Good night,sun.
「あー……間に合わなかったか。この信号待ち時間長いんだよな……」
「別に良いじゃん。故障している訳じゃないしさ」
「それはそうだけどさ……目の前で変わられると……」
ある晴れた夏の日。期末テストの終わった帰宅途中。息を切らしながら目の前の信号が変わった事を嘆く黒髪の男子高校生が、後ろからやってくる茶髪の男子高校生にたしなめられる。
彼らは幼馴染。家が隣同士である。普段は一緒に登校はしても、下校まで一緒ではなく、この日は偶然一緒に帰宅する事となった。
渋々信号待ちをする事になったが、特に会話をする事もないからか、二人とも黙ったままであった。しかしそれに耐えきれなくなったからか、茶髪の男は黒髪の男に声をかける。
「ねぇ、星ちゃん」
星、と呼ばれた男は少しの不機嫌さと照れくささを見せつつ、それに応じる。
「何だよ、陽。……って、言うか。ちゃん付けはやめてくれ。もうガキじゃないんだからさ。期末の事なら聞くな」
「聞かないよ? 黙ったままなのも嫌だったし、ぼーっとしていたから呼んだだけだよ。それに、学校では呼ばないようにしているんだから、クラスの人達がいない時くらいは良いでしょ?」
少し悪戯っぽく、陽と呼ばれた男はそう返した。その瞳に、星は一つ溜息を吐く。
星は真面目で素直、悪く言えば平凡。陽に比べれば活発的。顔はやや強面な印象を与える。
陽は比較的大人しく、穏やかで優しい性格。星曰く、顔も含めて男らしさがあまり感じられない。
そんな名前の通り正反対ではあるが、周囲から見ても仲が良い二人である。クラスメイトからは夫婦みたいだと言われる事も珍しくはない。
陽は何を言われても気にしないが、星はそれを指摘されると、いつもムキになって否定をする。
「クラスの連中って言えば……お前はさ、その」
「何、どうしたの?」
「夫婦みたいだとか言われて、怒らないのか?」
クラスの人達、と言う単語が出てきたからか、星は陽にそんな疑問をぶつけてみた。
陽は迷うことなく笑みを絶やすことなくさらりと言ってのける。
「別に? みたい、なんでしょ? 夫婦だと断言されたら流石にちょっと嫌だけど」
「そうかよ……まぁ、そうだよな。男同士で夫婦って断言されるのも……」
「仮に男同士の結婚が許されたとしても、星ちゃんにはもっと素敵な人がいると思うし」
「そっちかよ!?」
驚く星にも動じることない陽。星は陽には敵わないと感じた。何を言っても自分の予想とは違う言葉を返してくるからだ。
そこで会話は途切れてしまった。特に話題も浮かばなかったからか、星は陽の横顔をちらりと見てから、ふとある日の事を思い出す。
それは丁度一年前。その日は曇り。今にも雨が降り出しそうな天気であった。
雨が降り出す前に急いで帰る星は、前方に陽らしき姿を捉える。陽は急ぐどころか立ち止っているまま。
その二人の距離は徐々に縮まり、遂には追いつく。声をかけない訳にもいかず、
「おい、どうし……」
と、途中まで言った所で言葉を止める。陽が泣いていたからだ。声をかけられた事も気付いていないのか、陽はただただ一点の方向を向いたまま、その涙を拭うことなく流していた。
幼い頃にしか見たことのなかったその様子に少し戸惑いながらも、星はそのままじゃいけないと感じ、
「おい! 聞いてんのか!?」
強く肩を掴んで、先ほどより声を荒げて見せる。
「星……ちゃん……? どうしたの?」
そこでやっと陽は星の存在に気付く。星はこっちの台詞だと思いつつも、雨が降り出す前にさっさと帰る事を告げようとするが……。
「あ、雨」
ポツリと一粒の雨が陽の顔に当たる。それを皮切りに雨は静かに降り出した。
「……ったく。もたもたしていたから! ひどくなる前に帰るぞ」
「うん。そうだね。なんかごめんね?」
帰ってから泣いていた理由をきちんと聞こうと思っていた星だったが、タイミングを逃してしまい、結局今に至るまで聞けずにいる。
もう陽はその事を忘れてしまっているのかもしれない。しかしその涙を見た瞬間、星は抱いてはいけないかもしれない感情と決意を抱いていた。
夫婦と言われてムキになるのもそれが理由の一因である。陽の性格上、ドン引きはしないとは思いつつも、その感情と決意を陽に言えずにいた。何があるから分からないからだ。
