第4話 胡散臭いおじさんと話をするのです
「なかなかおっきい城壁なのです」
エンジェの背に再び乗せてもらえたジルはグランズールの城壁を眺めながら、感心したように呟いた。
ボルディアナの城門よりもはるかに大きく、ジルがジルドガルドに来てから見たものの中で一番大きな建造物だ。
「確かにな、それに高さだけじゃない。街全体をすっぽり囲ってるんだ、とんでもない長さだな」
シンもジルの言葉に同調した。
ジルドガルドでは魔法や身体強化があるにしても、人力でこれだけの城壁を作り上げるのは相当な労力がかかる一大事業だ。
どれだけの金、人、時間をかけたのかシンには想像がつかない。
(貴族の見栄ってのがあるのかもな)
シンもジルと同じように城壁を見上げながら、そんなことを考えた。
この城塞は年々拡張されているという話はシンもボルディアナにいた時に聞いたことがある。
シルトバニア辺境伯は中央貴族の権力争いなどには関心を持たない人のようだが、それでも貴族としての格は常に見せる必要があるだろう。
自ら治める領土の領都ともなれば、他の貴族や国の中枢にいるような者たちが数多く訪れることになる。
みすぼらしいものを見せれば、侮られることになりかねない。
近年、このグランズールまで魔物の大群が押し寄せてきたという話は聞かないため、シンにはそのように思えた。
「ちょっと一番上から街の様子を眺めてくるのです」
ジルは城壁を見ながら、シャキンと手を挙げ、今にも空へと舞いあがろうとしたところをシンは制止した。
「また後にしろよ。これから門を通り抜けて、街に出るんだ。はぐれちまうぞ」
「ちぇー。どうせジルが通ったりするのは門兵さん達にはわからないのです。だから、あんな行列を待つ必要はないのですが、仕方ないです。シンさんが退屈しないようにジルがおしゃべりしていてあげるのです」
「はいはい、ジルは優しい、優しい」
ジルの言葉をシンは適当に聞き流す。
シンとエンジェ以外はジルを認識できていないため、別にジルを先に行かせても問題ないのだが、何せ初めての街だ。
ジルに門の入り口を通り抜けたところで待機していろと言っても、城壁の天辺から街を眺めているうちに、シンのその指示を忘れ、フラフラと街中の探索を試みかねない。
「むう、適当に返事をしているのです。昔が懐かしいのですよ。ジルにいつでもお菓子を買ってくれて、ジルの話なら何でも楽しそうに聞いてくれて、ジルを甘やかしてくれたあの優しかったシンさんはどこに行ったというのですか」
「そんな奴は元々存在したことねえよ」
シンはジルの脳内で勝手に創作された思い出話を即座に否定し、門を通り抜ける者達が列をなしている最後尾に並んだ。
「こんだけ、混んでると街に入るころには日が暮れてそうだな。宿を探すの大丈夫かな」
シンは門の入り口へと続く行列を見ながら、そう呟いた。
「あれ?こんなもんなのか?」
グランズールの城壁を通り抜けたシンはそう口にした。
シンの予想よりもはるかに時間がかからず、門を通り抜けることができたからだ。
門にいた兵士がシンに行ったことと言えば、シンの名前、訪問の目的と所属、そしてエンジェの騎獣登録の確認くらいのあっさりしたものだ。
シンの前にいた商人の馬車についても、馬車の中を軽く点検するくらいで大した取り締まりを行っていない。
「シンさん、前を見てくださいなのです」
俯き加減で考え事をしていたシンがジルに言われて、前を見るとさらに数百メートルほど先に城壁があるのが見えた。
「また、城壁があるのかよ……」
シンがそう口にすると、シンの左方向から耳障りな笑い声が聞こえてきた。
「きひひひ、あんた。おのぼりさんだろ」
