第12話 むむむ、嫌な空気が漂ってくるのです
魔生の森から数㎞離れた地点に設営された騎士団と冒険者たちの野営地、その中央には第1騎士団と第4騎士団の隊長専用の少し大きめのテントが設置されている。
夜も深まり、梟の鳴き声がホウホウと鳴り響く頃、信頼できる騎士の数人で周囲を警戒させているそのテント内で、二人の男が酒を酌み交わしながら声を潜めて話をしていた。
「やはり、ロッソもそう思うか」
第1騎士団隊長のダルタニアは空いた酒杯に酒を注ぎながら、酒精を感じさせない口調で年長の友人でもある第4騎士団隊長のロッソエルに尋ねた。
「ああ、今回はいつになく多い。前回の魔物討伐の時、第2騎士団と第3騎士団の討伐期間が長引いていたが……前兆だったのかもしれんな」
二人の会話の中心は魔生の森への行軍中に討伐した魔物の巣の数の話だ。
二人ともすでに騎士になって20年以上のベテランであり、数十回もの魔物討伐をこなしてきた。
そんな二人からしても、今回の行軍中に普段の二倍近い数の魔物の巣の発見、殲滅がなされたことは少々異常だった。
「今日の昼にでも知らせを出すべきだったか……」
グランズールや第2、第3騎士団の駐留地へ連絡役を出さなかったことをダルタニアは悔やむかのように呟いた。
「いや、今日出そうと明日出そうと大して変わらんだろう」
ロッソエルは首を横に振りながらダルタニアの呟きを否定する。
ロッソエルも行軍途中から連絡役を出すこと自体は必要だと考えていたが、早急に出す必要性は見出さなかった。
「単なる偶然の可能性もある。だが、こういう時には」
「魔生の森の外へと出てくる魔物の数が増える、だろ」
ダルタニアはロッソエルの言葉に深く顎を引いて頷く。
騎士団が魔物討伐を行うといっても、魔生の森から魔物を殲滅するなど大海の水を汲み上げるに等しい。
それにも関わらず、騎士団の魔物討伐自体は領内の統治において有効な手段だった。
その理由は魔物の生態にある。
魔物の多くは一度巣を作ると活動範囲が固定されるからだ。
ほとんどの魔物がその巣から離れ、大きく活動範囲を変えるのは、縄張り争いに敗れ、生命の危険から逃れようとする場合や餌が乏しくなった場合などに限る。
そして生命の危険から逃れようとする場合、魔生の森内で危険度の低い森の浅い方へと進む傾向にある。
だからこそ、森の深い部分ではなく、浅い部分と森の周辺において行われる騎士団の魔物討伐が効力を発揮する。
魔生の森内に生息している魔物に森の外とそして森の浅層部の危険への認識を深めさせているのだ。
自然豊かな魔生の森において、餌が乏しくなることはまずありえない。
そうなると今回魔生の森に近い村々で魔物の巣が多数見つかったことは縄張り争いに敗れて、森の外へと逃れてきた魔物の数が多いことを示している。
二人の推測では魔生の森の中層から浅層にかけて生態系が乱れだしている可能性が高かった。
「かと言って、第2騎士団と第3騎士団に応援を求めても、自分たちの任務がある以上、すぐには団の一部を応援に割くこともできん。グランズールに残った総団長や他の騎士達もそれは同じだ。それにいざとなれば、緊急連絡を取る手段もある」
ロッソエルの言葉にダルタニアは頷くと酒杯に口をつけた。
普段は美味いと感じる酒も、今日はどこか苦さばかりが舌に残る。
ダルタニアもロッソエルもしばらく黙ったまま、酒杯に口をつけながら、考えを巡らせる。
会話を止めると二人の耳にはテントの外からは冒険者や年若い騎士の喧騒が聞こえてくる。
本格的に始まる魔物討伐の前夜祭として、行軍中には夕食時に2杯までしか振る舞われなかった酒も今日ばかりは多めに振る舞うように指示を出していたのが普段より騒がしい原因だろう。
「……ところで他の者たちにも伝えるか?」
「一長一短だな。だが、俺たちの方から正式に公表するのは止めておいた方が無難だろ」
