第18話 単眼の王なのです
深き森より出でしは単眼の王
多数の眷属率いて
収穫、祭りに沸く季節
新しき村呑みこんだ
知らせを聞きたる英知の王
すぐさま銀の団を向かわせる
怒りに燃える白き騎士達
幾百もの屍乗り越え
王の剣がその眼を貫く
ホーネットは低い声で淡々と隣国の詩を紡ぎ出した。
英雄詩の一種。
決断力に富んだ国王と、その配下である勇ましい騎士達を称える詩だ。
「単眼の王……」
シンは初めて聞くその単語にゴクリと喉を鳴らした。
「これはシルトバニア辺境伯領の南西地域と隣接しているリンガード王国の詩だ。俺の祖父母が子どもだった頃には、この地域までその王や騎士達を称える吟遊詩人たちが訪れたらしい」
幼き頃、祖父母から伝え聞いた英雄詩に憧れたこともホーネットが騎士を志したきっかけの一つだ。
「サイクルサーペントは単眼の王という大層な呼び名は持っていない。ここだけでも4匹もいたのだ。他の場所を含めれば、多数のサイクルサーペントがこの魔生の森の浅層地域に来ていると考えた方が自然だろう」
「つまり、あくまでサイクルサーペントはその単眼の王の眷属に過ぎないと」
ホーネットは苦い表情を浮かべながら頷いた。
理由はわからないが、サイクルサーペントが単なる眷属に過ぎないような強大な魔物が魔生の森の奥深い領域から移動し、この辺境伯領に近づいてきているのだ。
このまま備えも不十分な状況で遭遇することになれば、騎士団や冒険者はもちろん、魔生の森周辺を少しずつ開拓し、村を作り上げている多数の領民に被害が出る可能性は高いとホーネットには思えた。
「そうだ。おそらく隊長はこのことに気づいているはずなのだ。そうでなければ、わざわざサイクルサーペントの痕跡の調査など命じないだろう」
7級や6級の冒険者ならともかく、5級の冒険者や騎士が多対一であたれば、被害なく討伐可能なサイクルサーペントだけならば、ここまで警戒する理由がない。
「それならば、今すぐにでもここを発たなければ!」
サイクルサーペントなど恐れるに足りないといった様子を見せていたラインバッハも声を上げて、早期の帰還を主張した。
一同はその言葉に深く頷く。
シンとしては内心サイクルサーペントの素材にいかほどの値がつくのか、興味はそそられるが、命あっての物種だ。ひょっとするとすぐ近くに単眼の王と詩で呼ばれた魔物がいるかもしれない。サイクルサーペントを眷属に率いる単眼の王などとこの場で遭遇したくはなかった。
ホーネットやハーストの討伐チームの待機場所よりも、シン達の討伐チームの方が近いと判断すると揃って、その場所を目指して駆け出した。
「村人さん達は皆食べられちゃったのですか……」
シン達が駆ける中、エンジェの背に乗ったジルはしょんぼりと声を出した。
単眼の王に呑みこまれたということはほとんどの村人は食らわれたということだろう。
英雄詩であるはずなのに、結局のところ誰かが救われた描写もない。
村人が犠牲になったことしかわからず、国や騎士達が魔物に報復したという内容に過ぎない。
ジルは明るい詩や歌が好きだ。
自分なら、こう歌うとでも言わんばかりにジルは音程の外れた歌を歌い始める。
突然耳元でジルの酷い歌声を聞かされたエンジェは顔を顰めた。
(おい、やめてやれ。エンジェが酷い顔をしているぞ)
「ブーブー。ジルのお歌は下手じゃないのですよ。少し個性的な歌い方をしているだけなのです。いずれ、シンさんにもジルの才能が理解できるようになるはずなのです」
ジルはいまだに自分が音痴であることを認めようとはしない。
天才とはなかなか一般人には理解されづらいものなのだと言う口ぶりでさえいる。
そんなジルの歌に反応して、うっすらと森の木の葉や茂みがざわついたような気がシンにはした。
人だけでなく、森までもその歌は勘弁と言っているかのようだ。
「でも、エンジェがジルの美声に酔いしれて集中力を切らすのはちょっと不味いのです」
ジルはそう言うと口には出さず、頭の中で歌詞を考え始める。
うんうんと頭を捻りながら、歌詞を考えていると少しばかり気になる点が出てきた。
「ねえ、シンさん、シンさん。あの詩ちょっと変なのです」
(なんだよ?またくだらない事だったら、後でグリグリの刑だぞ)
駆けている最中に、声をかけられたシンは少しばかりぶっきらぼうな反応を示した。
拳で頭をグリグリされるのを思い浮かべたジルはとっさに頭をかばいながら、なおもシンに話しかける。
