第20話 唯一の故郷、なのです
その日の夜、シンは他の冒険者と同じように騎士団の野営地で自由に過ごすことは許されなかった。
ダルタニアは自らが直轄する第1騎士団の精鋭を集めた部隊の騎士達と共に一夜を過ごし、明日からの任務のためにも関係を深めておくようにと指示を出したからだ。
シンやハーストが何かの拍子に単眼の王について周囲に漏らす恐れもあったことから、二人を隊長や騎士団の役職クラスのテントが立ち並ぶ野営地の中心地に留め、他の多数の冒険者や騎士達と交わることを防ぐ狙いもあった。
そんな中、シンやハーストだけでなく、騎士であるラインバッハやホーネットも直轄部隊の騎士達と夕食を共にしていた。
「なんであんたらまでいるんだよ?」
シンの何気ない言葉にホーネットは苦笑いを浮かべる。
魔生の森でシンやハーストに単眼の王の伝承を迂闊にも話したホーネットと、報告の際、単眼の王についてダルタニアに尋ねたラインバッハもまた自分達の所属するグループに帰還することを許されなかったのだ。
「もうしばらく行動を共にすることになった」
ムスッとした表情のラインバッハはシンの問いに答えた。
言動が軽率であると敬愛するダルタニアに思われてしまった。
そういった感情が表情に隠しきれていない。
「そんな顔をするな。本来なら懲罰を受けてもおかしくないところだったんだ。それを一時的にとはいえ、隊長の直轄部隊に配属されたのだからな、その期待に応えれるように気持ちを切り替えよう」
ホーネットはそんなラインバッハを窘めながら、夕食時に提供された酒に口をつけた。
「わかっています、明日からの魔物討伐で汚名を返上してみせます」
ラインバッハがホーネットの言葉に頷いたところ、シン達に声をかけてくる騎士がいた。
精鋭部隊の中でも年長者であり、ダルタニアの信頼の厚いグロウウェルという壮年騎士だ。
「水を差すようだが、我々は明日の魔物討伐には参加しないだろう」
「じゃあ、明日はここで待機ですか?」
ハーストは少しがっかりした口調でグロウウェルに問いかける。
無暗に活躍の場を求めるわけではないが、単眼の王やサイクルサーペントの脅威が近づく中、緊急時に備えて待機するのは不本意なようだ。
「なんだ、不満かね?」
「何かに備え、待機するのも重要だとはわかるんですが、それでもせめて少しでも魔物の数を減らせれば、それだけ周辺の村々の危険は減らせるんじゃないかと」
単に騎士を目指すのではなく、民を守る騎士になりたいという思いの窺えるハーストの言葉を聞き、ホーネットは笑みを浮かべる。
そして、グロウウェルもその答えを気に入ったようだ。
「安心しろ。魔物討伐に参加しないとはいえ、ここで待機するだけにはならんだろう。だが、何を行うかは明日まで秘密だ。私はそこの二人ほど口が軽いわけではないからな、ははは」
グロウウェルはそう言って、ホーネットとラインバッハを指差し、口角を吊り上げる。
それから二言三言ずつ周囲の騎士と言葉を交わしたグロウウェルは今なお第1騎士団と第4騎士団の両隊長が話し合いを行っているだろうテントの方向に向かって歩き出した。
(魔物討伐には参加しないか、どんな任務を任されるんだろう。なあ、ジル、お前はどう思う?)
