補遺 第二十話 これは空間固定ではありません
風が吹いている。草原を駆け抜ける爽やかな風だ。
それはどこかのどかで牧歌的だ。
この戦場に似つかわしくない。そんな天高く広々とした空と大地の光景である。
その中央、相対する俺たちとクロノス。
阿鼻叫喚には程遠いが、張り詰めた空気が残っている。
戦況は俺たちの大劣勢である。
まず動かない。その状態で万物を切り裂く鎌を持つクロノスに対抗できるわけがない。
幸い、空間固定の方は永続とはいかないようで、今の所はかわしきっている。
とはいえ、出来るだけ移動せずに避けることなど無理ゲーだ。
なんとかして、空間を見分けられるようにならなくては。
あと少しで何かが掴めそうな気がしているが、クロノスの攻撃が激しくてそちらに思考を向けている時間はない。
彼の左腕が振るわれる。これで空間は固定された。
そこは危険地帯だな。だいたい腕の方向でわかるから、そちらに近づかないようにすれば良い。
クロノスの方も実戦から遠ざかっていたか何かで動きに精彩を欠く。
こちらの逃げ場を奪うように空間固定を使われたらすでに敗北していただろう。
まずこれは果たして空間固定なのかという問題があるが。
クロノスといえば時間の神だ。あと、農耕の神だった方のクロノスもいるな。これは今は関係ないだろう。
つまるところ空間に干渉できるような能力は持っていないはずだ。
だからあと一つ。そこを考える時間さえあれば。
鎌が回る。かがんで避ける。
くそう。何だよこの攻撃は。ギリギリ考えられなくもないくらいの鋭さだぞ。余裕で避けられるわけでもないけど、思考をやめたら死ぬレベルでもない。どっちかにしてくれ。やりにくいんだ。
なかなか当たらない俺に苛立ってきたのだろう。クロノスの動きが雑になってきた。
おらどうした。集中力が足りてねえんじゃねえか?
アドレナリンの過剰分泌により、煽り度が上がっていく。植物にアドレナリンってあるんだろうか。植物動かないからな⋯⋯。たぶんない。俺は動くから別説も濃厚だけど。
「避けるな。」
「いや避けるよ⋯⋯。」
その鎌、カヤノヒメの羅生門を一発で引き裂いたやつだぞ。あの門見るからに強固だったのにバターみたいに切り裂かれていった。さすがに当たったら無理。死ぬ。
煽ってたらヘイトがこちらにむいてきたのは僥倖だ。意外と避けられる。やっぱり、ずっと切られないことを考えて生きてきたからだろうか。鎌の軌道が止まって見えるぞ。⋯⋯植物特有の時間感覚のなさのおかげな気がする。植物最強。杉でよかった。
まあ、かと言って反撃できるわけではないんですけどね。攻撃まで加わったらさすがに処理が限界を迎える。
イワスヒメと輝夜はクロノスの隙を突こうとしているが、あの空間固定で牽制されてなかなか有効な一手を打てていない。彼女たちは俺ほどはっきりとは見えていないようだ。
将門と銀狐からは離れるように誘導できているのが救いだ。
とりあえず、煽りながら避けつつ、空間固定の謎を解く。
方針はこれだ。回れよ俺の舌。
「そんなものか? 神の力もたいしたことないな。」
「絶対に殺す。」
時間神に変貌したクロノスは子供みたいに我慢がきかなくなっている。俺のことしか狙わない。
幼児退行したのか。それはありがたい。たぶんイワスヒメの時のように権能に引っ張られているんだろうけど、それでも好都合なことに変わりはない。
右からくる鎌を避け、左手から発射される空間固定の領域から離脱する。さらに、鎌が切り替えされてくるのでそれも避ける。
ふっ。ちょろいぜ。
⋯⋯空間固定の領域が見えている気がしてきた。
今の俺が感じる時間は極限まで長い。
時間停止空間の引き伸ばされた時間の中で、さらにそれより短い時間を動いて見ているわけだ。
そして、あの領域は、それと似た感じがする。つまり、時間に由来するものだ。
俺の中の時間を感じる測りは壊れている。植物に時のあゆみなど関係ない。一分一秒など必要ない。だからこそ一周回って、俺はここでも動けている。
