[08]回想(六)~試し斬りなのです
作刀を開始して数日後。
私の目の前に一振りの刀があります。ようやく完成したのです。
鍛冶押しも終えました。仕上げは総合研磨剤メーカーとして有名な『大泉砥業』のセラミック砥石。『刃の忍者』シリーズで定評のあるセラミック砥石をベースに、特注で作って頂いた大判のメッシュ1万2千番の仕上用砥石です。とても良い刃が付くのです。
完成品を改めて眺めます。
のたれやスの無い無垢な刀身。大成功です。刃渡り2尺3寸ほど、少し小ぶりの刀です。化粧砥ぎはしていませんが、例の薬品に浸けると鍛肌や刃文が浮かび上がって来ました。狙い通り、地沸立つシットリとした綾杉肌、そして沸と匂がバランスよく働く直刃小丁子の刃文。大成功です。
さて。
作品が出来上がってみれば、実力を試したくなるというのが人情というもの。居ても立っても居られなくなった私は、地味な上下トレーナー姿のままこの刀を抱えて飛び出します。
ちなみに柄や鍔、鞘といった拵えもあつらえ済みです。ずっと昔、師匠から譲って頂いた中から、丁度ぴったりのが見つかりました。普通、そんなことは滅多にありません。幸先が良いです。
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私が向かった先は灌木や竹がそこらじゅうに生い茂る、人気も少ない河川敷です。
数年に一度、死体が捨てられていたりとか、若い女の人が連れ込まれてあんな事やこんな事をされる事件とか、要するに治安極悪、犯罪の臭いがプンプンするデンジャラスな場所ですが、白銀に光る武器を手にした今、恐るる物は何もありません。
「キエェェェェ! オリャァァァ! チェストォォォ!!」
もちろん私は示現流を習ったことなどありません。雰囲気です。まあ、いずれ波平の名刀なんかを手にした暁には示現流の構えで刀を振えれば恰好が付くかなと、考えなくも無いですが。
とにかく、そんな掛け声と共に私は枝や草を凪ぎ払っていきます。環境美化に一躍貢献しています。私の進む道にはペンペン草一本残っていないのです……いえ、それは言い過ぎですが。
「ウォォォォ! き、切れる! これは斬れるワァァ!!」
予想以上の切れ味です。藪や枝どころか、腕の太さ以上ある幹でさえ、スパリスパリと。しかも、切れ味が落ちる気配さえありません。
「ぐふふふ……もっと……もっと手応えのあるのを!」
獲物を追い求めキョロキョロと辺りを見回します。血に飢えた吸血鬼が彷徨うがごとく、きっと私は目を血走らせ徘徊していたのでしょう。と、その時。
「――おい、君?」
声の主はお巡りさんでした。声のする方へ振り返った時、その警官二人はギョッとした表情で後ずさりました。あまつさえ、その片割れに至っては腰にした拳銃のホルスターに触ろうとさえ――。いえいえ、彼からしてみれば、人里離れた山奥で人喰い山姥にでも出会った気分といいますか、さぞかし恐ろしい思いをしたことでしょう。
日本刀を手に、奇声を発しながら、破壊の限りを尽くすよれよれトレーナー女。明らかに不審人物です。ヤバいです。職務質問というよりむしろ現行犯逮捕コースです。
ダッ!
全力ダッシュです。脇目もふらず逃げ出します。しかし警官も追っかけて来ているのは、草をかき分ける音と、繰り返される『待ちなさい!』という叫び声で分かります。しかも、その声はどんどんと近づいてきます。
運動不足のアラサー女が、脳筋体力馬鹿の警察官に勝てる訳が無いのです。息が切れ、足がもつれ始め、酸欠で目がグルグルと回り、草と笹に囲まれた周囲の風景が踊ります。
「おい、君! 危ない、そこ!」
私の数歩後ろで、警官が鋭い声を上げます。何やらのっぴきならない様子。気になった私は振り返ります。その瞬間でした。
踏み出したはずの足の先に、地面の感触がありませんでした。投げ出される身体。無重力感。視界に広がる夕暮れの空。
思い出しました。通路の脇に農業用の用水路があったのです。
思いっきりダイブした私は、ゆっくりと回転しながら水の流れを挟み反対側へと飛んで行きます。コンクリートで固められた用水路。その灰色の、いかにも頑丈そうな角っこが、私の目の前に近付いておりました。
その直後、ゴツンというかグシャリというか、そんな音と共に、私の意識はブラックアウトしたのです――。
長らくお待たせしました。主人公の回想はこれまで。次回より本編スタートです。
★かいせつ☆
波平[なみひら]
薩摩国の作刀集団およびその作刀。島津藩の庇護の元、平安期から幕末まで続いた一門で、あの島津義弘も波平を帯刀したと伝えられています。
舞草鍛冶、月山鍛冶、伯耆大原鍛冶の流れを汲む、綾杉肌を鍛える古風な作風で知られています。
(まだプロット段階ですが)主人公との波平との絡みもエピソードとして出したいと考えていたり。その伏線です。