第1話 目覚めは突然に
初めて見た光景は、逆に怖くなるほどの清潔さを誇る白色の、病院の天井だった。
自分がいる場所は個室、それなのにも関わらず、体に大層な医療器具が接続されているわけではなかった。
程なくして一人の看護師であろう女性が入ってきた。
彼女は自分が目覚めているのを見て、奇妙なことを言った。
「おはようございます、名前を覚えていますか?」
窓はカーテンに覆われていて外の様子は見ることが出来ない。しかし、カーテンが閉められているということは日が沈んでいるのだろう。
なのに彼女は『おはようございます』と言った。
俺は、僕は、俺の名前は……。
「症状に間違いは無かったようですね。あなたの名前は紅焔魔、現在は高校生一年生の年齢ですね」
どういう表情をすればいいのだろう。
まるでキャラ設定を告げられた、そんな他人事にしか感じられない。
そして、一つの結論に辿り着いた。
俺は、記憶喪失だったんですね。
それに関する知識はあった、知っていた。言語も理解し、使用していた。
それでも自分に関する情報は一切なかった。底知れない虚無感、自分が何者で、何をしてきたのか。
恐ろしいと感じることもなく、何も感じない、感じられなかった。
「そうです。あなたは記憶喪失となり、この街に倒れていた。持ち物から名前は判明したので、あなたのご両親にも連絡を取ってあります」
両親。そう言われても顔も名前も思い出せない。ぼんやりと、なんてこともなかった。全く想像がつかない。
「ごめんなさい、全く覚えてませんよね」
申し訳なさそうに謝る看護師を見て、不意に一つの疑問が浮かんだ。
どうやって記憶喪失だと分かったんですか?
本当にふと思いついただけだった。目覚めたばかりの俺は今初めて人と話した。それなのにも関わらず彼女は記憶喪失だと知っていた。
記憶喪失に関する知識に詳しい訳では無い。だからこその純粋な疑問だった。
「そういう異能だからですよ」
異能? 俺のいた世界ではそんなものは空想でしかなかったはずだ。
「疑問は抱かないでください。この世界は、神魔の神秘と言われた力が溢れかえる世界。異能、魔法、超能力、言い方は様々だけど、そんなものが溢れているの」
まるで世界の設定を告げるようにその金髪の看護師はそう言った。
一つ質問すると次々と聞きたいことが浮かんできた。この状態に慣れてきた証拠だろう。
看護師さんが日本語を話せるのは、その異能というもののお陰なんですか?
見るからに日本人ではない彼女が日本語を話せるのは異能のお陰なんだろうか?
もしもそうだというのならば、異能というものは言語という文化の壁を取り除くことも可能にする素晴らしい力ということになる。
「っ、これは世界各国を回る看護師として当たり前のスキルですよ……。それももう無駄になってしまいましたが、あなたにとってはいい事なので気にしなくていいですよ」
それは失礼なことを言ってしまったと思い、すぐに謝罪の言葉を述べた。
その言葉を聞いた彼女の顔を見て、無意識のうちに口から零れてしまった言葉があった。
あなたは、俺の知り合いでしたか?
この言葉を受けたことは彼女の心の中にあった何かにトドメを刺したようだった。
彼女の瞳に映っていた光景が崩れ落ち、その潤いは蛍光灯の光を受け、煌めいていた。
「ち、違う……と思いますよ。私の名前はナーサティヤ。ほら聞き覚えはないでしょう?」
聞いたことは無かった。それでも心に何かを感じたのも確かだった。
「あなたにはこの世界での人生があるんです。私と知り合う暇なんてないほど楽しいものですよ!」
だから私のことは追求せず、前を見ろ、未来を見ろ。
俺はそんな意味のあったような気がした。
そうですね。明日からが楽しみです。
それを聞いた看護師は嬉しそうに笑いながら泣いていた。
俺はどこで何をして、どんな人間だったのか、それは全く覚えていない。
それでも、精一杯、今からの人生を歩んで行こうと決意したのはこの時だった。
◇
ーー二週間後、
俺は一つの扉の前で今か今かとその時を待っていた。
アルミで出来たその扉の中央を支配するようにガラス張りの窓があり、そこから中の様子は伺える。
季節は夏、外ではミンミンと鬱陶しい、夏の風物詩とも言える鳴き声が聞こえていた。
「入って来なさい」
待ち望んだ言葉と共に扉が開かれた。中から漏れ出した冷気が夏特有の体にまとわりつく不快な空気と、人前に出る緊張を吹き飛ばしてくれた。
黒板にはすでに俺の名前が先生によって記されており、その文字の書かれた前で立ち止まった。
「自己紹介を」
自己紹介ってもなぁ。この二週間しか生きていない俺にとって、自己紹介は少しハードルが高い。
「あー、紅焔魔です。家はアパートの一室で、一人暮らしです。仲良くしてください、よろしくお願いします」
当たり障りのない、と言えば聞こえはいいが……なんの個性もない自己紹介だ。
「質問がある人はどうぞ」
答えられることは限られているが、出来る限り答えなければ。折角のスクールライフを無駄にはしたくない。
「はーい!質問質問、異能診断は受けましたかー?」
異能診断。そんなファンシーなことがあるのがこの世界だ。ちなみにこの学園に異能者以外は在学していない。
この学園は一種のぐ
「おーい? 聞いてる?」
「もちろん受けたさ。そうじゃないとここには入れねぇしな」
「で、……何枚羽だったんだよ」
ピリッと教室内の空気が凍りついた。
何枚羽、それはこの学園でのカーストを決める重要な事柄だからだ。
ある者は五枚羽という現状最高位に位置し、ある者は一枚羽という一般人と変わらぬ力しか持たないと位置付けられる。
「一枚羽だ。まぁ、底辺ってやつだ」
俺は困った様な笑顔を顔に貼り付けてそう言った。
次の瞬間、飛んできたのは誹謗中傷の頂点を行くような暴言、物理攻撃力を持った物を投げつけてくる者もいた。
地獄の学園生活が始まる。
読んでくださったってありがとうございました!!
不定期更新になるかもしれませんので、気が向いた時にまたお越しくださいませ!
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