「私は自分の団に臆病者がいるとは思いたくない」
「俺の方もそうだ。だが、恐怖というのは波紋のように静かに広がっていく。それに冒険者たちだ」
ロッソエルの目から見て、冒険者たちは玉石混交。
行軍中の動きを見て、機会があれば騎士団に誘ってみようかと思う者もいれば、やる気が空回りしたのか荷物になりそうな者もいる。
前者に対しては今回の魔物討伐に対する警戒を呼び掛けたところでそれほど問題にはならないだろう。
だが、後者に対して伝える場合、はっきりとした不安を感じる。
精鋭名高いシルトバニア辺境伯騎士団、それも隊長クラスが警戒を呼び掛けるという事態に彼らがどう行動するか、ロッソエルにはある程度は予想ができた。
まず、騎士団の隊長クラスが警戒しているからこそ手柄を立ててやろうと独断専行に走りがちになる者が多数出てくるのは間違いない。
騎士団の魔物討伐に多くの冒険者たちが参加する主な理由は騎士に取り立ててもらいたいという願望からだ。
そんな中、騎士団の隊長クラスが警戒している状況は彼らにとって手柄の立てどころに見えるはずだ。
その結果は集団の和を乱し、混乱を生じさせる冒険者の数が増える。
それだけではなく、いざ肝心な時になれば、堪え切れずに逃げ出す者が通常よりも増えることが予想できた。
冒険者には生き意地が汚い者が多い。
よほど才能や運に恵まれた者でもなければ、自分の身の危険に鈍感な者が長生きできる職業ではない。
そのため、これは悪いことではなく、むしろ冒険者としては長所とさえ言える
だが、集団で行動する場合には必ずしも評価できることではない。
いざという時に逃げ出されれば、余計な混乱が生じかねないからだ。
それならば、今すぐにでも抜けてもらった方がまだマシと言えよう。
とは言え、今の状況下で腕に自信がない者は立ち去れと言っても立ち去る者などはほとんどいないだろう。
多くの冒険者が騎士に取り立ててもらえればと考え、この魔物討伐に参加しているのだから。
それに魔物討伐を途中で放り出して逃げたともなれば、冒険者内、冒険者ギルド内での評判は地に落ちる。
切った張ったの職業だけに一度臆病者のレッテルを貼られれば、それを取り除くのは容易ではない。
だから、どの冒険者もある程度の段階までは不安を抱えていても魔物討伐を放棄して逃げ出したりはしないだろう。
少しずつ増大していく不安を押しとどめることができずに彼らが逃げ出すとすれば、それは何か大きな問題が生じ、何とか踏みとどまってもらいたい時になると二人の意見は一致していた。
そして、知らせなければ、その時期を多少は後ろにずらすことができるとも二人は予測していた。
警戒を呼びかければ、独断専行に走り、そしていざという時に逃げ出しやすくなり、集団に混乱を生じさせることになる。
「だが、警戒を呼びかけなければ……」
「久方ぶりに魔物討伐で死者が大量に出るかもな。……冷たいようだが、冒険者たちは魔物討伐に参加することを強制されたわけではない。それに勘の良い者は気づいている。騎士だけではなく、冒険者もだ」
「……そうだな。私たちが直接にということはできんが、それとなく警戒が高まるように働きかけてみよう」
「ああ、そうするのが賢明だろう」
一通り懸念していた内容の話が済むと二人は思い出話に花を咲かせる。
騎士団に入った当初は生まれや育ちの違いもあり、犬猿の仲に近かったが、今ではお互いの力を認め合い、酒を酌み交わしつつ、部下や後輩の指導方法などについても相談し合う仲となった。
今までも不安を抱えながらの任務はあった。
自分たちの騎士団であれば、問題なく今回の魔物討伐を果たすことができるはず。
二人の心中の不安はかき消され、いつしか酒の苦さを感じなくなった。
一方、その頃シンはグラスに頼まれ、魔生の森での魔物討伐が初めてだという第1騎士団、第4騎士団双方の若い騎士数人を交えて、魔生の森に生息する魔物の特徴や森内で気を付けるべきことについての説明を行っていた。
