第32回 「正宗。あんたやってくれたわね」
翌日のロクサーヌはいつもよりも表情が柔らかかった。相槌も心がこもっているように感じられた。
しかしそれらもある瞬間にフッと消えてしまう。
不思議で仕方がなかったが、テスト二日目にしてそうなるキッカケが分かった。つまりは正宗なのだ。彼がいると途端に彼女の心が消失してしまう。
彼らの仲が悪いことは知っていたが、それ以上に何かある気がした。
「色々と訊きたいだろうし私も話したいけど——」
あの後ロクサーヌは再び鬼教師に戻った。
「今はテストに集中しましょ。全てはそれが終わってからでも遅くはないわ」
お預けをくらって肝心のテストはというと、中々好調で少なくとも中間よりは手応えがあった。このまま何事もなければ前回よりはいい成績をとれそうだ。
さて、テスト最終日の最終時間、みながシャーペンを走らせる中、俺はふとロクサーヌの様子がおかしいことに気づいた。
その時の彼女は左手で頬の辺りを押さえながら、必死でペンを走らせていたのだが、よく見ると手の隙間から何かの器具みたいなものが確認できた。ヘッドフォンかヘッドセットか、とにかくそれで何かを聞いているようであった。そのペンの動きもおかしくて、考えているというよりはメモをとっているような運びであった。
チラリとカンニングも疑ったが、彼女に限ってそんなはずはなかった。一緒に勉強して、そんな必要ないことくらい分かっていたから。
だからこそ気になった。彼女の無実を確かめなきゃ気が済まない!
俺はそっと彼女が何を書いているのかを盗み見た。
「三匹侵入。東側昇降口。西側非常口。一階理科室窓」
それが彼女が書いた全てであった。
どうしたものかと考えあぐねていると、突然彼女が口を開いた。
「正宗。あんたやってくれたわね」
通常会話する時と同じくらいの声量だったので、クラス中がびっくりしてこちらを向いた。
「何のことだい?」
正宗は不愉快そうに答えた。一切振り向かずシャーペンも動かしたままだった。
「惚けないで。化け物三匹が学校に侵入したわよ」
「そうかい。それなら君のせいだ。自重しろって言ったろ」
「この学校は中立地帯のはずよ。話は通してないの?」
「脳みそがあっても理解する能力があるとは限らないんだよ。言ったろ? 過激派がいるって」
その時ガラリと前のドアが開いて、担任の幸田が血相を変えて入ってきた。
「先生。すぐに生徒たちを避難させてください! 」
「何事ですか?」
試験担当の老先生が尋ねた。
「不審な人物が一階で暴れまわってるんですよ。怪我をした者もいます。警察には私から連絡を入れますので、先生はこのクラスの引率をお願いします! 」
老先生は頷いた。
「みなさん。そういう訳ですので、これから避難を開始します。怪我をしますので訓練と同じように慌てず落ち着いて行動してください。このクラスの委員長は誰ですか?」
ロクサーヌが立ち上がった。
「ではあなたに——」
「キャプラ、どう?」
「やれ! 」
突然ロクサーヌが発砲した。狙いは幸田だった。
幸田は左手を上げると平然と弾を受け止めた。もちろん血は飛び散っていたが眉一つ動かさなかった。
火がついたように悲鳴が上がり、クラス中がパニックに陥った。蜘蛛の子を散らすように二人から離れて行く生徒たち。その中で正宗だけが落ち着いて行動していた。
「何をする気だ。おかしくでもなったのか?」
幸田は淡々と言った。
「それはこっちのセリフよ。撃たれておいて、その程度の反応なの?」
ロクサーヌは不敵に笑った。
「人間のふりって案外難しいでしょ?」
幸田の目にみるみる憎悪の色が浮かんでいった。そして次の瞬間こちらに向かって跳んでいた。
ロクサーヌは俺の前に出るとガードを固めて足を踏ん張った。
幸田は跳躍中に爆発的にその体積を増やしていき、気づいた時には一匹の化け物になっていた。
瞬間、鈍い激突音が響き渡り、窓ガラスがビリビリと震えた。
生きた心地がしなかった。
恐る恐る目を開けると、驚いたことにロクサーヌは化け物の巨体をしっかりと受け止めていた。
おい、嘘だろ……。
