体質
「やっぱり、くっついてるわよね。不自然に感じてたの。明らかに人の能力を超えてるわ」
その言葉に、アキは言い返す事ができなかった。何かを言おうと口を開くも、考えが纏まらず上手く表現することができなかったのだ。
それだけ、エステルの言ったことには信憑性があった、ということ。
「……」
右腕を見る。血はもう出ていない。しかしそこそこの大きさで傷は開いていたはずだ。少しの間押さえたからといって、すぐにくっついてしまう程人の身体というのはよくできていない。
どう考えても不自然だった。それこそエステルの言ったように『人でない』というのが的を得ているように思えてくる。
ここは昨日のような化け物や、魔法が存在する世界だ。それにアキ自身のようなイレギュラーも存在する。アキが人以外の何者であったっておかしくない。
しかし、まだ疑問はある。この肉体は元々セキのものだ。この肉体が人ではない何かであったとするなら、セキはその状態で今までの生を歩んでいたことになる。異常なまでの再生力、気付かずに十数年間を生きてきたというのは考えづらい。しかもセキは人間社会に溶け込んでいた。今こうしてエステルに怪しまれているように、周囲に気付いた人もいるかもしれない。
けど、これまで周囲の人からセキが騒動を起こしたという話は聞いたことがなかった。逆に全員から慕われていたと言っていた。
一瞬、アキは自身が昨日の化け物と同じような存在ではないのかと考えたが、そう結論するには情報が足りない。
本当に、再生力が高いだけの普通の人間なのだろうか。
自問自答の末に、エステルを脇に布団の中から足を抜き出し、地に足をつける。そしてそのまま立ち上がった。
「へえ」
エステルから感嘆の声が上がった。アキの足は昨日の戦闘で開放骨折――所謂骨が飛び出た状態になっていた。
それは現在通常の足の形に戻っている。これ自体に問題はない。何しろ、この世界は魔法により医療の分野が発達しているからだ。右腕のめくれた肉が元に戻っていることから察するに、治療の際に骨を押し戻すなどして元の形にしてくれたのだ。しかし、見た目と中身は別である。
皮が綺麗に繋がっていても、実際はそうでなく、魔法的な力で繋ぎ止められている。それがこの世界の治癒魔法……らしい。
そのためそこに大きな力が加われば魔法は緩み解けてしまう。これは数分前にアキが体験した紛れもない事実だ。
「やっぱり自然治癒……」
腕だけならまだいい。かなり際どくアウトな気もするが、気のせいか?と疑う余地もある。
けど足は流石に……弁護のしようがない。なにせ、足だ。人体の中で一番負荷がかかるといっても過言ではない部位だ。
「これ、歩けるの?見た目はかなりグロテスクだけど」
「感覚が無いので難しいですけど、なんとか」
五感の消えた足でほぼ摺足の要領で数歩歩く。それを見たエステルの目つきが鋭くなり更に疑いがかかる。
「……た、たまたま私の治癒能力が高いだけですよ!ほらっ!皆さんも実はこれくらいだったり――」
「そんなわけ無いでしょう」
弁解も束の間、ばっさりと切り捨てられる。
「そんな目で見られたって何も出ませんよ……!?私だって何がなんだか……」
「そうね、知らないものは仕方ないわね」
エステルが腕を組みうんと頷く。そして段々と口角を上げていった。
「でも調べれば分かるかもしれない。研究の題材にピッタリね、特にその眼なんかはいい論文が書けそう」
「ちょ、ちょっと……顔が怖いですよ?」
舌舐めずりをするエステルが怖くて後ずさる。それに合わせてエステルも一歩踏み出してくるものだからアキも下がるしかなかった。
「うぇっ……!?」
そういった何度目かのやり取りのうち、ツルンっと足が滑る。大きく身体が傾き視点が宙を舞う。
後頭部に大きな衝撃が走り情けない声を出した。
床に倒れ込んだまま下を見るが、特に何かを踏んだというわけでもないらしい。単純に感覚のない足で歩いたために挫いてしまったようだった。
「いたた……」
強打した頭に手を当てて悶絶する。後ろには棚があったが、物が落ちてくるような気配はない。ひとまずそれに安堵すると同時に頭から戻した手をみて顔が引き攣った。