「えっ、痛いのは嫌なのです。……でもでも、やっぱりあの詩は変なのです。どうして王様が出てくるのですか?領地を持つ貴族さんは何をしていたのですか?」
シンもシルトバニア辺境伯領と隣り合うリンガード王国のおおよその地形は頭の中に入っている。
リンガード王国の貴族領の中にはいくつもこの魔生の森と隣接する貴族領がある。
どこの貴族領に単眼の王が出現したのかは詩からはわからないが、いずれの貴族領であっても、報告を受けるまでの時間や出撃の準備などを含めるとリンガードの王都から騎士団を到着するまでには最低10日はかかるだろう。
王都に報告が届くくらいなのだから、当然それ以前にその領地の貴族にも報告が届いているはずだ。その間、その貴族が何も行動しなかったというのは考えにくい。
だというのに、詩にはその貴族や貴族の抱える軍や騎士が登場しないのだ。
(きっと負けちまったんだろうな……)
シンはジルの指摘を受けて、そう思った。
広く歌われる英雄詩などにはっきりと不都合な記載が残されるとは考えにくい。
詩を歌う吟遊詩人や語り部の中には貴族や王族をパトロンに持つ者もいる。
不都合な詩を広く大衆の前で歌うような真似をしていれば、どこかで横やりが入るだろう。
詩からは明らかではないが、幾百もの屍とは貴族の出した騎士や軍の結末のことを表しているのかもしれない。
シンは改めて、単眼の王の強大さを実感した。
「いったい、何事だ!魔物でも現れたか!」
魔生の森から飛び出してきたシン達に、待機していた騎士の一人が慌てて声をかける。
シンとラインバッハだけならともかく、別のグループに所属しているホーネットや見知らぬ冒険者まで森から飛び出してきたことが騎士に魔物の襲撃を予感させた。
「すまんが、説明は後だ。馬を借りるぞ」
「魔物がこちらに押し寄せようとしているわけではないが、至急隊長に知らせることができた。それと、この場で警戒を続けるなら、もう少し距離を取って警戒した方が良い」
この場にホーネットの愛馬はいない。そのため、ホーネットは顔見知りの騎士から馬を借り、ラインバッハも自らの愛馬に飛び乗ると仲間の騎士達に警告を行う。
それに対し、十騎長が隊に指示を出す。
ホーネットやラインバッハの様子から、サイクルサーペントの痕跡を見つけたのだと理解したが、それだけではなさそうだ。
このまま夕暮れ時まで警戒を続けるつもりではあるが、ラインバッハに助言に従い、隊を少し後方に下げる。
「俺たちはどうすればいい?この場に留まった方が良いか?」
シンは二人に尋ねた。
さすがに短距離ならともかく、長距離ともなれば、ラインバッハやホーネットが跨る馬の速度に合わせて、走り続けるのには無理がある。
シンの言葉を聞き、ハーストは少し表情を変えたが、不満は口にはしない。
二人の騎士が報告を行う以上、シンやハーストはこのままこの場所で魔生の森の警戒を続けるのも一つの選択肢だからだ。
サイクルサーペントとの戦いで足手まといだったこともあり、隊長や騎士団幹部に面会するチャンスとはいえ、我儘をいう気にはなれない。
「いや、俺たちが馬で先行する形になるが、ハーストやシンにも野営地に急ぎ、戻ってもらいたい」
シンの問いに対し、ホーネットが答える。
その言葉を聞き、思わず顔を綻ばせたハーストを見て、ホーネットは軽く苦笑した。
ハーストの希望通り、シンやハーストが隊長と面会するチャンスはあるかもしれないが、シン達への指示は便宜を図るためのものではない。
隊長が冒険者達からの意見を求める可能性もあることながら、シン達をこの場に留め続けるのは不味いようにホーネットには思われたからだ。
何も知らされていない冒険者や若い騎士がシンやハーストから、魔生の森で何が起きているのか知ろうと尋ねるはず。
それを避けるためにも、すぐさまシン達も野営地へと向かわせた方が良いとホーネットは判断したのだ。
「冒険者だからと言って、馬術一つ学ぼうとしてこなかったツケだな。疲れているだろうが、私たちをあまり待たせぬよう、しっかりと走って戻れよ」
ラインバッハはシンに軽口を飛ばしながら、それでもシンが乗馬を覚えることはないように思える。
シンと馬の相性は悪いためだ。
実際にはシンが悪いのではなく、エンジェと馬の相性が悪いのだが。
騎士の愛馬に選ばれるだけのことはあり、巨躯を誇る駿馬でさえ、かなり大きめの猫のようにも見えるエンジェを前にするとどこか居心地を悪そうな素振りを見せているのだから。
(いくらなんでも6級の虎の魔物の子どもというには無理があるだろう)
