真相
場所はどこでもよかったのだろう。手頃な空き教室み見つけるとそこに入る。男は窓側の椅子の一つに腰掛けるとこちらに向き直ってきた。
「えっと」
どうしたらいいか分からなくて立ち尽くす。それを見かねた男は目の前の椅子を指差した。座れ、ということだろう。どことなく重い空気に緊張感を抱きながらアキはゆっくりと座った。
男が机に肘を付きそれに頭を乗せる。
「積もる話は色々ある。だが先に聞いておきたい。どうやって戻ってきた?」
「どうやって、と言われても私にはさっぱりで……」
「ここまでどう来たかの話を聞いているんだ。私はお前が先日消えてしまったのを確認している。見間違えたつもりはない」
……消えた?何の話かまったく検討がつかない。そもそも聞かれているのは前の人格の事についてだろう。アキには身に覚えがなくて当然の話。
まずはそこの勘違いを直さなくてはと思い、目の前の男を手で制した。
「あの、私は貴方のことを存じていませんし、そもそもこの学園に来たのも初めてで」
「何?お前はどう見てもセキだろう」
「セキさん、と言うのですね。私はアキです。決して貴方のご友人ではありません」
「……」
「……ご期待に添えず申し訳ありません。これからの質問には何も答えられないと思います」
沈黙の後、男が上体を上げる。細められた目はどことなく悲しみが混じっていた。その表情を見て頭がひりつく。
しかし疑問も生じる。おそらく、セキさんと今のアキの容姿は瓜二つ――というよりおなじ肉体なのだ。なのに今自分が『人違いですよ』と言っただけで引き下がるだろうか。それに、何かを悟ったような表情もした。
どこか違和感を感じる。普通ならばそんなわけないと食い下がるはずだ。
――もしかして最初から想定していた……とか?
いや、まだ分からない。とにかくこの場でしなければいけないことなんて分かっている。結論だってずっと前から。
きっとセキと親しかっただろう彼のこと。もう彼女がこの世にいないと知ってしまえば悲しむはず。
でも、自分が消してしまったかもしれないと告げなければ。そして謝らなければならない。
謝らなければ、なのに。
何かを発しようとしてもうめき声が出るばかりで言葉にならない。覚悟はできていたのに、いざこの身体の持ち主――セキの友人と対面すると空気に圧倒されてしまっている。どんよりと沈んだ負の空気に。
「私は……」
「いや、いいんだ。お前はセキじゃないみたいだからな。わさわざ連れて来てすまなかった」
「そんな、とんでもないです」
彼は知らない、セキがいないことを。アキが他人の空似だと勘違いをして。
……正さなければ。
「行く宛もないだろう。今晩はあそこで泊まりなさい。私はしなければいけないことがあるのでね」
「…………!」
正さなければいけないのに、名前も知らない彼の優しさに甘えてしまう。結局、最後まで答えを告げることなどできようがなかった。
とてつもない自責感に苛まれる。
「……なにやってんだって、ほんと」
敬語で取り繕うことも忘れ呟く。
窓の外はまだ眩しい。端っこの方にある小さい宿舎。そこに泊まりなさいと言われた。けど、まだ身体を動かす気力はない。少しだけ頭を冷やしたい。風を浴びようと窓に近づき鍵を外した。
「まって!」
突然の声にビクッと跳ねる。後ろを見るとそこには生徒達がいた。
「まだ行かないでよ!セキねえさんに対して私達お礼もできてないのに」
セキ……違う。自分はアキだ。彼等が見ているのはアキではない。もういなくなったセキの姿を見ているだけ。
この学校では彼女の影響力が凄かったのだろう。今なら何故生徒達が自分を避けていたのか分かる。皆セキのことを知っていたのだ。その上、久しぶりに帰ってきたのを見て驚いていただけ。
これだけの数の生徒達に真実を伝えるのは簡単なことではない。いったい何度セキがいないことを伝えることになるのか。
