第9話 誰が為に捧げる剣、なのです
ランスヴェルグは壇上に上がると前を向いた。
ランスヴェルグの眼前には1000人を超える騎士たちと2000人以上の冒険者たちの姿が見える。
騎士団の騎士のうち、全員が揃っているわけではない。
一定数はこのグランズールに残さなければならないし、この魔物討伐の際に街から冒険者が減るため、すでに各街に数人ずつ派遣しているためだ。
さらに魔物討伐中の食糧などの移送で先行している騎士達もいる。
ここにいる1000人の騎士でせいぜい騎士団の半数といったところだろうか。
常備兵約10000人と騎士団約2000人。
それがシルトバニア辺境伯領の戦力である。
ラドソル王国の大貴族であるシルトバニア辺境伯領の所有する軍事力は量よりも質を重視していた。
数を増やせば、それだけ費用が嵩む。
常備兵の数を10000人以上保有する他の大貴族は数多くいるだろう。
だが、一人一人が5級冒険者クラスの戦闘能力を有する騎士を2000名も揃えた騎士団を有するのは他にない。
ランスヴェルグは騎士団の長として誇りに思っていた。
壇上に立つランスヴェルグは魔物討伐に向けて気合の入った騎士達の面々をよく見た。
いずれも知っている顔だ。
名前だけでなく、得意の武器、戦い方さえわかる。
総団長であるランスヴェルグはこの騎士団の最年長者であり、もっとも古株の一人でもある。
ほとんどが騎士団に入団したばかりの新人騎士の頃からランスヴェルグが見てきた者達であり、指導もしてきた騎士達は子がいないランスヴェルグにとって我が子のようなものだ。
(一人の欠員もなく、無事で帰ってきてくれるといいのですが)
騎士の行う魔物討伐と言えども、不慮の事故は起こりうる。
魔物に不意を突かれて、大怪我を負うもの、死亡するもの。
どれだけ注意を重ねても、完全になくすことはできない。
ランスヴェルグは大きく呼吸すると騎士達、そして冒険者たちに語りかける。
「おはようございます」
壇上に立つランスヴェルグに視線を向けている、後ろの冒険者たちにも届く声だ。
決して大きな声ではないが、よく通る。
名将の条件として、戦場でよく通る声というものがある。
指揮を確実に取り、軍を鼓舞する。
それができるから戦場でも勝てるのだ。
ランスヴェルグの声は大きなものではなくても、深みがある。
「昨日はよく眠れましたか?お酒を飲み過ぎていませんか?夜遊びなんかは言語道断ですよ」
どこか軽いノリさえ感じられるランスヴェルグの言葉に、初めて魔物討伐に参加する冒険者の多くが目を丸くする。
子どもの時にお伽話のように聞かされた救国の騎士らしさを感じられないからだ。
ランスヴェルグもそういった冒険者たちの思いを読み取る。
(救国の騎士、私はそんなに大したものではありませんよ)
ランスヴェルグは魔物討伐前の挨拶を行いながら、そう思い、過去を思い出して軽く苦笑した。
ランスヴェルグは平民の出である。
騎士を志したのはいつの頃だったか。
自分よりも力ないものを助けたい、救いたい。
そういった思いで騎士を志した。
幸い、才能に恵まれたランスヴェルグはラドソル王国の王都で行われた剣術大会で入賞し、目に留まり、若くして騎士に取り立てられることになった。
騎士になってからも研鑽を積み、若くして近衛騎士団の責任のある立場になることができた。
だが、その頃のランスヴェルグの気持ちはいつも曇っていた。
自分の望んだ仕事ではなかったからだ。
すでに故人となったラドソル王国の前王は暗愚であった。
そのため、中央貴族、宮廷貴族が国政に幅を利かせていた。
圧政のために王都周辺の村や街で暴動が起きると、騎士であるランスヴェルグは何度かその暴動を鎮圧しに行った。
騎士になり、守ろうと思った相手を自分の手で弾圧するのだ。
ランスヴェルグは鎮圧の際に暴動した村民を殺すことはしなかった。
だが、それが何になるというのだ。
結局暴動を抑えられ、捕らえられた村民は暴動に加わっていない家族諸共、磔にされたのだから。
自分が暴動を鎮圧した結果で自分が守ろうとした王国民が処刑される。
時折思い出したように慟哭し、深酒を煽る。
日に日にその表情は険しくなっていた。
騎士をやめようかという思いさえ募っていった。
暴動が相次ぐと中央貴族、宮廷貴族もさすがに税の軽減を試みだした。
暴動が起き、殺してしまえば、税の取り立てもできないし、度々騎士や兵を出す費用も馬鹿にならないからだ。