エンジェのことを外見のみで判断する者であればともかく、何度か行動を共にしたラインバッハにはそう説明したシンの言葉が嘘だと見抜けた。
魔物退治の時でも、騎士と共に行動することのある駿馬が6級の魔物の子どもに怯むはずがないのだから。
(もっとも、他人に吹聴することではないか……)
頭の中で少し考えを巡らせながら、自然と思いがラインバッハの口から出ていた。
「まあ、気をつけることだ」
「何のことだ?」
「……何でもない!道中、余計な道草を食ったりせず、早々に我らに追いついてくることだな!」
シンが首を傾げて尋ねると、ラインバッハは背を向け、馬の腹を蹴った。
そのラインバッハを追うようにホーネットも馬を走らせる。
「いったい、何が言いたかったんだろ?」
「そんなの知らないのです。それはともかく、ジルとしてはそろそろ遅めのお昼ご飯を所望するのです。一仕事を終えた後のご飯の味はまた格別なのです」
今日はほとんどエンジェの背に乗っており、大した仕事をしていないはずのジルは悪びれることなく、昼食を希望する。
ホーネットやラインバッハから急いで野営地に来いと言われたことすら、記憶の片隅に追いやられているようだ。
「お前な……って言っても、確かに昼だしな。保存食でも齧りながら、野営地に向かうか」
「むう~。ジルはあんな不味いご飯は嫌いなのです。夕食の時間が待ち遠しいのです」
ジルの保存食への愚痴を聞きながら、シンは少し身体を休ませ、水分を補給するとハーストに声をかけ、騎士団の野営地へと早足で向かった。
シン達が騎士団の野営地へと向かう際中、何度か遠目に馬やレッドホースに跨り駆ける騎士達の姿を目にした。
騎士達は今の時間帯に野営地へと徒歩で戻ろうとするシン達にわずかばかり意識を向けることはあっても、声をかけることはなく、馬を走らせ続ける。
どうやら、他の討伐チームでもサイクルサーペントの痕跡を見つけた者達が馬を走らせているようだった。
ラインバッハやホーネットに遅れること、小一時間。
ようやく野営地に到着したシン達を数人の騎士が待ち構えていた。
「ボルディアナの冒険者、シンとハーストだな?」
「ああ」
「隊長が君たちに会いたいと言っている。もっとも、今すぐに会うことはできないため、昼食を用意しているから食事でもしながら待っていてもらいたい」
シンが頷くと、騎士達はそう言って、シンとハーストを野営地の中央へと同行を求める。
口調や態度こそ丁寧なものだが、まるでシン達と他の者が接触をするのを妨ぐ様に、シン達を囲っている。
「来る最中に保存食を食べたからいらねえってのは通じないようだな」
「……話が早くて助かる。騎士の誇りにかけて誓うが、決して君たちに危害を加えるようなことはないので、黙ってついてきてもらいたい」
「その言葉を信じるからな」
シンと違い、いまだハーストには騎士の対応が理解できないようで戸惑っている。
「いったい、何だって言うんだ?」
「馬鹿正直者が馬鹿正直に質問に答えちまったってところなんだろ」
サイクルサーペントの痕跡の話だけならばともかく、ラインバッハがホーネットから聞いた単眼の王の話を口にしたことをシンは予感した。
「まあ、たぶん騎士の人たちが言っているように危害は加えられないだろうし、落ち着いて昼食でもいただくことにしようぜ」
食事に期待し、目を輝かせているジルを横目に見ながら、シンはハーストにそう答えた。
シン達が騎士に連れられて、赴いたのは隊長や騎士団の役職クラスのテントが立ち並ぶ野営地の中心地。
そこに改めて設置されたような真新しさを感じさせるテントの中には温かな料理や度数の軽い果実酒などがすでに並べられていた。
そのテントの中にシン、ハースト、エンジェが入った後、騎士の一人が料理を指差す。
「遠慮はいらん。自由に飲み食いしてくれ」
そう述べると、騎士達はテントの中には入らず、シン達のいるテントを囲いながら、背を向けた。
「自由に飲み食いしてくれと言われても……」
ハーストは料理に目を向けながらも、手を付けられずにいる。
ジルもハーストがいるため、シンの許可がいつ出るのかとチラチラとシンを見ながら、料理に関心を示している。
(ジルに最初の一口を食べる栄誉をくれてやるよ。ただし、あいつには気づかれないように上手くやれよ)
「おー、さすがはシンさん。太っ腹なのです」
シンの許可を得たジルは口を大きく開けて、料理に食らいついた。
