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3.交渉と酒宴

「なんだ、獲物をかっさらわれたムナジロカワガラスみてぇな面して」


 どんな顔だろう。

 叫ぶような胴間声。

 リュミネが正気を取りもどして、声をした方をあわてて向きなおれば――


 見上げるような巨漢がいる。

 歳の頃は、三十を二つ三つは出ていよう。

 太くないところ、厚くないところが無い男だった。


 首が太い。腕が太い。腹が太い。脚が太い。

 胸が厚い。手が厚い。爪が厚い。足が厚い。


 黒々とした剛毛の髪を紐で強引無理矢理に束ね、幅広い面体に、強く角張った顎。髪から続き、口周りから頬にかけて覆う虎髭。ず太く吊り上がった眉の下には、常に睨みつける様な黒々の小さい三白眼がある。


 丈夫さ一辺倒の厚手の着衣は、端々が擦れて破れている。はちきれんばかりに盛り上がる胸と腹。胸元は破れ開いて剛毛の胸毛が覗いている。


 無骨。粗野。そのもの。

 腰には使い古された手斧。

 右肩には棒と言うより、細い柱と見紛う、長大極太の薙刀(グレイブ)


 驚くなかれ、この男山賊ではない。


「バン様」


 リュミネが急いで呼びかける。


 名はバン。

 姓はない。


 以前肉屋をしていたことから肉屋のバン。バン=ブッチャーと呼ばれている。

 出会った当初リュミネからは、ブッチャー様と呼ばれた。


「様付けはよせや」


 ブッチャー様(元)が、ひどいしかめっ面で返す。

 殊更(ことさら)怒ったわけではない。バンは大概この顔をしている。


 いや、それよりもなによりも、服の全身が赤黒く汚れて鉄臭い。先ほどできた傷から噴き出した血と、元より付いていた血だった。


「はやく、治療をっ」


 呑気な返答をするバンにリュミネは焦る。

 ヴァーチの「糸」の怖さは知っている。

 バンは貴族ではない。

 特別な「力」など持っていない。早く血を止めなければ命が――


「いらねぇよ、面倒くせぇ」


 血が止まっている。

 どういう訳か止まっている。


「――そういう訳にもまいりません」


 困ったようにそう言うと、リュミネはようやく周囲を見渡す余裕が出来た。

 負傷者の有無。

 この場で一番立場が上なのは自分なのだから。

 馬から落ちたオルモークには、既にショウカが治療のために寄り添っている。この場で一番救急治療の知識と技能を持つのは彼女だ。


「ショウカ」

「おまかせを」


 一言で、私の意図を汲んでくれる。

 ショウカ=トゥコームは侍女長であり、貴族。そして、供回り全員に対する治癒衛生の責任者でもある。

 王族の侍女は、皆すべてアウラを治癒に使うことのできるもので構成されている。彼女の「力」も、管理能力も、非の打ちどころなどまるでない才媛だ。

 治療をとめぬまま、ショウカは、私の持つゲントリックの威光をもって、この場の指揮を開始した。


 これでよい。

 これで――

 あの方と二人きりになってしまう。


 ちがうちがう。そうじゃないんです。冷静にならなければ。はしたない。

 そもそも、二人きりじゃないのですし。

 とにかく、何事も会話から。

 まず最初に疑問に思ったことを聞いてみる。


「――その、肩のものはどうされたのでしょうか?」

「土産だ」


 矢張りバン。しかめっ面で答える。

 どさりと肩から下に落とされたのは、果たして猪だった。

 先ほどの混乱でも何の支障もなくかついでいたのは、どうなっているのだろう。


熊面(くまづら)の連中と手打ちが済んだ、その祝いモンだ」

「クマヅラ?というと――」

「バグベアだ。話は付いた」


 ――

 ―――

 ――――!?


 言葉の意味が分からず言葉を失い、意味が分かると驚きのあまり、言葉が出ないリュミネ。

 さっきからリュミネ、こんなのばかりだ。


「そこらの騎士連中よりも話が早ぇな。“強いほうが偉い”。頭下げるよりぶん殴りあったほうが、後腐れがねぇ」


 ――

 ――

 ―――

 ――――

 ―――――えっ。

 戦ったんです?


 えぇと、暴力は、武力の行使は、関係を悪化させるだけで?

 戦とは手段で、避けるべきもので、消えない禍根とかそういうものが、ぷぷっぴどぅ――


 リュミネの頭はもっと混乱した。


「向こうは闘争が()って言ってんだ。受けて立つのが礼儀だろうがよ」


 困惑しているところを見て取ったバンが面倒くさそうに、しかめっ面で説明する。

 それでも困惑しているので、またでかい声が落ちた。


「手前らの“礼儀”だけで世の中が回ってるわけねぇだろが」





 バグベアにとって闘争は悪ではない。

 住むべき所を、戦い、奪うのは正しき道理である。


 人族は彼等の土地を同意なく切り拓いた。

 正しく闘争が行われるものと判断したバグベアたちは、準備をして人族の戦士たちを待っているところに、その人族が何故か謝りにきた。


 謝罪、金、賠償などという言葉を口にする。

 何を言っているのか?

