[05]回想(三)~スカウトなのです
この作品はフィクションです。作中の一関博物館及び登場人物は架空のものであり、実在する一関博物館とは一切関係ありません。
「あのさ。楓ちゃんも、こっちの世界に来たら?」
「…………」
半ば予想していた言葉でした。でも、咄嗟には言葉が見つからず、私は返事ができませんでした。叔父さんは続けます。
「この時代、鍛冶屋で食っていくのは大変でしょ。美術刀剣なら日刀保の後ろ盾もあるし、まだ、こっちの方が安泰だと思うんだ。楓ちゃんは筋がいいし、やっていけると思うよ」
彼の言う通りです――いえいえ、私の筋がいいと言うお世辞の方では無く、鍛冶屋が大変だと言う現実の方。とっても世知辛い世の中で、鍛冶屋はまるで儘ならないのです。
一方、美術刀剣の世界。世はいわゆる刀剣ブームだそうで。刀剣女子と呼ばれる方々が、有名な業物を展示している日本中の博物館や美術館に押し寄せ、全国各地にある刀匠ゆかりの地を訪れ、あまつさえ現代刀工の工房にまで押し掛けているそうでして。
――いえ、私もちょっとだけやりました、ゲーム。でも飽きっぽい私は、序盤少し触っただけで、やらなくなってしまったのですが。
ふと、頭の中で何かが閃きました。私は叔父さんの言葉に対する答えの代りに、そのことを聞きました。
「ひょっとして、この刀を注文した方って、女の人?」
「良く分かったね」
そんな気がしました。この刀、優しくてキラキラしていて、旦那衆よりむしろ娘さんが好みそうな作風です。
聞いた話ですが、刀剣女子の方々は、鑑賞だけでは飽き足らず、こぞって美術刀剣を買い漁っているそうで。景気の良い話です。
ですが、右肩下がりで値段が落ち続けているとずっと言われ続けてきた美術刀剣ではありますが、決して安い買い物ではありません。彼女達は何処にそんな巨大なお財布を隠し持っているやら。羨ましい限りです。その財力を少し分けて欲しい位です。
健吾叔父さんはそんな私の想いをよそに、さっきの話の続きをしてくれました。
「本当に女の人は思い切りがいいよ。男ってさ、何だかんだ蘊蓄は垂れるけど、いざ本当に手に入れる段になると、ああだこうだ理由を付けて、やっぱり止めちゃうんだよね。――武術の心得が無い自分が持っていいものだろうか、武士の心を所有する覚悟の無い自分には過ぎた物なんじゃないか、そのうち飽きて手入れをしなくなって駄目にしそうで怖い、とかさ」
「確かに。観賞するのは楽しいけど、いざ手に入れるとなると、ちょっと怖い気がするのかも」
「ところが若い娘さんは凄いんだ。直情径行というか、思い込んだら猪突猛進。こっちの話も聞かずに、ポンポンお買い上げしてくれるんだもの」
「お得意様ね」
「いやあ、商売としては助かっているよ」
少女時代から日本刀に関してはかなりヤバいマニアだった私からしてみれば、『この俄かが!』と思わないでも無いですが、彼女達の行動力は凄いです。
――ですが。だからこそ私は美術刀剣の世界に入ることに抵抗があるのです。
今はいわゆるバブルです。でもいつか、バブルは弾けます。その時に、駆け出しの私が果たして生き残れるのか――たぶん、絶望的です。
もちろん、それだけでは無いのですが。とにかく、私が健吾叔父さんと同じ世界に身を置くことは無いということは、日本刀を愛しているからこそ、あり得ない事なのです。
かつて刀鍛冶となることに憧れを抱いた私としては、少なからず感傷的と言いますか、寂しさと言いますか、そんな思いも混然一体となっていて――。自分自身、混乱気味なのです。
私はありのまま答えました。
「ごめんなさい、健吾おじ様。気遣ってくれて嬉しいです。でも私の決意は変わりません。美術刀剣作家になろうとは思いません。それだけは、揺るぎないのです」
沈黙が訪れました。健吾叔父さんは場を取り繕うように、一層優しい声で答えてくれました。
「そうか……そうだね。ごめん、変なことを言ってしまって」
いえいえ、謝るのは私の方です。
「それでさ、楓ちゃん。もし良ければこれからデートしない?」
「え!?」
予想だにしなかった言葉に、心臓がドキリと飛び上がります。引きこもりの賞味期限間近な腐りかけ女には、破壊力あり過ぎの一言です。
「そんな、怯えたような顔をしないでよ……。一関市博物館だよ。久しぶりに、一緒に見に行かない?」
その言葉に私は、ただ頷くことしかできませんでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目的地の一関市博物館は家から車で二十分程のところにあります。
国道の交差点の、道の駅の隣にある綺麗な建物です。
何故、健吾叔父さんが私をここに誘ったのか――ここ、日本刀の展示が凄いのです。
「うおおおおお! 何時見ても歴代『宝寿』の業物、どれもパネぇっす!!」
「こんな作品、僕も打ってみたいよ。この地沸の付き方、飛焼きの荘厳さ、そして何より焼肌の激しく流れる大板目。どんな鍛え方をすればこうなるんだろうな」
「大板目というより、綾杉肌に近いっスよね!! グルグル渦巻いてます! つーか、健吾おじ様達、月山派の作風を彷彿とさせるッす!! これマジすげェェェ!」
「確かに舞草と出羽月山との関連性は良く言われるからね。古代月山派の中には、ここと同じ『宝寿』と名乗った刀工もいたそうだから、交流があったのかもしれない」
「この『友安』も迫力スゲーっス! 今なら言える! 抱かれてもイイ!!」
……はしたなく盛り上がってしまいました。自己嫌悪。ごめんなさい、反省します。
でも、本当に凄い作品群なのです。
実は私の住んでいるこの“一関”一帯は、古代から中世にかけて『舞草鍛冶』という刀工集団が暮らしていたそうなのです。
ここ、一関市博物館はそんな舞草の業物を中心に、素晴らしい展示品が集まった超穴場スポットなのです。
――いえ、もう穴場とは言えないかも。
平日だと言うのに、若い女性の方々が何組も展示品に見入ってます。たぶん皆さん刀剣女子です。週末などは刀剣女子でごった返し、もうメスの臭いぷんぷん。
ほんの数年前まで、いつ来てもほぼ貸し切り状態で堪能できたのだけれども……仕方が無いですね。これも時代の流れです。
ちなみに私達が盛り上がっている目の前にあるのは『古刀期』の太刀です。『古刀期』とは平安時代に始まって、鎌倉、室町……戦国辺りまででしょうか。その頃に作られた刀です。江戸時代以降は『新刀期』『新々刀期』と続きます。
もちろん、ここにも新刀期、新々刀期の刀も多数展示されています。どれも素晴らしい出来栄えで、ここの学芸員さんの審美眼の確かさが手に取るように分かります。
ですが――だからこそ、平安から鎌倉にかけての古代舞草の太刀との隔絶が、手に取るように分かってしまうのです。一口に言うと、まるで別物なのです。
舞草鍛冶は室町の頃にはほぼ断絶してしまったようなのです。その子孫の一部は『法華流』と名乗り仙台藩で細々と技を受け継いだとされています。ですが大局的には、全盛期の彼等の作刀技術は、失われた技術なのです。
複雑な感情で作品群に見入っている中、私達は呼び止められました。