第10話 いざ、行軍なのです
総団長ランスヴェルグの挨拶が終わると冒険者たちには今回の魔物討伐での地域分けが説明された。
第1騎士団と第4騎士団はシンが何度も訪れている魔生の森。
第2騎士団はシルトバニア辺境伯領の南に位置する領の水瓶であり、周辺は肥沃な穀倉地帯が広がるウラヌイ湖。
第3騎士団はシルトバニア辺境伯領の北部と隣国との国境沿いに位置し、高い山々が連なり、霊鳥が棲むと言われるアザンドラ山脈。貿易の要所にもなっているその山脈の谷間が魔物討伐の目的地となる。
そして、低階級の魔物がほとんどである領都グランズール周辺の村々や街道は騎士団ではなく、常備兵が魔物討伐にあたることになる。
もしもその常備兵達では対応しづらい階級の高い魔物が現れた時に、常備兵達の被害を減らすために少数ながらも騎士も加わっている。
地域分けの説明を聞いて、シンは内心ほっとしていた。
魔生の森へは何度も訪れているが、ボルディアナからかなりの距離があるウラヌイ湖やアザンドラ山脈の方にはまだ足を運んだことがないからだ。
ボルディアナの他の冒険者達からこの魔物討伐の地域分けを聞き、念のためにウラヌイ湖やアザンドラ山脈に生息している魔物の生態をギルドの資料室で確認してはいたが、所詮は座学。
勝手知ったる魔生の森の方がシンにとっては動きやすい。
もっとも、魔生の森は魔物数がウラヌイ湖やアザンドラ山脈より多い上に視界も木々で薄暗く、死角を突かれやすいため、危険度は魔生の森の方が高いといった見方が強い。
そのため普段から魔物討伐時には多くの騎士が派遣されている。
(しっかし、籤引きで冒険者を騎士団に分けるのって効率で考えるなら良くないよな。なんでだ?)
シンはふと疑問に思う。
普通に考えれば、その冒険者達が普段から活動している場所に振り分けたほうが効率的だ
冒険者は魔物討伐時の戦力としても側面もあるが、斥候役としての側面も強い。
初めて行く目的地でその役割を担うのは冒険者にとっても困難であるし、冒険者がミスをすれば騎士団の人員にも被害が出かねない。
実際、以前にもその場所に慣れない冒険者がミスを犯し、騎士や他の冒険者たちを危険に晒したことがあった。
そしてシルトバニア辺境伯も領の上層部もこの点は把握している。
その上でこういった振り分け方法を取っていた。
シルトバニア辺境伯を含む領の上層部が意図するところは不測の事態、突発的な危険にも対応できるような訓練、いや実戦を行わせることにあった。
もっともシンにはそういった領の上層部の意図など知る由もない。
(まあ、いっか。俺に何か不利益があるわけじゃないし)
魔生の森なら他の冒険者に劣らぬ活躍ができる。
役立たずのお荷物扱いよりも活躍できた方が気分が良いし、騎士団で知己を増やす上でプラス材料となるだろう。
活躍次第では誰かに感謝されることもありうる。
シンは考え事をしながら、4の城壁で預けた剣や魔力袋を取りに行き、荷物を受け取るとそのまま他の冒険者たちと同じようにグランズールの1の城壁を抜け、街の外へと出た。
街の外では騎士団ごとに多くの騎士達が騎乗のまま待機し、さらにレッドホース二頭仕立ての馬車が並べられている。
「冒険者は馬車に乗れ!」
馬車の前で大きな声を上げる若い騎士にシンは尋ねた。
「馬車に乗れって、さすがにあの数じゃ全員は入りませんよ」
馬車の収容人数と冒険者の数。
どう考えても冒険者の数の方が多い。
「お前たちの足は何のためにある?他の冒険者たちもよく聞け!およそ1刻(2時間)ごとに馬を休ませる!冒険者のうち半数は馬車に乗り、半数は徒歩。それを繰り返して行軍を行う!先に馬車に乗りたい者は早く乗れ!早い者勝ちだ」
当たり前のことを言わせるなとでもいうような表情を浮かべ、騎士は大きな声で説明を繰り返す。
騎士の言い方が少し癪に障ったが、シンは先に馬車に乗った方が休む時間が増えるだろうと判断して、さっさと第1騎士団の馬車に乗り込む。
馬車の中はすでに半数以上が冒険者で埋まっていた。