手に少々ながらも血が付着していたのだ。どうやら頭を切ってしまったらしい。
「もう、逃げたりなんかするから。私だって鬼じゃないしそんなに酷いことするつもりはないわよ」
「怪我人に対する仕打ちじゃない……!」
後頭部の痛みに耐えるアキに向かってエステルが近づく。「まあ……からかっちゃったのは本当だし、ごめんね」小声でそんな声が聞こえた気がした。
「頭切ったんでしょ?見てあげるわよ」
しかし納得はいかず、唇を突き出し不満をアピールしながら後頭部を差し出した。エステルの指が髪を掻き分け直に触れる。
傷口に触れられて鈍い鈍痛が走ったような……気がした。
「ねえアキ、この傷もう治ってるんだけど」
「えっ!?」
一瞬固まり驚愕するも、すかさず後頭部を触る。髪が乱れるのも気にせずひたすらに自らの頭を確かめた。
……痛く、ない。
確かに先程までジクジクとした痛みがあったし、現在もそれは微かな鈍痛として続いている。しかしながらそれはただの持続的な痛みでしかなかった。
傷口を触ることによって起こる新たな痛みというのは生じていない。エステルの言う通り確実に傷は消滅していた。
悪寒が走る。
恐怖心が湧き、息を呑む。
またも超常の現象を目の当たりにし、ようやく実感が湧いてきた。過去の傷が一日の時を置いて治ったのとは話が違う。
――つい20秒ほど前の傷が既に治っていた。
言い訳のしようがない。目を逸らすこともできない。この身体……いや、セキは何かがおかしい。
「凄い!本当に一瞬なんだ……!」
甲高い声が聞こえる。
アキの心情に対して、エステルは随分と興奮しているようだった。
目をキラキラとさせて満面の笑みが浮かんでいる。その視線はアキから決して離れない。
「あの、人が困ってるときにそういうのやめてもらえます?」
思ったよりも冷徹な声が飛び出る。あからさまに空気の読めないエステルには何か募るものがあった。
「だってすごくない!?たった数十秒で傷が治ったのよ!?」
アキの低い声を聞いてもなお、エステルのテンションは変わらない。明るい彼女を見て、ついため息を吐いた。
正直、少し救われた部分もある。はしゃぐ彼女の姿を見て多少はアキの心は洗われていた。一人だったらもっとウジウジと悩んでしまったに違いない。
目をギュッと瞑り、脳内の嫌なものを吹き飛ばす。そして口角をキュッと上げた。
「まあ……いいや」
そのタイミングでバタバタと足音が聞こえてくる。なんとなく、その音はセシルとセシルが連れてきた医師の音だと察した。
エステルも聞こえたのか「ん、んっ!」と咳払いをすると、アキの前に跪いていた姿勢から立ち上がり膝下の布をはたく。
アキは依然として棚に背もたれをつくよう倒れ込んだままだったが、身体が怠いし頭はちょっと痛いし、なんなら手と足の感覚がないということで動くことはしなかった。
扉が開かれる。老朽化のためかキィー……と鋭い音が響いた。
「……どういう状況だ?」
現れたセシルの頭の上にハテナが見える。少し息が切れている様子を見て彼を気の毒に思った。
エステルはにっこりと微笑んでいた。セシルが眉をしかめる。どうやらエステルはこの再生能力について秘密にしようとしているらしい。
「と、とにかく傷の手当をするから。……どうぞ、イヴァン先生」
「えっ!?」
後半の名前を聞いてドキッとする。扉からは見慣れた長髪の男が出てきた。
「目が覚めて何よりだ。聞きたいことは想像できるが、私はこの学園では医学の担当をしていてな」
「そ、そうだったんですか……」
相変わらずの仏頂面で変わった様子はない。イヴァンは昨日の戦闘の……おそらく一番の当事者であったはずだ。あんなことがあったというのに平然な彼の姿を見て僅かに尊敬の念を抱く。
そんなイヴァンは膝を曲げ床に座り込んでいるアキの腕を取ろうとした。
「あの!イヴァン先生!」
突然エステルから横槍が入る。掛けられた言葉にイヴァンは動きを止めたが、一瞬視線を寄越しただけで顔を前に戻す。そして、動きを再開しようとしたが――
