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芋虫日記  作者: 小林晴幸
18/25

6月10日のこと

 今日、「パセリ」さんが微かに動きました。

 原因は小林です。


 これで「パセリ」が成虫(おとな)になれなかったら、真剣に私のせいかもしれない。

 いま、そんな風に考えて頭を抱えています。


 朝の事、出勤間際。

 父に尋ねられたことは、芋虫が蛹になって今日で何日目か?ということで。

 「パセリ」さんが蛹になったのは月曜日、「セリ」さんは火曜日だったと思います。

 そして今日で金曜日。

 三日から四日、と答える私。

 父はパソコンに向かい、キアゲハについて記述されたページを見ていた。

 割と頻繁に遠出する父は、来週末にも出かける予定で。

 もしかしたら芋虫たちの羽化は見られないかもしれないと残念顔。

 どうやら父も羽化を見たいらしい。私もだ。


 そしてキアゲハをインターネットで調べながら、父は言った。


 羽化するには足場が必要らしい。

 蛹ポケットというものも必要では?と。


 私も父の背中越しに画面を覗く。

 一応、以前調べた時にうっすらそんな記述を小林も見ている。

 小林がキアゲハさんの参考にした育成記録には、本来の位置から落下してしまった蛹の応急処置的な位置づけとして蛹ポケットが登場していたのだが……

 やはり、「パセリ」さんの状態にも適用して然るべき、らしい。


 だけどやはり幼少期、昆虫を惨殺しまくった記憶があるもので。

 虫さんに直接触る=抹殺のような印象が自分の手に染みついていた。

 もしも小林の手が血に染まっているのなら、それはきっと昆虫の緑色の血だ。

 女の子にあるまじきことだが、二人の兄と近所のガキ大将の影響なのか……小林は子供の頃、少年達に混じって昆虫遊びも割と頻繁に行う女の子だったので。

 そんな幼少期の記憶があるものだから、直接触ると致命的な何かが起こりそうで怖い。

 傷つけたら、壊しちゃったらどうしよう。

 そんな逡巡があったが…………まあ、状況的に見て、そんな個人的な心理状態はただの言い訳に過ぎない。

 不安定極まりないぶらぶら状態の「パセリ」さんを思うのなら、やはりそこは個人的忌避感なんぞ蹴倒して安定化を図る方が余程建設的だ。

 だけど直接触るのは、やはり怖い。

 臆病風に吹かれて、二の足を踏んで。

 そして父に作った方が良いんじゃ?と言われて。

 これはもう腹をくくるしかないな、ということで。

 急遽作り方を調べて作成に取り掛かったのが今夜21時の事。

 コピー用紙と割り箸とボンド。

 それとセロハンテープが我が家のどこにもないので、代わりにマスキングテープを用意して。

 …………材料の一つにマスキングテープを入れると、途端に見た目がファンシーになった。


 そして、工作の時間と相成ったわけだけど。


 虫かごの上部を外して傾けると、二匹の蛹が仲良くこんばんは。

 初めて背中側を見たが……わあ、きみどり。

 蛹は大体保護色になるらしい、とうろ覚えの知識が囁く。

 小林の虫かごは、下部が透明プラスチックのバケツ。

 上部がカゴ状態の黄色が強い黄緑プラスチック。

 その保護色なら、確かにこの色合いは正しいんだろうなと思う。

 妙に感心しながら、躊躇しつつも手を伸ばす。

 ああ、どうして。

 どうしてこの時、私は一人で制作に入ったんだろう?

 せめて父にでも手伝ってもらえば良かった。

 虫かご|(上部)を誰かの手で固定してもらうだけでも、きっと随分違った。

 だけど一人でやったものだから、片手に虫かご|(上部)を掴んだ状態で。

 そしてもう片方の手で鋏を握る。

 しかしいきなり切り離しては、「パセリ」さんが落下してしまう!

 それではいけない。


 先に作っておいた、試作蛹ポケット。

 実際に蛹に合わせて、その深さを調節する。

 余分なところを、鋏でちょきんと切り離して。

 ……で、蛹のサイズに合わせる段階で蛹を虫かごから分離させようと思ったわけだが。

 現状、「パセリ」さんは二本の糸だけで虫かごと繋がっている。

 だから、糸を切り離さなければならない。

 試作ポケットに「パセリ」さんのお尻をそっと入れて、手で支え。

 もう片方の手で鋏を手繰った。

 だけど、私が握った鋏はきっとナマクラ過ぎた。

 普段はそんなこと感じなかったけど、きっとナマクラだったんだ。


 蛹の糸が、なかなか切れねぇ。

 

 かしかしかしかし……

 鋏を動かすけれど、全然切れない。

 不安定だ、不安定だ、ぶらぶらだと毎日不安を訴えていたが、どうやら蛹を支える糸は小林の思うよりもずっと強靭なつくりをしていたらしい。

 そういえば世界で一番強靭な糸は蜘蛛の糸だって聞いたことがあるような……

 蜘蛛では、ないけれど。

 芋虫の糸もそれなりに中々頑丈らしい。

 業を煮やしそうになりながら、鋏を動かしかしかしかしかし……


 途中。

 糸に引きずられて。

 「パセリ」の蛹が虫かご|(上部)の壁面をこすった。


 ひぃ。

 小林の内心が悲鳴で埋め尽くされた。

 

 しかも中途半端に固定された蛹が、虫かご|(上部)の壁に沿って一回転した。

 小林の内なる悲鳴が五割増しで音量を上げた。

 

 それでも何とか、かんとか。

 どうにかこうにか、「パセリ」の糸の切り離しに成功。

 この時点で、小林の気力はごっそりと削り取られていた。

 

 だけど、一度分離させてしまったからには……もう後戻りはできない。

 このまま放置したら、それこそ「パセリ」が死んでしまう!