グラスがシンを講師役に選んだのは、今回の魔物討伐に同行している者の中でシンが講師役に適役だと考えたからだ。
騎士団にも冒険者出身の者がそれなりにいるが、騎士団の中にシンのようにソロで魔生の森を何度も探索したことのある元冒険者はいない。
さらにシンはここ2か月以内にも魔生の森に訪れている。
そのことがグラスの判断の決め手となった。
シンとしても自分と歳の近い騎士と交流を持つのはプラスであり、グラスの頼みを快く引き受けた。
今はまだ新米騎士であっても、いつまでも新米のままではない。
年若くして騎士になったものならば、将来的には上に行くことも考えられるし、第1騎士団の騎士ならば、貴族の縁者である可能性もある。
縁を繋いでおくにこしたことはない。
シンの説明後、そのままグラスや騎士達と酒宴に参加することになったが、シンの目から見て、第1騎士団と第4騎士団の若い騎士は険悪とまではいかないが、どこか壁があるように見えた。
生まれや育ちの違い、そして実力の近さ。
それらが影響しているのではないかとシンには思える。
グラスくらい年長で、しかも上の人間に対しては、たとえ身分のある立場であったとしても素直に敬意を抱くことができるだろうが、自分と変わらない年の相手で実力が近しいなら、相手を素直に認めるのは困難だ。
(まあ、生まれや育ちでカチカチに身に付いちまった考え方は簡単には捨てられないよな)
シンはグラスに注いでもらった酒杯に軽く口をつけながら、そう思う。
「むむむ、嫌な空気が漂ってくるのです」
グラス達が用意していた大皿に盛りつけられていた料理をパクついていたジルが食べるのを止めたかと思うと、眉を顰めてシンに話しかけた。
エンジェもジルと同じ思いに駆られたのか、フシャ―と毛を逆立てながら、鳴き声を放つ。
ジルとエンジェが意図することをシンも理解した。
そして、意を決して、グラスに話しかけた。
「グラスさん……食事中にスカ屁するのはやめてください」
シンには酷い異臭を感じたものの誰かまではわからなかったが、ジルが鼻をつまみながらグラスを指さし、エンジェもグラスに向かって怒りを示しているため、犯人が特定できた。
大きな口を開けて、肉に食らい、大きめの酒杯に入った酒を呷っていたグラスはシンの抗議を受け、大声で笑う。
そして尻を軽く浮かすと、今度はスカ屁ではなく、大きな音を立てた。
「このおじさん、またおならしたのです。こうなったら、シンさんガードなのです」
ジルは鼻をつまみながら、そそくさとシンの後ろに隠れる。
隠れたところで大して変わらないのだが、なんとなくシンの後ろに隠れれば、臭いを防げるだろうと考えたジルの動きは俊敏だった。
そして、エンジェもグラスから少し距離を取りつつ、再び抗議の鳴き声をあげる。
「ガハハハ、すまん。すまん。気を遣ったつもりだったんだが、やはり屁は大きな音をたてるに限るのがマナーだったな」
他の騎士達もそんなグラスの行動に鼻をつまみながら、苦笑いを浮かべる。
「そういうんじゃないでしょ!せめて、食事中くらい控えてくださいよ」
「若い娘じゃあるまいし、生理現象にいちいち目くじらを立てるな。意外に器の小さな男だ。だから、女に袖にされてしまうのだ」
魔生の森についての説明を行う前に、ミーシャに会ったシンは声をかけたが、ミーシャの方は軽く会釈を返しただけで、そのまま何も言わずにスタスタと立ち去ってしまった。
そのことを目撃していたグラスがシンをからかう。
「別にミーシャさんのことは関係ないでしょ!」
酒に少し酔っていたシンは顔を赤くし、グラスのからかいに反応してしまう。
それなりに仲良くなれてると思ったミーシャのそっけない態度にシンは内心少しばかりショックだった。