なら、さらに考えろ。
つまり、あの空間は、空間が固定されているのではなく。
「時が、さらに止まっているのか。」
「へえ、やるじゃねえか。」
いつしかクロノスの攻撃は止んでいた。
「その通りだ。俺は全体の時間を凍結させた。その中でお前らが動けているのは予想外だったが、それはいい。だが、時間は人によって異なる。速度によって時間が伸びるなどという理論を聞いたことがあるだろう。」
「相対性理論か⋯⋯。」
「ならば時間の神たる俺が、変えられる時間が一つだけなはずがない。俺の左手が示す先、そこはさらに別の時の流れを歩み始める。」
「それにしては、すぐに効果が切れる気がするんだが?」
「それは改良点だな。まあ、だからと言って、それに対処することはできるまい? 時間とは絶対強者のためのものだ。」
なんだろう。落ち着いてきたからか、先ほどのような雑さがクロノスから消えている。紛れもなくこれは強敵だ。
さきほどまでの戦術は通用しないだろう。だが、それでもこちらは謎の能力を既知の能力に変えたというアドバンテージがある。仕組みが分かっていれば対処も可能だ。
「二人とも! 時間に注意して!」
「「了解!」」
頼もしい声が返ってくる。これであの技にやられることはなくなっただろう。
「ふふふふふ。そうだ。ムキになることはなかったな。まずはあの動けない二人を殺すことにしよう。」
「なんだと!」
くっ。俺の急所が分かったっていうのか。だめだ。それはだめだ。あいつらは1000年以上も一緒に過ごしてくれた大切な仲間なんだ。やらせるわけにはいかない。
「最初からこうしておけばよかったのだ。」
クロノスは二人に向けて走り出した。
こちらのことは気にしないそぶりだ。だが、確実にカウンターを狙っている。このままでは二人が死んでしまう。俺に有効な手は残っていない。
「くっ。」
それでもと俺は奴を追いかけた。絶対に殺させるわけにはいかなかった。奴の注意が俺を向く。そうだ。こっちを見ろ。
「大崩落!」
イワスヒメの祝詞とともに、走るクロノスの姿が地面に沈んだ。
「なんだと?!」
驚愕の叫びが漏れる。
「大地に沈みなさい。」
そういうイワスヒメの声は震えるほどに冷たい。卑怯な手を使ったことへの怒りだろう。俺だって許さねえからな。
「くそ。だが、これで終わると思うなよ?」
クロノスの声が下から近づいてくる。
「うそ。地割れよりも深いのに?!」
地割れだったのか。
一撃必殺が命中したんだから倒れてくれよ。
だが、彼の気配はすぐそこまで近づいてくる。
俺とイワスヒメは動けない。むやみやたらと打ち出された時止めの帯が俺たちを縛り付ける。
場所を把握されている。
だが、そこで輝夜が突っ込んでいった。
彼女はこれまでクロノスに目立った打撃をくわえていない。
あちらに打たれた時止めの帯は数本で、その秘密が分かった彼女にとっては躱すことなどたやすいもの。
だが、彼女に接近戦でクロノスに勝つ見込みなどあるのか。最強なのは知っているが、それでも厳しいだろう。
「あっ、あれは!」
「ふふふ。やってくれたな⋯⋯えっ?」
地中から舞い戻った彼が衝撃に揺れる。彼の腹に、短剣が刺さっていた。いや、あれは槍か?
「ロンギヌスの槍!」
見覚えがあると思ったら。
輝夜が持っていたのは宝物ガチャで引き当てた神殺しの槍。その縮小版とでもいうべき小刀サイズの槍だった。
クロノスが気づかなかったのも無理はない。
「ばかな。これは。力が抜けて⋯⋯。」
縮小版は神殺しではなく能力封印。つまり、それは、このくそったれな時間停止をなんとかできるということ。
「油断し過ぎだから。」
輝夜はクロノスを見下ろした。
クロノスの時間が終わる。その終わりはごうごうとした鳴動を伴った。
再び時間が動き出す。
今度こそやった。そう信じる俺の目に、輝夜の下で倒れていたはずのクロノスが起き上がってニヤリと笑うのが見えた。