「ふむふむ、なかなか良いお肉を使っているのです。味付けも悪くない、これはグッドなのです」
一口どころか、少量ずつだが、次々と料理の皿に手を伸ばし始めたジルを、シンは普段とは違い、止めようとしない。
ジルには悪いが、毒味役をさせているためだ。
何、ジルであれば、万が一薬物を盛られていたとしてもせいぜい腹痛になるくらいだというシンの思惑にうっすら気づいたエンジェは、平然とジルに毒味役をさせるシンとそれに気づかないジルをどこか白い目で見ている。
そして、ジルの様子におかしなところがないことを確認したシンも料理に手を付け始め、メインの肉料理を手早く切り分けると足下にいるエンジェの前に差し出す。
エンジェのどこか呆れた視線を感じたシンは料理に夢中のジルを指差した後、自分の口の前に人差し指を立てた。
シン達が騎士団隊長のいる軍議用のテントに招かれたのは食事を摂り終えてから、一時間近く経った後だ。
中には第1騎士団隊長のダルタニア、第4騎士団隊長のロッソエル、そしてラインバッハとホーネットの姿があった。
ラインバッハはホーネットに首根っこを掴まれ、シンに対し、頭を下げさせられている。
「待たせてすまなかった。ボルディアナのシンとハーストだな」
「ええ。ところでわざわざ俺たちに聞きたいことって?ラインバッハやホーネットさんの報告だけで十分じゃ」
「何、確認のためだ。この地図を見てくれ」
そう言って、ダルタニアは魔生の森を含んだシルトバニア辺境伯領北西部の地図を広げて、シン達に見せた。
シンの所属していた討伐チームの待機場所、そしてシンとラインバッハの見つけた魔物の墓場らしき魔生の森の浅層部分に赤い点が加えられている。
「君たちが4匹のサイクルサーペントと対峙した場所にマークを入れてもらいたい」
ロッソエルはそう言って、赤インクのついた羽ペンをシンとハーストに手渡す。
「この地図だとこの辺じゃないか?」
「ああ、この辺りだな」
シンはハーストと確認を取りながら、地図に赤い点を書き込む。
「それじゃあ、次に2匹のサイクルサーペントが逃げていった方向に矢印を書き込んでくれ」
ダルタニアはさらにそう求めるとシンは迷った。
(森の奥だから、だいたい北西の方角には間違いないんだろうけど、さすがに正確な方向まではなあ……)
頭を捻らせるシンとは異なり、ハーストは手早く矢印を書きこんだ。
「この方向で間違いありません」
その言葉には自信が溢れている。
戦闘能力であれば、シンや他の二人の騎士に及ばないことを自覚させられたハーストだが、それでも地形などを把握する能力については三人に優っているとの自負はあった。
「やはりか」
「ああ、間違いなさそうだ」
ダルタニアとロッソエルはそう口にすると、先ほどよりもさらに大きな地図を簡素な机の上に広げてみせる。
魔生の森周辺と、魔生の森の浅層部の多くの場所に赤い点が記されている。
昨日、大量の魔物が出現した討伐チームの待機場所、それに騎士や冒険者達が見つけた魔物の墓場を表したものだ。
その待機場所と最寄りの魔物の墓場を線で結び、さらにその延長線を引いていく。
いくつもの線が魔生の森の中層部と浅層部の境目付近で集中して交差しているのがわかる。
さらに4匹のサイクルサーペントとの対峙場所をダルタニア自ら書き記し、ハーストの引いた方角へと線を入れる。
その線もまた、いくつもの線が集中して交差しているところに向かって伸びていた。
「ホーネットが君たちにしゃべった単眼の王は間違いなく、この付近にいる」
そう言って、ロッソエルは多くの線が交差している部分を丸で囲んだ。
サイクルサーペントの痕跡を各討伐チームから人員を出させて、調べさせたのは現在の単眼の王の所在地の把握を目的としたものだった。
「君たちには感謝している。シンは我らが騎士ホーネットの窮地を救い、ハーストは単眼の王の所在地を裏付ける貴重な情報を提供してくれた」
ダルタニアはそう言って、軽くシン達に頭を下げた後、二枚の紙を取りだし、羽ペンで何かを書き記すとロッソエルにも手渡す。ロッソエルも頷くと、その紙にサインを行った。
「だから、これは俺たちからの感謝の印だ。受け取れ」
そう言いながら、ロッソエルはシン達に一枚ずつ紙を手渡す。
シンがその文書の内容を確認すると、そこにはシンが騎士団の魔物討伐で著しい功があったため、いち早く騎士団からの依頼を達成したと認める文面にダルタニアとロッソエル、両騎士団隊長のサインがなされているものだった。




