第17話 騎士の本分、なのです
「それでこれからどうする気なんだ?」
シンとしては様々な思いがあるが、決定権を持つのは騎士であるラインバッハだ。
どこか無表情にも見える顔つきでシンは、ラインバッハに尋ねた。
「……どうするもこうするもないだろ!今すぐ、先輩を追わねば!」
肌の粟立ちはいまだ止まない。
それでもラインバッハは自らを鼓舞するように叫んで答えていた。
「本気なのか?」
「侮るな。この程度のことで私が怯むはずがなかろう!」
自分の決心を揺らがせるようなシンのその言葉にラインバッハは噛みつく。
シンは言葉が少々足りな過ぎたと思いながら、もう一度ラインバッハに問いただした。
「悪い、そういうことを言っているわけじゃないんだ。でも、俺たちの本来の任務が何なのか、あんたは忘れていないか?」
本来の任務。
斥候、引きつけ役を行う冒険者と騎士がペアを組み、魔生の森に足を踏み入れた目的は単眼の蛇の痕跡の有無を見つけるためだ。
ハーストとホーネットがこの場所とは異なる他の場所で大蛇の這うような痕跡を見つけたということは、他の冒険者や騎士達の中にも同様の痕跡を見つけた者もいるかもしれない。
だが、大蛇の痕跡が複数によるものだとどれほどのものが気づいたか。
功を求める者ならさらに詳細な証拠を得るため、具体的な魔物の姿を捉えようとするだろう。
逆に安全を求める者なら、ひとまずはこの情報だけでも良しとし、騎士団の野営地での報告を行おうとするだろう。
では、その後者に大蛇の痕跡が複数だと気づけた者は果たしているのか。
情報は大粒の金より時として重要だ。
そして、精度もさることながら、その情報がもたらされる速さも軍や集団の命運を分ける。
ハーストやホーネットを見捨てる形となっても、今この場から退散したことで臆病者の誹りを受けることはないだろう。
「それは……だが、私は……」
シンの言うことは正論だ。
任務を優先することで、ラインバッハの騎士としての矜持、家名が穢されることはない。
ラインバッハは唸り声を上げた。
騎士団に入った当初、同じ貴族出身者が多い第一騎士団でもラインバッハは浮いた存在だった。
ラインバッハが荒れていたこと、そして貴族出身者の中に多い貴族の三男以降、陪臣の子息ではなく、彼が領地持ちの貴族の長男だったことが理由だった。
領地持ちの貴族の跡取りたる長男と何かあった時の代えである次男が、危険な任務もある騎士団に所属することは滅多にないことだった。
ラインバッハは烙印を押されたのだ。
貴族の跡取りとしては不向きだと。
ラインバッハが致命的なまでに腹芸を苦手とすることが原因だった。
よくも悪くも馬鹿正直すぎるところのあるラインバッハでは、同じ国の貴族であっても、互いに監視し合い、あわよくば相手を陥れても自らの勢力を拡大しようとする、陰謀渦巻く世界に対応することができないと当主である彼の父は判断した。
次男を次期領主とする場合に、長男であるラインバッハを領内に置いておくことはできない。
仲の悪い兄弟ではないが、それでも当主となった次男が兄であるラインバッハに気後れしてしまう可能性もあり、さらには臣下の者が長男後継の正当性を主張し、お家争いの種になる可能性も高かった。
生まれ育った領内からの放逐が決まった。
武芸に長けていたラインバッハがシルトバニア辺境伯領で騎士になれるように文を送ったのは、せめてもの親心であった。
入団試験で実力が認められたラインバッハだったが、周囲になかなか馴染むことはできなかった。
ラインバッハからすれば、平民同然の身分の者や下賤としか思えない冒険者出身の者が自分と同じ騎士に名を連ねている。貴族の嫡男として長年育てられてきたラインバッハには堪えがたいものがあった。
またラインバッハと身分の近しい貴族出身の者にすれば、ラインバッハは跡取りとして失格の烙印を押された存在だ。その具体的な理由まではわからなくても、その気位の高い物言いや態度、積極的に関わりたいと思える相手ではなかった。
そんなラインバッハの世話を何かとしてくれたのがラインバッハよりも10近い年長者であるホーネットだ。
不器用な男であり、その言動が当初はラインバッハを苛立たせることもたびたびあったが、それでも面倒見の良い彼は騎士であるラインバッハを仲間だと思い、めげずに相手をし続けた。
他の騎士の輪に入っていけるようにと親しい仲間内での食事などにもラインバッハを連れ出したこともあった。