それでも宮廷内の予算や自分たちの利権を減らそうとはしない。
彼らが真っ先に予算を削りだしたのは軍であった。
軍の予算を減らし、騎士や兵の数を減らす。
予算を減らされるだけではなく、いつしか暴動の弾圧の責任が軍にあるような風潮が貴族たちによって作られた。
当然、軍も反発するが、その当時軍のトップだった将軍は軍がクーデターを起こすことを認めず、周囲に堪えてくれと頭を下げた。
ランスヴェルグにとって騎士の数を減らすというのは暴挙に等しかった。
村や街を襲う魔物だけでなく、隣国との関係もある。
国力が衰えた国はより大きな国力を持った国に吸収される。
歴史を振り返れば、それは常になされている当然の帰結だと理解できるはずであるのに、貴族たちの利権を削り、宮中や王族の予算を減らすことはせずに、軍だけに押し付け、規模、そして質を縮小する。
苛立ちは激しかったが、将軍に頭を下げられてはクーデターを起こすこともできない。
だが、それ以上にランスヴェルグは疲れ果てていた。
騎士の数を減らすならばと、自ら辞表を叩きつけた。
幸い、剣の腕には自信がある。
辺境に行き、魔物を狩る冒険者にでも身をやつせば、食うには困らないだろう。
贖罪にもならないが、魔物に困る村があれば、手を差し伸べてもいい。
暴動の弾圧での罪悪感からか、家庭を持とうとはしなかったランスヴェルグは幸い身軽な独り身だ。
王都を離れ、向かった先がシルトバニア辺境伯領だった。
王国の直轄領を離れ、シルトバニア辺境伯領に生まれて初めて赴いたランスヴェルグは驚いた。
王国の直轄領よりもこのシルトバニア辺境伯領の村民の方がまだ豊かな暮らしをしていたからだ。
ここでも不作になれば、口減らしをすることがあるにしても、それでも王国の直轄領よりはマシだ。
何よりこのシルトバニア辺境伯領では定期的に騎士団による魔物討伐を行っていた。
シルトバニア辺境伯の始祖であるグランズール・シルトバニアがこの辺境の開拓を勧めるにあたって、自らの手勢を率いて辺境での生活圏を拡大していった名残かもしれないとランスヴェルグは思った。
だが、話を聞けば、騎士団の魔物討伐は以前は領都の周辺中心だったのだが、辺境伯領全域に積極的になったのはここ数年のこと。
今の辺境伯ドクトール・シルトバニアの父である前シルトバニア辺境伯の治世になってからのことだ。
近衛騎士団でも責任ある立場だったランスヴェルグが望めば、すぐにでもそれなりの立場で士官できたかもしれないが、ランスヴェルグはそれを望まず、冒険者となった。
冒険者となったランスヴェルグはわずか1年足らずの間に5級冒険者にまで上がり、頭角を示した。
騎士時代の恵まれた装備と剣術、5級冒険者どころか4級冒険者にも劣らない技量を持っていたため、それも当然の話だが。
だが、頭角を示せば、人の目にも留まる。
わずか1年足らずで5級冒険者になり、4級冒険者並みの技量を持った冒険者のことは前シルトバニア辺境伯の耳にも入った。
少し調べれば、元々はラドソル王国の近衛騎士団で名を馳せていたこともすぐにわかった。
単なる冒険者にしておくには惜しいと考えた前シルトバニア辺境伯は自分の信頼する部下をランスヴェルグの滞在する街へと向かわせた。
前シルトバニア辺境伯の部下がランスヴェルグの滞在していた宿に度々足を運び、騎士団への入団を勧めてきた。
それでもランスヴェルグはすぐには首を縦には振らない。
それならばと前シルトバニア辺境伯の部下が、一度魔物討伐に参加してみることを提案した。
一度だけならばと騎士団の魔物討伐に参加したランスヴェルグが見たのは自分が憧れた騎士と民の姿だ。
魔物討伐を行い、民の被害を減らそうと意気込む多くの騎士達。
そして、その騎士たちと領主に感謝する民。
魔物討伐に参加した後、ランスヴェルグはシルトバニア辺境伯領騎士団に入団した。
ランスヴェルグとて、この魔物討伐が単に民のためにしていることではないのはわかる。
だが、民の被害を減らすことで民心を慰撫し、治世への不満を減らし、領内の生産力を高めるといった思惑は貴族の当主であるならば当然だ。
それすらもまともに理解しようとしない中央貴族や宮廷貴族を見てきたランスヴェルグにとってはそれで十分だった。
シルトバニア辺境伯領騎士団に入団してからもすぐに頭角を示し、数年で騎士団の中核を担うようになった頃、ラドソル王国の北に位置する隣国との間で戦争が起こった。