シンとエンジェが馬車に乗り込んだ直後、馬車を引くレッドホース二頭は何かを警戒するかのように嘶いた。
レッドホースが声高く鳴いたのはエンジェが原因だ。
レッドホースは6級下位の魔物。
一方エンジェはまだまだ幼生とは言え、4級であるスカイタイガー。
4級の魔物と6級の魔物、生物としての格が違う。
そのためレッドホースの生物としての本能が背後から危険を感じ取り、大きく嘶いたのだ。
もっともレッドホースは首を振り返り、エンジェの姿を確認するとまだまだ幼生であり、また周囲に騎士や他の冒険者、同じレッドホースがいることで危険がないと安心したのか、一度大きくブルッと身体を振るわせ、そして鳴くのをやめた。
「どう、どう。落ち着け。落ち着け」
すでにレッドホースが鳴きやんだとはいえ、急に嘶いたことで御者を務める男がレッドホースの首を撫でながら声をかける。
レッドホースが落ち着いたのを確認すると御者は馬車の中を見回す。
シンは少し気まずそうな顔をして、馬車から外を眺める。
エンジェが原因かもしれないと心の中では思いながらも知らないふりをしているのだ。
さすがに行軍中、ずっと徒歩というのはシンとしても避けたい。
(レッドホースのやつ、でかい図体してるのにエンジェに怯えるなよ)
エンジェはシンの足下で大きく欠伸をしている。
レッドホースが警戒して、鳴いたことなど自分には関係がないとでも言いたげな様子だ。
「おい、あんた」
シンは自分に声がかかっていることをわかりながら、聞こえてないふりをしている。
「そこの黒髪の兄ちゃん、でっかい猫か虎の子どもを連れているあんただよ!」
「はい……なんですか?」
御者の怒気のこもった声に観念したシンは返事をする。
「うちのレッドホースは成体のグレイウルフにも警戒しねえ。そいつはいったいなんなんだ」
「ははは」
シンはエンジェがスカイタイガーであることを他の者に説明する気はない。
まだ翼が生えておらず、薄い青色の毛並みも薄い金色に染めているため、何とかごまかせるはずだ。
シンが渇いた笑い声を出すと御者は眉を顰めながら、シンに警告する。
「そいつが何なのかは知らねえけど、こいつの行軍に支障が出そうな場合、あんたらには歩いてもらうからな」
レッドホースのたてがみを撫でながら御者はシンに対して、そう言い放った。
(ひとまずはセーフ!)
御者の対応はシンにとっては十分温情なものだ。
エンジェについても深くは言及せず、警告に止めくれている。
シンは馬車に乗り込む前から少しだけ嫌な予感がしていた。
集まった数多くの冒険者の中にはグレイウルフなどを騎獣登録し、自分の相棒にして連れてきている者もいる。
エンジェはまだまだ幼生のため、戦闘能力という側面ではそれらのグレイウルフと大して変わらない。
いや、多少ではあるものの、現時点では劣っているかもしれない。
それにもかかわらず、エンジェに前を横切られたグレイウルフの中にはお腹を見せて、降参のポーズを見せたものがいたのだ。
そのため、レッドホースにも警戒されるのではないか不安だったが、その不安は的中した。
「根性の据わってないお馬さんなのです。まあ、うちの子が凄いから仕方ないのですよ。だからエンジェ、脅かしちゃ駄目なのですよ」
ジルはレッドホースをそう評価しながらも、エンジェの首筋に掴まり、毛並みに顔をグリグリと押し付けながらエンジェのことを褒めつつ注意を促した。
シンは座った場所をずらし、レッドホースから一番離れた場所である馬車の入り口付近に移動した。
少しでもレッドホースから警戒されないようにするためだ。
入り口からシンの姿が見えたトマス、アクバ、オリバの三人もシンと同じ馬車に乗り込んできた。
「シンの兄貴、もうちょっと中に詰めてくださいよ。まだ少し空いているじゃないっすか」
「俺はここがいいんだよ。お前らが奥に行けよ。ほらっ、さっさと入れ」
「わかりましたよ、兄貴ってば我儘っすね」
トマスはそう言いながら、シンの横にどかっと腰を下ろし、アクバもオリバもシンの近くに腰を降ろす。
