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[09]美男子なのです

 我に返ると目の前には、涎を垂らしつつ私に覆いかぶさろうとする和風ゴブリン。その血走った眼が、ギラギラとした肉欲にまみれた色を宿しています。


 いよいよ諦めたその時のことです。ひゅうと一陣の風が。その風に煽られ、はためく髪。ザワザワという梢の音。その風に乗って、馬の蹄の音といななききが聞こえてきたような気がしました。


『ひゅん』


 私の目と鼻の先に、つむじ風を伴い静かな雷鳴がほとばしりました。


『グヮァァァァ!』


 断末魔の叫びを上げたゴブリンは、地響きと共に私の目の前で崩れ落ちます。何が起こったのか分からない私は、へたり込んだままその様子を眺めていました。

 すぐ傍で倒れているゴブリンは微動だにしません。私は恐る恐る、その大きな赤黒い顔を覗き込みます。白目を剥き息絶えているようです。その眉間には矢が突き刺さっていました。一体、何が起こったのでしょう――。


 その時です。林の間、少し開けた所から黒い馬が躍り出てきました。その馬は人を乗せています。馬上の人は弓を大きく掲げ、良く通る朗々とした声で『ヤアヤア我こそは源氏の一字名……』と名乗りを上げています。


 色めき立つゴブリン達。その間を縫うように駆ける黒い疾風。


(――何者?)


 馬を駆るその人の正体を知りたい私ですが、目で追うのが精いっぱいで顔も良く分かりません。ですが突然現れたその人物は、どうやら男の人の様です。

 その人は背中のえびらからを引きぬくと、ヒュンと放ちます。すれ違いざまに矢で射ぬかれたおれるゴブリン。そんなことが繰り返される度に、ゴブリンの数は確実に減って行きます。圧倒的戦闘力です。


 やがて背負っていた矢が尽きたのでしょうか、彼はその手で跨っていたお馬さんの首にタッチし、何やら合図するとあぶみに立ちます。そしてなんと! そのまま飛び降りたのです。

 ストンと片足で地面に着地し、二、三度身体を回転させ勢いを殺すと、すっくと立ちます。私は思わず、その運動能力の高さに見とれてしまいました。


 ここに来てようやく気が付きました。その男の人の出で立ち。身に纏っているゆったりとした服装。『狩装束』と言うのでしょうか。要するに着物ですが、江戸時代のお侍さんの着物ともまたちょっと違う、もっと古い感じのものです。何で染め上げているのでしょう、その衣の色合いは地味では無く、さりとて派手という訳でも無く、どこか雅な香りのする杜若かきつばたの色重ねです。


 そうなのです。新たな発見なのです。着物です。武士です。


 なんとここは和風異世界だったようです! ――って、今はそんなことに感動している状況では無いですね。


 お馬さんは蹄の音を残し林の中に走り去ります。残された男の人――改めて見ますと、スラリとした長身、凛とした佇まいの偉丈夫です――はゴブリンを一瞥し、不敵な笑みを浮かべました。

 彼は腰に佩いた太刀を鞘から抜くと――おおっ! それは3尺近い大太刀です。梢から洩れる光を受けた刀身はギラリと輝き、光の残像を残し力強い軌跡を描きます。その狂気を孕んだ白刃がまさに今、彼に襲いかかるゴブリンを一刀両断したのです。


 彼に躊躇なんてありません。まるで自然な動きで、気負う風も無く、気合を入れるでもなく、それこそ日常生活の延長線上とでも言いたげなさり気ない所作で3尺の大太刀を振るい、呆気なく怪物を倒し続けるです。何て強いのでしょう!


 戦闘は次々とその表情を変えます。


 次々と若武者に群がる和風ゴブリン。しかし、彼を残酷に引き裂こうという思いも虚しく、近付くそばから斬り捨てられ、折り重なるようにして倒れて行きます。鉄と生臭さの混じった空気が、私の方まで漂ってきました。


 ゴブリン達もようやく彼の強さに気が付いたのでしょう。先陣を切って蛮勇を振るおうというゴブリンは既になく、間合いを取りつつも牙を剥き、大声で威嚇しつつ、焦らすように彼のことを挑発し始めます。

 一方の偉丈夫も挑発に乗るような軽率なことをせず、ジリジリと立ち位置を変え、自分の有利なポジションにおびき寄せるべく、ゴブリン達を誘導しているようです。相当、戦い慣れしています。