「ごめんなさい」
そのような自信、アキにはない。
知り合いの死を聞いた人が悲しむのは当然のこと。その時の顔を何回も見ることはアキにとってごめん被りたかった。結局、善の気持ちなどそれくらいだったということだ。
生徒達の脇を通り抜けようとする。それに対して生徒達の顔がアキに沿うように動く。そのうちの一人が手を伸ばしかけていたが、避けるようにしてその場を切り抜けた。
道が分からなかったが、アキにとっては些細なことだった。ここから逃げるために闇雲に進む。階段があったらとにかく下の階に降りる。それだけでこの建物から出ることは簡単だった。
先程の中庭にでて思い返す。自分は、どうしたらいいのだろうと。元々自身の出自がここにあると思って来たことだった。それを知れば少なくとも住んでいた場所や元々の職業も判明するだろうと見込んでのことだった。
でも、それを聞き出せていない。
それらを知るにはこの身体がセキの物だということを学園の者に伝えなければならない。だって、見ず知らずのアキという他人に個人情報を伝えることはないだろうから。
このまま宿舎に行ってもいい。しかし、いつまでもそれでいいのか?いずれはここを追い出されることなんて分かっている。タイムリミットはそれまで……ということか。
頼るべき人がいないということはとても、
「……寂しい」
「何が寂しいんだ?」
隣に誰かがやってくる。この声は――
「ディン?」
「うお、何でそんな泣きそうなんだよ。変なことでもされたか?」
「……っ」
頼るべき人、ここに存在していた。ディンがいたんだ。まさにアキにとって命綱にほかならない。
「なんか色々あったみたいだな。俺の方も門前払いされちゃってさ、はは……」
「どうしてですか?」
「商談をする必要が無くなったとかなんとかで。マジありえないっての。せっかくの宝玉どうしたらいいんだって」
宝玉。それが今回の商談のアイテムだったのだろう。アキにはそれがどれだけの価値があるか分からないが、少しばかりディンに同情した。
けれど、ディンの話があまり頭に入ってこない。先程の出来事がかなり効いてきている。将来の展望も見えず、アキは不安に包まれていた。
「あの、ちょっと来てくれますか」
「いいけどどこに?」
無言で宿舎を指差す。
「あそこってたしか関係者以外立入禁止じゃ」
「……え?そうなのですか」
ということはお互いに腰を落ち着けることはできないということか。いや別にディンと行かなきゃいけない理由があるわけではない。アキ一人で行ってもいい。
しかし、知っている人が周りにいないとどうしても不安だ。それに……彼なら事情を全て話してもいいと思っている。なんとなく味方をしてくれそうな気がしたからだ。
「じゃあ、そこのベンチでいいです」
人目があるが仕方がないだろう。決して誰かに聞かれてはいけない話じゃない。結局は、心の弱さだ。自分の罪をあまり広げたくなかった。それだけのことだ。
「それで、なにか話でもあるのか?」
ベンチに座って早々ディンが切り出す。空は澄み渡っていて、小鳥が冴えずりアキの心とはまるで対称的だ。
「もう自分ではどうしたらいいか分からなくてなって。相談すべき相手も貴方しかいないんです」
「なるほどね。たしか記憶喪失なんだっけ」
「可能性はありますが多分違うと思います。前世なんでしょうか、今まで生きてきた違う記憶があるんです」
「……は?前世?そりゃまた随分と話が飛躍して……」
「だから私も困っているんです。一番悩んでいるのがこの身体の持ち主が学園の者達と知り合いだということです。多分、元々この身体の自我が存在していました」
「それって……」
「私が上書きするような形で消してしまったかもしれません。……さっき、あの男の方にそれを伝えようとしたのに勇気が出ませんでした」
話を聞いたディンは頭をポリポリとかく。眉をしかめてどこか気まずそうだ。