シンが振り向くと髭を生やした細身の中年の男性がシンを見ながらニヤニヤと笑っていた。
よれよれの服を着て、ヘラヘラと笑う小汚い、胡散臭い男だ。
「仕方ねえな、おっさんがこの街について色々と教えてやるから、何でも聞きな」
シンがその男の言葉を無視して、その場から離れようとすると男は慌ててシンの前を塞いだ。
「いけねえ、いけねえ。これだから、最近の若い奴は慌ただしくていけねえ。ちょっと小粋なおっさんとの心温まる会話は人生を豊かにしてくれる素敵なスパイスなんだぜ」
「そうかよ、そりゃよかったな。悪いな、俺、知らないおっさんとは話をしないことにしてんだ。どけよ、通行の邪魔だ」
「かあーっ、おっさん差別かよ。もうちょっと年長者は敬おうぜ。俺はこの街でちんけな情報屋をやってるトラインシュタインベルクドウォッチマンって男さ」
こめかみを押さえながら、情報屋を名乗る男は天を仰いだ。
「勝手に自己紹介してんじゃねえ、って名前がなげえよ!」
「きひひ、なかなかいいつっこみできるじゃねえか。よーし、気に入った。今日はおじさん、ただで色々と教えちゃうぞ」
シンの反応に少し気を良くした男は気前の良い提案を行う。
どう見ても胡散臭さが先行している男。
この男の見た目を無視しても、ただで教えてもらう情報など、シンからすれば何の信用もできないものだ。
「無料で情報をホイホイ教えるような情報屋なんかを信用できるか、余所を当たれ」
「ちょっと頼むって、おじさん最近懐が寂しくて。……あっ」
ついついポロッと本音を言ってしまったようで男はバツの悪そうな顔をした。
「懐が寂しいって、やっぱり俺を騙してカモにでもするつもりだったのか?」
シンは男をギロリと睨むと男は慌ててそれを否定した。
「いやいや、騙すとかカモにするとかは誤解だっての。おっさんがこの街について色々と教えてやるから、できれば俺の紹介する宿に泊まってほしいなあってな。俺の紹介なら1割引もあんだぜ、俺も宿泊料金の1割を受け取れるって寸法さ。ついでに俺のお勧めする店なんかでも買い物してくれ。店に行って気に入らなかったら、それはそれでかまわねえぜ」
男は苦笑いしながら、自分の目的をシンに説明した。
(ジル、このおっさんはどうだ?)
「う~ん、どっちかというと少し悪人さん寄りなのです。極悪人さんとかではないですけど、むう……」
シンはジルにこの男の功徳ポイントを尋ねてみるが、善人ではないようだ。
そうは言っても、情報屋と言えば、裏社会に所属する職業だ。
情報を得る際に、その情報の取引で人から多少の恨みを買うこともあるだろう。
ジルの少し悪人寄りと言うのは情報屋なら割とよくある話だ。
無料で情報を教える代わりに、店からの紹介料を期待しているというのもある程度話に説得力があるように思える。
シンとしても今から知らない街で宿の良し悪しを考えて探すのは手間だ。
いくつか男から話を聞かせてもらう代わりにまともな宿であれば、泊まっても問題がないように思える。
ジルがいれば、宿で詐欺や追剥まがいのことをしているかどうかの確認もできる。
となれば、肝心なのは情報の精度だ。
「おっさん、去年の暮れごろから第4騎士団に所属している治癒魔法を使える女騎士の名前はわかるか?それと他に知っていることがあれば答えてくれ」
第4騎士団副隊長のグラスについての質問なら、別に情報屋じゃなくても知っている人は知っていそうだが、去年入ったばかりの新人のミーシャについて答えられるなら、ある程度情報の精度が信頼できそうだとシンは考え、男に尋ねた。
いや、正確にはグランズールについてほとんど知らないシンにはこれ以上情報の精度を確認するためにふさわしい質問がすぐには思い浮かばなかったからだが。
