2.再会と急展開
なぜこんなことになってしまったのか。
いる。思い人が、そこに。近くに。
それは、いい。よくないけれど、いい。ここに居るのは知っている。
公務の合間に暇を作って、迎えにきたのだから。
それが、どうして――
槍が掲げられて。
兵士の皆に囲まれて。
ショウカが兵士の一人に駆け寄って声をはりあげて。
門と大通りの入り口で。
私がその囲いの真ん中にいて。
――争いの場になってしまっているのでしょうか。
「動いてくれるなよ、我が姫君よ」
リュミネが唖然茫然としている前で。騎馬上、ライトブロンドのうねる獅子髪の貴公子が芝居のような科白を奏でた。
容姿は平凡の騎士のものではない。
黄金の瞳は鷹のような獰猛さをたたえるが、睫毛は長く、綺麗な弧を描く眉は細く優美とさえ言える。
形良く高い鼻、端正ながら精悍に表情が引き締まり、顔立ちには年若い年齢以上に高貴さが漂っていた。
旅装であろう丈夫な外套で体形は見えないが、その輪郭は細身の長身。姿勢は崩れず、王室の近衛騎士然として洗練されている。
腰に吊った片刃剣は既に抜かれて油断なく構えられていた。
芝居の一場面と言っても、疑うものはいないだろう。
「我が名はヴァーチ=オルモーク。王国西方域リョウズ伯が嫡子にして貴族である」
歳は十七。王国西方域リョウズ伯の嫡子にして、リュミネの学友。
外套の内から首から下げている徽章を引きずり出す。記されているのは伯爵家の紋章だ。
「兵は囲いを解かぬままで、我が振る舞いを許されたい」
貧乏くじ。そう渾名される姫、リュミネ=ショウ=ゲントリックの救援に、文字通り駆け付けた。
ヴァーチはリュミネを見る。
彼の姫は、国立学院で初めて初めて会ったときから変わらない。
鳥が飛べばフンが降り、道を歩けば馬が暴れ、計画を立てれば風邪をひく。
それなのに、本人に不運の自覚はまったくない。
王室の厄介事を押し付けられ、疑うことなくすべて抱え込む。
短い葦の語源の通り、確率で引くはずの短いはずれくじを、自らの引いた葦をへし折って作り出す苦労性。
そして、本人はそれが貴族の役目とまるで疑っていない。
結果、関わるものすべてに不運と厄介事がふりかかる。
だが、お人好しと言うには理論的すぎる。
理想家とするには現実に浸かりすぎている。
お飾りと呼ぶには慕われすぎている。
役立たずと評するには優秀すぎる。
そして、結果的に厄介事を解決してしまうのが、より性質が悪い。
なんの因果か、その救援に駆け付けた。
今回押し付けられたのは、バグベア族と一触即発の事態の収拾であると聞いた。
彼の姫の性格ならば、戦闘ではなく、話が通じない相手に平和的解決でも模索しているのだろう。
俺の役目は、その厄介な姫の守護騎士。――を押し付けられている。
父のリョウズ伯から、王妃殿下から、姫君の友人諸氏から。
姫に遅れること一ヶ月。
ようやく万端準備を終え、遥々王都からの長駆ののち、開拓地の門までついたとき。
治安維持に駐屯する兵士が十名ほどで出動しているのに居合わせた。
開拓地の路上。
ただ通りがかっただけだが、道をふさいでいる。
兵士に身分を明かし、声をかければ泥棒を捕まえるためだという。
盗みがあり、その犯人で目撃のあった人相の悪い武装した大男を見つけ囲んでいるのだそうだ。
介入する理由もなかったが、現場を見て情況が変わった。
激変と言っていい。
兵士が囲む、その中心に件の男がいる。
その男の横。
なぜこんなことになっているのか。
いる。姫が。そこに。
なぜそうなる。
一国の姫が、どこをどうしたらそうなる。侍女も護衛もなく、そこにいる。
意味が分からない。
人質なのか、なんなのか。
道を歩けば強盗に当たるのか。
本当に、本当に、本当に、手のかかる。
改めて男を見る。周りをにらみつけている男が一人。
まだ陽は高いというのに酒が入っているのか、髭面の赤ら顔。
ぼさぼさの髪を雑に束ねた頭。
左肩には丸々とした獣を担ぎ、腰には手斧。右手には薙刀。
ズタボロの服が赤黒くなっているのは血か。
身体は大きいが、山賊くずれか何かか。
