閑話1 あの頃のジルは
閑話です。時系列的には一章の始まりよりも前の出来事になります。
本編の続きではありませんが、良ければお楽しみください。
これはシンがマンイーター討伐を行う1年近く前の話だ。
ジルは定宿にしている火の鳥の止まり木の部屋で、一人でにやにやとしながら、嬉しそうに笑みを浮かべている。
「うししし、本当に長かったのです。でも、待ちに待ったこの日がついにやってきたのです」
そう口にするジルの目の前にあるのは5枚の大銅貨。
肉体労働者のおよそ5食分のお金を前に、ジルの頬は緩みっぱなしだ。
それもそのはず。昨日、ジルはシンから初めてお小遣いを手渡されたのだ。
これまでにもジルは買い食いするために何度かシンの財布から小銭をちょろまかしたこともあったが、正式にシンから小遣いを渡されたのはこれが初めてのことだった。
最近、ようやくシンの稼ぎが多くなってきたこともあってか、長期に渡るジルの交渉という名の駄々こねが功を奏した形となった。
ジルに言わせれば、これは正当な報酬。
ジルの本来の役目は、シンから功徳ポイントを徴収することと、シンが望めばシンの功徳ポイントの持ち分を天界にいるジル本体に捧げ、シンが実力以上の力を発揮できるようにすること。
この二つがジルの役割だ。
だというのに、シンときたら、人遣いならぬ、ジル遣いが荒いのだ。
ジルに言わせれば、シンがジルに森の中を偵察させたり、平原にいる魔物の場所を探させたり、シンの手が届かない便所の掃除などを手伝わせたりするのは役目の範囲外。
それを健気で心優しい美少女であるジルが仕方なく手伝ってあげていると言うのに、それでもシンはこれまでジルにお小遣いすらくれないけちん坊の甲斐性なしなのだ。
もっともシンに言わせれば、ジルの食費はシン以上にかかるため、人遣いが荒いも糞もない。
働かざる者食うべからず。それを脅しにシンはジルのことを何とか操縦していた。
何はともあれ、ジルにとっては黄金に輝いて見える、この5枚の大銅貨はジルがどう使おうとシンに叱られる謂れのないジル自身の財産だ。
真面目に偵察したり、魔物を探せば、今後もシンは時々ジルにお小遣いをくれると約束させたのだから、ジルとしてはこのお金は後生大事に取っておく必要性はない。
そんなジルを祝福するかのように今日はジルにとっては休日だ。
シンは訓練場で剣の練習をしてくると言って、朝から部屋を出て行った。
魔物討伐に行くでも冒険者ギルドの依頼をするわけでもないこんな日に、シンが剣を振るっているのをずっと見ているのも退屈なだけ。
だから、ジルが勝手に休日だと主張しているだけだが、そんなことジルにとっては些細なことだ。
シンも退屈を持てあましたジルに鍛錬の邪魔をされるくらいならばと、そのことについて特に問題視していない。
「鬼ならぬ、シンさんのいない間にいっぱい遊ぶのですよ」
ジルはそう言って、開いていた窓から外へと飛び出した。
ジルは鼻歌交じりに空を飛ぶ。
「相変わらず大きな街なのです」
ジルは高い位置からボルディアナを見下ろしながら、そう口にする。
ボルディアナは大きな街だ。
当初は冒険者などが魔生の森を開拓していく拠点として作られた街であり、冒険者とその冒険者を相手にする商人が街の住人の大半を占めていた街だった。
もっとも今のボルディアナの街は単なる冒険者の街ではない。
約3㎞四方をぐるりと小高い石造りの城壁で囲み、魔物が街の中に侵入するのは防いでいることと、1000人を軽く超える冒険者。
街ができ始めた当時から、この街は冒険者達の多くが粗暴であることさえ目を瞑れば、魔物に害される恐れがきわめて低い街だった。
冒険者にならずとも、魔物の被害を恐れる者たちも集まり、子をなした。
その子どもが大人になれば、また恋をして、子どもを作る。
そして、どんどん大きくなったのがこのボルディアナ。
今ではシルトバニア辺境伯領の中でも五指に入る城塞都市に発展した。
街が大きくなれば、当然棲み分けが起こる。
下流層と中流層、そして上流層の三者による棲み分けだ。
街の北部は上流層、冒険者相手に富を為した商人や職人ギルドや冒険者ギルドなどの組織幹部たちが住む地域だが、ジルにとっては特に面白い場所ではない。
閑静な石造りの家々が立ち並び、高級品を販売するお洒落なお店も多いが、そんなところに興味はないのだ。
ジルが遊びに行こうと考えているのは城門を入って、すぐ東にある歓楽街。
主に冒険者を相手にする娼館も多数存在している地域だ。
今は営業時間ではないが、一仕事を終えたばかりの娼婦が同僚の女性と話している内容は大人の女性を夢見るジルにとっては面白いし、ついつい一緒に寝た女性に対しては男性も口が軽くなるのか様々な情報が入ってくるため、ジルのお気に入りのスポットだった。
「ほう、ほう、ふむ、ふむ」
