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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恐怖の再誕

作者: 古賀辻井

私ははたから見て滑稽なほど怯えている。それというのも私が体験しているこの恐ろしい悪夢のせいだ。私の身に起こっている恐怖を他の何人にも味わって欲しくはない。その一心でこれから私たちの身に起こったことを書き留めよう。私は今からこの暗く冷たな海に沈もうとしている。そこだけが安息の場所と信じて。この船、そして今は変わり果ててしまった友人たちとともに。祖国にこの怪物を上陸させないように。よしんばここで沈まず生き延びることを選んだとしても私は今日の真夜中、空が暗闇の帳に覆われ煌々と明るく燦めく満月が昇る頃には意識を消滅させるのであるから。別にこれを船旅の恐怖に負けた愚か者の戯言と切り捨ててもらっても構わない。ただ、心の隅には止めておいてほしい。



私たちミスカトニック大学考古学部の発掘チームがエジプトの西方砂漠の遺跡、カルガ・オアシスからその銀色に光り輝く球体とそれに関係するであろう品々を発掘できたのは全くの偶然によるものであり、チームの一人が石につまずき転倒し壁に倒れ込まなければこの快挙はなかった。機材を用いないと一見してそこにあるとは気付かないほど扉が巧妙に隠蔽されたその空間は入り口の窮屈さに反して広く、中には前述の銀の玉が安置されていた荘厳な祭壇と一体の腐敗した神官らしき男性の死体、そして風化して今にも崩れ落ちそうな書類の束があった。祭壇の壇上には何か理解し難い記号の様なものが描かれている布が敷いてあり、チーム最年長のマークによると昔少し見た黒魔術の魔法陣に似ているということだった。更に壁の向こうには空間があるという事が判明したが、我々では破壊できなかったため次に来た時に持ち越す事にした。不思議なことにこの空間の入り口は内側から閉じられており、また死体の首には何か鋭利な杭のようなもので突いたような痕が残されていた。さらにこの空間から外に繋がる出入口は私達が入った扉しかなく、このことから死体の彼は銀の玉をこの祭壇に安置したあと入り口を自ら塞ぎ自害した、ということになる。私はその事象に思い至った 時不可思議に一抹の不安を感じながらもこの銀の玉を運び出した。


この銀の玉は運び出した後に中が空洞になっており、さらにその中に何かが入っているという事実が判明した。我々は玉を壊そうと試みたが、玉を形作っている金属は当初は銀でできているであろうと推測されていたが恐ろしく強固な金属で出来ており、私たちが持って来ていた機材の類ではかすり傷一つ付かなかったという結果に終わった。また、玉は完全なる球形を形取っており、外側に何やら見ているこちらが陰欝となるような装飾が施されていた。そして我々では解読できない未知の言語の奇妙な呪文の様なものも彫り込まれてあった。この未知の言語についてはチームの一人であった優秀な言語学者であり私の親友の一人でもあるオリバーも大層頭を悩ませ、「この様な文字を持つ文明を私は知らない」と言わせるほどであった。さらに彼は「見た所この文字は大層洗練されており、長い年月の中で研磨されてきたものと思われる。さぞや発達した文明だったのだろう」とまでコメントした。当然このコメントに我々は沸き立った。新たな文明の発見だとすればなんと栄誉なことか!その他に運び出された古文書は風化してボロボロになって触れるだけで今にも崩れ落ちてしまいそうな物だった。ただ、これにも玉と同じ未知の言語が記されてあったことは特筆すべきことであろう。我々はこの不可思議な発掘品群をより研究するために取り急ぎ本国へと帰還することにした。