ホーネットがいなければ、今もラインバッハは第一騎士団の中でも孤立し、いや孤立どころか除団していたかもしれない。
「……シン、貴様は一人戻り、サイクルサーペントの痕跡が複数匹によるものだと伝えろ。私一人で彼らの後を追う」
騎士として、自分のこの判断が正解かどうかはラインバッハにはわからない。
任務を最優先する方が正しいのかもしれない。
それでも、ラインバッハの下した決断はこれだった。
「あんた一人で追えるのかよ。森にも不慣れな上に、二人が行ってからすでに時間も経過しているし、追跡するのに時間がかかり過ぎる」
「……追える!追ってみせる!」
「……仕方ない。俺も一緒に行く。どうせ、サイクルサーペントかを確かめようとしているのはハースト、冒険者の方だ。あいつとは少しばかり縁があるしな。戻らないって言うのなら、ぶん殴ってでも連れて帰るぞ」
シンは溜め息をつきながら、そう切り出す。
シンにラインバッハ一人を置いて、戻る気は到底なかった。
ラインバッハが戻ると言うのであれば、それもまた一つの選択肢だと考えていた。
だが、ラインバッハを森に残し、シン一人で報告するのであれば、その理由も説明する必要がある。
騎士団の隊長だけではなく、同じチームの騎士達にもだ。
真っ先にサイクルサーペントらしき痕跡が複数匹によるものだと報告すれば、それは功績になるだろう。
だが、シンが望んでいる物は功績よりも、人からの真摯な感謝だ。
騎士達から、ホーネット達に危険が迫っていることを理解しながら、ラインバッハを一人で追わせて報告したとしても、心から感謝してもらえるか。
ラインバッハ達が無事に戻ってきたとしても、どこかでやはり胸にしこりが残るだろう。
そうなるとあまり多くの感謝は期待できない。
(それに一応約束もあるしな)
ヴィアーテの村のエリーザ。酔った時の口約束に過ぎないとはいえ、ハーストの身に危険が起こりそうな今の状況を無視して、彼が死亡するようなことがあれば、しばらく夢見が悪くなりそうだ。
シンは膝を落とし、エンジェと視線を合わせると確認を行う。
「エンジェ、あの二人のにおいを覚えているな?」
エンジェは自信ありげに頷いた。
先ほど会った二人の冒険者のにおいを追うことなど、エンジェにとっては造作もないことだ。
「普通に足跡や痕跡を探して、追うんじゃ時間がかかり過ぎるから、エンジェよろしく頼むな」
そう言って、シンはエンジェの頭を軽く撫でた後、ラインバッハに声をかける。
「おい、何を呆けた顔してんだよ。二人を追うんだろ。さっさと行こうぜ」
「ああ、すまん」
「違うだろ。そこはありがとうって言ってくれないと。まあ、無事に帰れた時はせいぜい俺に感謝してくれよ」
シンは申し訳なさそうな表情を浮かべたラインバッハに向かって、朗らかな笑みを浮かべた。
(ジルも準備しておけよ。出し惜しみして、共倒れとか洒落にならないからな)
「任せるのですよ」
自分に対する指示はないのかとシンの顔を見ていたジルは、ようやく出された自分への指示にポンポンと胸を叩きながら、頷いた。
シン達のいた魔物の墓場とでもいうべき場所から、わずか数km。
シン達から別れて、30分ほど経過した頃、ハーストはお目当てというべきサイクルサーペントを発見していた。
直径80㎝ほどもある太い胴回りに15mを超える体長。
その巨大な蛇がとぐろを巻き、特徴的な丸い単眼を閉じた状態で、静かにシューシューと息を吐いていた。
「……裏が取れたな。それでは退却し、報告することにしよう」
二人がかりならば、倒せる相手のようにも思えたが、ホーネットも今まで対峙したことのない未知の相手だ。
蛮勇と勇気は違う。ハーストもさすがにその意見には異を唱えず、静かに頷いた。
シュルシュルシュル
シュルシュルシュル
森の中の這いまわる嫌な音が二人の耳に聞こえてきた。
そして、うっすらとだが鼻につく魔物の血の臭い。
二人が周囲を見渡すと、螺旋のようにうねりを巻く蛇の太い胴体が何本も確認できた。
「……囲まれたのか」
ホーネットは覚悟を決め、帯剣を引き抜いた。
一方、ハーストも顔を青ざめさせながら、自分の得物である片手剣を構えた。
先ほどまで目を閉じていたサイクルサーペントも、今は目を見開いており、ハーストには蛇が笑っているように見えた。
(死にたくない!俺は、俺は帰るんだ!)
