[07]回想(五)~切れ味抜群なのです
「それで……敢えて聞くのも失礼だとは思うけど……切れ味の方はどうなの?」
学芸員さんは私に問いかけます。よくぞ聞いてくれました。
「凄いですよ。良く熟れたトマトを薄くスライスすることもできますし、鉈のように薪を叩き割ることだってできます」
「……そんなことをして、折れないの?」
「はい。大丈夫でした」
呆れたように見入る学芸員さん。溜息交じりに彼女は言いました。
「もう包丁じゃないわね……。包丁の形をした“何か”ね……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自宅兼工場へと戻った私は、興奮と虚しさが入り混じった不思議な感情を引きずったまま作業場へと入りました。
興奮の方はもちろん、一関市博物館で目の当たりにした名刀の数々がもたらしたものです。創作にはやはりインスパイアが必要です。私もいつか、あんな打刃物を鍛えてみたいという想いがむくむくと沸き上がってきます。
虚しさの方――それは、その望みが現代日本では決して叶わないという無力感です。
我が国では、武器の製造や所持は銃刀法で厳しく制限されています。もちろん、それにはナイフや剣といった刃物も含まれます。
ですが日本刀を始めとする美術刀剣は、文化保護の観点から美術工芸品として、警察に登録されたものに限り、観賞用としての所持が特別に認められています。
骨董品だけでなく、現代刀工の作品であっても日本刀剣保存会、通称“日刀保”の鑑定書があれば美術刀剣と認められ、所持することができます。健吾叔父さんの作品ような現代刀がこれに当たります。
ところが、現代刀が美術刀剣として認められるためには制約が非常に多いのです。
出雲にある通称“日刀保たたら”で精錬された玉鋼を使い、伝来の鍛錬法で打たれたものしか、日本刀として認められないのです。
江戸時代の刀匠、水心子正秀さんが体系化して、現代刀工まで連綿と繋がる作刀のしきたり――もちろん、これはこれで素晴らしいものなのですが――では、真の意味で古刀を完全に再現することはできないのです。
先程、健吾叔父さんがぼやいていたのにも、そんなところに理由があるのです。
私はある想いを胸に、工房の隅にある資材置き場へと向かいました。そこで私は“白一”の圧延材を手に取ります。安来鋼です。白紙一号鋼です。
安来鋼とは刃物用の鋼材です。日本古来より伝わる製錬方法を継承した、刃物用鋼材の最高峰です。それと安来鋼にもグレードが色々とありまして、特に白紙一号、通称“白一”は不純物がとても少なく、きちんと焼入れしますと切れ味も凄まじいもので『現代の玉鋼と称される安来鋼の中でも、最も玉鋼に近い』と半ば神格化されているものです。
その一方、焼入れは物凄く難しい代物です。職人向けでさえ、これを鍛えた料理用包丁は滅多に出回りません。ましてや“白一”の“本焼包丁”に至っては、ちゃんとした形で鍛錬できる職人さんは数える程です。
なので、世に名を知られるブランドが出す白一本焼包丁は超高価です。それでも、お金を持て余した見栄の張りたい旦那衆はこぞって買い求める――かような刃物用の鋼が、白紙一号なのです。
私はそんな安来鋼、白紙一号に拘っております。商売を考えるなら今時、鋼の包丁なんてあり得ません。世の中はステンレス一色です。だって、錆びないのですから。使う方としてはその方が遥かに有難いはずです。
父も『職人的にはつまんねえよな、ステンレスはさ』と言いながらも、晩年はステンレスの利器材を使った量産品ばかり問屋に納めておりました。そんな姿を冷たい視線で見つめていたかつての私を、父は許してくれるでしょうか。
そんな風に結局は場末の鍛冶屋に落ち着いてしまった父ですが、一旗揚げようと野心に燃えていた頃もあったそうです。目の前に堆く積み上がっている白一鋼も、実はその頃の父が自宅を担保に借金してまで買い集めたものです。遥か昔、昭和の時代だったと聞き及んでおります。
父は何故、白一鋼をこんなに買い込んでしまったのか――それには理由があります。
あまり大きな声では言えませんが、天下の安来鋼と言えど、生産時期によってバラつきがあるのです。製造業では良く“ロット”という言葉を使います。生産の度にコロコロと特性が違ってくるのです。当たり外れと言い換えても良いかもしれません。
なので、切れ味に拘る鍛冶職人が“当たり”を見つけますと、有り金はたいて一生使う分を買い集めるというような話は、決して珍しいものでは無いのです。
白紙一号のようなスイートスポットの極端に狭い特性を持っている場合、特にです。ほんの数℃、焼入れの水の温度が違っただけでグニャグニャと歪んだり、パキパキと割れてしまうのが白一鋼なのですから……。
さて。父の残した財産、白一の延べ棒を手に私は鍛冶場へ向かいます。
私は今、犯罪に手を染めようとしています。
日本刀の作刀では最初に、高純度な鋼である“玉鋼”と炭素濃度の高い“銑” をかき集めて細かく割り、加熱しながら藁灰と水で溶かした泥をフラックスに使って接合していきます。これを“大沸し”と呼びまして、要するに良く言われる“下鍛え”と呼ばれる作業の最初の段階に入っていきます。
言葉にすると簡単ですが、とても地道な作業ですし、面倒臭いです。その一方で、この時の状態が出来上がりに大きな影響を及ぼすとても大事な作業です。
ですが私は白紙一号を使用いたします。ショートカットです。炭素濃度1.3%というハイカーボン。邪魔な不純物はほぼゼロ。何もしなくても理想的な鋼材。現代日本のテクノロジー、万歳なのです。
そうは言っても、正確には一工夫、二工夫。
古刀特有の、あの青や黒に沈んだ何とも言えない肌の感じは、下鍛えの時に使う湧土、それに含まれる微小金属が影響していると言われています。それら成分の濃淡が、焼入れによってマルテンサイト化した鋼の組織と干渉しあってミクロレベルの構造を作り出すという仮説が、そこらじゅうで語られています。
そこまでは分かっているのですが、では実際にどうすれば再現できるのか――それについては、名だたる刀匠達も追及できないでいます。それ以前に、バラツキがとっても大きい玉鋼と日々向き合って、しかも日刀保から割り当てられる玉鋼の量はとても限られています。失敗前提でチャレンジをする余力なんて無いのです。
これが現代作刀家の抱える、超えられない限界なのです。
ですが私は、倉庫から卸した白紙一号を使用いたします。試行錯誤し放題なのです。
さらに学生時代や会社員時代に学んだ冶金学の知識が役に立ちます。金属添加物の働きや金属相、熱処理の関係。そういったものをベースに、ある方法を編み出したのです。そう、あの包丁と同じ方法です。イエス、日本刀の折り返し鍛錬は元祖機能傾斜材なのです。あの90年代の名作『夏のロ○ット』でも主人公がそう語っていました。
折り返し鍛錬を始めます。鉄を半分に割って重ねて熱して、ひたすら叩くのです。伸ばし終わると今度は方向を変え、さっきとは直角に割って同じ作業を繰り返します。
ドンドンドンドン・ガンガンガンガン・ドンドンドンドン……
ここでもあのスプリングハンマーが活躍します。とても効率的なのです。相変わらず煩いですが。こちらも伝統的な作刀方法を無視したやり方です。こんなの、刀工さんに怒られてしまう暴挙なのです。