帰還の船は未知の文明の発見の可能性という朗報に沸いていて、浮かれていた。全員が無事本国に帰り着いた際の英雄的扱いについて想像し、それに酔っていた。誰一人本国に帰れないかもしれないという事は考えなかったし、来る時も大丈夫だったのだ、帰りも大丈夫だろうという根拠のない安心感を抱いていた。だがそれも自らの生命が脅かされ、危機に瀕するまでであった。港を出てから程なくして波は荒れ船が幾度となく傾き、風は轟々と哭き帆は張り詰め、絶え間無い雨が船体を叩く、そんな大時化にあったのだ。私たちは皆身近に差し迫った死の恐怖に怯え無神論者でさえも神に祈った。その間私はどうしていたのかというと、部屋に篭り震えていた。しかしその恐怖の時間はあっという間に私たちから遠ざかって行った。気がつくと揺れは段々と落ち着いてきており、私達の遥か後方に黒雲が見えた。時化はもう止んだのだ。誰一人として欠けなかった事、無事に生き残れた事に皆狂喜し笑いあった。共に危機を乗り越えた事により私達の心には一体感と自分たちならばなんとかなるという全能感があった。やがて狂った様に喜び続ける時間が終わり、一人また一人と落ち着いてくると荷物や装備の確認、点検に移行した。私は倉庫の担当となったので急行すると何故か時化などなかったかのように積み込まれたままの状態である発掘品の中で銀の玉だけが箱からも梱包からも外れ剥き出しの状態で落下していた。他の品に被害が出ていないという驚異に驚きと安堵を感じながらも玉に触れた瞬間、私の意識は暗黒に覆われた。


次に私が起きたのは割り当てられた自室のベッドの上であり、未だ頭痛がしていた。側には船員の一人がついていてくれており、その船員の話によるとどうやら倉庫で倒れている私を発見してくれたのはオリバーらしい。あらかたの点検が終わった時、オリバーが私のいない事に気づき一人倉庫に向かい倒れていた私を発見したそうだ。私が目を覚ます直ぐ前にオリバーは出て行ってしまったらしいので、次に会う時には礼を言っておきたい。彼がもうあと少し遅くに私を発見していたならば、私の頭の痛みはもっと増していたであろうから。落下していた銀の玉の事を聞いてみるとオリバーからは報告を受けていないそうだ。何故だろうか。彼は優秀な研究員であり落下した事で何らかの、例えば破損といった不具合が発生しているかもしれないという可能性に気がつかなかったという事はまず無いだろう。ひとまずこれは礼を言う時に聞いてみる事としておいて、私は睡魔に抗わず意識を再び暗闇の中へと落とした。


そんな命がけの航海を終え無事に本国に帰り着いた私達を待っていたのは調査と研究に忙殺される日々だった。もちろん対象は例の遺跡からの発掘品、銀の玉に書類等である。私たちは総勢三十人程のチームでこの研究に挑む事となった。当然この中にはオリバーともう一人の親友、パトリックが含まれている。パトリックは私と同じ考古学者であるが、その成績はあまり良いとは言えずこの研究で大きな成果を上げなければこれ以上続けるのは困難であるとー外見ばかりでなく性格も豪放にして磊落、野蛮さの中にも理知的な光を滲ませた人物であるー教授に指摘されたばかりであったため私達三人の中で彼は特に新たな発見をしようと焦っていた。私達はそんな彼の為に、ひいては自分の成功の為に一ヶ月に一度の頻度で予定が合う日に意見交換会を三人の間で行うことにした。


さて、研究が始まってから一週間が経ち、ある程度の情報もわかってきたところで初回の意見交換会を実施する事とした。とはいったものの初回なので大した考察があるわけでもない。驚くべき事に銀の玉は発掘に持っていった機材では傷一つつける事ができなかった事は前述の通りだが、大学のどんな機材を使ったとしても傷がつくという事は一切無かった。この銀の玉については祭壇の上に安置されていた事から神の象徴のようなものではないかという意見も出たが、最終的な結論としては美術品というところに落ち着いた。ただ、現代で最高の技術を使っても傷一つつかない金属をどのようにして加工したのか、いや、それ以前にこの金属は一体何なのかといった疑問が巻き起こされた。他には表面の金属が私達の知るところにない金属であること、表面の言語がこれまで地球上に存在したどの言語とも一致しないこと。新たに判明した事はこの三つである。大学に有る施設で表面に歯が立たなかったことにより、銀の玉は現在確認されている最高硬度を持つということが判明した。これまでの文明の中で現代を上回るものが発見されたという事に一同心底驚嘆した。この情報を三人の間で共有し他愛も無い話、銀の玉の正体や失われた文明などについての話をした後解散することとなった。

次の月は研究員全員が総力を挙げて解明に取り掛かった。しかし、芳しい結果は得られなかった。交換会では謎の言語の解明も他の例が無いこと、図や絵等のものが無いことから不可能では無いかとの意見が浮かび上がったと聞いた。