ハーストは飛びかかってくる蛇を何とか避けながら、死に物狂いで剣を振るう。
だが、焦りと不安のためか、不十分な魔力しか通すことのできていないハーストの振り下ろしでは、鋼のように固いサイクルサーペントの鱗に浅い傷を与える程度。
一方、ホーネットの剣はハーストと比べると深い傷をサイクルサーペントに与えていた。
(おかしい)
ホーネットはそう思う。
4匹の巨大な蛇に囲まれた今の状況はホーネットにとっても、死地。
それなりに傷を与えられる相手ではあるが、蛇同士で上手く連携を取り合い、ホーネットが剣を振るいにくい状況を作り出している蛇の知能は魔物ながらも大したものだと思える。
だが、一対一ならば、ホーネットでも倒せる魔物がたかだか数匹いる程度で、騎士団の隊長格が警戒するようなことがあるだろうか。
(そうか、そうだったのか!)
ホーネットは迫りくる単眼の蛇の攻撃をかわし、太い胴回りに一閃の傷を与える。
(早く、早く戻り、このことを伝えなければ)
ある伝承を思い出したホーネットは一刻も早く報告に戻らなければと思うが、この4匹のサイクルサーペントを前にした状態で、二人で無事に退却することは困難だった。
その時、ある指示がホーネットの脳裏によぎる。
窮地に陥るようなことがあれば、共同で役割を担うはずの冒険者を生贄にし、騎士だけでもその場から離脱し、サイクルサーペントの情報を伝えろと言う隊長の指示。
ハーストの追跡能力、斥候能力は優れたものだが、こと魔物との戦闘能力においては、ホーネットよりも数段以上劣るものだった。
はっきり言って、ホーネットにとって、今のハーストは足手まとい。
上手くタイミングを見計らい、ハースト一人を生贄にすれば、幸運に恵まれれば、ホーネットはこの魔生の森から抜け出ることができるかもしれない。
そんな考えもかすかに脳裏によぎる。
ホーネットがハーストを横目で見ると、ハーストは木の根に足を取られ、よろめいたところだった。
ホーネットの身体は自然に動いていた。
「あっ」
ハーストが何とか大蛇の強襲を避けたところ、太い大木の根が地に露出している部分に足をひっかけ、よろめいた。
(終わった)
先ほどとは異なるサイクルサーペントが大口を開けて、飛びかかってくるのが見えたハーストは自分の命運が尽きたことを悟った。
死ぬこと、そして故郷の幼馴染と二度と会えないという恐怖からハーストは目を瞑った。
だが、蛇の巨大な牙がハーストに喰らいつくことはなかった。
それどころか、首元を大きな力で掴まれると後ろへと投げ飛ばされた。
「なんで……!?」
閉じていた目を開けると、そこには単眼の蛇に巻きつかれ、苦悶の表情を浮かべているホーネットの姿があった。
よろけたハーストを片手で後方へと投げ、何とか蛇の牙から避けたホーネットだが、サイクルサーペントは身体をくねらせて、ホーネットに絡みついた。
「騎士の本分だ……!」
万力のような力で締め上げてくる蛇の力に潰されないように、気力を滾らせ、抵抗しながらホーネットは答えた。
騎士の本分とは領内にいる民を守ることにある。
ホーネットは騎士として、そう考えていた。
無頼者が多いと扱われる冒険者とはいえ、彼らもまた税を納めているシルトバニア辺境伯領の立派な民であり、ホーネットにとっては守るべき対象でありえた。
そのため、ホーネットはハーストを見捨てることなどできなかった。
立ち上がったハーストは何とか締め上げられたホーネットを救おうとするが、他の3匹のサイクルサーペントに邪魔をされて、上手く攻撃することができない。
一方、ホーネットを締め上げたサイクルサーペントは焦れはじめていた。
締め上げて、骨が砕ける音や対象の苦痛に満ちた声を聞くのを楽しみにしていたというのに、何とか生き延びようと気力を滾らせたホーネットが予想以上にしぶといのだ。
