補遺 第十九話 時間の神 クロノス
輝夜の炎はカヤノヒメの姿をしたクロノスに直撃した。
モウモウと煙が立ち込める。
「やったか?」
思わず声に出してしまう。
⋯⋯フラグだな。やめとけよかった。
煙が晴れたそこにいたのは、着物を焼かれたカヤノヒメの一糸まとわぬ姿。
えっ。まじで。そっち? それは予想外だったんだが。てっきり無傷だと思ってた。
なんというか、どエロくていらっしゃる。
「もうこれじゃ戦えないな。」
彼女は諦めたようにそう言った。いや、その姿で戦う選択肢もあると思うよ。うん。
「仕方ねえ。元の姿でやってやるよ。」
彼女の姿が変貌する。
髪は短く、衣装は単純に、体つきは精悍に。そして、顔にはへらへらとした笑みを張り付ける。
それはもう彼女ではない。彼本来の姿だ。
そのにやにや笑いに不自然さはなくなっている。笑いじわが不気味に映る。
布を纏っただけの服装が、不思議と似合っていた。
そんな、おっさんだ。⋯⋯ちょっと失礼だろうか。もう少し若いかもしれない。
「そうだ。俺こそが、時間の神、クロノスだ。」
ひとつひとつ、噛んで含めるように彼は宣言した。
彼の纏う圧力は、さきほどの姿と比べても遜色がない。カヤノヒメの力は手放していると思うが、それ以上に本来の姿の力がすさまじいということだろう。
「さあ、二回戦だ。容赦はしないぜ。」
にやりと笑って彼は、再び腕を動かした。
なにかが、来る。
いまだに将門と銀狐は復帰できていない。
三人で倒さなければならない。
そのことに身震いする。
それでもやるしかないだろう。
来ると思ったなにかは、結局何もなかった。
どういうことだ。
首をひねる。
「おっと、失敗。失敗だ。今使う技じゃなかったな。」
クロノスは笑う。その笑みに邪悪なものを感じた。
もし、彼の思う通りに技が決まっていたら、誰かの命が消えていたかもしれない。
そのレベルで彼は危険だ。
「まあ、普通にやるか。来い。アダマスの鎌!」
彼の手に大鎌が生成される。
その武器は死神に似て、漆黒だった。
不気味な武器だ。
間合いが読みずらい。
くっ。こちとら武器戦闘が得意な人員はいないんだぞ。
卑怯だ。
クロノスは粛々と間合いを詰めてくる。
不用意に近づけない。
俺たちは間合いを図ることにした。
「そんなに離れてどうした? そんなんじゃ俺はやれないぜ?」
挑発されてしまう。くそ。そんなことはわかってるんだよ。
俺の武器は木接続で奪った茨一本。あまりに心もとない。
とりあえず操作を加えて斬属性耐性は加えたが、あのなんでも切り捨ててしまえそうな大鎌相手にどれだけ効果があるものか。
だが、この茨も偽とはいえ植物の神が振るっていたもの。神の茨だ。
ポテンシャルは十分にある。眠っているエネルギーは莫大だ。そして俺はそれを操作できる。
俺は茨を振るった。
輝夜も再び呪術を行使する。
イワスヒメも土を放つ。
タイミングは計ったかのように一致していた。
「甘い。」
そしてふたたび彼は腕を振るう。鎌は炎を断ち切り、返す刀で土すら両断する。
なんとか逃れた俺の茨が高々と上空に上がる。
これを振り下ろせば、威力十分だ。
「うおおおお。」
鞭がしなるように、強靭な俺の茨はクロノスの姿をとらえていた。
「まったく、面倒だ。」
彼の鎌を持っていないほうの手がひらめいた。
動作はそれだけだ。
だが、俺の操る茨に違和感を感じた。
手ごたえが違う。
なんだか、途中で切れたような、そんな感触だ。
そんな馬鹿な。
目視できる範囲では、何一つ違和感ないぞ。
だが、次の瞬間、違和感が形になる。
俺の茨が、真ん中からちぎれていく。
まるで急な動きに耐えられなかったような挙動だ。だが、そんなわけがない。
強靭さは折り紙付きだ。この程度の挙動で折れるような改造はしていない。
だが、現実問題、茨の一部が空間にとどまり、その両端が剥がれる。
先の枝は、重力に従い落ちた。
持ってるほうの枝は固定されたかのように動かない。動かそうとすればちぎれる。
その空間が絶対の領域となったかのようだ。クロノスに空間能力があるなんて聞いてないぞ。
「いったん引くわよ。」
ショックを受けているにイワスヒメの言葉が届いた。
なんでも切り裂く鎌に謎の空間能力。
謎っていうのがタチ悪い。うん、仕切り直したほうがよさそうだ。
「私がしんがりを務めるわ。二人を回収して逃げなさい。」
「不用意に動いていいのか?」
「そのくらい稼げるわよ。羅生門!」
クロノスの手の振りを遮るように、立派な門が現れた。
⋯⋯ 一応言っておくがクソデカではない。俺の本体の方がでかい。
今のイワスヒメは建築の神としての性格を持つ。
このくらい余裕だろう。
「どうも、動くものに反応するらしいわね。」
慧眼だ。たしかに最初に奴が手を動かしたとき、何も効果がなかった。あの危険な空間固定能力は、動くものにしか効果がないと仮定して間違いない。
「なかなかやるじゃないか。だが、それだけで防げると思うなよ。」
「っ。二人とも、いったん止まって!」
イワスヒメは何かを察したようで、そう叫んだ。
将門の方へ足を踏み出そうとした俺は、その言葉を聞いて立ち止まる。
確かに、空間能力ならば、門などに止められることもないだろう。慎重に行くべきだ。
とりあえず、先に石を何個か投げてみる。
飛ぶ石の一つはすぐに空中で停止した。他は通り抜ける。
危なかった。ここに勢いよく突っ込んだら、ここだけ固定されて他が先に進む笑えない状況になっていたはずだ。
もう何個か投げてみる。
止まる石は線状に並んだ。
なるほど、だいたい理解した。
この能力は、奴から直線で進む。直線の一定の領域が空間の中で固定されている。
そんなに範囲は広くないが、それが罠だ。そこだけ置いて行かれると、体が裂けてしまう。
凶悪だ。
だが、動かなければ問題はない。奇しくもイワスヒメが指摘したとおりだ。
将門と銀狐の時間が止まっていてかえって良かったのかもしれない。停止した人物には危険がないからな。
俺は急いで他二人に伝える。
有効な対策はほぼない。動かないのがかなり有効そうだが、それだと反撃は難しい。
こんなのどうすればいいんだよ。