 そっと「パセリ」を、重ねたティッシュの上に置いた……ところで、気付いた。

 あ。「パセリ」さんの尻んとこ、脱いだ皮がつきっぱなしじゃん。


 いままでずっと、くっついていた。

 「パセリ」さんの芋虫時代の名残。

 

 これをくっつけたままだと、蛹ポケットに入れても安定しないことに気付く。

 だって一番尖ってるところが、ごろついている。

 これは取っ払うべきだろう、と。

 「パセリ」さんをティッシュで押さえ、割りばしの先端で皮を引き剥がそうとするが。

 思ったよりも、頑固なくっつき具合。

 これは固まってしまったのか、癒着したのか……。

 私の無駄に逞しい想像力が、囁いた。


 皮を剥がした瞬間、蛹の皮もべりっといったらどうするよ?


 とりあえず、皮を分離させるのに三分か四分くらいかかったような気がする(体感時間)。

 分離させた皮は、幼虫時代の形の名残を残していた。

 特に頭部。

 頭の残骸と思わしきところは、白っぽく半透明で。

 虫の頭の生々しい形を、一部保っていた。


 ちなみに皮を引っぺがす段階で、皮と一緒に蛹の方もついうっかり何度かつついてしまった気がする。

 「パセリ(内部)」は無事か。


 なんとか「パセリ」の邪魔な部分を、除去して。

 実際に蛹ポケット1号に突っ込んでみて、具合を確かめたい。

 たとえ蛹でも、人間が力加減を間違えたらぐしゃっと逝ってしまう。

 ふわっとティッシュを被せて、蛹本体を直接……ではなくティッシュの方を掴む感覚で蛹を持ち上げた。

 ちなみに恐る恐るだったせいか、実際に何グラムくらいの重さだったのかは覚えていない。


 ちょっと蛹ポケットを浅くし過ぎたような気も、しなくはないが。

 とりあえず固定は出来そうだ。

 これが終われば、「パセリ」さんの不安定も解消される。

 なんとなくゴールが見えた気がして、早速古い割り箸にポケットを固定だ。

 元々は小さな植木鉢の土をほぐす為に使っていた箸なので、後腐れもない。

 ダイニングの引き出しから引っ張り出した、木工ボンド(水溶性)。

 これで固定しよう……と、思ったが。

 出てきたボンドが、予想以上に水っぽかった。

 ……大丈夫か、これ?

 蛹ポケットを固定させた後で、更に不安が募る。

 なのでマスキングテープ(ピンクとオレンジの楕円形水玉模様)で補強した。

 さあ、これで完成だ☆と。

 空元気を出して、「パセリ」さんにお入りいただく。

 そうして、彼を割り箸ごと虫かごの中、少々斜めに立てかけたのだけれど。


 やった後で、思う。


 焦っていたせいか……ボンドを付けた後、寝かせる時間を忘れていた、と。

 せっかちすぎるだろう、小林。

 割と水っぽかったボンド液を思い出し、気分的に顔が引き攣る。

 ……蛹ポケットに、液が染み出して。

 更には蛹にボンドが付着し、そっちの意味でも固定してしまう事態になりはしないかと。


 それだけでなく、ここまでの過程で繊細に扱うべき蛹さんを若干乱暴に扱ってしまった気がする。

 具体的に言うと、皮を剥がすために皮の部分を小突き回す過程だとか。

 それ以外にも試しにポケットに入れたり出したりした後、テーブルの上に安置する時に配慮が足りなかった気がしたり、だとか。

 ちょっと、置くときに落とし気味になっちゃいなかったか、とか。

 色々と足りなく、至らない。

 やばいな、と。

 ものすごくまずいことをしでかした気になってくる。

 やった後で不安になって、だけど既に済んだことと無理やり目を逸らす。

 小林の悪い癖かもしれない。


 だけど、小林の不安を煽る。

 「パセリ」さんが、物凄く煽ってくる。

 最終的に、蛹ポケットに収めた、後。


 「パセリ」さんが動いた。


 きっと気のせいじゃない。

 わずかに、だったけれど……「パセリ」さんが動いたんだ。

 小さく細かく、身じろぐようにぴくぴくと。


 ずっと沈黙を保っていた「パセリ」。

 そんな彼の、進化を遂げる為に集中しているだろう時期に。

 つい沈黙を破って動かずにはいられないだけの、ショックを与えてしまったのだろうか……と。


 自省しても、済んだことはどうにもならない。変えられない。

 既に「パセリ」さんはカゴの中、ポケットの中。

 もしも「パセリ」さんが成虫になれなかったり、奇形になってしまったりしたら……

 それは小林の責任かもしれない。

 とりあえず飛べない体で成虫になってしまったら、死ぬまで養うべきだろうか。


 本当は「セリ」さんも蛹ポケットを用意するべきかな、と思ったのだけど。

 「パセリ」さんに用立てた時点で、なんだか気力が尽きてしまった。

 「パセリ」と違って、「セリ」の姿勢は安定している。

 虫かご|(上部)を傾けた時、重力の効果で少したわんだくらい。

 安定しているという意味では、今のまま放置していても良い気がしてくる。

 とりあえず、様子見で。

 今は怖いので、しばらくそっとするつもりで。

 私は「パセリ」たちの虫かごを以前の定位置……食卓の上に戻し、少し放置して様子を見ることにした。



 ……とりあえず、明日。

 一回は「パセリ」さんが蛹ポケットにボンド効果で接着されていないか確認してみるべきだと感じている。

 どうかどうか、大丈夫でありますように……!



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