その前にエステルが身体を割って入り、アキの頭を抱くようにして寄せた。
「実は、傷は思ったより開いてなかったみたいで治療の必要はないと思うんです。先生も忙しいでしょうから他の仕事に移ったらどうですか?……アキはアタシが看病するので」
にっこりと言い放たれる。
エステルとイヴァンの視線が交差するが、何も答えない。するとイヴァンはアキの顔を見つめてきた。何かを訴えてきてるような目つきだった。
「……」
残念ながらアキには読心の心得はないし、イヴァンとの関係性も高くない。何を言いたいのか理解できず、少しの間を置いて目線を逸らしてしまう。
あからさまなため息の音が聞こえた。
「出血があるようだが?」
アキの少し血に塗れた手のひらを見てイヴァンが言った。
「それは……アキが鼻血出しちゃったみたいで、それで手が汚れちゃったんです」
「それにしては服が汚れていないな。顔も綺麗なままで、何よりもこの奇妙な状況に説明がつかないのだが」
イヴァンが立ち上がった。いつもよりも鋭い眼光でエステルを糾弾する。続け様に言葉を放った。
「お前がコイツに何かやったんじゃないのか?」
「ぐぬぅ……」
エステルが怯む。その様子を見てアキは感嘆していた。『凄い……!あのエステルがこんなにも簡単に!』と。
だがそもそもの話、この会話の主役はアキ自身である。しかし、自分が怪我人であること。運良く会話が回ってこないことに乗っかり空気になろうとしていた。
エステルが返す言葉を探している。胸に抱かれてる状態だったため、「吐血……はもっとだめ。インクは、そんなものは無いし……」そんな呟きが聞こえていた。
「どうした?答えられないのか?」
無言の中、アキの頭が解放される。立ち上がったエステルが、目を暫く閉じてから見開くと言い放った。
「……そう!アキは丁度生理で――」
「ちょっと!?」
予想だにしなかった言葉に声を挟んだ。反射と言っていいほどに意識せずとも声が飛び出していた。
「そ、そうだったのか……」
アキと同じく空気と化していたセシルの呟きが聞こえる。
勘違いされたらたまったもんではない。背後の棚に手を掛けると、自身の容態を無視して立ち上がる。そのまま拳をギュッと握ってムキになって答えた。
「そ、そんなわけないでしょう!その……せ、生理だったら下の服が汚れるでしょうし、なんなら手だけに血がつくのはありえません……!!」
「そ、そうなのか?……ごめん」
すぐ謝罪を返してくれたセシルを放り、眉にシワを寄せてエステルを睨む。それに気付いたエステルも視線を合わせてくるが、飄々とした態度で変化はない。
……やはり舐められている!
そして、肝心のイヴァンはというと、ドン引きして侮蔑の視線を送っているのだろうと思ったが――
「……コイツに生理がくるわけないだろう」
またもため息をついて小さな声でそう言った。視線は冷たいが声はそこまで張っていないし、顰め面もしていない。
意外だった。
まだイヴァンの性格について全容を把握したわけではないが、それでも冗談や下の話が苦手で、そういった話題があると嫌な顔をするやつと認識をしていた。
……そもそもが言った言葉の意味がわからない。生理がこないってアキのことを女として見ていないってこと?それなら僥倖だが。
「とりあえずお前らはもう出ていけ。傷が開いてないのは分かった。ここには看護を呼んでおく。男の私より女性に世話をしてもらった方が有り難いだろう。痛む部分があったらその人に伝えるんだ」
イヴァンが顎をしゃくり退室を促す。
「は、はい」
「……分かりました」
エステルは渋々といった様子だった。頰を僅かに膨らませている。トコトコと歩いて行き、部屋を出る直前に振り返る。
「イヴァン先生は?」
「私もすぐに出る。気にするな」
「……むぅ」
扉が閉められる。見届けたイヴァンは手頃な椅子を引き寄せると、そこに腰掛け足を組んでアキに向き直った。
「聞きたいことがあるなら答えてやる」
一言、それだけ言った。
そうだ。あの後の本末をアキは正しく知らない。聞きたいことはまだまだたくさんあったのだ。
聞けるだけ聞いておこう。そう思ってアキは口を開いた。