閑話 明の西洋見聞録 起
白が生まれるより5年ほど前の話である。
明は一人で江戸の町を歩いていた。
彼女は好奇心旺盛だ。時々は一人でこうして遊んでいる。
だが、これが彼女の生活を一変させることになる。
仙台藩藩主独眼竜政宗は、45才となっていたが、まだ活力に溢れていた。
彼は江戸城へ登城する途中、明の姿を目にする。
彼と明が会ったのはすでに20年以上前だ。
それでも政宗は見た目の変わらない明を不気味に思わなかった。
思ったことはただ一つ。今度こそ、彼女を勧誘すること。
輝かんばかりの才能は彼の目をすっかり奪っていた。
すぐに体調が悪くなったので登城を取りやめると連絡をする。
そして、駕籠から降りると、明を呼び止めた。
「お前。外の世界に興味はないか?」
彼の言葉は直接的で、魅力的だ。
それは明の興味を引くものだった。
「俺たちが見たことのない世界に行ける機会がある。お前を連れて行きたい。」
政宗は言葉を重ねる。
「詳しい話を聞いていいですか?」
明はそう言ってしまった。
政宗は喜ぶ。
明の手をとると、自らの屋敷まで案内した。
見ようによっては誘拐犯である。
彼もかなりのイケオジなので、犯罪臭は減っているが。
仙台藩上屋敷に連れてきた。
明は好奇心たっぷりにあたりを見渡している。
格式高い屋敷は珍しい。
彼女の好奇心も無理のないことだった。
政宗は直々に彼女に計画を説明する。
危ないからと言う周囲の声を振り切ってだ。
それほどまでに明と言う少女は政宗にとって才能の塊に見えたのだろう。
政宗が説明したのは、彼の建造した船で西洋まで渡るという計画についてだった。
すでに天正遣欧少年使節団がローマに到達しているが、政宗はスペインとの交易をなすべく、新たに使節を派遣することを計画していた。
すでに幕府の許可はとってある。
船の建造も進んでいた。
「どうして私なんですか?」
「お前ほど才能があるやつはこの国のどこを探してもいない。そいつが見聞を深めるんだ。絶対に何か起こるさ。」
政宗は自分の判断に絶対の自信を持っていた。
大げさなほどに明を褒める。明もそこまで言われては悪い気はしない。
「わかりました。私、外国にいきます!」
ついに明は頷いた。
政宗は喜ぶ。
出発は二日後だった。
明は、別れをすますことにした。
小太郎と愛は過保護だから、ついてきてしまうだろう。
それは申し訳ない。
でも、何も言わずにいなくなったら、心配されるに違いない。
それは明の望むことではなかった。
でも、誰に言えばいいんだろう。
彼女の頭の中に他の三人と一本の顔が浮かぶ。
銀孤は応援してくれそうだ。あの人には、そういうことを面白がる癖がある。
将門はどうだろう。引き止められはしないはずだ。
でも、出発する前に他の人にポロリと言ってしまいそうだ。口が軽い。
輝夜はわからない。行動原理が大和杉を中心にしているから、他のことに対する反応が読めない。
大和杉は多分優しく許してくれる気がする。
でも、過保護だから、やっぱり止めようとするのかもしれない。
とりあえず銀孤に言ってみよう。
明はそう決めたのだった。
銀孤はとても興味深そうに、明の話を聞いた。
「面白いわあ。わっちも行ってええやろか。」
「銀孤おばさまはお腹に子供がいるんですから自重してください。」
妖狐と怨霊の子供だ。異常なほどに胎児でいる時間が長かった。
ここからさらに5年もかかるとはまだ銀孤も予想していない。
「堕ろせばええん?」
「そういう冗談はやめてください。お願いしますから。」
銀孤なら本当にやりかねない。明は冷や汗をかいた。
「冗談やわ。それはそうと他の人に何も知らせんのはまずいと思うんやけど。わっち一人で抑えきれる気はせんわあ。」
「それもそうですね。」
「少なくとも大和杉様には話を通しておいたほうがええんとちゃう?」
「⋯⋯わかりました。」
「あの人も、明が本気で頼んだらわかってくれはるやろ。」
「ありがとうございます。銀孤おばさま。」
というわけで、大和杉に許可を取ることになった。
彼のスタンスは関東以外はどうでもいい、だ。
海外の情勢にはほとんど興味がないと言ってもいい。
困難が予想された。
輝夜のいない時期を見計らって、明は大和杉の元を訪れた。
相変わらず孫には甘くて、可愛がってくれる。
明にとっても大好きなおじいちゃんだった。
この頃丁寧な言葉遣いを身につけようと頑張っているが、大和杉にたいしてだけはまだまだおじいちゃんと呼んでしまう。
早くおじいさまと自然に呼べるようになりたいと彼女は考えていた。
それは今は関係ない。
大和杉の説得の方が大事だ。
彼は話を聞いたが、やはり難色を示した。
海外は彼の専門外だ。
歴史知識もほとんどない。
彼の知識は日本の歴史だけで止まっている。
そんな危険な場所に大事な孫娘をやるわけには行かないというわけだ。
否定されても明は諦めなかった。
外を見てくることの重要性を彼女はわかっていた。
両親も大和杉も、彼女の周りにいる者たちは全員大きな力を持っている。
その力に守られているのは心地よい。だが、それでは成長できない。
ただ庇護を受けているだけの弱者にすぎない。
私は、みんなの役に立ちたい。そんな人物になりたい。
彼女の思いはそこに集約された。
大和杉は一理あるなと思い始めた。基本的に彼は押しに弱い。
もたらされた環境を受容する必要のある植物として培われた性格なのかもともとなのか。
とにかく大和杉は、明に説得されたのだった。
まだ50才くらいなのに3000年以上生きた大和杉を翻意させるとは。
さすが明である。
⋯⋯50年も経てば十分という話もあるが。
とはいえ、まだ風貌は幼かった。
森人族の成長はやはりゆっくりなのだろう。