ジルは娼婦たちが集まり、昨夜の自分の客についての評価などを語っている茶会の中に侵入して、聞き耳を立てる。
今日の話題は男のこだわりなど、この娼婦達や世の女性にとっては、いかに大したことではないという内容のもの。
なかなかに深い話だ。
ジルは感心しきりに頷いている。
さらに今度は昨夜ある冒険者と一緒に寝たという女性が、その男の行動を面白おかしく説明し始めた。
なんだか聞いたようなことのある名前の冒険者だ。
以前、シンのことを馬鹿にしていたような記憶がある。
「これはメモ、メモ。そのうちシンさんにも教えてやるのです」
ジルがシンをからかうのはいいが、他の冒険者がシンのことを馬鹿にするのを目にするのはあまり面白いものではないのだ。
一時間ほど娼婦たちの話に耳を傾けていたジルだったが、娼婦たちが話を終えるつもりなのか、食器を片づけだしたため、そろそろここから離れることに決めた。
今日だけできっとジルの女性としての教養は跳ね上がったはずだとジルはお馬鹿なことを考えていた。
「さーて、じゃあ、お次はスラムの方に顔でも出すのです」
そう言って、ジルは歓楽街とは反対の方角にあるスラムの方向へとパタパタと飛んで行った。
スラムは、石造りの家が一般的なボルディアナの中で安い木材、廃材などを使用した掘っ立て小屋が多い地域だ。
もっとも治安の悪さを気にしてか、中流層だった人間が生活に困窮して、スラムに越すような場合、古いが頑丈な石造りの家を選んで越してくることが多い。
ジルがスラムの方にやってきた理由は、シンのためでもあり、自分のためでもある。
一般的に困窮しているスラムに住む人の方が困っている人が多くいるからだ。
シンが功徳ポイントを稼ぐうえで、そういった人の存在は重要だ。
スラムに住む助けを望んでいる人を見つけて、シンに報告をすれば、ジルはご褒美をもらえる可能性が高いし、徴収できる功徳ポイントも増えるだろう。
「でも困っている人だけじゃなく、困った人も多いのですよ」
貧しさで心が荒んだせいか、犯罪に身を染める者も多いスラムの住人をジルはそう評価した。
「あんな悪事を続けていたんじゃ、来世からはもっと酷いことになるのです」
「ここの人は病気を患っているのです。あっ、あっちの人は食べるものがもうないと嘆いているのです」
いくつかの家を回りながら、ジルはシンに報告をしたら、褒めてもらえそうな人の事情を把握していく。
「むう、せっかくの休日のはずなのに、まるでシンさんのために働いているようで面白くないのです」
何軒かの貧しい家庭を回ったところで、ジルはようやく自分の行動を仕事をしているようなものだと気付き、少し不機嫌になる。
こういう行動を取るようになったのはシンがジルの前にニンジンをぶら下げるからだが、まるで良いように扱われている気がする。
そんな風に思い始めた時、ジルの目の前を一人の若い女性が走り去り、そのすぐ後を欲情しきった中年の男性が追いかけていくのが確認できた。
「こんな白昼堂々、お盛んなことなのです。うーん、どうせならシンさんに教えて、少しでも功徳ポイントを稼がせて……いや、これからシンさんを呼びに行ってちゃ間に合わないだろうし、ここはジルが解決してみせるのです。それを後でシンさんに教えてあげたら、きっと稼ぎ損ねたって悔しがるはずなのです。日頃からジルのことを適当に扱うシンさんには良い薬なのです」
ジルはそう考え、急いで二人の後を追った。
ジルがその二人に追いついた時、若い女性は路地の行き止まりに追いつめられていた。
おそらく何らかの事情でスラムへと最近引っ越してきた女性なのだろうが、いくら今日は暑いとはいえ、こんな薄着で若い女性が人気のほとんどないところを歩いていれば、スラムでは自殺行為だ。
若い女性の尻を追いかけた中年男性をどんな手段でこらしめてやろうかとジルは思案するが、あまり思案している時間もない。
(どうせなら、ジルが華麗に助け出したことを自慢したかったのですが)
ジルは酒瓶が転がっているのを発見すると、それを持って、天高く舞い上がるとヒューッと落とす。
酒瓶は重力に従い、ジルの落とした真下を落ちていく。
ガシャーンと大きな音がスラムの路地で鳴り響いた。
「やった!ストライクなのです!ジルはやっぱり凄いのです」
ジルの落とした酒瓶は見事に女性の尊厳を踏みにじろうとした暴漢を直撃し、男は頭から血を流して倒れた。
若い女性にとっては、突如何もない空から酒瓶が落ちて、自分を襲おうとした男に直撃したのは神の助けだと思い、神に祈りを捧げると気絶している男から離れた。
「むう、助けたのはジルなのです。それなのに、いない神様に感謝するなんて面白くないのです」
せめて、シンが見ていたならジルのことを褒めてくれたかもしれないが、姿の見えないジルの相手をしてくれる者などここにはいない。