「……いや、なんだ。根拠があるわけでもないんけど、それは違う……と思う」
「え?」
「俺もよく知ってるわけではない、ってこともなくて、いや、全然分からないん……だけど」
どこか挙動不審だ。両手が忙しなく動いている。アキはその様子を見て訝しんだ。
「もしかして」
「ぁあもうめんどくさい!実は学園長から聞いたんだ。前世とかなんとかっていうのは向こうも把握してないみたいだけど」
アキはディンの肩を掴む。ディンが驚いて顎を引く。自分でも思った以上に力が入って驚いた。ようやく明らかになりそうな話に抑えが聞かなかった。
「お願いします。聞かせてくれませんか」
「あ、ああ。分かった」
引き気味にディンが言った。そこでアキはディンの肩から手を離す。いきなり触れたことに対する申し訳なさが残った。
「えっとまず大事なことから言う。アキちゃんはその体の持ち主の……たしかセキちゃんを消してしまったと思ってるんだよね?」
「そうです」
「俺の解釈になっちゃうけど、聞いた話によるとおそらくそんなことはない」
どこかハッキリしない内容だ。肩の力を抜かず続きを求める。
「学園長はセキちゃんのことを前任者と言ってた。何で前任者?って思ったんだけど、どうやらそのセキちゃんはもう亡くなっているらしい」
「……え?」
この体の持ち主であるセキが亡くなっていた。それは到底想像が及ばない事実だった。何故ならこの身体は五体満足で怪我の一つも存在しないからだ。
しかし、その内容に付随するようにあることが浮かぶ。
「じゃあ、私は持ち主のいない身体を貰っただけということに」
「多分そうだろうな」
自分は、罪など犯してはいなかった。嬉しい、たしかに嬉しい。だが、素直に喜べる気分ではない。
「……そっか。セキさんはもうお亡くなりに」
アキは椅子に座っている自分の身体を見つめる。死んでしまった人の身体を勝手に操るなんて不謹慎ではないか。
ディンがアキを見て何かを察するように言った。
「今こうしてアキちゃんがいるのはセキちゃんも望んでいることだと思うよ。学園長言ってたんだ。『次人者がついたみたい』って」
「そこが分かりません。私のことを何かの職業のように例えて」
「いやぁ、俺もさっぱりだ。流石にそんなとこまでは説明してくれなかったし」
「学園長に聞いてみるしか……あっ」
アキが気づく。どうしてその話をディンにしたのだろうと。学園長からすればディンはただの商談の相手である。内部の話を勝手にするだろうか。
「もしかして私のために」
ハッと気づきディンを見つめた。このような軟派な朴念仁が自分のためにそこまでしてくれたというのか。もしかして門前払いされたというのも無理矢理聞き出したため?
元より自身のことを下心から気にする素振りはあったが、ここまでされるとそれは下心等ではなくただの親切心になる。見た目とは裏腹にやはりディンは良心溢れる良い人だったのだ。
いいや、もちろん前からそんなことは当然アキは分かっていた。今まで何度かディンのことを付き離そうとしていたがまあよいだろう。相変わらず腰にはナイフをぶら下げてて怖いし。
しかし今となってはそれすらも頼りになりそうに見える。アキの頭の中はディンに対する感動の気持ちで一杯だった。
百面相をしているアキの側でディンが気まずそうにしている。口をもにゅもにゅさせてなんだか言い淀んでいたが、アキは気づかなかった。「……まあ、いいや」とディンが背もたれに身体を預けた。
「聞きに行くの?」
「あっはい!やっと素性が見えてきたんですから追求していかないと」
「そっか。じゃあ俺もいこっかな。商談なくなって本格的に暇だし」
「下心、ではないですもんね?」
「あ、ああ!そりゃ当然よ!」
もう何度目かも分からないような同じ会話をする。けど今は疑いはない。胸を張って宣言するディンが頼もしい。
……ちょっと頬がひくついていたが見逃しておこう。




