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初秋風  作者: 紫 李鳥
2/5

 


 そう。美輪子はあの日、合鍵を返すために豪のアパートに戻った。チャイムの音にドアを開けた豪は(さげす)むような冷たい目で待ち構えていた。視線を下ろすと、先刻のパンプスはなかった。


「鍵を返しに来たわ」


「わざわざ持ってこなくても、そんな物、捨てればいいだろ。スペアなんて幾らでも作れるんだから」


 気怠(けだる)そうに吐いた。


「他にも女が居るように?」


「何、ごちゃごちゃ言ってんだよ。もう一寝入りするんだから帰ってくれよ」


 と背中を向けた。


「ちょっと、待ちなさいよ。遊びなら遊びでいいわよ。じゃ、どうして合鍵なんかくれたの」


 その言葉に、豪はゆっくりと振り向くと、


「あれぇ、あんたがさっき答えを言ったじゃん。他にも女が居るように、スペアは幾らでも作れるって」


 美輪子を蔑視(べっし)した。美輪子の自尊心は粉々に打ち砕かれた。豪が後ろを向いた瞬間、美輪子はシンクにある包丁を手にすると、豪の背中を目掛けた。ウッ!豪は短い(うな)り声と共に壁に(もた)れ掛かった。



 そのまま、放置して逃げて帰った。豪の生死は定かではない。新聞にもテレビにもそのニュースはなかった。……生きていてくれればいいが……。


①誰かが通報して、手術中。


②生きていて入院している。


③あのまま死んだが、まだ誰にも発見されていない。


④包丁には私の指紋がついている。部屋中に。だから、非公開で指名手配されている。


 美輪子は頭の中で可能性を箇条書きにしながら、どうか、②であってください、と祈った。だが、死んだ確率の方が高かった。


 だから、死ぬつもりで、ここまでやって来た。感情的になっていたあの時を後悔したが、後の祭りだ。……この先をどうするつもりだ?死ぬのか?東京に帰って豪の生死を確認して、自首するのか?美輪子は身の振り方に迷って、眠れなかった。




 ――海は穏やかだった。この凪に、この火照(ほて)った体を浸せばいい。そして、深きに徐々に沈めればいい。そう、簡単なことだ。美輪子はポシェットを首から外すとミュールを脱いだ。そして(なぎさ)へと歩いた。波が優しく爪先を撫でた。次は足首に。脹ら脛(ふくらはぎ)に。太腿(ふともも)に。腰に。胸元に――



 佑輔は一人、廃墟の〈海の家〉で干し烏賊(いか)を、燃やした流木の炎で(あぶ)りながら、酒と煙草を()んでいた。


 壊れた戸口からふと、外に目をやると、月光に輝く海辺に何やら動くモノがあった。佑輔は目を凝らしてそれを認めると、敏捷(びんしょう)に駆け出した。――波に漂う女を見た途端、あっ!と声を上げた。


 美輪子を抱き抱えると先刻まで座っていた廃墟の茣蓙(ござ)に置いた。そして、鼻を(つま)むと人工呼吸を試みた。柔らかい唇に触れながら、佑輔の鼓動は激しく音を立てていた。そして、薄いワンピースに露わになった乳房の真ん中あたりを両手で押した。――やがて、ウェッと、海水を吐いた。


 美輪子は咳込みながら身を起すと、鳩尾(みぞおち)を押さえながら背中を丸めた。佑輔は背中を擦ってやった。


「……あなたは」


 顔を上げた美輪子が佑輔を認めた。


「……よかった」


 佑輔が白い歯を見せた。


「……あなたが助けてくれたの?」


 美輪子は自分の体を抱き寄せながら、佑輔に確認した。


「あっ!」


 焦がした烏賊に気付いた佑輔が声を上げた。


「酒、飲む?」


 佑輔が一升瓶を手にした。ゆっくり美輪子が(うなず)くと、佑輔は残った紙コップの酒を飲み干して、それに酒を注いでやった。


「体が温まるばい」


 と、美輪子に差し出した。美輪子はそれを受け取ると、少し口に含んだ。


「イカ」


 裂いた烏賊を美輪子にやった。美輪子はそれを受け取ると酒の入った紙コップと交換した。佑輔はそれを飲むと、


「今夜はあんたのホテルに泊まるけん」


 と、決定権があるような物言いをした。


「……心配やけん」


 佑輔は真剣な目をしていた。


「……」


「心配せんちゃ、なんもせんけん」


 佑輔が(おど)けた表情をした。美輪子が安心したように微笑んだ。


「笑ってくれたばい」


 佑輔はそれが嬉しくて酒を(あお)った。




 客室に入ると、美輪子は慌ててデスクの上に置いてあった封書を引出しに仕舞った。


「……シャワーを浴びて来るわね。テレビでも見てて」


 美輪子はそう言い残すと着替えを手にした。


 佑輔は引出しを開けると、〈遺書〉と書かれた封書を確認した。窓辺に佇むと煙草を吸った。



 頭にバスタオルを巻いて浴室から出てきた美輪子は、


「ソファでいい?ベッド」


 と、窓辺の佑輔に訊いた。


「……ああ」


 佑輔はソファに横になった。


「おやすみ」


 美輪子は明かりを消した。


「……おやすみ」


 佑輔の小さな声がした。



 ――重苦しい空気が暫く続いたが、やがて美輪子は眠りに就いた。




 目を覚ますと、佑輔の姿はなく、書き置きがあった。


〈神社で13時に待つ。できればジーパンで。 佑輔〉

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