さらに一月が過ぎ、諦観が蔓延ってきたのか一部の研究員は虚ろな目をして積極的には動こうとしないようになった。オリバーもその一人だった。しかしながら私が質問すると研究の熱意の火は消えてはいない様であった。


次の日の夜、私は奇妙な光景を目にすることとなった。研究員の一人がもう一人に話しかけているのだが、嫌に二人の顔の距離が近いのだ。さらに話しかけている方の船員の顔は恍惚としていてなにか酔っているようでもあり、反対に話しかけられている研究員は顔面蒼白で目の焦点もあっておらずまさに息も絶え絶えといった有様であった。 様子が余りにも異常だったので思い声をかけようとしたが何故か体が動かない。そして話しかけられた研究員の意識がいよいよなくなろうとし、脱力し頭が落ちたと思った途端一気に正常の状態に戻ったのである。そうして二人は此方には気付かず何処かへ去って行った。翌日になってその二人の研究員に話しかけてみたのだが、そんなことはなかった、見間違いではないかの一点張りで話を聞きだすことはできなかった。当人がそのような態度なのでそのうち私も気の所為と思ってしまった。


そうした或る日のこと、私の部屋を親友のオリバーが訪ねて来た。オリバーの顔色は悪く焦燥が見られ、何かに怯えているようであった。その日オリバーが話した事は正常な神経では全く考えられない、異常な事であった。オリバーの話すところによると、私達が発掘した銀の玉は古代の神官がその身を犠牲に封印した怪物であり魔法陣の描いてある呪布の上から動かすと封印が解け、自身の分身体を創り出し人間の脳に寄生するという。私はそのオリバーの話を一笑に付した。きっと彼はこの終わりの見えない手探りの研究で根を詰め過ぎ精神が参ってしまっているのだろう。そう判断し彼に自室に戻ってゆっくりと休む事を提案した。オリバーはまだ何か言いたそうにしていたが急に硬直したかと思うと素直に自室へと戻っていった。


そこから二、三日経った頃、気分転換に外を歩いていると偶然オリバーに出会った。オリバーは人目を偲ぶ様で何か歓びに溢れている様でもあった。オリバーはこちらには気が付かない様子でせかせかと早足で歩いて行った。私の心には何を歓び急いでいるのか、付いて行って見るとともに驚かせてやろうといった悪戯心が芽生えた。或いはそれはオリバーの奇行を心配する心からだったのかもしれない。兎に角私は後をつけた。

着いた先は不思議な事に大学のごみ捨て場だった。そこで彼がやったことは簡潔で、それは ごみを捨てたのであった。何故にごみを捨てただけでそんなにも喜ぶのか。気になった私はオリバーが去った後にそのごみを開けてみた。中にはピンク色の皺々として水気をたっぷりと含んだものが入っておりまるで脳みその様で怖くなった私は自室に帰り寝てしまった。


次の日私が研究室に行くと銀の玉の研究が進んでいないため装備を優秀にして二度目の発掘に行く事が発表された。私は突然の事に驚きながらも荷物を纏めた。何故か銀の玉も持っていくことが発表され疑問に思ったが周囲の雰囲気に流されそのままにしてしまった。


三日後、私は船の上にいた。帰って来る時は大時化であったが海は落ち着いたもので何の障害もなく発掘現場についた。前に発見した空間に続く壁を壊すとそこには金銀宝石の山であった。私はそれに見惚れ暫しの間立ち尽くしていたが、他のメンバーは気にも留めず運び出して行った。結局その部屋から見つかったのは金銀宝石の類と不思議な塊と追加の古文書だった。私達はそれを船に積み込み帰還に移った。


出発してから数日が経ったある夜、私は周囲の喧騒に当てられて目が覚めた。船員の説明によるとこの船は現在制御がきかなくなっており、海流に流されている状態であるそうだ。私は驚き慌て飛び起き、航海士の下へ急いだ。嘘であれと願いながら。航海士は私に告げた。今現在この船は原因不明の事故により流されている、と。情報は本物であった。


それからの数日、船内には鬱々とした雰囲気が漂っていた。奇跡でも起こらない限りはもう二度と友人達に会えない、そんな思いが我々の胸中に渦巻き皆諦念に支配されていた。ノイローゼにかかる者も出ていた。その間私が何をしていたのかといえば、ひたすら自室にこもっているばかりであった。もう祖国の地を踏むことが出来ない、家族にも会えないと思うと途端に自室の静寂が耳を痛くした。我々の思いとは裏腹に波一つなく穏やかなこの海に飛び込み、全てを委ねてしまいたいと思うことも一度ならずあったが何時も土壇場で腰が抜けてしまい、未だ実行には至っていなかった。


