呪われた病室
わたしは、とある中学校に通う普通の女子中学生。
テニス部の練習中に、頭を強く打って卒倒したわたしは、直ぐに病院に運び込まれた。
今は友達がお見舞いにと持ってきてくれたガーベラの花を眺めながら、病室のベッドの上で寝っ転がっている。
脳に特に異常は見つからず、後頭部にできた特大のたん瘤だけが凄く気になる。
とは言っても、ぶつけたのが頭なので数日は検査入院するということになった。
勉強が遅れるのは嫌だけど、それは仕方ないと思う反面、早く退院したいという思いが強い。
なぜなら、入院して3日経っただけで、わたしは得も言われぬ恐怖心を抱いていたから。
最初の出来事は、同じ303号室の向かいのベッドで入院していた同い年ぐらいの少女。
いつも目からはハイライトが失せていて、わたしはお節介にも元気づけようとよく話しかけたのを覚えている。
でも結局、わたしのどんな話しにも、か細い声で「うん」と返してくれただけだった。
そしてその直ぐ後、彼女は立ち入り禁止の病院の屋上から身を投げた。
今日には退院するはずだった彼女は、自分で命を絶ったのだ。
知り合いが失くなったのは初めてで、少しパニックに陥っていたわたしを、お見舞いに来てくれた幼馴染みや友達に励まされて、なんとか事なきを得た。
それから、隣のベッドで入院していたお婆さん。
優しそうな笑顔でよく話しかけてきてくれて、わたしが初入院でもあまりストレスを感じることなく過ごせたのは、半分ぐらいこの人のおかげだったと思う。
過去形から分かるように、もうこのお婆さんはいない。
手術が無事に終わって経過も良好だったので、退院日が決まったその日に、突如状態が悪化。
そのまま、還らぬ人となった。
ついこの前まで、嬉しそうに誇らしそうに孫の写真を見せてきていたお婆さん。
それを思い出すと、自然と涙が溢れてきた。
こんなにいっぺんに人の死に立ち会うことはもちろん初めてで、胸を締め付けられるような思いだった。
そして、昨日のこと。
わたしは、売店で飲み物を買って、病室に戻ろうと歩いていた。
その途中、階段の段差のところで、蹲っているお姉さんを視界に捉えた。
彼女もわたしと同じ病室の患者さんで、斜め前のベッドで入院していた大学生ぐらいの綺麗なお姉さんだ。
彼女は、口を手で押さえて、苦しそうに低い声で呻いていた。
わたしは咄嗟に近寄って、「大丈夫ですか?」と声を掛けながら、背中を擦った。
しかし応答はなく、お姉さんはゆっくり顔を上げた。
そこには、青白くなって見るからに不健康そうなお姉さんの顔があった。
わたしが再度口を開こうとした瞬間、顔面に向かってゼロ距離でお姉さんが吐血した。
その後直ぐに、ストレッチャーで運ばれていったけど、残念ながら助からなかったらしい。
全身に血を浴びて、あのときの恐怖は、トラウマになりそうだった。
この3日間で、同じ病室の3人が亡くなった。
わたしはなんだか気味が悪くて、あまり食欲がない。
病院では、このぐらいは日常茶飯事なのだろうか。
もうこの病室には、いつも難しい顔で新聞を読んでいるおじさんと、わたしのふたりだけになってしまった。
実は、少女が自殺したのは初日で、お婆さんが亡くなったのは2日目というふうに、わたしが来てから303号室では1日に1人が死んでいるのだ。
だから今日、わたしかこのおじさんが死ぬんじゃないかと内心物凄く怯えている。
こんなこと偶然だって思っていても、今日という日が無事に終わってくれないと安心できない自分がいる。
夜の10時。
同じ病室のおじさんは穏やかに寝息を立てている。
何事もなく今日という日を終えようとしていた。
わたしは盛大にため息をついた。
本当に何もなくて良かったと。
そして、ずっと緊張で気を張っていたので、急に大きな眠気に襲われた。
この嫌な想像から抜け出す明るい明日を願って、ゆっくりと瞼を閉じた。
「除細動ッ!!」
「はいッ」
「早くしろッ」
「……ダメですッ!心拍再開しません!」
「クソッ、どうなってんだッ。もう一度やるッ」
騒がしい声がわたしの耳朶を叩き続け、水面に浮上するかのように夢の中から目覚めた。
朧気なわたしの視界に映ったのは、おじさんのベッドを遮るようにして張られたカーテンだった。
その中から、騒がしい雑音や先生、ナースの声が聞こえてくる。
意識がはっきりとしたわたしは、咄嗟に壁時計に目を向けた。
───23時55分。
今日の終わり5分前だった。
わたしは軽い目眩がして、身体から力が抜ける。
「どうしてッ………」
そしてその直ぐ後、聞きたくない言葉をカーテン越しに医者が告げた。
「……23時59分。死亡を確認」
わたしは、咄嗟に病室を抜け出した。
それに気付いたナースから呼ばれた気がするが、わたしはそれどころではなかった。
怖くて怖くて。ただただ怖くて。
わたしは必死に病院の廊下を走る。
無我夢中で走った。
やがて体力の限界が来て、足を止めた瞬間──。
プルルルル、プルルルル。
プルルルル、プルルルル。
廊下の突き当たりにポツンと立っている公衆電話から着信音が鳴り響いた。
静かな夜の病棟では、それはやたらと響いた。
「な、なにッ!?電話?ほんとなんなの……」
わたしがそれに怯えて、来た道を引き返そうと公衆電話に背を向けたとき、ガチャッと受話器が外れる音がした。
無意識に背中がピンと張ったのを自覚する。
恐る恐る振り向くと、プランプランとゴムに引かれて揺れる受話器があった。
恐怖で身体が竦んでいるわたしに、その揺れている受話器は追い討ちを掛けてきた。
『今日はキミだよ』
受話器からしたはずの声は、わたしの鼓膜に直接響いてきたのだ。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアァァァ」
わたしは気を失い、その場で崩れるようにして倒れ込んだ。
──その日。
303号室に入院していた患者は誰もいなくなった。
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「───というのを、今度の修学旅行のときのネタにどうかな?」
入院しているわたしのお見舞いに来てくれた大好きな幼馴染み、相良慧が、わくわくしながら話しかけてきた。
「怖すぎるから絶対にダメぇ!それに、そのモデル絶対わたしでしょ!」
わたし──南條茜は、涙目で訴えるのだった。
病室の窓際には、淡い色のガーベラの花が、外から差し込む微風に煽られ、気持ち良さそうにゆっくり揺れていた。