 しかし、彼とは正反対に戦い慣れしていない私は、この状況にすっかり油断してしまったようです。


 突然、背後から一匹のゴブリンが私を抱きしめました。若武者の戦いに見惚れていた私は、忍び寄ってきたこのゴブリンにまるで気付かなかったのです。

 ゴブリンはありったけの声で吠えます。そのあまりに凄まじい音量、そして私と密着した岩のような肉体から伝わる振動。それだけでバラバラになってしまいそうです。


 ですが、このゴブリンは私を引き裂こうとはしません。そう、私を人質に取ったのです。どうやら、その位の知恵は回る種族のようなのです。一方の私は馬鹿です。ゴブリンさんよりおバカです。何て迂闊だったのでしょう。


 再び絶体絶命の危機です。まるで木の幹のようなゴブリンの腕。いくらもがいても、びくともしません。怒気を含んだ強烈な湿り気と共に、生臭いゴブリンの吐息がうなじにかかります。ああっ、せっかく助かったと思ったのに!


 自己嫌悪する私。ところが、次に訪れたのはまるで想像も及ばないものだったのです。


 それまで悠然とした振る舞いで戦っていた彼は、突然駆け出したのです。まるで天を引き裂く稲妻のような勢いで。気付くとその美青年は、私のほんの数歩先に居たのです。まさに電光石火です。


 ゴブリンは状況の変化に対処しきれず、私を盾に唸るだけです。しかし太刀を手にした美麗な長躯は、その切れ長の目で一瞥くれただけで躊躇ためらいもせず、大回りで私の真横に附きます。そのまま腰を大きく落とし、ゴブリンの脇腹から脳天に向け、すうっと太刀を差し込んだのです。


 痙攣するゴブリン。歪めた口の端からドロリとした血が漏れ出ました。それはやがて真っ赤な奔流となり、ゴツゴツした赤黒い肌と私のトレーナーを赤く染め上げて行きます。


 狩装束の美青年は、力の緩んだゴブリンの腕からズルズルと抜け出す私の様子を見つめていました。私は申し訳なさそうに彼の仏頂面を見返します。その時です、あろうことか彼は微笑んだのです! 私の心臓は私の意志とは無関係に暴れ回るのです。


 しかし時は待たず次の場面です。


 彼が息絶えたゴブリンから刀を抜いた直後、一際大きい異形のゴブリンが猛然とダッシュしてきました。応戦する美青年。ですが、それまでと状況が少し違いました。


『キン! キン!』


 刀が撥ね返される音です。そのゴブリンはいかにも堅そうな黒光りする甲殻で覆われ、美青年の斬撃をことごとく退けます。動きも重量感と機敏さを兼ね備えた、それまでのゴブリンとは一線を画するものです。この集団のボスでしょうか。


 美青年の方も、それまでと様子が少し違うようです。焦り――? いえ、私は何となくその理由に気が付きました。彼の持つ太刀の切れ味が落ちて来てしまったようなのです。


 止むを得ない話かもしれません。彼と彼の太刀は、既に何体ものゴブリンと斬り結んでいます。その鋭利な刃も少しずつ欠けガタガタになっている筈です。そこに来て今度のゴブリン。あの黒曜石のような甲殻です。


 彼は太刀の柄、持ち手の形を僅かに変えました。打ち込みから突き本位に切り替えるようです。ボスゴブリンから繰り出される攻撃を流麗な身のこなしで避けながら一気に間合いを詰め、甲殻の隙間を狙い太刀を繰り出しました。しかしその時です。


『カキィン』


 不吉な音。そうです。あろうことか、太刀が折れてしまったのです。


 日本刀は曲がることはあれ、滅多なことでは折れません。業物なら尚更です。しかし悪条件が重なってしまったのでしょう。彼の鋭過ぎる突き、ゴブリンのあまりに堅い甲羅。そして疲労の溜まった鋼。


 ボスゴブリンは嬉しそうに口角を吊り上げます。その巨体が一層大きく感じられました。万事休すです。勝ち誇ったゴブリンは大きく吠え――どういう訳か、ねっとりと細めた目で私をねめつけるのです。気のせいではありません。ゴブリンは私の方へ腕を伸ばしてきました。


 唖然とする私の手を引き寄せ、男の人は私に覆いかぶさります。その大きな背をゴブリンに向け、身を盾にして守ってくれる!? 体温。荒々しい息遣い、心臓の鼓動――こういったことに免疫のできていない私ははっと息をのみ、目をグルグルと回すだけなのです。


 きっとその男の人は、死する覚悟を決めたのでしょう。


 その時、ふと思い出しました。私のたもとにある日本刀“もどき”――白一鋼で作刀した、私の唯一の持ち物の存在に。


 私は彼に囁きました。


「――これ、使ってください」


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