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放課後。
私は乃愛ちゃんに女子更衣室の裏に呼ばれた。
一応部活はあるのだが、一応顧問か部長に「遅れます」と伝えれば怒られないのは、もう三年間バレー部のマネージャーをしてきたから分かる。
慣れと言うもんだ。
「瑞季ちゃん…」
寂しげな瞳がゆらゆらと揺れる。
ピンク色に染められたリップをした唇はぷるぷるとしている。
やめて、そんな掠れた声で私を呼ばないで。
「瑞季ちゃんは時雨くんが好きなの?」
「あれが事故だったのなら別にいいの。私瑞季ちゃんのこと信じてる、親友だもん」
「お願い、答えて。ねぇ」
やめて、そんな瞳で見ないでよ。死にたくなる。
私がゆっくりと首を縦に振れば乃愛ちゃんの顔には輝きが戻って少しだけ頬に赤みが増した。ふんわりとウェーブした栗色の髪の毛が揺れる。
私よりも小さな背丈に愛しさを感じる。
「乃愛ちゃん。私は港山くんのこと好きじゃないよ。でもね、アイツは乃愛ちゃんのこと騙してるの。だから別れて?ね、乃愛ちゃん」
「何でそんなこと言うの……瑞季ちゃん、なんで」
「本当なの!ね?お願い信じて」
「時雨くんは私を騙したりしないよ!!なんでそんなこと言うの!?ヒドイよ。瑞季ちゃんなんて、もう知らない…!!!!」
ぱちん。
久しぶりに聞いた乾いた音と共に乃愛ちゃんは苦痛そうに顔を歪めた
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「みてー、河相さんだぁ」
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次の日に教室に入って感じた冷めた視線。
それは、女子からのもので運動部の女子たちばかりだった。私はすぐに意図を察した。女子更衣室の裏だったから、きっと昨日の会話が聞こえていたのだろう。
あの壁は皮肉なことに薄いから、外部の声まで聞こえてくる。
「乃愛ちゃん平気?」
「う、うん…」
たくさんの女子たちが乃愛ちゃんのことを囲んでいる。
いつもはない光景に頭痛がした。
男子は男子で「何かあったのか?」等と理解が早いのか、騒がずにひそひそ話合っていた。なんか昔も合ったようななかったような。
不思議な気持ち。何でだろう、思い出したくない。
取り敢えずその視線を無視して自分の席に座れば前の席にいる男子がこっちを振り向いてヒソヒソと事情を聞いてきた。
私は隠すこともせずにその事を全部赤裸々に語ればウンウン頷いた。
「港山はイイヤツなんだけど女癖わりぃっつーか…女絡みだとアイツの性格最悪になるからな。まぁ河相は悪かねぇよ。そのことは他のやつらにも伝えとくな」
「ありがとう」
彼は人懐っこそうな笑顔でそう言った。
それと同時に年期の入ったスピーカーから馴染んだメロディーが流れた。
今日は何も変わりませんように。
「ねぇ、河相さん。ちょっと来てくんない?」
そんな決まり文句のような言葉で私は乃愛ちゃんと港山時雨がキスをしていたあの資料室に呼び出されていた。中に入れば埃っぽくてカーテンで光はシャットアウトされている。
暗くて全然見えない。
「河相さん、人の彼氏に手ぇつける人なの?」
「いくらなんでもヒドイね。うちら川崎さんのこと好きじゃないけどこれは同情しちゃうし」
「何か事情でもおありで?」
好きじゃないのに何で乃愛ちゃんの肩もつのよ、なんて部外者たちを睨み付けて内心では毒を吐く。声の数的に王道三人。
あぁ、なんなの。
「無視してんの?」
ねぇ、なんて苛立った声が聞こえて私のことを押した。
パイプ椅子かテーブルに当たったのか私はぶつかり、物がガタガタ音を立てて資料がバサバサと音を立てて落ちていくのが耳に入った。
柔らかい視線とは裏腹に冷たい眼光が突き刺さる。
「なんか喋んなよ」
「へぇ。じゃあ君たちがなにしてんのか喋んなよ」
「瀬良、さん…!?」
ドアに寄りかかってこちらをニッコリ笑顔で見ているが、その笑顔に爽やかさとか明るさとか、今の今まで知っている瀬良じゃなかった。
ぶわっと恐怖の波が押し寄せてくるのを感じた。
その後女の子ちはパタパタとその場を立ち去っていき、その場には瀬良と私だけしかいなかった。しーんとした異様な空間にゾクリとした。
瀬良は頭をがしがしさせてから「河相ちゃん」と心なしか低い声で私を呼んだ。
「な、なに?」
「馬鹿」
「はぁ?」
「河相ちゃんは馬鹿だよ。ばかばかばか。馬鹿」
「な、なんなの!?」
「何で俺を頼ってくれないの!?」
瀬良の心の叫びが聞こえたかのように私の鼓膜でその言葉はエコーした。
葯見みたいなこと言って、瀬良は私のことをぎゅっと抱き締めた。強すぎて痛くて苦しくなるくらいぎゅっと。宝物をつかんだかのように。
瞼の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
きっとバレー部の人たちは、こうやってずっと私を色んなところで助けてくれるのだろう。
そう思うと何故か幸せだと感じた。
「そうだぞ馬鹿」
「え?なになに、瀬良告白?」
「てかなにそこでボサっとしてんだよ」
気づけばドア付近には巌愛、花宮、松木がいる。
