第15話:村正、知る
どんよりとした曇天は、まるで心を表しているかのよう。
トウカの屋敷は重々しい空気に包まれていた。
酒呑童子による被害は大きい。負傷した者達への賢明な手当てが行われている中で、村正は太刀の手入れを行っていた。
「ムラマサ」
鎧から着物へと着替えた。トウカがやってきた。
「ん? あぁトウカか。他の奴らは?」
「とりあえず、死傷者が一人も出なかったことだけは幸いだったと言えるでしょう。けれど楽観視もできないのもまた、事実です」
「だろうな……」
トウカが信頼するあの五十名が戦闘不能となったのは痛手である。他の兵はまだいるものの、実力は村正の目から見ても足軽程度ばかり。
「ふんっ! せやあっ!」
「ぐはぁっ!」
「こ、この人怪我をしてるのに何でこんなに強いんだよ!」
「この程度造作もなきこと! さぁさぁ、遠慮せずにどんどん掛かってこられよ!」
自身も重傷を負っているにも関わらず、もう稽古に精を出している杏二郎の槍捌きに、兵らは成す術もない。
酒呑童子はまだ生きている。
足軽をいくら戦場に導入しようとも、いたずらに命を失わせていくだけに終わる。
それ故に伊吹山への進軍は未決行のまま。攻略するためには戦力があまりにも少なすぎた。
「……改めて痛感しました。酒吞童子――あれは真に恐るべき怪物である、と」
「違いない。あそこまで強いっていうのは、正直予想外だった。どれだけ強かろうと人間じゃあれは討ち取れんよ」
「……ですが、今回はまたしてもムラマサに助けられましたね。あの時あなたがいなかったらと思うと……」
「まぁ、なんとかなったっていうのが正直なところだがな。ぶっつけ本番だったが、効いてくれたみたいで本当によかった」
「そ、そうでした! ムラマサ、お願いがあります」
「お願い?」
「その太刀、いくらなら譲っていただけますか?」
トウカが言っているのは、今村正が手にしている太刀である。
童子切村正――酒吞童子を両断した、この太刀をトウカは、金を出してでも欲しいのだと言う。
「その太刀は間違いなく、酒吞童子を倒すのに必要不可欠な代物。大業物に匹敵するソレさえあれば私一人だけでもきっと……!」
「あ~……こいつか? うん、まぁ売ってやってもいいんだが……」
「お好きな金額を提示していただいて構いません!」
「いや、そういうことじゃなくてだな」
手放すのが惜しい、のではない。
例え十両程度の金額であろうとも、相手が望むのであればいくらでも商談に応じるでいる。
金の問題ではないのだ。村正寧ろ、童子切村正にそこまでの価値はないとさえも思っている。
欠陥品を高値で売りつけるなど、詐欺師と大差ないではないか。
故にトウカに真実を告げることにした。
話を聞いても尚欲するのならば、その時は商談にきちんと応じてやればよい。
「あ~トウカ? お前さんがどう考えているかは知れないが、こいつはかなりの欠陥品だぞ?」
「け、欠陥品⁉ そんなはずが……だって、酒吞童子を撤退させるだけの切れ味を誇るんですよ?」
「あぁ、確かに酒吞童子は斬れたな。ただそれだけなんだよ」
「えっと……」
「要するにだな」
村正はトウカの前で童子切村正を使って自らの腕を斬った。
あっ、とトウカが驚きに目を丸くする。
「い、いきなり何を……って、あれ?」
「これが欠陥品の理由だ」
「嘘……だって、そんな……」
村正の腕を取ってまじまじと見やるトウカ。
彼女が驚くのも無理はない。村正は苦笑いを浮かべる。
酒吞童子をも斬ったというのに、村正の腕は未だ健在である。傷一つすらない――強いて言えば刃が通った後が赤くなっているぐらいだった。
「この太刀……童子切村正は今回の酒吞童子を斬ることだけを考えて打ったんだ。するとどうだ、確かに奴さんは斬れたがその他のものがまったく斬れなくなってしまったって訳」