「おう、確か普段バツ印のついた修道服みたいな服を着ている女のことだろ。騎士団に入るくらいだから、化け物女を想像したこともあるが、青髪でなかなか美人らしいな。剣じゃなく、戦棍を好んで使うボルディアナの冒険者出身で確かミーシャだったと思うぜ」
シンが期待していた以上の詳細な情報を男は答えた。
男の言っている通り、情報屋も生業としていることは間違いなさそうだ。
ひとまず、情報屋の情報を信じて、話をすることに決めたシンはグランズールについて幾つかの疑問点を尋ねた。
シンが城壁の門兵のチェックが甘くて、拍子抜けだと言えば
「城壁の門兵がまともに入場者のチェックを行ってねえのが不思議か」
「そりゃあ、おめえ、その頭についている脳みそをもちっと使え。魔力袋って便利なものがあるのにいちいちチェックしようとすりゃあ、相当手間だぜ」
「時折、抜き打ちで魔力袋の中身を全部見せろとか、馬車の中をがっつり調べることもあるけど、本当に滅多にやらねえ。その分、違法なものを持ち込んだり、販売したことがばれれば、罰則は厳しいがな。運が良くて、長期間強制労働。持ち込んだ物次第じゃ、一発で首が飛ぶぜ。こええ、こええ」
シンが城壁が複数あることに尋ねると
「城壁が複数あるのが不思議だと?」
「おめえ、そんなことを俺に聞くんじゃねえ。まあ知っていることについて、適当にしゃべるぜ?」
「ここの城壁は全部で4つだ。今、おめえが抜けてきたところは1の城壁で、ちょっと遠目に見えるのが2の城壁だ。1と2、2と3の城壁の間はいわゆる俺のような庶民層向けの家や店舗が中心だな。ちなみに3と4の間は富裕層がメインで、4の城壁に囲まれているのがここの領主の城や騎士団や役人なんかに関連する施設だ。えーっと、俺のお勧めする店は……」
「4の城壁を通る際にはチェックがそれなりに厳しいらしいぜ。理由のない立ち入りは認められてねえし、身分証の提示や冒険者なんかだと依頼証のチェックなんかも行われるな。チェックが厳しい理由は他国や他の領主なんかの密偵を防ぐためってことくらいしか、俺はよく知らねえな」
「そういや、万一この周辺が戦場になったり、魔物の軍勢が押し寄せてくることになったら、住民を3や4の城壁を越えて、街の中心へ中心へと移動させて、被害を減らすことを考えているらしいな。城壁の拡張は冬場に仕事があまりない、農村なんかの連中に仕事を与えることも兼ねているとも話を聞いたことがあるぜ。まあ事実かどうかは知らねえが、多少は領民のことを考えてんだろうな」
さらにはシンが尋ねてもいない領主の話までペラペラと語りだす。
情報屋が大きな声でしゃべるせいか、周囲にいる者の中にも足を止めて、情報屋の話を聞いている者がいる。
「ひでえ不作だった時は不作になっていなかった他の領地や他国から食い物をかき集めて、なるべく食い物の値段が高騰しない努力はしてたらしいな。まあ、あの時は売られた農村のガキも結構いるらしいが、一応ありがてえことに俺ら下の連中のことのことも考えてくれてるんじゃねえか?他のところのアホ領主に比べれば、随分と立派なもんだ。それでもお貴族様だから、裏では何かやってるかもしれねえが、俺らに関係ない、影響がない限りは別にかまわねえよな」
「定期的な魔物討伐だってやらない領主はいくらでもいらあ。そんな連中は領民が木の根、草の根から生えてくるとでも思ってんのかねえ。ここも税はそんなに安かねえけど、あいにく俺みたいなのは税なんて払っちゃいねえから、なははは」
「騎士団の魔物討伐も優秀な冒険者のスカウトと騎士団の演習を兼ねているにしても、やらねえよりははるかにありがたいぜ。そういや、兄さん、冒険者だろ。偉いさんの目に留まれば、騎士になって街娘両手に抱えて、ウハウハになれるかもな」