民心が離れているのと、ラドソル王国の軍事力が低下していることに目をつけたのだ。
ラドソル王国の北方貴族を蹴散らし、ラドソル王国の直轄領にまで凄まじい勢いで侵攻してきた。
その時、シルトバニア辺境伯は自らが保有する軍事力の大半を出し、騎士団と常備軍に救援に向かわせた。
その中にはランスヴェルグの姿もあった。
運もあったのだろう、ランスヴェルグはその時率いていた第2騎士団の騎士達と共に連勝で油断しきっていた相手の軍に夜襲を仕掛け、見事敵将を討ち取り、撤退に追い込ませることができた。
ただ、その際に、多くの同僚騎士を失うことになった。
ランスヴェルグにとっては痛恨の極みだ。
ランスヴェルグに言わせれば、その亡くなった騎士達こそが救国の騎士である。
隣国との和平がなった後、前シルトバニア辺境伯は宮廷内で中央貴族と宮廷貴族の一定数を処断した。
自らの保身のために隣国と内通していた貴族たちだった。
そして、宮中の空いたポストに貴族の中でも良識を持っていた者達を押し込み、辺境伯自らは辺境伯領に引きこもった。
その後、ラドソル王国の直轄領は以前と比べれば、かなり良識的な統治が行われるようになった。
さらに暗愚であった国王が終戦から数年後に亡くなり、その跡を継ぎ、国王となった第1王子も意欲的に中央、宮廷貴族とやりあい、治世に関心を示した。
戦争で大功を挙げたランスヴェルグは近衛騎士団に戻るように元上司である将軍だけでなく、跡を継いだ国王からもそれとなく求められたが、丁重に固辞した。
ランスヴェルグにとって、自分の騎士としての誇りを取り戻させてくれたシルトバニア辺境伯領騎士団こそが自分の居場所であり、亡くなった同僚の騎士達のためにも後進を育てたかったからだ。
その結果が今のシルトバニア辺境伯騎士団の力量だ。
当時の騎士達よりも力量を持った騎士達がランスヴェルグの前で見事な整列を見せている。
「捧げ!」
ランスヴェルグは短い挨拶を行った後、大きく息を吸い込み、訓練場に響き渡る声を発した。
整列していた騎士達が剣を天高く突き上げる。
冒険者たちは武器は預けているために、武器を所持していないが、自分の利き手を天高く突き上げた。
ランスヴェルグは騎士も冒険者もそれぞれがそれぞれの理由で剣を振るうことを理解している。
領主や領に対する忠誠心、中には民のために剣を振るう者もいるだろう。
家族のため、仲間のために剣を振るう者もいるだろう。
自らの立身出世のために剣を振るう者もいるだろう。
どんな理由であれ、ここに集まっている騎士、冒険者を否定する気はランスヴェルグにはない。
理由などランスヴェルグにとっては些細なものだからだ。
その剣を振るうことで生じる結果は変わらない。
ランスヴェルグは自らも剣を突き上げながら、前を見て、にっこりと微笑んだ。
「ほええ、シンさん、シンさん。あのお爺さん凄いのですよ」
ジルはランスヴェルグをじーっと見つめながら、シンに話しかける。
ジルがこの世界に来て見た人の中で一番功徳ポイントを稼いでいる人物がランスヴェルグだ。
(マジかよ、俺の借金もあの爺さんくらい稼げれば返済できるのか?)
ランスヴェルグがどれだけの功徳ポイントを稼いでるのか、シンにはわからない。
だが、お伽話のように語られる救国の騎士、英雄。
その人物が人から感謝され続けて貯めたポイントなのだ。
さすがにシンの借金ですら余裕で返済できていることだろう。
「えっ?えへへへへ、頑張るのですよ。きっとシンさんなら返済できるのですよ」
ジルは冷や汗を垂らしながら、苦笑いをする。
ランスヴェルグくらい稼げば、返済できるかについては答えていない。
シンは嫌な予感がして、もう一度ジルに問いただした。
(ちょっと待て。俺はあの爺さんくらいに名を挙げて、感謝されても返せないのか?)
「えっとですね、あのお爺さんが凄いのはわかるのですが、あのお爺さんを担当しているわけでもないジルには正確な数字がわからないのです。でも、大丈夫なのです。きっとシンさんなら、返済し終わって来世は左団扇な転生ができるはずなのですよ。目指せ、あのお爺さん越え、なのです」
ジルが言葉を濁したのは単にジルがポンコツだったためのようだ。
正確な数字が分からないうえ、シンの場合、強敵相手だと功徳ポイントを使用しなければならないため、計算しづらいというのもあるが。
(本当に、本当に先が長いよな……)
シンは捧げ剣で盛り上がりを見せる訓練場の中で一人気落ちをしていた。