八日後、星は誕生日を迎える。それを機に、陽に全てをぶちまけようと星は決めた。
その瞬間、星の耳にブレーキ音と何かがぶつかる音が飛び込み、現実に引き戻される。
音の方向を見れば、泣きじゃくる小さな子と、そして……。
「おい……」
道路に横たわる陽の姿を見たほんの一瞬、星の思考は真っ白になった。
小さな子の泣き声も、騒ぎにざわつく野次馬の声も、救急車や警察を呼べという声も、その時だけは聞こえなくなる。
安否を確かめようと陽に近付こうとしたが、それを知るのが怖いのか足がなかなか動かない。
自分に代わって見知らぬ人間に安否確認をされる陽、その彼の傍で泣いていた小さな子が母親になだめられ、その母親は不安げな様子で陽を見る。
そんな目の前で起きていることをただただ眺めることしか星には出来なかった。
その後、星は陽が救急車に運び込まれた所を見てから、そのまま家へと帰ってしまった。
そして陽が事故に遭ってから数時間後。陽の母である貴恵伝いに事故の事を知った星の母、比名の口から、陽が道路に入った小さな子を突き飛ばし、自らがはねられたという事実を告げられる。
薄々勘付いていた事ではあったからか、星はそのことに驚きはしなかった。それよりも自ら危険を承知で助けに行ったという事実に、驚いていた。
「……あまり驚かないのね?」
「丁度そこに居合わせていたし」
「え!? 早くそれを言いなさいよ! じゃあ……」
「俺が見たのは、はねられた後。瞬間なんて見ていない」
命に別条はなく、目立った怪我は足の骨折程度。ただ頭を打ったせいかすぐに目を覚まさないかもしれないとのこと。
「面会謝絶とかじゃないなら明日か明後日に病院行ってみるよ。何処の病院?」
「そうね。貴恵ちゃんも特にそんな事は言っていなかったから大丈夫だとは思うけど……えっと確か病院は……」
自分が行く頃には起きていると良いなと、星は思った。そうでなければ、この先もずっと決意を陽に話せなくなってしまう予感がしたからだ。
翌日。病院に着き、すぐさま陽の病室へ行けば、そこには貴恵の姿があった。個室だからか、二人以外には姿はない。
「あら、星君来たのね?」
星の訪れに気付くと、優しく微笑んでみせる。その微笑みに、星はぺこりと頭を下げる。
それと同時に浮かんだのは罪悪感であった。自分が気付いてすぐに動いていれば、こんな事にならずには済んだのかもしれない、と。
おそらく比名から自分が近くにいる事を聞いている。貴恵の顔を見て、恨まれているんじゃないかと感じてしまったのだ。
「こんにちは……なんというか、その……」
「何でそんな変な顔をするの? 星君は悪い事していないのに」
貴恵は星が謝罪を口にすることを察し、その言葉を遮った。
「だけど……」
「星君が陽を突き飛ばしたって言うなら話は別。でもそうじゃないんでしょ?」
「それは、そうだけ、ど……」
それでも星は何かを言わなければ、と思ったが、貴恵の前ではこれ以上自分が“だって”や“でも”と言い訳をするだけ無駄だと察し、それ以上の言葉は出なかった。
「陽はまだ起きていない、か……」
「ええ」
ちらっと見ただけではあったが、陽が起きた気配は微塵にも感じられなかった。これ以上貴恵と一緒にいるのも迷惑とも思ったのか、
「……じゃあ、顔見に来ただけだからこれで。また来るよ」
そう言って、すぐに星はその場を立ち去った。
それから更に翌々日。星が一人で登校すると、金色に近い身近な茶髪の男子生徒が星に近付く。
陽との共通の友人でもある倫である。彼はすぐにその場に起きた異変に気付いたのだ。よく一緒に登校する陽がいないと言うことに。
「おはよ。陽いないんだな? ……あの話、マジなのか?」
「……はよ。あの話、って?」
「下駄箱で隣のクラスの奴が話しているのが聞こえたんだよ。陽が事故った、って」
「本当だけど。てか、あの場にいたし」
周りには気付かなかったけれど、やはりあの場にいた学校関係者は自分以外にいたんだな、と星は感じた。
「本当かよ……って、お前いたの!?」
まるで比名の時と同じ反応ではないかと感じつつも、星はそのまま話を続ける。
