第27回 「聖家族」
「君は道に転がる小石だ」
正宗の声からは穏やかさが消えていた。
「普段だったらなんてことない存在だけど、これからその道を『貴人』が通るんだ。邪魔なんだよ。どっか行って欲しいんだ」
ロクサーヌは素早く距離を取った。身体の動きが非常に滑らかで慣れているようであった。
「一度は上手くいったみたいで、彼と君とが距離を置き始めたのでホッとしてたのに、君がそれじゃ元の木阿弥になる日も近いようだね。残念なことに彼も君のことを気にしだしている。今はそういう気持ちはないにしても、いつかはそうなるかもしれない。僕としては彼には彼女と上手くいって欲しいんだ。彼らは『あのお方』の『聖家族』になるかもしれないんだからね」
「『あのお方』って、あなたまさか……」
気のせいかロクサーヌの体を黒い靄のようなものが包んでいるように見えた。
「よせよ。ここでやる気か? 周りの被害ってもんを考えろよ」
「あんたらがそれを気にするとはね」
「ここには彼女も在籍しているんだぞ。事情は違えど彼女が大事なのは君らとて同じはず。それに例え被害を抑えたとしても、例の姿を見られたくはないんでね。僕らは君たちと違ってあの便利な技術はまだ持ってないんだ。だから君らさえよければ、この学校だけは中立地帯といこうじゃないか」
「まあ……考えとくけど」
「そうかい。いい答えを期待してるよ。それと言っておくけど僕を排除してもあまり意味はないよ。既にこの時代に彼女がいることはバレてるんだからね。代わりが送られてくるだけだ。自分で言うのもなんだがこれでも僕は穏健派でね。因みに仕事は主に神話の研究をしている。だから争うにしても、なるべくあのお方が誕生するまでは穏やかな手段でやりたいと思っているんだ。それ以外の手段を取るのは、その時が来てからでも遅くはないからね」
「もしかしてあんただったの? 彼にあのことを話したのは?」
「そうだよ。でも恨んじゃいけない。自分でも言ってたじゃないか。そうしたのは事実だって」
ロクサーヌは言い返せないようであった。
「この学校に来て三つドキドキしたことがあった。一つ目はもちろん我らが聖女様に会った時。歴史の一ページに立ち会えて喜びもひとしおだったね。二つ目はその聖女様がどうやら僕の友人を好きだと知った時。嬉しかったね。僕は彼こそがあのお方の父親になると考えている。こういう言い方すると学者としてあるまじきことだが、これは勘だ。ピンときたんだよ。彼女の情熱が成就してあのお方が生まれる。実に絵になる光景じゃないか。全ては運命なんだよ」
「で、三つ目は?」
「三つ目はどこぞのボンクラに正体がバレるんじゃないかとドキドキしてたんだがね。取り越し苦労って奴だったよ。彼女はうすらバカの判別はついても僕みたいに教養を身につけた者を見分ける術はないようだ。どうやらうすらバカ同士、通じるものがあるみたいだね」
「あら、ボンクラ種族に言われたくはないわね。私たちの科学を盗んで技術も盗んで、しまいには彼女の情報まで盗んだくせに」
「彼女の存在はこの僕が発見したんだ! 断じて君らの情報を盗んだんじゃない!」
「どうだか。まあ、いいですけどね」
こんなに機嫌の悪い彼女を見るのは初めてだった。
会話の内容はさっぱりだったが、正直正宗になびかない女がいることがちょっぴり嬉しかった。
「それとあんた、彼女があれを生むとか言ってたけど正気なの? 別にあんたらの三文ポエムにはそんなことどこにも書いてなかったわよ」
「『駱駝の乳を与える』という一節は『授乳』を連想させる。授乳をするからには自分の子どもである可能性が高いはずだ。まさか君はあの文言がそのまま言葉通り起こるとでも思ってたのかい? やれやれ、これだから素人は」
「その解釈だとスジャータは仏陀のお母さんだったってこと? へー、知らなかったなー」
「スジャータが仏陀に与えたのは乳粥だろ。断じて乳じゃない!」