夕食に口を運びながら、シンはジルに問いかけた。
だが、返事は返ってこない。少し遅めの昼食をたらふく食べたにも関わらず、目の前にある夕食を食べるのに夢中なようだ。
何度声をかけても、まともに反応せず、シンはそんなジルの頭を小突いた。
(おい、ジル。食べてばっかいないで人の話を聞けよ)
「ほえっ?ジルはちゃんとシンさんのお話を聞いていたのですよ。口に物を入れながら、しゃべるのはお行儀が悪いから控えていただけなのです」
(本当かよ、じゃあ、さっきの俺の質問に答えてみろよ)
ジルの言い訳に疑いの眼差しを向けるシンに対して、ジルは視線を泳がしつつ答えた。
「えっと、えっと。……そうなのです。ジルとしてはちょっとがっかりなのです」
魔物討伐に参加しないということは窮地に立つ人を助けて、功徳ポイントを稼ぐ機会が減るかもしれないという意味でのがっかりなのだと思い、シンはジルの意見に軽く頷いてみせた。
ジルはそんなシンの表情から自分の当てずっぽうが外れていなかったことに安堵しつつ、さらに自分の意見を述べる。
「だって、今日のお昼の時はなかなか良いお肉を使っていたのですよ。ジルとしては、騎士団の偉い人たちも口にする夕食だから、さぞかし美味しいものが食べられると期待していたのです」
シンの表情はこいつは何を言ってんだというものに変わってしまっているが、自分の思いを力説するジルはそのことに気づかない。
「これじゃあ、昨日も食べた一般の騎士さんや冒険者さん達の食事と同じなのです。本当にがっかりなのです」
ドヤッとした表情でそう自分の意見を締めくくったジルのこめかみにシンの拳が押し付けられ、ぐりぐりと回す。
(あれだけ食っておいて、なんだよその言いぐさは!俺の方こそがっかりだよ。聞いてないんだったら、正直にそう言えっての)
「ぎゃあー。その攻撃はやめるのです。……エンジェ、姉のピンチなのです。早く助けてほしいのです」
助けを求められたエンジェはちらりとジルの方を一瞥するが、すぐにプイッと顔を背けた。
「う、う、う。シンさんもエンジェも酷いのです。この世には神も救いもなかったのです」
ようやく、こめかみの痛みから解放されたジルはシンとエンジェに非難の視線を向けるのだった。
翌朝、シン達は直轄部隊の騎士達と共に野営地を発った。
魔生の森周辺にある開拓村を回るためだ。
昨夜、ダルタニアとロッソエルの両名は緊急連絡用の魔道具を用いて、領都グランズールに居るシルトバニア辺境伯と総団長ランスヴェルグと連絡を取り合った。
そして多数のサイクルサーペントとの遭遇と単眼の王の出現の可能性について、自らの意見を述べた。
それから1刻(2時間)後、今度はシルトバニア辺境伯から二人に連絡が入り、ある命令が下された。
魔生の森周辺にある開拓村に住む村人を一時的にその場から離れた街へと避難させるというものだった。
魔物を討伐する部隊が魔生の森周辺にありながら、こういった決断を行わざるを得なかったのはシルトバニア辺境伯領の上層部にとっては苦渋のものだっただろう。
それでも、仮に幾つもの村が魔生の森から出てきた魔物によって滅ぶことになれば、そこで生み出される税収どころか、新たに開拓者として村を作り出そうという領民さえいなくなる。そうなれば、シルトバニア辺境伯領の発展は低迷することになる。
多数ある開拓村を各々守るための人員を割けない以上、領民の喪失のリスクを避けるためにすぐに実行できる策であり、そして、サイクルサーペントや単眼の王の獲物を魔物の討伐隊に絞る狙いがあった。
一時的とはいえ、村を離れさせられることを村民が好意的に思うはずはない。
それでなくとも、収穫の季節を迎えたこの忙しい時期に村から離れれば、収穫の時期を逃す作物も出てくることだろう。
さらに村の者達へは今回魔物討伐が長引きそうで、普段より凶悪な魔物が討伐漏れで村に来る可能性があるからといった程度の説明しかできない。
そこで飴が用意されていた。今秋の免税、そして一時的に避難先の街での衣食住の提供を引き換えに村人が避難に同意することを求めるように指示が出されていた。
直轄部隊の騎士達はいくつかの集団に分かれ、シン達はグロウウェルが引率する集団に一纏めにされた。
シンはラインバッハの愛馬に、ハーストはホーネットの愛馬に同乗させてもらい、そしてジルはエンジェに騎乗している。常に全力で駆けるわけでもなく、まだまだ子どもとはいえ、高位の魔獣であるエンジェならば、シン達と並走するのに問題はない。
そしてそれぞれの集団ごとに各開拓村へと向かい、村長や村役に対し説得を行い始めた。
いきなり村から離れることを求められ、当初は難色を示すところも多かったが、それでも騎士に刃向かい、貴族に目をつけられることを恐れていたのだろう。
今秋の免税と一時的な衣食住の提供について述べると、渋々だが村を離れることに同意し、村人たちは簡単な身支度だけを済ませると騎士団が用意した従者つきの馬車に乗りこみ、街へと移動していった。