「先に言っておくが、俺が気付いた時にはもう事故の後だったから。いろいろ聞かれても困る」
「いいや、そこまで根掘り葉掘り聞くつもりはない。……陽の奴、大丈夫か?」
「大丈夫に決まっているだろ」
「そうか、そうだよな。良かった。また見舞いとか行かないとな……」
倫が見舞いに行こうとしていると知るやいなや、星は慌ててそれを止めた。
命に別条はないとはいえ、まだ意識が戻った訳ではない。そんな状態を見せたらまたうるさく言われるに違いない。何が大丈夫だ、と。
「い、いや……騒がしくするのも怪我に障るからさ……! もう少し落ち着いてからで良いんじゃないか? すぐじゃなくてもさ」
「……何か様子おかしいな? まあ、確かにそれもそうか。すぐは無理か」
倫は星の様子を不思議がるが、言っている事が分からない訳ではなかったからか、あっさりと引き下がった。
その直後、始業のチャイムが鳴り響き、陽の事がクラス全員に知れ渡り、星の所に人が押し寄せたのは言うまでもなく。
放課後になり、すぐに病院に向かおうとした星。
しかし手ぶらでも悪いと思ったのか、起きていた際の暇つぶしになればと思い、本屋に立ち寄った。
陽は漫画よりも小説を読むことの方が多いから、文庫本にしようと文芸コーナーに足を踏み入れたのは良いものの、常に国語の成績は平均より少し下の星からすれば、ちんぷんかんぷんであった。
教科書にも載るような歴史的に有名な作家以外、どのような作家がいて人気があるのかが分からず。
ベストセラーになっている本を買えば一番間違いはないのかもしれないのに、星はそれをせず。あ行から作家名を見てみれば、すぐに気になる名前見つけた。
その作家の名前は青木太一郎。星が手に取ったのは短編集であった。陽と同様に小説を読むことが好きな倫が好んで読んでいたのを星はふと思い出す。
それならばきっと面白いのだろうと思った星は、中身を読まずそのまま本を片手に会計を済ませた。
「星君が来てくれたって言うのに、この子は本当起きないんだから……」
二度目の来訪。陽は相変わらず起きていないようだ。貴恵は視線を星からベッドに横たわる陽に向ける。星は貴恵の隣に並び、陽の顔を覗きこんだ。
陽の寝顔を見るのはこれが初めてという訳ではなかったが、陽は男の筈なのに、じっくり見てしまったせいなのか。
穏やかに眠るその顔を見た途端、星は幼い時に読んだ童話の眠り姫を思い浮かべてしまう。
それも束の間。我に返った星は一瞬でも可愛いと思ってしまった自分に恥ずかしくなり、両手で頬を叩いた。
「星君?」
「えっ!? あ、いや蚊が飛んでいた気がして……あれ、おかしいなぁ? 本当、陽ってばいつまで寝ている気なんだろう……」
「なら良いけど……? ふふ、全くその通りね。ちょっとお手洗いに行ってくるから陽の事よろしくね」
「分かった」
動揺する星を不思議がりつつも、貴恵は席を外した。貴恵を見送った後で、星は改めて陽の顔を覗きこむ。
「お前の好きそうな本を買って来たんだ。読みたいなら早く起きろ、バカ。……伝えないといけない事もあるのに何しているんだ。無茶しすぎだろ」
ぼやきながらも、陽の髪に触れようとしたその瞬間だった。
「伝えたい事ってなんですの!?」
「…………は?」
不意に聞こえて来た陽の声。しかしいつもの陽とは違うトーン。幻聴なのかと思ったが、痛いほどの視線が突き刺さっている事に気付き、髪から顔に目線を移せば……。
陽がぱっちりと目を輝かせながら、星をじっと見つめていた。
「伝えたい事って、それってもしかしてもしかして……」
どういう状況かが分かっていない星は、呆然と何が何だか分からずテンションの高い陽を眺めているだけ……ではなかった。
「愛の告白と言うものですか!?」
勢いよくベッドから起き上がったと同時に陽が発したその言葉を聞くまでは。
「はぁ!? 別にそんなんじゃないし!」
病室全体に響き渡るような大きな声。今にも周囲から苦情が来そうなほどだ。
しかしそんな事にはお構いなしに星は陽の肩口を掴み、言葉をまくし立てる。
「おい! お前どうしたんだっ!? 頭打……っていたか。変な所打ったのか!? そんな喋り方しないし、そんなキャラじゃないだろっ!? 女に目覚めたのか!?」
