はまだないだろう?」
役割……か。
アキの役割、使命、次人者。事情を知りたければ決断をしろと。こちらはずっとモヤモヤしているというのに、はぐらかされてばっかりで何も教えてくれない。
何をそんなに隠す必要がある。もしも自分がそれを知ったとしても心の中で秘めておけばいいだけじゃないか。
アキの中には不満が溜まっていた。その思いがつい口から漏れる。
「どうして、知ってしまったらセキさんの後釜を継がなきゃいけなくなるのかが分かりません。……本当は聞かせたくないだけなんじゃ」
「お前が思っているより事態は複雑だってことだよ」
返答は速かった。リギルが剣呑な雰囲気でこちらを見ている。その迫力にアキは何も言い返せなかった。
「……すみません」
「……いや、こっちこそすまん。怖がらせるつもりはなかったんだ。何しろこんな見た目だからな、意識はしているんだが」
困ったようにリギルが机へ視線を落とす。
「よし、ここは気分転換に学園の中でも回ってみるといい。知りたいこともいっぱいあるだろ?」
「そうですね。そうして頂けると助かります」
両手を机につけてリギルが立ち上がる。アキも続いて腰を上げた。
「時間を取ってすまんかったな」
「そんな恐縮です。……ところで、ディンは?」
「アイツは別で話すことがある。学園の中は一人で回るといい。必要ならば職員をつけるが……」
「いえ大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「分かった。泊まる場所を知りたければまた声をかけてくれ」
秘書の女性が扉を開ける。それに従うようアキは学園長室を後にした。背中にはリギルの視線が突き刺さっていてどうも気まずい感じが消えることはなかった。