「なんの違いがあるのか素人の私にはさっぱりだわ。そもそもその専門家様が勘とかピンときたとか言っちゃうわけ?」
「だからそれは学者としてあるまじきことだと断ったろ!」
「あんたって学者というより宗教家よね。しょうがないかー。あんたら、あれ大好きなんだもんね。なんて名前だっけ? まあ思い出す価値もないからジャムおじさんとでも言っておこうかしらね」
彼女はかなり意地の悪い顔をしていて、俺はため息をつかずにはいられなかった。
やれやれ、何のため言い争ってるかは知らんが、あの顔は未来の旦那さんには見せられない顔だぞ。
「で、どうやったらそのジャムおじさんは人間である彼女から産まれるの? 羊が象を産むと言われて、ハイそうですかと信じるバカがどの世界にいるの?」
「恐らく産まれた時点ではあのお方も人の子だったのだろう。しかしその子が一代で進化を遂げたのだ。要は跳躍進化という奴だ。ちょうど猿から人間に進化したように、何かのきっかけで急速に僕らに変化したはずなんだ」
「推測ばかりじゃない。今のところ彼女のことで分かっていることは何もない上に、更にそこに三文ポエムにはない彼の要素まで入れちゃうの? ちょっと妄想が過ぎるんじゃない。せんせ」
「好きに言うがいいさ。確かに僕らの中にもこの説を信じていない連中はたくさんいるからね。こればかりは時が解決するまで待つしかない。そこで一つ君らにお願いがあるんだ。彼らを祝福してその幸福を邪魔しないで欲しい。君らだってあのお方の誕生を確認したいはずだ。確認しなければ殺せないからね」
「たかが高校生の恋愛よ。将来結婚するかどうかは別物よ!」
「君は間抜けの国のお姫様かい? その高校生の恋愛に悩んで僕に泣きついたのはどこのどいつだ?」
「泣いてなんかないわよ!」
「泣きつくってのは、必ずしも泣く必要はないんだよ。つくづくバカだねえ」
「私の推測が正しければ、あんたがそういう言葉遣いとか三文ポエムの解釈に拘るのは、自身の種族のバカさ加減にコンプレックスを感じてるからよ。どう? 図星でしょ」
正宗からふつふつと怒りが湧いてくるのが見て取れた。
「確かに……彼らは……文化や芸術のなんたるかを知らない! 興味を示そうとすらしない! しかし人間とてかつてはそうだったはずだ。僕らはまだ揺籃期なんだよ。だからこれから世界に伸張し人間どもを蹴散らして、精神的、時間的余裕が出た暁には、きっと僕らの種族からもモーツァルトやミケランジェロが出てくるはずなんだ! 」
「お生憎様。そんなこと考えるだけ時間の無駄よ。だってあんたら人間様に負けるもの。それどころか彼すらあんたの手には渡さないわ」
「お姫様。彼から拒否されたのをもうお忘れか? 空でも見て涙を堪えているのが負け犬には相応しい姿ですよ」
「私が彼を手にいれると言ってるんじゃない。あんたには決して渡さないと言ってるだけよ」
「ふーん、でも一体どうやってやるつもりだい? 彼にも自由意志ってもんがあるんだから、君がそこでピーチクパーチク喚いたところで、僕との友情を取るかもしれないよ。もしかしてまた例の改ざんをやる気かい?」
「例えて言うなら、彼の隣に座るチケットは渡さないってこと。そこに座ってその後どうなるかは確かに彼次第。彼にも選択する自由はあるからね。でもね、あんたにはその席すら座らせない!」
「じゃあ試してみるかい?」
「ここで? もうさっきの提案忘れたの?」
「だからさ。お互いこのままでやろうよ。例の力は使わずにね。それだったら最悪人に見られても単なる喧嘩で済むからね」
「男と女が本気で殴り合いするのを単なる喧嘩って言えるのかしら」
「まずいのかい? じゃあ他人には見せられないね——」
バッと正宗が振り向いた。
間一髪、俺は扉を閉めていた。
なんだか知らんが奴らと俺とでは全く別の世界に住んでいるようだ。これは絶対に関わらないほうがいい。オカルト好きは拓実でたくさんだ。
俺は戦々恐々と教室に戻った。