私は不安になり親友のオリバーとパトリックを自室に呼んだ。しかしオリバーは来ず、パトリックだけが異様な雰囲気を漂わせてやって来た。パトリックは開口一番私に言った。


「君は誰かに仕える歓びというものを知っているかい?あれは素晴らしいものだ。自分があの御方の役に立っているという満足感、服従させていただいているという幸福感。服従させていただいているからには自分が他の凡愚共とは違うという事を証明しなければならない。戦いだ。この世の有らゆる機械という機械を殲滅しろ!闘いだ。我々の有能さを御方に示せ!人類は区別されるんだ。あの御方の手足となる我々とそうで無い食糧の豚共にね。君も一緒に来ないかい?」


私は手を差し伸べてくる彼の姿が酷く恐ろしく思え力の入りきらない足で精一杯後退った。


「そうか、それが君の答えか。結局は君も殻を破れないままなのだね。残念だよ」


そのまま私の方に近づいてくると思われた彼だがしかし、不意に後ろを振り返ると部屋から出て行った。


翌日になりパトリックに昨日の事を聞き、昨日のあれは一体何のことだと尋ねた。すると驚く事に昨日はずっと自室にこもっていた、君とは話していない、と返されたのである。ここに来て私はようやく研究員や私の親友達の記憶障害を不思議に思い調査し始めた。とは言ってもそれはパトリックを問い詰めるというだけの事であったのだが。するとパトリックは人が変わった様に荒々しく怒鳴り私を突き飛ばした。温厚な男だったのでその行為に驚き、またカッとなってしまいそのまま揉み合いになった。 パトリックは元来運動があまり得意ではなかったはずなのだが予想よりも力が強く、私は突き飛ばされてしまった。パトリックは冷酷な瞳で終始喋らずこちらを眺めていた。かと思うと、うわ言の様に何か訳のわからない言葉を呟いたりもした。パトリックが発作を起こした様に急に笑いながら私の部屋から出て行くと、私は呆然として座り込んだ。ああ、可哀想なパトリック!彼は今後ともあの様な精神状態なのだろうか。私は彼の治療に親友としてできる限りの協力をしてやらねば、と考えた。ひとまず先に散らかった部屋の掃除をしなければならない。そうして部屋を片付けているとベッドの下から見慣れぬ紙片が出てきた。なにやらそこに書いてある文字はメモ書き程度の物のようで読み解くことに暫しの時間とちょっとした苦労が必要だったが、パトリックの文字の癖を知っていたので辛うじて読めた。それは何故だか私には翻訳表であると解った。


記憶障害や奇行の正体の鍵がこの紙片にあると信じ、私は発掘した古文書を自室に持ち込み鍵を掛けて解読を試みた。何故だか船内は静まり返っており、不気味に誰の姿も目にする事はなかった。しかしながら急いていた私は疑問に思いはしたものの深くは考えずに自室へと籠った。


解読は意外にも早く終わった。そこに書かれていた事実はー何が書いてあったかはこれを読んでいる諸君はもうお分かりだとは思うがー私を震撼させるには十分すぎるほどだった。



存外に時間を取られてしまった。満月が昇りきるまでにもういくばくかの時間しか残されていないであろう。しかし私にはその時間だけで十分だ。幸いにもこの船には岩盤爆破用の爆薬が積み込まれている。それに火をつけ、この船を沈ませることなどほんの一瞬、マッチ一本さえあれば事足りる。それよりも今は諸君らにこれを伝えなければならないと感じた。その時、人の足音が聞こえ始めたかと思うとぐちゃぐちゃと水気のある粘土をこね合わせるような音が緊張により私のピンと張った糸の様に張り詰めた神経に届いた。まさか、いや、そんな!満月が昇りきるにはまだ時間がーーーーーー。鍵をかけたドアからは外側からなにか巨質量を叩きつける音がしている。私は縋る様に暗闇に包まれた空を見上げた。天頂からは無慈悲で何も語らぬ夜の女王が此方を見つめていた。

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