第37話 明暦の大火 破
大和杉の下。
その場は避難してきた人々でごった返していた。
火事は隅田川を越えることはあるまいとしたり顔で語る老人がいる。
周りの人々は露骨にホッとした顔をした。
だが、小太郎は警戒の姿勢を崩さない。
万が一でもあれば悔やんでも悔やみきれないだろう。
そんな中、千住大橋が燃え落ちたという情報が入る。
千住大橋は、この頃、隅田川に唯一架けられていた橋である。
防衛の観点から、他に橋を架けることは禁じられていた。
こうして、こちらへの逃げ道は隅田川を泳いで渡るしかなくなった。
後から後から押し寄せる江戸の住民。
混乱は拡大し、事態を把握しているものはいない。
樹上に偵察に出ていた明が帰ってくる。
火災はすでにこちらの岸に移っていると言うことだった。
とりあえず、銀孤と白は樹上に避難させる。
技能「呪術」派生「氷雪」を持つ銀孤は火事に対しては7人で一番相性がいい。
だが、未だ子供である白に無理はさせられない。母親である銀孤のそばが一番安心できるだろう。
大和杉を最終防衛ラインとする上でも、すべてを見渡せる樹上は都合が良かった。
炎はこちら岸でも猛威を振るった。
からっ風に煽られて、飛び散っていく。
大和杉の周りに集まっていた人々も、これはダメだと逃げ出した。
その場に残ったのは、小太郎、愛、将門、輝夜、明の五人だけだった。
炎はどんどん迫ってくる。
現実にあるもの以上の何かを燃やしているようだった。
「呪術「氷雪」!」
大和杉の上から銀孤の作り出した氷が降ってくる。
一瞬だけ火勢が弱まるが、すぐに盛り返した。
「これはもう、ダメではないでしょうか。」
愛は諦めかけていた。
主人を守るためとはいえ、火に弱い森人族である。
相対するだけで燃えてしまう気までしてくる。
「諦めるな⋯⋯。」
そう励ます小太郎の声にも力はない。
火鼠の皮衣で守れる範囲にも限界があった。
「あの人を失うなんて、絶対に嫌!」
「おじいさまは、私が守る!」
それでも輝夜と明は諦めていなかった。ただ、好きだと言う感情を燃料に、二人は気力を保っていた。
「この炎。なるほど。お前ら、皮衣をよこせ。」
将門は何かに気づいたようだった。
「どうする気だ?」
「俺が、なんとかしてやるって言ってるんだ。早くしろ!」
将門の迫力に押されて、4人は皮衣を渡した。
「お前らは木の上に避難していろ。俺が、ケリをつけてやる。」
その皮衣を全身に巻いて、将門はゆっくり火の方へ進んだ。
四人は顔を見合わせたが、皮衣なしでは耐えきれなくなってきた。
やむなく樹上に避難する。
「あの人は、どうしはったん?」
銀孤が怪訝そうに尋ねた。
「俺に任せろと言っていた。」
「将門がそう言うのなら何か考えがあるのだろう。銀孤。氷で支援してこい。」
「大和杉様の命令なら、行くしかないやろ。白のこと、よろしく頼むわあ。」
「ああ、任せろ。」
「お母様?」
「待っときや。お父さんとお母さんが最高にかっこいいところ見せたるさかい。」
銀孤はそう言って白の頭を撫でた。
「じゃあ、行ってくるわ。」
「ああ。任せたぞ。」
銀孤は地上へ駆け降りて行った。
不安げに見やる白の手を明が勇気付けるように握った。
大和杉の上からは、江戸が燃え盛る様子がよく見えた。
隅田川の向こうは一面の火の海で、まるで地獄のようだった。
火勢は衰える気配もない。
それでも、将門と銀孤に任せると言った。
大和杉に不安はなかった。
二人はやるときはやる。絶対に、火事を食い止めてくれるだろう。
「旦那はん。わっちもやるさかい。」
「銀孤?!」
「こない楽しそうなこと、一人でやろうなんてずるすぎや。」
「そうだな。お前になら背中を任せられる。行くぞ!」
「ほな!」
二人は炎に切り込んでいった。
炎熱が身を焼く。
「呪術「氷雪」!」
銀孤の呪術も其の場凌ぎにしかならない。
「この辺りにいるはずだ。支援を頼む。」
「当然や!」
何かを探すように派手に動き回る将門に、その道を切り開く銀孤。二人の息はぴったりだった。
「見つけた。」
将門は獰猛に笑う。
「おい、そこにいるんだろう?」
将門の目線の先では、炎が若い女の姿を形作っていた。
「どうして、ここが?」
「俺も同じ怨霊だからな。わかるんだよ。」
「にくい。にくいの。私から恋を奪ったこの世界が!」
「わかるぜ。だけどな。世界には、自分だけじゃない。他のみんなも住んでいるんだ。」
「それが?」
「お前によくしてくれた人だって住んでいる。」
「⋯⋯。」
「そいつらを全員殺したいのか? 違うだろ。」
「ああああああ。燃えろ燃えろ。みんな燃えてしまえ!」
彼女の姿が膨れ上がる。
一回り大きくなった彼女は将門に向かって炎を吐き出した。
「呪術「氷雪」!」
それを銀孤が許すわけもない。
同規模の呪術を発動して打ち消す。
「俺がお前に引導を渡してやる。」
「やってみろ! この、怨霊崩れが!」
炎の女怨霊は周囲の炎を取り込んでどんどん大きくなっていった。
将門を見下ろして不気味に笑う。
「まったく。これは使いたくなかったんだが。技能解放「霊吸収」!」
そう叫んだ将門の手の中にひずみが現れる。
それは現実のものには決して見えぬずれ。
だが、この世とあの世の狭間にいるものにはブラックホールに等しい。
「そんなバカな。この私が、こんなところで。」
「相手が悪かったな。伊達に三大怨霊と呼ばれてるわけじゃねえ。」
炎の怨霊は彼の手の中に吸い込まれていった。
将門はそのまま前にふらりと倒れる。
「旦那はん。無茶しすぎや。」
「隣にお前がいたからな。」
驚くように目を見張った銀孤はそのままとろけるような笑顔を浮かべるのだった。




