東京百景 大正 恋結び 上
浅草12階は兎にも角にも奇妙な噂が絶えない場所だった。
東京で一番高い建物で、独特の構造をして目を引く。
階下には、演芸場があり、役者が公演を行なっている。
さらに、その下には私娼窟が広がっていて、一種独特な空間を形成していた。
近所には吉原がまだ残っていたが、もはやそこよりも店の数は多かったのではないだろうか。
もっとも、怪しげな店が多かったことも確かだが。
もともと、観光地としての性格が強かった浅草凌雲閣だが、客足が遠のいたため、このように複合化によって生き残りを計ることとなった。
高所からの展望というのは、どうしても飽きというものがきてしまうのだろう。
スカイツリーの来場者数も年々減っているとのことだ。
賑わいがなくなるのは寂しい。
その点、神社のご利益があると評判の大和杉は賑わっている。
やはり下から見上げる形にする方が手軽で飽きもこない。
建物VS植物の初戦は杉の圧勝であった。
さて、話を戻そう。
浅草12階は、庶民にとっては、いつもと違う風景を見られることで有名な場所だった。
最上階には望遠鏡もあり、普段は見ることのできない場所まで一望のもとだ。
望遠鏡を覗いて好みの女を探すと、結ばれるというジンクスがまことしやかに囁かれていた。
見つけることができたとして、地上で会えるかはわからない。とんでもなく幸運な男でないと意味はない。
それでも、そこに運命の女がいると見に行かずにはいられないのが男という生き物だ。
好みの女を見つけることができなかった男はすごすごと肩を落として帰っていく。
好みの女を見つけても、地上で見つけることができず、さらなる手がかりを探して通い続ける男がいる。
男たちの夢と欲望を飲み込んで、浅草12階はその大きな姿を屹立させていた。
大和杉には大きさで負けているが、あちらは登れないので大丈夫である。
奇妙な噂もあった。絵の中の女に恋をして、焦がれるあまり、自分も絵の中に入った青年がいるという噂だ。
公園で行商している人物の中には確かに絵を売っている人もいた。
上から覗いて、その絵を人と勘違いすることはないとは言えない。この頃の望遠鏡の精度が悪かったというのもあるだろう。
理想の女を求める若い男が、理想の女を見つけたという、ホラーのような美談のようなとにかく奇妙な話だった。
もちろん、大多数の人間は信じなどしない。ただ足繁く最上階に通う男が増えたということだけは言っておこう。邪推をすると、みんな二次元に行きたかったということだ。
なら仕方あるまい。理想の嫁は別に二次元にいてもいいからな。
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松田はそんな男たちの中の一人であった。
凌雲閣の、絵の飾ってある回廊から外を見る。
天は高く、快晴だ。絶好のウォッチング日和である。
後ろの若い男と綺麗な女の絵に目をやって、俺もこのようなカップルになるぞと決意を新たにした。
その絵は、不気味なほどに人間を精巧に模していて、特に男などはその心臓の鼓動さえもが聞こえてきそうなほどだった。つやつやとした黒髪に、埋め込んであるのかと勘違いさせるような爪。目玉もキラキラとしている。この絵を描いた画家はかなりの人物だろう。
とは言え、なんどもここにきた松田にとっては日常の一風景に過ぎない。
最初は驚いたがもう慣れた。
彼はいそいそと望遠鏡にコインを入れる。うかうかしていると同じ目的の男に取られかねない。
彼は慎重に、しかし、素早く地上を見つめていく。時間は制限付きだ。熟練した技術が必要である。
松田の技量はかなりのものだと評価できる。
それはつまり、理想の女のラインが高すぎるということでもあるのだが。
こんな噂を真に受け、しかも高望みをしてしまう。
このままでは彼は一生結婚できないだろう。可哀想な男だ。
とは言え、自分を客観視できる人など一握り。彼は自分をロマンチックな男だと勘違いしていた。
間違いではない。始まってもいないだけだ。
どうにかしないと。
悲しい哉。この日も、彼のお眼鏡に叶う女は見つからないようだった。
彼はため息をつく。
暗転するまで数秒。もう、時間はない。
それは偶然だったのかどうか。もしかしたら12階の持つ魔力のようなものがあったのかもしれない。
望遠鏡の固定が外れた。
下を見るばかりだったそれが宙へ向かう。
見えたのは、ゴツゴツと大きな樹皮と、枝と。
そして、そこに、奇跡のような女の姿が見えた気がした。
絶世のという言葉ではまだ足りない。
天上と天下の美を全て集めて叶うかどうか。
天女のような儚さと、現実に生きる者としての強さの同居した、そんな姿だ。
有り体に言うと一目惚れだった。
この人が俺の理想の女だ。
彼はそう思い込んだ。
理想の女さえ見つかれば、結ばれるだけ。
幸い場所はわかっている。
大和杉の近くだ。
なぜか、大和杉の上にいるのが見えた気がしたが、流石に気のせいだろう。
あの木に登るのは一流のクライマーでも難しい。
道具を使って幹を傷つけてはいけないことになっているのだ。
女の身でそんなことを成し得るとは思えなかった。
参考文献 押絵と旅する男(江戸川乱歩)