 彼等にとっては、異様な行動であり、慮外の冒涜だ。


 闘争こそが正しい解決法であるのに、それに泥を塗る行い。バグベアたちは激怒した。

 彼らは正しく交渉してきた。

 人側が行っていたと思っていたのは交渉ではない、ただの文化の押し売りである。


 何度目かの人族との『コウショウ』の場。

 最早不審の臨界に達し、全面衝突に移ろうとしたそのとき。

 バンがふらりとやって来た。


 ほかの「騎士」や「使者」とは匂いが明らかに違う。

 ようやく『話』の分かる者が来た。バグベアたちは勇み立つ。


 闘争の匂いは、バンも嗅ぎ取る。次の瞬間には、歯を鳴らし、諸肌脱いで両の拳を握った。

 正義だ道理だのと、訳の分からぬ御託(なきごえ)を発する騎士団を無視して、怒声と共に極めて正しく『交渉』が始まった。


 それはもう、血沸き肉躍る交渉だ。

 一切の躊躇なく、呵責なく、容赦なく、半歩たりとも引いたりしない。肉が割れ、骨が鳴り、頭を叩きつけ、血が噴き出す、楽しい楽しい交渉だ。


 バグベアの爪は、下手な鎧ごと切り裂く威力を持つ。

 並の打撃では、バグベアの肉には通じない。


 己より大きく重いバグベアを相手に。

 一対大勢を相手に。


 それでなお、肉弾戦。

 それでなお、笑う。

 普段は怒っているか、しかめっ面の、バンが笑う。

 豪傑は、笑う。

 そういうときに破顔する。


 交渉の場となった広場に鬨の声と打撃音が敷き詰められていく。


 決着は存外なほど早く着いた。

 次々に倒れ伏すバグベア。

 鼻血を吹き、目を回し、白目を剥き、折り重なっていく。

 膝を立てたまま、頭から地面に突っ込むように倒れているものもいる。


 その中で、最後の一人。立っていた一人。顔面から何から上から下まで赤く血で染めたバンが放った、辺りの木々をびりびりと震わせる咆哮という名の勝ち鬨が終了の号令であったという。


「連中は土地から出てくと抜かしたが、勝ったのはこっちだ。好きにやらしてもらった」


 バンに(まつりごと)は分からない。

 だが、交渉が出来ないわけでもない。

 手打ちは宴会と相場が決まっている。


 敗北したバグベアたちを、とにかく引き留め、半日急いで、大酒樽二つと食い物を開拓地の倉庫から持てるだけかっぱらうと、背負って抱えて運び込んで酒盛りを始めた。


 お互いに、鼻血だのなんだのに塗れたまま。

 開けた酒は大麦酒(エール)。麦の濃い、保存がきく、喉によく染みる強いヤツ。それをバグベア連中に押し付け呑ませる。無論、自分も呑む。呑まぬ理由がどこにある。


 厚手の塩漬け肉を切り分けずに互いにかぶりつき、とりあえず広場の真ん中に火を起こし、玉葱、人参だの食えるものを焼いた。


 人もバグベアも雑食だ。片っ端から口に入れる。

 宴会らしくなってくれば、負けじとバグベアも食い物と酒を出した。


 干した大魚に、獲って燻した肉、木の実と果実、途中からはバグベアの豪快な料理が作られ、散々に食った。


「向こうの連中が出した蜂蜜酒(ミード)は美味かったな」


 少しだけ口の端を上げてバンが言う。


 バグベアは蜂蜜をとても好む。とれた大振りの川魚にも、菜果にも、調味料にも、保存にも味付けにも、たっぷり蜂蜜が使われ、酒も蜂蜜から作る。


 後から申し訳程度に、全員体の血を落とし、血塗れの服のまま一晩飲み明かし、語り明かした。

 ついでに雁首そろえて、そこにいた王国の騎士どもにも、つぶれるまで酒を飲ませた。


 そうやって、言い分を散々に話し聞く。

 異文化交流である。


 バンはバグベアの文化をちぃとも知らない。

 ここでようやく、彼等の道理を知った。


 通常、バグベア同士の闘争は、負ければ、その土地を出ていくのが習いという。

 ()()()()のはぐれバグベアは、その争いに敗れ定住できなかったもの達であった。


 そこでバンは切り出した。


『俺らが欲しいのは、土地(じべた)じゃねぇ、手前らだ』


 そのまま住んでようが構わねぇし、余計な口はださねぇ。

 お前らに襲いかかるような人族(ばか)は好きにしても構わねぇ。

 ただ、俺等が今から作る道を放っておくのと――


『酒と飯を食わせろ』


 互いの必要なものを交換する。

 そういう約定を結ぶことにした。

 神聖なる闘争は終わり、勝者は決している。

 バグベアとしては異例の決着ではあったが、邪悪な約定ではない。


(われ)()が血肉と咆吼(ほうく)に懸けてッ』


 バグベアを代表して、中腹(ミッドスロープ)のガダが声を放ち断決する。

 バグベアにリーダーはいない。次々に個々連名をもって同意が成立する。


 この日、バグベアたちはバンの名を知り、バンはバグベアたちそれぞれの名を知った。

 闘争と酒を以て、その日深夜未明、人とバグベアの約定は結ばれた。


 ゼア。ヱェギ。ボゥザ。バグベアの戦士三者が、約定が済めばすぐさま木製の盃を再び高く掲げ乾杯の音頭をとると、皆歓呼に湧いた。


 あとは、もう酒を乾かすまで、宴の声が山間林間すみずみにまで木霊し続けた。

 顔面から何から酒で赤く染めて、辺りの木々がびりびりと震えるほどのバンの鼾が終了の号令であったという。


 翌朝。

 家を持つバグベアは、そのまま残り、()()()()の連中は自らの力不足を嘆き、再び流浪する。

 騎士団は二日酔いに沈み、バンは土産を担いで開拓地に向かう。


 後日。バンと、交渉に出向いた騎士、両方の話をまとめると、ことの顛末はおおよそそのようなものだった。

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