シン達も3つの村の説得を行った後、遅めの昼食を携帯食で摂るとまだ説得を行っていない村々を再び回り出した。相変わらず美味しくない携帯食が昼食ということでがっかりした様子のジルと同じく、シンも少々面白くなさげな表情を浮かべている。
シンからすれば、村人からは疑惑の目を向けられ、感謝など当然されることのないこの任務は必要性はわかるものの、つまらないものだった。
そして、少しずつ陽も沈み出した頃にシン達が到着した開拓村は人口を200を少し超えた大きな開拓村だった。
広大な畑に実る豊穣の恵み、開拓村としては成功を収めつつあり、新規の開拓村ではほとんど見かけられない子どもたちの姿もシン達の目に留まる。
村の男共が長年この地を開拓し、ようやくの嫁取りの末、為した宝のはずだ。
親の手伝いで収穫に勤しみながら、その実りに喜ぶ子供や親の笑顔を見て、シンは自然と呟いた。
「いい村だな」
「そうだな、そしてこの村の者達は皆勤勉に働く者達だ」
シンの呟きに対し、グロウウェルは答えた。
「この村のことを知っているんですか?」
「ああ。これまで魔物討伐が長引いた際、食糧の提供を求めて、何度も訪れたことがある」
見知った村ということもあり、グロウウェルは村人に案内を求めることなく、村長の家へと馬を進める。
グロウウェル一行が村の中で一際大きな家へと向かったところ、すぐその家から40は過ぎているだろう壮年の男性が出てきて、一行に向かって頭を下げている姿がシンの目に映った。
そんな壮年の男性の前でグロウウェルは馬を止めると馬上から声をかけた。
「村長、久しぶりだな。頭など下げてないで、顔を上げろ」
村長と呼ばれた男はゆっくりと顔を上げ、グロウウェルに向かって満面の笑みを向ける。
「二年ぶりですな。グロウウェル様も壮健そうで何よりです」
よく日に焼けた肌、額や目じりには深い皺が刻み込まれており、この村の開拓の歴史を物語っている。
「今年の実りはどうだ?」
「おかげさまでよく育ちました。これなら、今年も村の者を減らさずに冬を越せるでしょう。それで、今回はいかほどご入り用ですか?収穫を終えたばかりの新鮮な物もご用意できますが」
面識のあるグロウウェルが魔物討伐の期間中にこの村を訪れた理由について、村長は食糧を求めてのものだと考えていた。
商人を通さずに騎士団が直接買い取ってもらう方が良い現金収入となるため、村長が実りの秋であるこの時期に訪ねてきたグロウウェルに好意的なのも当然だった。
「村長、すまんが今日はそのような話ではないのだ。いや、食糧の買い取り自体は求めるつもりだが」
近々応援に駆けつけてくる騎士達の増員等を考えれば、村民を移動させる前に食糧を買い取りを行い、また街へと向かわせる上で村民に幾ばくかの金銭を持たせた方が良いと言う判断もあり、これまでいずれの村からもある程度食糧を買い取っては野営地へと運ばせてはいる。
だが、それは訪問の主たる目的ではない。
「そうですか。……どういったお話か聞く前にまずは家へとお上がり下さい。家内に言って、粗茶ですがご用意しております」
村長は怪訝な表情を浮かべながらも、グロウウェル一行を自宅へと招き入れた。
「申し訳ありませんが、その命には従えません」
食糧の商談自体はスムーズに話が進んだが、グロウウェルが一時的な街への避難を口にすると村長の表情厳しいものに変わった。
「なぜだ、村長」
「この村を捨てることなど、私を含むこの村の者には到底認められることではないのです」
「私は捨てろなどとは言ってはおらん!魔物の討伐が長引き、今までよりも凶悪な魔物が出現する可能性もあるから一時的に街へと避難しろと言っておるのだ」
グロウウェルは声を荒げながら、村長の説得を試みる。
だが、村長は静かに首を振った。
「一時的とおっしゃいますが、では何時には必ずこの村へ戻れますか?」
「……その質問について、私の方からは明確には答えられん」
「収穫真っ最中のこの時期に村を長く離れることはできません」
「だから、今秋については免税を認めると辺境伯様も約束しておられる」
二人の話は押し問答だった。グロウウェルが免税や生活の一時的な保障を口にしても、いや口にすれば一層村長の顔は厳しいものとなる。
「これまでにも魔物の討伐期間が長引くことは度々ありましたな。だが、こういった避難を騎士の方々から求められることは一度もなかった。……グロウウェル様、本当に我々はここに戻って来れるのでしょうか。いや、きっと戻っては来れるのでしょう。では……戻ってきた時、この村は存在しているのでしょうか?」
グロウウェルはその言葉にサイクルサーペントと単眼の王に荒らされ、廃墟となった村の姿を想像してしまい、言葉を詰まらせた。
そんなグロウウェルの代わりに言葉を発したのはシンだ。
「何、意地を張ってんだよ。だから、魔物の危険があるから一時的に街に避難するだけだって。もし、魔物がこの村を襲って誰かが死んだらどうすんだよ。もし村が荒らされたとしても、命さえあれば、何とでもなる」
その言葉を聞いた村長はシンの方に目をやり、じっと見る。
「若いな……冒険者、お前は年は何歳だ?……答えなくともいい。二十歳にも満たないだろう」
「若造の意見なんて聞いたこっちゃないってことかよ」
