目覚め
目が覚める。
半目のままアキは周りを見回した。見えるのは天井、布団、窓。どうやら寝かされていたようだ。
……何だ夢だったか。そう思いたかったがアキはそこまで楽観的ではない。あの時の血の匂い、機能しなくなった腕の感覚を鮮明に覚えている。
それに加えてこの部屋は日光が差し込んでいて温かいのに、対称的にアキの身体は冷えていた。これも出血が原因だろう。
一番気がかりなのはやはり腕と足。無くなることも覚悟していたが期待せずにはいられない。布団を捲って確認をしたい。けどそれよりも身体のダルさもヤバい。気力がでなくて全てがどうでもいい気持ちになる。
「……はぁ」
――もう一眠りしよ。
全身から力を抜きベッドに身体を預けた。
瞼を閉じて蘇るのはむせ返るような血の匂い、ぐしゃぐしゃになった自分の手足、そしてあの人面鳥の顔。すると自然と身体が発汗しざわざわと鳥肌が立つのを実感した。呼吸が荒くなり身震いをする。
アキは気づいていた。なんともないように繕っていたが、完全にトラウマになっている。閉じていた目は完全に見開き、いつの間にか上体が上がっていたのがその証拠だ。
その行動に合わせて被さっていた布団もハラリと捲れる。
病衣の袖から見える腕、それは五体満足……とはいかないものの十分に動かせるレベルまで復活していた。剥がれていた腕の肉、その部分はハッキリ見えるほどの赤グロい継ぎ目があったがくっついていて遜色ない。糸で縫い付けたのかと思えばそうでもなく接着剤で貼り付けたかのように元の位置に存在していた。
極めつけは無い腕の感触。微かに身動ぎしても布の感触一つしない。まるで麻酔にかかってるかのようだ。
「ちゃんと……治ってる」
例え酷い傷跡が残っていたとしても、あの絶望的状況でここまで持ち直しているのは喜ばしい事実だった。この感じだときっと足も無事に違いない。リハビリは必要だろうけど切断は免れているんじゃないか。この世界のことは右も左も分からないけれど医療関係のレベル……もしかしたら魔法かもしれないけど、それは思ったより高いらしい。
「よかったぁー……」
間の抜けた声を出してベッドに身体を横たえる。貧血気味なせいで身体が冷えて腕を擦った。そこで――
「セキ……じゃなくてアキ、入るぞ」
ノックの音と共に返事も待たずに突然入ってきたのはセシルだった。同時に「アタシも入るわね」とエステルの声がする。アキとセシルの視線が交差しお互いパチクリとした。数秒固まってしまったセシルに痺れを切らしたのかエステルが「ねえ、いつまで立ち止まって……」と顔を出す。
「ぁ、お前……目覚めて」
「あの、寒いので扉閉めてくれませんか。あとノックするなら返事くらい待ってください」
冗談めかしてアキが言う。寒いというのは決して嘘ではない。
「す、すまん……。流石に起きてるとは思ってなかったから」
「ついさっき目覚めたばかりなんです。聞きたいことは山程あるんですが何から聞けば……」
エステルがセシルの背中から一歩前に出た。変わらずの彼女の豪胆さ、冷静さは健在だった。
「今日は8日で、事件の日からまだ丸1日も経ってないの。それなのに目が覚めてて驚いちゃった。身体は平気?」
アキの気になっていた部分を捉えて説明をしてくれた。しかし、教えてくれた内容はかなり衝撃的でアキ自身「え゛っ」と引き攣った表情を浮かべる。
「1日経ってないって……え?だってあんな大怪我して出血も多かったのに」
「そりゃこっちのセリフだぞ。普通あのくらいの重症の人は一週間意識なくたっておかしくないんだから」
「や、やっぱりそうですよね?……良かった、自分の認識と合ってたみたいで」
運が良かったのかと感じると同時に気味悪さも感じる。未だ五感のない患部を擦りそこへ視線を向ける。そのまま腕を擦る左手を動かしているとハッとした。
「そういえば聞いて下さい!さっきから腕の感触がずっとなくて……!」
バサリと布団を捲り上げ右腕を掲げる。こんなにも勢い良く右腕を上げられたのは痛覚が麻痺しているからに違いなかった。
グロテスクな継ぎ目を見てセシルが顔を顰めつつも説明する。
「それは多分、まだ感覚阻害の魔法が切れてないんだと思う」
「感覚阻害?魔法……?」
「なんていうか……痛覚を麻痺させるっていうか――」
セシルの言葉の途中にエステルが割り込んできた。魔法のことなら任せろといわんばかりの堂々とした態度だった。
「痛覚というよりは五感全体を阻害させる魔法のことよ。大掛かりな治療をする時は基本的にこれを使うの。それと、貴方の腕がくっついてるのも治癒の魔法のおかげだけど、そんなにも乱暴に腕を動かしちゃったら……」
――パックリ。擬音をつけるのならこうだろう。アキの右腕の継ぎ目の部分、それが開かれて完全に中が露出していた。
「……え?」
呆然とするアキ。本来見えてはいけない赤い肉を見てなお、感覚のない腕も伴って実感が追いついていなかった。というより、思考停止してしまっている。
「こんなふうに傷口が開いちゃうから」
「言うのがおせーよ!!もう開いちゃってるから!!」
「血!血が!」
焦るセシルの声を聞くと焦燥感が湧いてくる。幸いにも開いたのは継ぎ目の一部分の小さい範囲で出血も対してしていなかった。
「大丈夫よ。アタシも治癒魔法使えるから」
こちらに近づいてきたエステルはアキの腕を優しく掴み、開いた肉を元の位置に戻す。血に濡れた手を気にせずに彼女は自身の腰元を見渡した。
そして片方の手でベルトの辺りをまさぐり始める。「……あれ?」微かな戸惑いの声がエステルから聞こえた。その際の表情の変化は顕著だった。顰め面をした後、何かを察したように目を閉じると転じて苦笑いに。
「……ごめん。杖無くしちゃったみたいで魔法が使えない」
「ばっ!?」
「……ぇ!?」
返す言葉もなく口をぱくぱくさせる。魔法が無理ってことはこの傷口は開いたままってこと……?
