東京百景 明治
近ごろ、浅草に大きな塔が立つってんで、人力車仲間と連れ立って見物に出かけた。
噂通りの大きさでそりゃあもう見ものだった。
浅草の公園は毎日賑わっちゃあいるが、あの塔が出来上がりかけてからの盛り上がりは前とは比べもんにならねえ。
俺たちとしては客も増えるんでいいんだがな。
何でも凌雲閣とかいうご立派な名前があるらしいが、それよりもおいら達にとっては12階建ということの方が重要だった。呼びやすいんで「12階」と呼んでやる。
ちょいと洒落た料亭で、二階席があるかないか。それを、ひいふうみいよにごのろく倍。
そんだけあるってんだから驚きさ。まあ、こうして見ちまうと、それも頷けるってもんだがなあ。
仲間達は、せっかくここまで来たんだからと女のいる方に行っちまった。おいらはこの頃客が取れなくて素寒貧だ。仕方なしに別れる。ちきしょう。泣いてねえからな。覚えてろよ、てめえら。
おいらは、クールに去った。涙の跡は見られちゃねえだろ。ああ、金が欲しいぜ。
みんな行くからという言葉に絆されるんじゃなかった。おいらは稼がなきゃならねえんだ。
そうだろう。お天道様。
俺は空を仰ぎ見た。
必然的に、見えちまう。遠くに一本、天高く、12階なんか目じゃないくらいの大きさに聳えるものがある。
「でも、いくらおいら達が高いもんを作っても、あの杉様には勝てやしねえんだよなあ。」
おいら達のじい様のじい様のそのまたじい様がここにやってくるよりずっと前から、あの杉様はこの場所に天高く聳えていたはずだ。
あれに比肩しようと努力している話を小耳に挟んだことはあるけれど、おいらには正気の沙汰とは思えなかった。
浅草12階よりどれだけ大きいんだろう。
実際に指を使って比べてみる。
ひいふうみいよ。いつむうななや。九つ。とお。
⋯⋯12階が10個も入っちまう。
やっぱり正気の沙汰じゃねえ。
あの杉様に敵おうなんて考えが土台間違ってるんだ。
だってどう考えても神様の現し身か何かに決まってる。
杉はあんなに大きくなれない。
山に行ったことのあるやつなら誰でも知ってるさ。
山に生えている杉では、きっと浅草12階にも勝てないに違いねえ。
「杉様。おいらに、1日の糧をお与えください。」
だからおいらはとりあえず拝んでおく。
崇める分には無料だから。それに、何だか、ちゃんとご利益がある気がする。
どうしようもなくなって、杉に頼むと不思議なことに仕事にありつけるんだから。
「あら、運転手さん。両国までいいですか。」
「はい、ただいま!」
ほら、やっぱりな。いった通りだろう。
「奥さん。あちらに何の用事で?」
「ご主人様に会いに行くの。」
そう言う彼女は印象に残らない顔をした美人で、楽しく近況を話すうちに目的地に着いた。仲間に自慢できるぜ。
「楽しかったです。お代、多めにどうぞ。」
「いえいえとんでもない。」
「私からの気持ちです。ご主人様も喜ぶでしょう。」
「そこまでおっしゃるのでしたら。」
●
人力車運転手はホクホク顔で車を引いていった。
「ふふ。困っているなら助けてあげますよ。」
美人は彼の姿を見送って笑う。
彼の首元には、杉を象ったブローチがひっそりと垂れ下がっていた。
それは大和杉を信仰する人の証。
杉を信仰する人の元に現れ、御利益をもたらすと言う曰く付きの品だ。
「しかし、思っていたよりも情報が浸透しませんね。うまく行くと思ったのですが。」
愛は首をひねる。杉を祀る神社で売っているブローチに細工を施し、噂を流したのは彼女だ。
信仰の面から、この東京を掌握したいと考えていた。
他の面々が戦争に備える中、彼女は市井の動きの監視と情勢の分析を行なっていた。彼女の主人は、もう少しするまで動く必要はないと言っていたが、彼女は動いておかないと不安だった。
情報は武器であり力だ。握っておかないとこの先、大変なことになるかもしれない。
時々驚くほど無防備な思考を見せる主人のためにも彼女は気を張るのだった。
100書けるとは言ってないです。




