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打算あり善行冒険者  作者: 唯野 皓司/コウ
第3章 6級冒険者 母と子、新たな相棒編
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第18話 出立

 ズサーッ

 ズサーッ

 重いものが地面を引きずる音がする。


 エンジェが9級の鹿の魔物を狩って、それを引きずる音だ。

 どうだ、凄いだろうと言わんばかりの誇らしげな顔をシンに向けている。


「よく狩って来れたな」


 シンはエンジェの頭を撫でながら、そう褒めた。


 エンジェの狩ってきた鹿の魔物は、シンとしては他の大物の方が金になるためあまり相手をしてこなかった魔物ではあるが、それでもまだ8級や7級に上がったばかりの頃は功徳ポイントを使わずに狩れる魔物として何度か狩ったことがある。

 シンはエンジェの成長ぶりを実感した。


 この鹿の皮は柔軟性に富み、湿気水分の吸収性、通気性が良いため、蒸れにくく、手袋などの材料としては好まれている。

 シンが冬場に手がかじかむのを避けるためにつける手袋も、この鹿の魔物の皮が使われているものだ。



 すでに8月(向秋の月)は過ぎ去り、9月(涼風の月)も終わろうとしている。

 エンジェはこのひと月余りでさらに大きくなった。

 体高はすでに40㎝ほどもあり、中型犬に近い大きさにまで成長した。

 さすがにもう猫という主張は通じない。

 シンは周囲の者に尋ねられるときちんと冒険者ギルドで登録を済ませた虎の魔物だと説明してある。

 魔生の森には今のエンジェが染められた色と同じような毛並みの6級の虎の魔物もいるため、詳しく説明しなければ、それだと勝手に思い込み、ほとんどの者は納得している。

 ひょっとすると勘の良い者の中には、それとは違うのではないかと思っている者がいるかもしれないが。

 相手がどう思おうとシンの不利益にならないなら、それはかまわない。



 ジルがエンジェの背中に乗って足を必死に伸ばしても、拾ってきた当時のように地面に足が届くことはない。

 大きくなったエンジェはジルとじゃれあう時、相当手加減をしているようだ。

 正直なところ、ジルは頑丈なので、エンジェが本気で攻撃してもまともに怪我すらしないだろうが、エンジェなりにジルに気を遣っているのかもしれない。

 孤児院の子どもたちと遊ぶ際にも、子どものことを気遣う余裕を見せ始めた。

 良い傾向だとシンは思う。


 シンは老婆から男性機能回復薬の利益としてそれなりの数の金貨を受け取ったすぐ後に2つ目の魔力袋を所持するようになった。


 ギルドの貸金庫に貯めてある金を使えば、いつでも購入することができたのだが、思ったよりも薬の利益が多かったため、老婆の店で金を受け取った後にふと新しい魔力袋を購入しておこうと思いつき、そのまま魔道具屋に足を運んだのだ。


(婆さん、どんだけぼったくったんだよ。おっさんや爺さんの金持ち連中も衰えたんなら、いい加減女遊びとかは諦めろよ)


 シンは心の中ではそう思ったが、その馬鹿な中高年のおかげで大金を手に入れたのだから、これからも小遣い稼ぎになりそうだとも思い、ほくそ笑む。


 2つ目の魔力袋を購入した一番の理由はエンジェがさらに大きくなった時のことを見据えたためである。

 まだ小さな野生動物や10級や9級の魔物などを狩ってくる分にはシンの1つ目の魔力袋の空いている容量に入れておけばいい。

 だが、これからどんどん大きくなれば、それだけエンジェが野外で活動する際に必要な食糧も増えるし、エンジェ自身が狩る魔物や動物のサイズも大きくなる。

 今の中型犬程度のサイズでも、一食につき軽く1㎏の生肉を食べるのだ。


 ある意味では先行投資だ。

 食用に向かない部分で金になる部位はシンがいただけばいい。

 短期的には魔力袋の購入費や維持費でマイナスかもしれないが、中期的、長期的に見ればプラスだ。

 それにシンとしても200㎏少々の容量では少し足りなくなってきたように感じていたところでもある。

 さらに進んだ都市の魔道具屋では200㎏よりも大きな容量の魔力袋を売っているらしいが、いくつも腰にぶらさげるのは不恰好なように思えても、今使っている魔力袋を複数所持した方が値段的には断然お得だ。