馬鹿にされたような気がして、シンは村長を睨む。
村長はその視線を受け流すと軽く首を振りながら、絞り出すような声で呟いた。
「もう、二十年以上前になる」
「はあ?」
「兄が畑を継ぎ、村での居場所を失った俺が同じ境遇の仲間達と共に職を求めてグランズールに赴き、開拓を志願したのは。今と違い、補助らしい補助も乏しく、それでも仲間と共にこの地を開拓しだしたんだ。できて間もないこの村を魔物が襲い、何人もの仲間を失ったこともある。二十年以上かかって、ようやくここまで村を大きくできた」
「だからって……」
あんたの感傷に他の村人まで巻き込むなと言いたげなシンの表情を見て、村長はさらに言葉を発する。
「家内を見たか」
村長の言葉にお茶を差し出してくれた村長の妻の姿をシンは思いだした。
もうとっくに40を過ぎているだろう村長に対し、おそらく30を過ぎたくらいの女性だった。
歳の差のある夫婦だと感じていた。
「この村が嫁取りを他の村に求めることができるようになるまでに10年がかかった。この村が何とか軌道に乗り出すまでにかかった時間だ。だが、魔生の森に近く、不便で危険なこの村に誰が来たいと思う?それも自分達よりもだいぶ年上の男の嫁として。家内やこの村の女性も俺たちと同じなんだ」
遠く離れた複数の村であぶれてしまった女性に乞い、願う形でこの村に来てもらった。
故郷である村を離れるのは不本意だっただろう。
それでこのの村の男たちの望みを受け入れ、この村へと来てくれた。
自分の居場所が生まれ育った村にはないことを理解していたからだ。
「この村の男も女も帰る場所なんて他にない。この村で生まれた子供もだ。ここが俺たちの村だ。ここが、俺たちの唯一の故郷なんだよ」
村がなくなってしまっても、一から作り直せばいいなどとは言わせない。
この村の成人した男手は40を過ぎた者がその多くを占める。
若い頃とは違い、この村を一からここまで作り直せるだけの体力も時間もないだろう。
そして、その子どもは十に満たない者がほとんどだ。
今、この村を失ってしまえば、二度と取り戻せない。
二度も故郷を失うことは耐えられないといった思いが村長の言葉からは感じられた。
「おじさんの気持ちはなんとなく理解できるのですよ。でも、でも、子どもには可能性があるのです。だから、思い直してほしいのです」
ジルは村長に自分の言葉が聞こえないのを理解しつつも、村長にそう願わずにはおれない。
村長の周りをパタパタと飛びながら、懸命に自分の思いを口にしている。
シンもジルと同じ思いだ。
村長やこの村を築いた男達には時間がないかもしれない。
だが、万が一この村が失われたとしても、きっとこの村の男たちの思いを受けて、成長した子どもたちの中にはこの故郷を復興してくれる者も出てくるはずだ。
「村長。命さえあれば、何とでもできるって軽はずみに言ったのは謝るよ。でもさ、子どもたちのことも考えてやれよ。あんたらにとって、大切な宝だろ。魔物なんかに奪われていいような命じゃないんだ!」
シンの言葉を聞いて、村長は厳しかった表情をわずかばかり崩した。
「ありがとう、冒険者。あんたの気持ちは嬉しい。だが、それでもやっぱりこの村を離れるわけにはいかないんだ」
「なんでだよ?」
「誰もがあんたら冒険者や騎士の方々のように強いわけじゃないんだ。俺たちは農作業や狩りくらいしか能がない。今更街で生活しようとしても、この年じゃ職を得られるわけじゃない。今更、冒険者をやれるような年でもない。街で一時的に生活を保障してもらえたとしても、それが打ち切られれば、どうしようもない」
辺境伯を非難するつもりはない。一時的に生活を保障してもらえるだけでも温情とさえ思う。
だが、それが終われば、街のスラム、貧民街で細々とした生活を送ることになるだろう。
ひもじい思い、病気、そして最終的には奴隷に身をやつし、離ればなれになる可能性を思えば、もしも魔物がこの村を襲い、命を失うことになろうとも家族みんなでこの村に残りたいと言う気持ちが勝るのだ。
「……仕方ない。今日はここまでとしよう。また明日も立ち寄らせてもらうつもりだ。村長、考え直してくれることを期待しているぞ」
「そうですか、明日も来てくださるのはありがたい。私も他の村人にこの村に残ることを強制するつもりはありません。ひょっとすると街へ避難することを望む者もいるやもしれません」
今日のところは立ち去ろうと周りに目くばせを行い、席を立ったグロウウェルに対し、村長はお辞儀をしながら答える。
グロウウェル達が去った後、他の村人たちにも街への避難について話をしてみるつもりだ。
だが、それに応じようとする村人はほとんどいないだろう。
ひょっとするとここ数年で新たにこの村にやって来た者の中には応じる者もいるかもしれないが、それもいい。
この村を離れる決断をしたとしても責めるつもりはない。
ここを唯一の故郷だと思い、離れることを望まない者だけがこの村に残ればいいのだから。
そして、願わくばこの村が魔物に襲われず、村人の笑顔が失われないことを村長は自らの信仰する神に対して祈りを捧げるのだった。