本来ならば果てしなく、どうでもいい。
だが、いる。あの姫が。
あの度胸の据わった姫も、さすがに混乱しているのか呆然と立っている。
出会って一年間、ありとあらゆる厄介事が脳裏によぎる。
いっそ籠にでも入れて飼ってやろうか。
姫が出来ぬであろう、本来の目的であるバグベア討伐の肩ならしには面倒すぎる。だが、一番被害の少ないやり方は自分が介入することだ。
ヴァーチはそう断じ、正しき血と呼ばれる貴族の「力」を問答無用で行使した。
リュミネたちの国では、王家、貴族には特別な力が宿る。
リュミネ自身も「力」の操り手だ。
世界に満ちる魔素「アウラ」。己の身体からも発するそれを意識に通して変換し、ありとあらゆる現象を巻き起こす。
言葉も、所作もいらない。ただ確固とした意思と緻密な構成力があればいい。 発揮するのは一瞬。
常人の目に見えるのは、光の反射できらめく中空の曲線。まるで騎士と騎馬に光でも差すかのように、音もなく数条の光線が飛んだ。
貴族の持つ「力」は個別で千差万別の特性を持つ。
ヴァーチの「力」を端的に表すならば「紡績」だ。
アウラから鋼並の強度の糸を瞬時に紡ぎ、両手から撃ち出し、絡む。
同時十本。
蜘蛛の糸程の細さの糸が、風さえ無視して拡散する。
微細精密な操作が必要にも関わらず、展開速度は速く正確だ。
「――動くなよ、首が落ちるぞ下衆」
十指の指に、一本ずつ意識を載せて言う。
無論、自らの糸で指を落とすということはない。アウラによって指に直接繋がっており、任意に切り離すこともできる。
糸が纏わりついたのに気付いたらしく、山賊もどきが黙ってこちらを睨み、意味があるとも思えない唸り声を上げる。
取り囲む兵士の槍と、路辺の木を糸の中継点にして、首、手首、肘、膝、足首を多角的に縛りあげる。
無理に動かせば骨以外は簡単に両断できる糸だ。張り詰めれば、骨もろともに切断し、軽く触れただけでその指が切れる。
「っちっ」
山賊もどきの舌打ち。最早、操り人形と変わらぬと――
「いっ、いけませんっ」
なっ!
まさか――
姫が、前に、こちらに出る。
「待て、糸に触れでもしたらっ!」
ひィィィイイイイン
なんだ!
立て続けに起こる、何か。
ヴァーチの思考を散々に搔き乱したのは馬の嘶き。
一体どこから現れたのか、暴れ馬がその場に躍り込む。
兵士の囲みを突破し、まっすぐにリュミネ目掛けて走る。
混沌に過ぎるだろう。
よぎるのは、最悪の惨状。
糸と馬が、からまれば――姫を守る――糸を切り、馬を――
狂奔する馬の前で、判断も対応も間に合わな――
「っしゃらくせえわっ!」
怒号。
男。
轟っと音が裂ける軌跡を残し、暴れ馬目掛け、右に携えた極太の薙刀が撓りながら、瞬転、跳ね上がった。
脱出不能なはずの鋼糸に拘束された男が、血しぶきを全身から噴き出す。
「みち」とか、「ぶち」とか、千切れる音を同時一気に立て、肉が裂け、弾け、それら全てを無視して、腕も首も脚も、容赦なく暴れ馬目掛けて踏み込んでいる。
その発破のような攻勢は、鋼糸に繋がっていた総てを例外なく巻き込み、耐えることさえ寸毫も許さず、振り飛ばす。
表記しがたい激音。
刹那、木々の枝が撥ね飛び、兵士の槍が宙に舞い、ヴァーチは馬上から引き飛び打ち転げた。
狙い過たず、山賊もどきと表された男の一撃は、暴れ馬の馬首横合いを撃ち叩き――馬の四足すべて大地から浮かせ、横に吹き飛ばした。
如何なる膂力があれば、可能となるか。
ただの棒一本で、走る馬を、叩き浮かせられるのか。
地面に落ちた馬は横にひっくり返ったまま、泡を吹いて動かない。
男の形相は鬼か獣か。肌身すべてが真っ赤になり血管が浮き、血汗噴き出し、筋肉が膨れている。鉄を断ずるアウラの糸は全身くまなく食い込むも、ただの一つも骨肉を両断するには至らない。
「俺の目が黒いうちに“姉者”の命を狙おうたぁ、ずいぶんふてぇ馬だ」
糸に触れることなく、馬に当たることなく、自分の真横を踏み込んでいった男の横、リュミネは、またもやっぱり呆然と目の前の光景を見ていた。
本当になんでこうなってしまったのか――