やめてよ、レギュラー三年生全員集合とかスゴい笑えるから。
「お前は俺らの仲間だって、一年の頃お前がいったんだろーが」
「ほんとなにしてんだか」
「大田が心配してたぞ」
そうだった、私の前の席の優しい彼は同じバレー部の彼だ。
そうだよ。
試合に出てなくてもレギュラーじゃなくても、大田くんを始めとしたバレー部たちはいつも私たちのことを支えてくれていた。
思い出した、すっかり私はアニメのキャラクターに染まり混んでたけど、思い出した。
アニメで出てなくても、隅っこやちょっとしか出てなくても、皆仲間なんだ。
その仲間のなかに、部外者な私が入っちゃいけないんだ。
乃愛ちゃんはバスケの物語に出てくる女の子、ヒロインだから乃愛ちゃんの幸せを部外者が壊しちゃいけないんだ。
「ほら、河相ちゃん。いこ?」
「岩滑たちが心配してだぞ。『河相先輩大丈夫なんですか!?』なんて。お前がめちゃくちゃ可愛がってた後輩マネージャーの早乙女なんてネガティブ発言しか言ってないぞ」
「松さんや、河相のお嬢さんをどうやって連れてきますか?」
「花さん。それはやはり、担いだ方が」
他にも色んな部員たちが私のことを心配してくれてる。
あぁ、何でこんなにも優しいのだろうか。
「かぁああああわぁああいいいせぇえええんぱぁああああい!!!!」
「さおっち落ち着いて!?ねっ!?」
「瀬良先輩はちょっと退いてください!!!!河相先輩!大丈夫ですか!?部活時間になっても来なくて、大田先輩が教えてくれて…ほんと心配しましたぁ……」
可愛い幼さの残る顔をぐしゃぐしゃにさせて、涙を大きな瞳からポロポロと溢す早乙女ちゃん。確か、早乙女茉奈ちゃん。
茉奈ちゃんは瀬良を押し退けて私をぎゅーっと強く抱き締める。
小さな手のひらからは思えないような強い力で抱き締める。あったかい手のひらが私の背中に回されて、茉奈ちゃんは私の胸に顔を埋めた。
優しくその頭を撫でれば、ふつり。
私の涙腺が崩壊して涙が溢れた。
「どーする巌ちゃん。大切なマネージャー泣かされちゃ…ね?」
「取り敢えず港山のとこいくか」
「巌愛はレベル30上がった」
「巌愛は怒った」
「花宮に松木!お前らやめろ!」
面白そうに笑い焦げる二人に指差して大爆笑する瀬良。
巌愛は額に青筋を立てて怒っていたが私と茉奈ちゃんの元にやってきて、私の目尻から溢れる涙を指で救い取ると優しく私たちを撫でた。
あの帰り道のときみたいにあったかくて優しい手のひら。
「お前のことは守るから、安心しろ。俺らバレー部はお前の仲間なんだかんな」
照れ臭そうに言う巌愛。
「ぞ、うでずよ…河相先輩のことは私が守ります……先輩は最後の部活楽しんでくださいよ。先輩のばぁあかぁあああ」
私は幸せ者だ。
そうだ、私、死んだんだよ。
生きるのが疲れて嫌になって、悲しくなって辛くなって、泣いて、泣いて、死にたくなった。だから私は怖くないように、「大丈夫」なんておまじないのように唱えながら睡眠薬をいっぱい飲んだ。
飲めるだけたくさん。いっぱい飲んだんだ。
そしたらやっぱり目の前が暗くなって起きたら瀬良に手を引かれてて。
ワケわかんないけどこの世界で生活していく内に大切なものに気づかされて、今私はまた生きたいと思った。
「茉奈ちゃん。私頑張るね」
「…っ、はいっ!」
こんなにも優しい人たちに囲まれて、私分かった。
茉奈ちゃんと共にゆっくりと立ち上がって涙を拭って笑顔になって、私はスカートに着いた埃を払った。視界は未だにぐちゃぐちゃで視界良好とは言えない。
気分だってまだ最悪。
だけどなんか今すごい嬉しいのは私を認めてくれる人がいるからなのかな。
「港山ぶん殴りにいくぞー!」
大声で叫んでから私は資料室を飛び出して男子バスケ部に向かった。
途中先生からの大声での注意も聞こえたりしたが無視して私は階段をジャンプして降りて、靴も代えずに離れの体育館に突っ走る。
がらがらと大袈裟に開き具合最悪の扉を開けば驚くバスケ部員たちに乃愛ちゃん。
覚悟しとけ港山。
「どうしたんだよ河相」
「瑞季…ちゃ」
ざわつくバスケ部たちに向かって一言、言いはなって私は笑った。
後から巌愛や瀬良、松木たちが来るのが分かる。茉奈ちゃんが心配そうな顔して後ろにいるのもなんとなく分かる。優しい女の子だから、何かあるといつも涙目になって心配してくれる。
瀬良たちは笑ってて、巌愛は苦笑してるんだか呆れてるんだかどっちか。
今まで誰もいなかった後ろに誰かいるってだけでスゴい幸せだ。
この幸せをずっと噛み締めていたい。
「……っ、ゴメンね!!!!瑞季ちゃん!私、あんなにひどいことしちゃって!」
「ううん。いいの!乃愛ちゃんが幸せになってくれればそれで」
ゆるりと巻かれた髪の毛が揺れて、綺麗な結晶がほろりと瞳から落ちた。
乃愛ちゃんはどんな姿だって綺麗だ。不謹慎っていうかデリカシーないっていうか、そんなんだけど、言っちゃえば本当に綺麗。泣いてても怒ってても笑ってても、乃愛ちゃんは綺麗だ。
ずっとそのままでいてね。
乃愛ちゃんの涙が私の心にぽつり、落ちて染み込んで泣きそうになった。
視界はぼやけて、足がおぼろになって。
なんとなく、みんに叫んでみたくなって。
「だいすきだよ」