痛みがなくとも真っ赤な肉が見えてしまうのは目によろしくない。それに感染症だって。いくら少なくとも出血はあるわけだしこれ以上貧血になるのはまずい。
「俺先生呼んでくる!」
咄嗟の判断でセシルが駆けた。ドアは開けっ放しで冷たい風が吹きつけ身体が冷える。ブルブルと軽く震えるがその姿勢を変えることはない。これ以上身動ぎすることによって傷口が更に開くのはアキにとって恐怖だったのだ。
無論、エステルもそれは同様だった。彼女はアキの腕を支えた姿勢そのままで動くことはしない。きっと傷口を押さえることで出血を軽減させようとしているのだろう。例え雀の涙だとしても、今の状況に負い目を感じていることは想像ができた。
「ごめんね?アタシ杖ないと魔法使えなくて」
「へ、平気ですよ。あの時感じた痛みに比べればこんなものなんともないです……!」
これは極論だが、死なない程度の傷なんて大したことはない。昨晩の死闘を経てそれを理解していた。
「こうなるんだったらアタシがもっと早く教えてあげればよかったのだけど。……そういえば昨日のことはどこまで覚えてる?」
「昨日のこと?確か……」
目を伏せ思考を巡らせる。思い出すのは血だらけの生徒、巻き込まれる自分、そして――
「――そうだ……!私、魔法を使って!」
「やっぱり……。それなら治癒の魔法も使えるかもしれないわね」
「でも杖が」
「大丈夫、制御が上手い人は杖なんていらないのよ」
「むぅ……」と唸る。魔法のない世界を生きたアキには、魔法という目に見えず曖昧な力を操作するのはまるで雲を掴むような話だった。
一度使った実績があってもその認識は決して変わらない。眉を顰めてなんとか昨晩の記憶を捻り出そうとするが、霧がかかったかのようにハッキリしない。あの時は貧血で頭に血も回っていなかっただろうし覚えていないのも仕方ない。
それでも微かな記憶を頼りに再現するとすれば……
「……ぐぐぐ、動けぇ!」
こうやって目に見えない何かへ念を送るくらいだった。
「……何やってるの?」
苦笑するエステルを脇にアキは至って真剣だ。というのも、一つハッキリと思い出したのが空中の光の粒を操る様だったからだ。
「っ見えない何かを……!動かしています!」
眼力を強くし眉間に力を込める。それでも今はさっぱりと感じ取れない。そもそも実際に動かせているのかさえも。けど信じて念を続けた。
「それってマナのこと?魔法について勉強してないのによく気が付いたわね」
「前に見えたんです。空中で漂う光の玉が……!」
瞬間、エステルが目を瞠った。彼女は前のめりになると変わった様子で聞いてくる。
「アンタ、マナが見えるの?」
途端な変わりように困惑する。掴まれた腕からは力が強められたのか微かな圧迫感を感じた。
「マ、マナっていうのが何かは分かりませんが力の源っぽいのはなんとなく……?」
首を傾げながらも苦笑いで返す。あまり確かではないため濁した回答だが……あれは魔法を構成している粒子なんだとアキは考えていた。
「なるほどね……それがセキの異常な魔法の秘密だったのね。杖無しで魔法が使えたのは当然としても術式を描く動作もないなんて。そもそもあの構成速度はおかしかったし……」
ぶつぶつとエステルが呟く。近くにいるアキにも当然聞こえるのだが、内容に関してはまったく分からない。
「ねぇ!」
「は、はい」
「アンタ本当に普通の人間?今までは才能だって思ってたけど、それはセキの話で今のアンタは別人。この前に魔法は魂に依存するって言ったけどアキにはそれが当てはまらない」
「いや、その……」
まくり立てる勢いにアキは黙りこくった。それでも尚、エステルは続ける。
「1日経たずにこうして話せるまで回復してるのもやっぱりどう考えてもおかしいわ。加えて――」
エステルが掴んでいたアキの右腕を離した。その様をつい目で追って、驚愕する。
「えっ」
開いていた傷口が完全にくっついている。
いや……そんな訳がない。すぐさまアキはかぶりを振った。きっとずっと抑え続けられていたからそう見えるだけだ――と思い込んだ。
そしてその証明をするために腕を軽く動かす……。
しかしながら傷口が開く様子はない。更に強く力を込めてもまったく変わらなかった。先程までは傷口が開くことに恐怖していたのに、今は変わってそれを望んでいる。皮肉のように思えて仕方ない。
「やっぱり、くっついてるわよね。不自然に感じてたの。明らかに人の能力を超えてるわ」