どういうカラクリか、彼女の体には至るところに鉄のような物がびっしりと生えていた。
「こいつは私が相手するから紙谷くんは逃げて! 」
ロクサーヌの力強い目に射抜かれて、俺はまるで五歳児のようにおとなしく指示に従った。
怪物は最終的には天井すれすれまでデカくなった。そしてその巨体で彼女を角へ角へと追い詰めていった。
奴がブンブンと腕を振り回すたびに教室中が廃墟へと化していき、一方ロクサーヌはガードを固め、隙ができるたびに銃を出して応戦していた。
ほとんどの生徒が教室から逃げ出して、中にいたのは俺とロクサーヌのことを心配した数人だけだった。
「なんだよあれ! 化け物だぞ! 」
と拓実。
「俺が知るかよ。それより何か手伝った方がいいんじゃないのか? 女の子が一人で戦ってんだぞ! 」
「でも一体何を? どう考えても異次元の戦いだぞ。なんで彼女が張り合えてるのか不思議なくらいだ! 」
「放っておいていいよ」
正宗が静かに口を挟んだ。
「自業自得だ。同情する必要はない。それよりマヤ様はどこだい?」
「マヤ様?」
「マヤならそこにいるよ」
マヤは廊下から窓ガラス越しに中を見守っていた。
「マヤ様、どうぞこちらへ」
正宗が笑顔で手を差し出した。
「こいつらの仲間は他にもいますので、むやみに歩き回らず僕のそばにいるのが結局は安全ですよ」
マヤは頷くと、ちょこまか入ってきて俺にしがみついた。
「それで結構です。僕がお守りしますので」
また香澄もそばにいたのでみなでロクサーヌを見守った。
「これって何なの? なんでこんなことになってんの?」
とマヤ。
「分からん。それより警察はまだなのか?」
「誰か呼んだの?」
と香澄。
「さっき幸田が呼ぶって」
「その幸田がそもそも偽物だったんじゃない! 」
香澄はスマフォを取り出すと急いで通報をした。
ここで俺はあることに気づいた。彼女が何かに対して非常にやり辛そうにしているのだ。少し考えてそれがなんなのかが分かった。
「みんなが邪魔で自由にやれないんだ」
「じゃ出て行くか?」
「俺たちだけじゃない。恐らくこの階の全員が足手まといなんだ」
そこで俺たちは廊下に出ると、未だのんきにことを構えている連中や、何が起きたのか分からず教室に残る生徒たちに避難するよう呼びかけた。
一見上手くいくように思えたが、状況が変わるのもまた早かった。鮭が川を遡ってくるように生徒たちが戻ってくるのだ。
「なんで戻ってくんだよ! 」
と俺が叫ぶと、
「あっちにも化け物が出たんだって! 」
向こうからマヤが大声で答えた。
「だからむやみに歩き回らないほうがいいって言ったでしょ」
正宗がしたり顔でウインクした。
そうか。確かロクサーヌのメモでは三匹の化け物が侵入したという話。しかもこいつら自由に人間に化けられるらしい。隣の生徒が実は化け物だったということもあり得るので、どこに逃げても安全とは限らないんだ。
「マヤ様と春樹くんとついでに君たちだけは守ってあげるから」
「正宗。事情は知らないが、そんなに自信があるならロクサーヌを助けられないのか?」
「ちょっと難しいね。正当防衛なら言い訳もきくが、流石にこちらから喧嘩を売ると僕の身もまずいことになるからね」
その言い訳が本当かどうかは分からなかったが、それ以上頼んでも頑なに拒否された。
「紙谷くん! 」
その時ロクサーヌが叫んだ。
「何だ?」
「隣のクラスに全員を集めて。今からそこを一時的なシェルターにするから! 」
「分かった! 」
そこでまた俺たちは手分けして隣のクラスに生徒たちを集めた。
「さっさとしろよ! 」
みんな怒鳴りながら烏合の衆を誘導した。
「集めたぞ。かなりキツキツだけどな! 」
「じゃああなたも入ってて。今から三十秒後にそこを『堅牢』にするから! 」
「分かった」
俺は一旦出て行こうとして、徐に足を止めた。
「……後は任せたから頑張れよ! 」
この言葉……言ってて非常に恥ずかしかった。なにより後ろめたかった。
だがそれ以上にいい言葉もまた見つからず、俺はおとなしく教室を後にした。
最後に見た時、ロクサーヌは確かに俺に向かって微笑んでいた。
誓ってそれは嘘ではない。




