薄い
薄い。
卒業証書を受け取った時、そう感じた。
大学生活の終わりは、紙切れ一枚で記されていた。
キャンパスの中央部分に聳える時計台を背に写真を撮る。ここに来るのも今日が最後だろう。
大学生活、決して順風満帆ではなかった。友達がたくさんいたわけではないし、成績が良かったわけでもない。
どちらかと言えば、一人寂しく、人と関わらず過ごしている損なタイプだった。
しかし一つだけ良かった点がある。
こんな私を受け入れてくれる親友に二人出会えたことだ。
気の合う仲間。お昼休みに正門前の煙たいジャズ喫茶でご飯を食べる。
客の8割は大学生で喫煙者。彼らの吐く煙は店内に充満し、気管が弱い私たちはいつもマスクをつけて店の奥にある禁煙席に。そこが私たちの指定席かつ特等席だった。
会話の内容なんて、覚えちゃいない。どうせ彼女と来週デートとか、この映画行ことかくだらない内容ばかりだ。
でも、そのくだらない話が甘美で濃密で楽しかった。大学生として自分が生きている気がした。
しかし、三回生に上がる春休み。
突然、祇園精舎の鐘が鳴った。
世界中に響き渡った鐘の声は、あらゆるカタチを変えた。
くだらない話も空間も、それがいつまでも続き、存在することなどない。
授業は全てオンライン・友達との飲みはNG。たまの外出も生活必需品を買い求めるだけのルーティン。
見えない敵に抑圧された生活は、経験したことのない戦時中の生活のようだった。
街の顔色がみるみる悪くなって行った。
数ヶ月が経ち、就職活動が始まる。幸いなことにあまり苦労せずに内定を貰った。
初めて、親友の目が怖いと感じた。いくら気の合う友達だとしても、結局は他人。
そして、私は誰にも社会人になる喜びを打ち明けられずにいた。内定という私だけの特権は、妬みの材料としては最適だから。
夕暮れの公園、散歩帰りにベンチに腰を下ろす。何も用事がないのに、外出したのは久しぶりだった。
あまり家から出ない私を心配して、母が家の近くにある公園まで歩いたらと言ったからだ。
持参したスポーツドリンクは、歩いているうちに温くなっていた。
私はその温いスポーツドリンクを飲みながら、公園を見渡す。
親子が砂場で遊び、中学生位の三人組が藤棚の下でカードゲームを広げていた。しばらくすると、三人のうち二人は門限があるのか、自転車に乗って公園を去って行った。残された一人は、カードと睨めっこしていた。
あの子は、大人になっても今日遊んでいた二人とは遊び続けるだろうか。ふと脳裏によぎった質問。
まるであの子が私にそっくりそのまま問いかけてくるようだった。
真っ赤に燃える夕日が落ちている。
親友と大学卒業してからも遊ぶのだろうか。
そもそも遊ぶことだけが、友情を確かめることに繋がっているわけではないのではないか。
親友の定義は何か。
私だけが彼らのことを勝手に親友だと思い過ごしている可能性もある。
何が私に彼らのことを親友だと言わしめているのか。
自分の意見がまとまらない。それでも時間は有限だ。日はすっかり落ち公園の常夜灯がついている。
私はベンチから立ち上がり、家路に着いた。
数日経っても、まだ答えを探している。
見えない敵が出現してから数ヶ月が経ち、人間はオンラインで飲み会を開催するまでには対応出来るようになっていた。
私も親友とオンライン飲みを開いた。画面越しに見た親友は元気そうだった。
二人とも就職活動中で、卒業論文には手が回っていないようだった。
二・三時間、近況報告と雑談をして、いい感じになった所で会は終了した。
私はここでも内定を打ち明けることが出来なかった。いや、もういっそ打ち明けないと決めていた。こんな些細な問題に乱されたくないのと、打ち明けることが出来ない私はまた親友を他人だと割り切って、接する道を選んだ。
そして舞台はもう一度、卒業式へと戻る。
例年とは違い、賑やかな式典では無い。
それでもスーツや袴に身を包み集う。
卒業の証を受け取り巣立っていくのだ。
証書で私の四年間が纏められるとは到底思えない。
楽しかったのだろうか。何か成し遂げられてたのだろうか。
帰り道で親友とたくさん語り合おう、四月からの仕事について。たくさん話して大声で笑おう。
遠くに親友の姿が見える。
口を覆っている薄いマスクのせいで気づいていないようだ。
私は親友の方を向き、深呼吸した。四年間の友情を込めて叫んだ。
声は薄いマスクを貫通していった。
(終)