「だから欠陥品であると……」
「限定した対象にしか使えない。それさえも失えばもうただの尖った金属の棒だ。どれだけ必死に研いだところで斬れやしない」
自分でもどうしてこのような刀に仕上げてしまったのか。散々悩んでいた村正がその答えを得たのは、酒吞童子討伐の当日のことであった。
以前より、不眠不休かつ無飲食の状態で鍛冶を続けられていたことへの違和感が、より鮮明に、視覚情報として表れたのである。
「本当に最近なんだがな、今まで見えなかったもんが色々と見えるようになったんだ。例えばこの童子切村正には【対鬼への追加ダメージ】とか【酒呑童子特攻】とか、変な文字が頭の中に浮かんでくる……自分で言うのもなんだが、刀の打ちすぎで俺はおかしくなったのか?」
「……固有技能」
「え?」
「それはきっとムラマサの固有技能ですよ!」
興奮した面持ちで詰め寄られるが、なんのことだかさっぱりである村正は小首をひねるしかない。
一先ずトウカを落ち着かせたところで、その固有技能について尋ねてみる。
「トウカ、お前さんが言う……その固有技能っていうのはなんなんだ?」
「そう、ですね。わかりやすく言うとその者のみが使える特殊能力、と思ってもらえればいいかと。もっともこれは誰しもが得られるわけでもありません。生まれ持ちながらにして発言した先天性、何らかの要因で後から発言する後天性……ムラマサの場合は後天性でしょう」
「ふ~ん」
「意識を集中してみてください。そうすれば自らの固有技能をより詳細に知ることができます」
「なるほどねぇ……」
トウカに言われて、村正は沈思する。
よもや自分にそのような力が宿るとは考えたことさえもなかった。
言われてみて、納得できる部分はある。
まだ詳細についてはわかっていないが、鍛冶に特化していることだけは間違いない。ある意味では刀匠として相応しい力を得られたと言えよう。
(こいつは、とんでもない刀が打てそうだな)
かつて不可能だと一蹴してきた発注内容も、ひょっとするとこの固有技能とやらで現実のものとして鍛造できるやもしれぬ。
酒吞童子を斬るだけに特化した日本刀が打てたのなら、杏二郎が今も欲してやまない龍さえも穿てる槍でさえも、あるいは……。
村正はくつくつと笑う。幼子が目新しい物を発見したかのような生き生きとした表情に、トウカが心なしか冷ややかな目をしていたが、村正にはどうでもよいことだった。
「そう言えば、あの腕どうしたんだ?」
ふと思い出して、村正はトウカに問う。
昨日酒吞童子が犠牲にしていった右腕を、あの場に放置したままとは考えられない。仕留めそこなったものの、一太刀浴びせたという立派な武功となる。
当事者たる村正は、武功にまったく興味がない。
欲しいとすればトウカであろうし、彼女が求めるのならはじめからくれてやるつもりでいる。
「あの腕ならばこの屋敷で保管しています――酒吞童子はまだ生きています。そしてきっと、この腕を取り返しにくるはずです」
「斬られた腕をどうするんだろうな……。食うのか? くっつけるのか?」
「そ、それは私に言われましても……」
「だよなぁ――でも、取り返しにくるっていう可能性があるんなら、用心するに越したことはない」
「えぇ、もちろんです。この屋敷のすべての出入り口には兵を置いていますし、外部の者を通さないように命令しています」
「……それ、本当に大丈夫か?」
村正の中に一つの懸念があった。
酒吞童子が腕を取り戻しにやってくる――似たような状況は彼にある物語を思い出させていた。
(本当に物語と同じような展開になるとすれば……まぁ、そんなことが起こるはずがないんだけど)
備えあれば憂いなし。
村正はトウカに一つの助言をしてやることにした。