(何かこいつら、俺に懐いているよな。まあ、悪い気はしねえけど)
シンからすれば、自分に好意的であり、感謝をしてくれる相手であるなら邪険に扱う理由は一つもない。
ただ、兄貴と呼ばれ慕われることには、いまだにどこか気恥ずかしさがあった。
「シンさんは兄貴なのですね。エンジェ、ジルのことをお姉ちゃんって呼んでもいいのですよ」
シンがトマス達から兄貴と慕われていて羨ましいのか、ジルはエンジェに対し提案をする。
もちろん、エンジェはジルの提案に呆れた顔をした後、鼻でフッと笑った。
「シンさん、エンジェが反抗期なのですよ!」
ジルはエンジェに鼻で笑われたことに憤慨した。
その後、少し時間が経過しても、もう馬車に乗り込む冒険者はいなかった。
外にいる者は皆、最初の1刻(2時間)は徒歩で行軍することを選択したようだ。
ジルの愚痴を余所に馬車はゆっくりと動き出した。
「お馬さん、パカパカ。お馬さん、パカパカパカ」
馬車に乗って移動が楽しいのか、ジルはシンの太ももの上を寝そべりながら、シンとエンジェ以外には聞こえもしない歌を歌っている。
当初はシンに買ってもらった竪琴を弾きながら歌を歌おうとしていたが、馬車の中で誰も弾いていないのに竪琴の音色が響くのは異常なため、シンはジルをギロリと睨み、それを止めさせた。
それならば馬車の幌の上で弾いてくるとジルは提案したが、当然それも却下され、最初は不満げにしながら鼻歌を歌っていたがどうやら気分が上がってきたようだ。
街道を行軍中、街道沿いに見かけた魔物は騎馬している騎士や徒歩の冒険者たちが狩っていく。
狩った魔物は討伐証明部位だけを刈り取るとその場で魔法を使える者が焼却している。
騎士団の魔物討伐でも、食肉に向いている魔物や毛皮に需要がある魔物であれば、状況によってはその部位は剥ぎ取られることがある。
冒険者が狩った魔物の素材はものによっては騎士団が買い取ってくれる。
特に食肉は塩漬けにし、保存を利かせた上、冬場の領内の食糧の安定供給にも活用される。
目的地に到着後、冒険者たちが使用しない馬車はそれらの搬送用に用いられ、そこから最寄りの街に運ばれることになるだろう。
だが、今は行軍中であり、そういったことで足を止めることはない。
一部の冒険者たちは討伐証明部位だけしか剥ぎ取れないことにどこか不満げな表情を浮かべているが、騎士からの指示を無視して目をつけられることは避けたいため、その指示には従っている。
一方、馬車の中の冒険者は腕を組み仮眠をする者や他の冒険者と情報交換をする者、仲間と談笑する者、人それぞれだ。
トマス達はシンが騎獣登録したエンジェのことを色々と知りたがったが、シンが魔生の森に生息している虎の子どもだとしか説明しない。
シンにとっては、自分を慕い感謝するトマス達は他の大勢の冒険者とは一線を画す相手ではあるが、スカイタイガーであることは説明しようとは思わない。
トマス達は気のいいやつらだ。
シンが他の者にしゃべるなとしっかり警告すれば、周りに吹聴したりはしないだろうが、それでもどこか迂闊なところがある。
特に心配なのはトマスだ。
5級の食人鬼マンイーターを単独で討伐したシンのことを表立って悪く言う冒険者はほとんどいなくなった。
だが、目立てば目立つほど羨まれ、妬みを買うのは世の常だ。
マンイーターの単独討伐という功績だけでなく、第4騎士団のグラスから目をかけられ、エンジェを騎獣登録した後はボルディアナの冒険者ギルドの事務方の長である副ギルド長(さらにはその孫娘)との関係も近い。
「便所掃除大好きなお花摘みの野郎のことだ、偉いさんに気に入られるためならどんな媚びへつらいでもするだろうよ。あいつなら舌で靴どころか、きたねえ穴でも掃除できるんじゃねえか?」
以前は便所掃除の依頼をよく受けていたため、お花摘みという蔑称をつけられていたシンのことを妬む冒険者の中には陰でそういった悪口を叩く者がいた。
功徳ポイントに関係なく、負け犬の遠吠えにしか思えないシンは陰でそういったものがいても、大して気にもしなかった。