情報屋の話は領主のことを茶化す内容はあるものの、概ね好意的なものが多い。
シンはシルトバニア辺境伯の評価を上方修正した。
グラスの仕える相手だから、ある種の脳筋タイプを想像していたが、その統治はかなり理にかなったものらしい。
シンはとうとうどうでもいい世間話まで始めようとした情報屋の話を切り上げる。
情報屋の好きな女性のタイプなんていくらなんでも聞く価値はない。
ジルも情報屋の長話に退屈をし始めたのか、エンジェの背中に乗ったまま、うつらうつらと居眠りを始めている。
「わかった。わかった。もう十分だ。もう日が暮れているし、俺はそろそろ宿に行きたい」
「おう、ちょっと余計なことまで話しこんじまったな。ところで、兄さん、俺のお勧めの宿や店のことを頼むぜ」
「一応、行ってみるだけはしてみるさ。それ以上は保証できない」
「まあ、そりゃあ仕方ねえな。そこは兄さんの判断に任せるぜ。泊まる宿や店で何かを購入する場合はトラインの紹介だと伝えてくれ」
シンはエンジェに声をかけて、2の城壁を越えた先にある情報屋の勧めた宿の方向へと足を進める。
シンが歩いていくのを見送ると情報屋トラインは表情を切り替える。
トラインは情報屋である。
それにシンに勧めた宿や店には特に問題はなく、紹介料の話も本当だ。
だが、余計な雑談はしても、トラインには決して他の誰かにしゃべるわけにはいかないことがあった。
シンに対してだけでなく、同じ情報屋同士や貧民街などの上役などにも話せないことだ。
もしも知られれば、翌朝には貧民街の犬の餌にされる危険がある。
トラインに大口の雇い主がいるということだ。
彼はシルトバニア辺境伯、正確には辺境伯の家宰に雇われている工作員の一人だ。
家宰がどうすれば領内で統治に対する不満がより噴出しにくいかを考えた結果が情報操作だった。
他の領地と比べれば、善政を敷いている方だ。
それでも不満が噴出するリスクを低めることは家宰の立場からすれば当然のことだ。
他の領地について、ある程度の知識があるのは領地を越えて取引を行う商人くらいで、領民のほとんどは知りえないし、関心を払わない。
善政を敷いているということをそれとなく伝えておくべきだというのが家宰の考えだ。
シルトバニア辺境伯の家宰はトラインにグランズールで見慣れない訪問者を見かけた場合、積極的に話しかけ、そしてシルトバニア辺境伯、そしてその統治について他の周囲の者にも聞こえるような大声でところどころで揶揄しつつも好意的に話をするように命じていた。
しゃべる内容に嘘は入れない。
嘘に気づく人がいれば、不信感を呼ぶからだ。
あくまで推測や解釈といったところで好意的にしゃべる、そして都合の悪いことは積極的にしゃべらないといった程度のものだ。
だが、それをするのとしないのとでは統治に対する不満、満足の度合いが明らかに違う。
一人の者が聞いた話が幾人かに語られ、そして最終的に数百、数千人へと広がる。
シルトバニア辺境伯のブレーンは情報の重要性について理解していた。
また情報屋は裏社会とつながりを持っている。
違法なものの取引などが行われた際などの情報を把握できるように、シルトバニア辺境伯領には家宰や辺境伯領子飼いの何人もの情報屋がいた。
「さーて、次はどいつに話しかけるとするかな。これもお仕事、お仕事。抜き打ちで俺らのことをチェックしているのがいるかもしれないし、さぼると契約を打ち切られちまうかもしれないからな。お姉ちゃんたちと遊ぶためにもうひと頑張りしますか」
トラインはスーッと目を猫のように細め、次の相手を探しながら暗くなった街を歩きだした。
次回は26日午前11時