ミーシャとしてはシンのことを嫌って、そういう態度を取ってしまったのではなく、いまだに以前シンに酒を飲んで醜態を見せてしまったことが尾を引いていただけだが。
(ふぇ~ん、素敵な大人のお姉さんって印象が崩れちゃった。合わせる顔がないよ)
意外と乙女なところがあり、初デートとも言えたシンとの食事でやらかしてしまったミーシャのダメージは根強かった。
ことあるごとにグラスや周囲がからかったものだから、余計にシンを意識してしまったことも原因と言えよう。
男女関係には鈍感なところのあるシンには知る由もないが。
(ふはは、青い。青いぞ)
シンの抗議する姿を肴にして、グラスは笑みを浮かべ、さらに酒杯を呷る。
そして、シンに一言反論した。
「俺は女としか言っておらん。なぜミーシャが出てくるのだ?」
グラスの言葉を思い出し、引っかけられたことに気づいたシンはさらに顔を真っ赤にする。
そんなグラスとシンの様子を見て、何人かの騎士達はおかしそうに笑いだした。
何とか笑いをこらえようとしていた騎士も周囲が笑い出すとそれにつられるように笑い出す。
(すまんな、シンよ。せっかくだ、このまま場を和ませるダシにさせてもらうぞ)
同じ騎士同士であるのに互いにぎこちなく酒を飲み交わしていた若い騎士の雰囲気を良くするためにシンを弄ったところ、予想以上に良い反応をしてくれるシンにグラスは内心軽く謝罪と感謝を行う。
その夜、本当にわずかばかりの功徳ポイントと引き換えに、シンは散々グラスにからかわれ続けることになった。
(それにしても良い反応をする。これはなかなか脈ありか?よし、詫びの代わりに機会があれば、二人の仲を取り持ってやろう。そうすれば、シンも将来的には恋人、妻と同じ職場を自ら希望するようになるはずである。……うむ、我ながらなかなか名案なのである)
そして、ありがた迷惑なことにシンとミーシャの知らない間に厄介な仲人が誕生した夜となった。
夜が明けると、本格的に魔物討伐が始まった。
騎士5人と冒険者10人で1チームを組み、所属する騎士団隊長の指示に従い、魔物討伐を行うエリアが決められた。
シンの入ったチームの中にはオークの巣の退治でも同行していたラインバッハもいた。
「他の無能な冒険者に比べれば、まだお前や猫の方が幾分マシだ」
ラインバッハのその発言に対し、ジルは「男のツンデレは気持ち悪いのですよ」と言わんばかりにヤレヤレと首を振った。
朝から魔生の森のすぐ傍でシンは無難に斥候と引きつけ役を果たしつつ、魔物討伐をこなしていく。
多対一で魔物を討伐することに慣れていないことを自覚するシンは魔物と対峙するときは出しゃばり過ぎないように心がける。
シンが魔物を引きつけた後、ほとんど防御に徹していても他の騎士や冒険者達が手こずることなく魔物の命を刈り取ってくれるチームでの魔物討伐は普段よりも体力的には楽だ。
だが、冒険者の中には斥候役や引きつけ役という見せ場の少ない役割に不満を抱く者もいる。
幸いシンと同じチームになった冒険者はまだまだ魔物討伐の期間中に見せ場があると判断したのか、騎士の指示にある程度従い、初日はチーム内の和を乱す者はいなかった。
昼食は保存食で摂り、夕暮れ前に野営地へ戻る。
夕食後、シンは一人篝火の炎を見つめながら考え事に耽る。
(やっぱ、魔物の数が多い)
行軍中から魔物の巣が多いような気はしていた。
ボルディアナに残っていれば、功徳ポイントを稼ぐ機会が多かったかもしれない、残念なことをしたなという軽い気持ちだったが。
一日魔生の森のすぐ手前で魔物討伐を行ったことで、普段よりも明らかに魔物の数が多いというのをはっきり感じ取ったシンは嫌な予感が芽生えた。
「何事もなく済めばいいんだけどな。まあ、騎士の連中予想以上に能力高そうだし、いざとなれば、その時はその時だ」
シンは独り言を口にした後、エンジェやジルを連れて、シンが寝泊まりように与えられたテントに戻り、横になるとそのままゆっくりと目を閉じた。