ホーネットは金属製の鎧にも魔力を上手く流し込み、強度を上げ、必死に抵抗していた。
とは言え、蛇の胴体が巻きつかれていないホーネットの頭部は、防具に覆われているわけでもなく、無防備。
さっさと頭から齧りつき、ハースト一人を他の三匹と弄ぼうかと判断すると、サイクルサーペントは大口を開けながら、ゆっくりとホーネットの頭部に近づく。
「誰か!頼む、あの人を!」
その様子を見たハーストは自然と叫び声をあげていた。
そこに一閃の風が巻き起こり、ホーネットを喰らおうとしていたサイクルサーペントの首が半分ほど切断され、自分の頭部の重みを支えきれなくなったサイクルサーペントの頭部が地面に音をたてて、崩れ落ちる。
「畜生!恩を着せる前に使っちまった」
そんな声と共に姿勢を低くし、まるで狼のように俊足に駆けてくる冒険者の姿がハーストの視線に入った。
このままでは間に合わないと判断したシンが功徳ポイントを200行使して、衝撃波を放ったのだ。
もっとも、巨大な蛇の生命力は凄まじく、首を半分ほど切断されようと、今なおホーネットを締め付ける力はなかなか緩まない。
他のサイクルサーペントの一匹は仲間の犠牲を無駄にしないようにと、まだ駆けつける前にわずかに余裕のあるシンや実力不足のハーストは置いておき、いまだ締め上げられているホーネットを始末すべく、大口を開けて、飛びかかる。
だが、そこに巨大な氷の壁が立ちふさがる。
片手をサイクルサーペントに向け、詠唱を発したラインバッハの氷結魔法が蛇の進路を塞いだ。
額から激しく氷の壁に衝突したサイクルサーペントは脳が揺らされ、崩れ落ちる。
巨大な氷の壁にヒビは入っているが、サイクルサーペントの突撃よりも氷の壁の強度が勝ったのだ。
そのサイクルサーペントの首を駆けつけたシンが切り飛ばした。
大量の血が噴き出、真っ白な氷の壁が真っ赤に染まった。
また、ホーネットもようやく自分に絡みついていた蛇の胴を振りほどくと今なお生きているサイクルサーペントの頭部を完全に切断した。
四対二の状態から、逆に二対四の状態になり、不利を悟った二匹のサイクルサーペントはシューシューと息を吐きながら、素早く魔生の森の奥へと帰っていく。
「ふん、思ったよりも歯ごたえのない連中ではないか」
不意をつく形だが、瞬く間に2匹ものサイクルサーペントを討伐することに成功できた喜びからか、頬をうっすら紅潮させたラインバッハは逃げていくサイクルサーペントを軽蔑するかのように吐き捨てた。
一方、シンの方は完全に首を切断されたサイクルサーペントがようやく動きを止めたことを確認した後、使ってしまった功徳ポイントの元を取ろうと、必死になって、ホーネットとハーストに対し、命の恩人であることをアピールしている真っ最中だ。
そんなシンに苦笑いをしながら、感謝の言葉を口にしていたホーネットだったが、落ち着くと顔つきを変えた。
「今すぐ、ここから戻り、報告しなければ!」
「先輩、そんなに慌てずとも良いのではないのですか?サイクルサーペントも半数は我らで打ち倒したことですし」
急に大きな声で提案するホーネットに対して、ラインバッハは訝(いぶか)しげに尋ねる。
「半数だと?馬鹿を言え、4匹や5匹程度であれだけ広範囲の場所から大量に魔物が魔生の森から出てくるはずがない。どれだけのサイクルサーペントがこの魔生の森の浅層部にやってきていることか。それに今先ほど伝承を思い出した」
「伝承って何ですか?」
悪い予感のしたシンは即座に問い質す。
「ああ、このシルトバニア辺境伯領と接している隣国に伝わる伝承なんだが」
ホーネットは以前聞いた伝承の詩を諳んじ始めた。