だが、その陰口を許せない者がいた。
シンを兄貴分として慕うトマスだ。
グリズリーウルフから助けてもらっただけでなく、素材も譲ってもらい、さらに普段から何かとアドバイスや面倒を見てくれるシン。
シンの功徳ポイントという思惑も知らないトマスにとって、シンは理想の兄貴分としか思えない存在だ。
その兄貴が馬鹿にされていることで7級に上がる直前で8級冒険者だったトマスは相手が自分よりも上の7級冒険者であることにも臆することなく、真っ向から殴りあいの喧嘩を行い、見事白星を勝ち取った。
鼻血を出しながらもシンに笑顔でシンの悪口を言っていた冒険者に勝ったことを報告するトマスはいつしかシンにとっては身内に近い存在になっていた。
そんなトマスだ。
4級のスカイタイガーを騎獣登録したシンの功績を知れば、悪気はなくとも何かあった時に大声で周囲に話してしまう可能性があった。
馬車が動きだし、約1刻(2時間)が経過すると30分ほどの小休憩を挟み、その間に冒険者は馬車の乗り換えをする。
そして昼ごろになるとまた食事休憩を挟み、馬車の乗り換えを行い、行軍を行う。
昼食と言っても残念ながら、簡易な保存食を与えられただけだ。
騎士達も同じものを食べているため、表立っては不満を言う冒険者は今のところいないが、味気ない保存食だけでは足りず、多くの冒険者は自分の手持ちの食糧を口に運ぶ。
「ぺっ、ぺっ、不味いご飯だったのです。カッチカッチのパンなのです。カッチカッチ」
ジルはそう言いながらもシンと半分分けした保存食を完食し、さらにシンから与えられたグレイトホーンブルの肉をスモークしたものを薄切りにして挟んだサンドイッチを口にしている。
エンジェは先ほど自分で狩ってきた兎の肉にかぶりついた後、それだけでは物足りず、以前エンジェが狩った鹿の魔物の肉もシンから与えられている。
「騎士さん、ずっとこんな飯なのかよ」
よほど昼食内容に不満だったのだろう、若い一人の冒険者が第4騎士団の騎士に尋ねた。
「夜はまともなものが出されるから心配するな。俺たちもさすがにこんな食事続きじゃ、魔物討伐期間中もたない。あくまで行軍ペースを維持するために3日ほど昼食はこういった形になるが、夜は先行している者達が準備している野営地でもう少し真っ当なものが出されるし、朝食も同じくだ。さらに目的地である魔生の森に近いキャンプ地での食事はがっつりとしたものが出されるぞ」
食糧の輸送や調理は行軍ペースの一番の妨げになる。
第1騎士団と第4騎士団の騎士に、馬車の御者や使用人、それに魔物討伐に参加する冒険者。
魔生の森に向かう人員だけで1500名を超える。
それだけの者達の食糧をグランズールから運び、さらに調理をするとなれば、相当の時間を食うことになるだろう。
そのため、行軍中は基本的に簡易な食事を摂らせ、2週間近く滞在する魔生の森のキャンプ地には最寄りの街や村々から食糧を買い取り、運び込ませ、騎士団に随行している使用人が調理を行い、しっかりと栄養のあるものを取らせて、魔物討伐にあたらせるといった形を取っていた。
「シンさん、ちょっとは安心したのです。あんな不味い食事続きじゃ、ジルは飢え死にしちゃうのですよ」
シンからもらったサンドイッチも完食したジルはほっと自分の薄い胸をさすると、キャンプ地での食事への期待を口にする。
「そう言いながら、差し出したその手はなんだ?」
シンはジルの話に頷きながら、さっと出してきたジルの手を見て尋ねた。
「えっ、えへへへ。おかわりなのです」
「どうやったら、そんな小さな身体に入れられるんだよ。お前の身体の重量より食べてる重量の方がでかいだろ」
「若いうちから細かいことばっかり気にするとギルドのお爺さんみたいに額が後退しちゃうのですよ」
「誰のせいだ、誰の」
シンはジルに呆れながらも、他の者達の目を盗み、もう一枚サンドイッチを手渡す。
ジルはそのサンドイッチに目をキラキラさせると口を大きく開けてかぶりついた。