「もういいのです。孤独なジルを癒してくれるのは美味しい食べ物くらいなのです。あっ、傷心でやけ食いとかなんとなく大人の女性に一歩近づいた気がするのです」
ジルはそう気を取り直し、ボルディアナの中央にある屋台の立ち並ぶ市場へと飛び立った。
「今日のジルはお金持ちなのですよ」
ジルは中央市場を散策しながらめぼしい屋台や果物を売っている露店を回る。
姿の見えないジルの場合、屋台や果物を売っている露店で盗み食いをしても、シン以外の誰にもばれないのだが、今のところ、そういった行動は慎んでいる。
形は小さいが、そういった道徳心は忘れない立派な淑女なのだとジルはそんな自分に胸を張る。
シンの財布から小銭をちょろまかすことはあるが、それはカウントされていない。
あれはシンが所持しているものだが、ジルもシンの稼ぎに協力している以上、二人の共有財産と言っても過言ではないはずだとジルは思っている。
だから、セーフなのである。
「ほうほう、ここの屋台のタレはなかなかお上品なのです」
「ぺっぺ。ここの屋台はお肉を焼きすぎなのです。こんなことじゃあ、将来路頭に迷うのです。親父さん、もっと精進なのです」
「おっ、以前よりも腕を上げたのですね。このサクサクの食感、なかなかいいものなのです」
ジルは大銅貨で支払いをしながら、次々に屋台の食べ物を食い漁る。
「それにしても、今日は暑いのですね」
もうすぐ本格的に夏が到来することをジルは実感する。
屋台で火を使っている店主などは非常に暑そうにしていて、見ているだけで暑く感じる。
「少し喉が渇いてきたので何かみずみずしい果物をジルは所望するのです」
そう言って、ジルは果物を売っている露店の商品をじろじろと物色する。
そして見つけたのはある果物。
「あれは、以前食べたあの果物なのです」
ボルディアナを出て、東に広がる森。
シンとジルが以前薬草の採取依頼をこなすために、森に入った時に見つけた果物と同種のものがそこに並べられていた。
「あの日も暑かったのです。そういえば、小川で洗って、シンさんと半分ずつ食べたけど果汁たっぷりでとても美味しかったのです」
シンがまだ冒険者に成りたてでお金もなかった時期に食べた、思い出ある果物。
シンの稼ぎが悪いせいで、なかなか贅沢できなかったため、久方ぶりの甘味は余計に美味しく感じられた。
その果物をじっと見つめて、ジルは何やら考え事をする。
「うーん、これはジルのお小遣い……でも、どうせ、休憩もほとんど取らずに汗まみれになっているシンさんにジルが太っ腹なところを見せてやるのです」
すでに屋台で散々買い食いしたというのに、ジルの胃袋はまだまだ満足していない。
今からシンの所に行けば、少しすれば、お昼の時間だ。
果物の差し入れをしている代わりに豪華なランチでも要求するとしよう。
果物を差し入れして、シンが喜んでくれることを予感して、ジルの気持ちはなんだか温かくなった。
「おばさん、ここに代金を置いておくから、その果物はジルが頂いていくのですよ」
ジルは残っていたお小遣いから果物の代金を支払うと、果物を抱えてシンが必死になって鍛錬しているであろう冒険者ギルドにある訓練場へと飛んでいく。
「それにしても、今日は不思議なのです。シンさんがいないからなのか、普段よりもいっぱいシンさんのことを考えてしまうのです。まあ、ジルがいないとシンさんは駄目な子だから、仕方ないのです。これからも、ジルがお世話してあげるのですよ」
シンのことを考えるとなぜだか笑みがこぼれた。
なんだかんだ言って、最近のシンは頑張っているのだ。少しくらいねぎらってやるのも相棒であるジルの務めだろう。
ジルがシンにドキドキすることはない。だが、一緒にいて、どこか居心地の良さを感じる。
ジルには、この気持ちが何なのかはよくわからないし、それほど興味もない。
一緒にいて楽しければ、それでいい。
それがジルだ。
シンとジルが単なる相棒から、家族のような関係になるのはもう少し時間がかかる。
ジルがシンに抱く気持ちは親愛の情と呼ばれるもの。
ジルがそれを自覚するのは、もうしばらく経ってからのことだった。
本日、打算あり善行冒険者の2巻が発売となりました。
詳しい情報は活動報告をご覧ください。
これは以前にだいぶ前に手がけていた閑話で投稿していなかったものを少し手直ししたものです。
第一章の投稿終了時点ではシンの不運に感情移入してくださる読者の方が多く、ジルの我儘なところの受けが悪かった記憶があります。
個人的にジルらしさ、そしてジルとシンの関係性を描いた話で好きなものだったので、良い機会だと思い、投稿させていただきました。
明日から6日間休みなので、執筆時間を作って、正月休み明けまでに本編の方も2話の投稿を目指して頑張りたいと思います。