「違うのですか……残念ですわね。それにしても。何をおっしゃいますの? わらわはわらわ。女ですわ?」
「わらわって何だよ!? お前誰だよ!」
「……? あ、そうでしたわね。わらわ、今は陽でありましたわ。とんだご無礼を。申し遅れました。わらわは一之瀬佐久子と申します」
名乗られても星は未だにそれが陽の悪ふざけであるとしか感じず、それでもなお陽にそれをやめるように言い続けた。
ほどなくして貴恵が戻ってくると同時に星は青ざめた。こんな陽の姿を貴恵が見たら、自分以上に取り乱すに違いない、と感じたからだ。
「星君、何があったかは分からないけれど此処は病院よ? 静かにしなさ……」
「貴恵さん!? いや、これは、その……」
星を咎めようとした貴恵は、陽が目を覚ました事に気付き、その言葉を止めた。星の姿はまるで見えていないかのよう。彼にお構いなしに息子の陽に歩み寄った。
「陽、目を覚ましたのね!? 良かった……先生呼ばないとね」
「ご迷惑おかけしたようですわね。ごめんなさい」
「え?」
「あわわわっ! ほら、貴恵さん呼びに行くんでしょ? 早く、早く!」
「何か雰囲気が違ったようだけど……?」
「いいから早く!」
気付かれる前に貴恵を病室の外に追いやると、星はにっこり笑う陽……に詰め寄った。貴恵が医者を連れてくる前に最低限の口封じは済ませなければならない。
「悪ふざけはやめろ」
「嫌ですわね。悪ふざけじゃありませんのに」
「信じられるかよ……」
「仕方ありませんわね……何か書く物はありませんの?」
何故書く物が必要なのかが分からなかった星だったが、手早く事を済ませたかった事もあり手早く鞄の中のノートとシャープペンを渡した。
「ほら、この最後のページ使え」
「ありがとうございます……えーっと……こう、でした?」
しかし陽はシャープペンの使い方が分からないような素振りを見せる。
それを見兼ねた星から助言を受け、やっとシャープペンの芯を出すことに成功し、恐る恐る星から受け取ったノートに文字を書いてみると、書ける事に陽はひどく感激して見せた。
それも束の間、ノートに陽が書いて見せた言葉。それは……。
「一之瀬佐久子……?」
「わらわの名前ですわ。言いませんでしたか? この字を使うのです」
その筆跡はどこか硬い感じもしたが、読みやすく丁寧な文字。陽の文字も丁寧ではあるが、明らかに別人の筆跡である。
「陽の字じゃない……」
「これで分かっていただけましたか? わらわは陽ではないと言う事を」
「認めたくねえけど、これ見せられたら認めざるを得ないだろ」
「ありがとうございます。それにしても……わらわ自身この筆記器具を使うのは初めてでしたから、陽が使っているからわらわも使いこなせるとばかり」
陽……もとい、佐久子は認めてくれた星に感謝しつつも、自分がシャープペンを使えなかった事を嘆いた。
「そんなことはどうでもいい。お前が佐久子なら。陽はどこ行った?」
「いますわよ? ただ、眠っているだけです。星様にはひどい言葉ですけども、陽がこうなった事でわらわはこうして出てくる事が出来ました。目的を果たすには好機ですわ」
「なっ……お前……」
星はどこか嬉しそうな佐久子に思わず怒鳴りそうになったが、ぐっと堪えた。
その代わりに佐久子が言った目的について聞こうとした、その時だった。カタリと、ドアの開く音が聞こえたのは。貴恵が医者を連れて戻って来たのだ。
「……っ!? 良いか、あくまでお前は陽だ。お前が佐久子だってばれないようにしろ」
「……何故ですの? 言えば分かって下さるのに」
「そんなの誰にでも通用すると思うな! いくらお前が佐久子だと主張しても、今の姿は陽だからだ! 頼むから……」
「仕方ありませんわね」
佐久子は慌てる星の頼みにしぶしぶ了承した。
その後、佐久子は陽として少しぎこちなくふるまって見せ、事なきを得た。たまに無邪気に笑ってみせたり、言葉遣いが元に戻り、星をヒヤヒヤさせてはいたが。
気付けば外はオレンジ色に染まっており、まだ佐久子に話したい事があった星ではあったが、貴恵にうながされるがままこの日は帰宅する羽目となった。
佐久子の登場のせいですっかり買った本を渡しそびれた事を、帰宅途中のバスの中で気付いた星であった。