 

「シンさーん、あっちに6級の魔物さん達が何匹かいるのですよ」

「わかった。これを入れたら、すぐに行くからもうしばらくどこかに行かないかよく見といてくれ」


 上空から周囲を見渡していたジルがシンに声をかけた。

 シンは急いで、鹿の魔物を解体し、必要な部分だけ魔力袋に詰めるとジルの指さす方向へと向かう。

 シンは9月(涼風の月)に入ったあたりから、今まで以上に狩りのペースを速めた。

 狩りのペースを速めれば、騎士団の魔物退治に同行する前に、なんとか5級に上がれそうだと思ったからだ。


 10月の騎士団の魔物退治の依頼に参加する上で、6級よりも5級の方が当然だが、待遇がいい。

 冒険者に対する募集は7級から受け付けているのだが、階級ごとに基本報酬が異なる。

 成果給の方が大きいが、それでも階級差による基本報酬の差も馬鹿にはできない。

 それにシンは騎士団の魔物退治でグラスやミーシャ以外にも騎士の知己を得たいと考えている。

 それもできるなら、騎士団の中でも役職を持っているような騎士が対象だ。

 6級よりも5級の方が相手からのシンに対する最初の印象は良くなるだろう。

 5級になれば少なくとも冒険者風情と侮られる可能性は低くなる。


 今日中に5級に上がるためのノルマをクリアできるはずだ。

 シンはジルが指さした方向にいた魔物を見つけると、後ろから衝撃波で魔物たちの足を切り飛ばし、逃げられないようにした後、一匹ずつ魔物の首を刎ね、絶命させた。


 5級に昇格するための討伐をこなした後、シンはまだ時間的には余裕があるものの、この日は早めにボルディアナへと帰り、そのまま冒険者ギルドに赴く。

 討伐証明の部位と換金してもらいたい素材を提出し、ギルドカードを提示すると、シンは素材鑑定をしている壮年の男性ギルド職員に声をかけられた。


「シン、5級に上がるための討伐ポイント貯まったみたいだな」


 先々週、エンジェの騎獣試験の担当官にもなった経験豊かなギルド職員だ。

 アメリア以外にも何人かの女性職員がエンジェの騎獣試験の担当になりたがったが、そういうエンジェに甘い判断をしそうな者は担当官から除外された。

 シルトバニア辺境伯領以外の貴族領での話らしいが、本来試験の合格基準に達していないのに、担当の女性職員が合格を出してしまったことがあるそうだ。

 その魔物の見た目を気に入り、殺処分は可哀想だと考え、甘い判断を出してしまったのだ。

 それが原因で後々大きなトラブルになったことがあったらしい。


 エンジェとしても無暗に近づき過ぎる相手より、一定の距離を保って試験を行う担当の者との方が好ましかったようで、特に何の問題なく、試験には合格できた。


「ええ、何とか目標通り9月中に昇級できて、ほっとしていますよ。後で受付でギルドカードの更新でもしてもらえばいいんですか?」

「いや、5級になるとカードのプレートが変わるから副ギルド長の部屋に行ってこい。最近入り浸ってるようだがな。アメリアに手を出したら、他の若い男性のギルド職員から恨まれるかもしれんから気をつけろよ。……副ギルド長がいるから、そんなことはできんだろうけどな」

「そうなんですか、わかりました。後で副ギルド長の部屋に受け取りに行きます。アメリアさんの方は、エンジェに興味があっても、俺には大して興味なさそうですよ」

「とは言え、そういうきっかけから芽生える恋もあるからな。お前らみたいな若い連中が羨ましいぞ。俺なんて女房のケツに敷かれて、はや何年になることか」


 そうは言いながらも、日頃から愛妻弁当を持参しているらしい壮年の男性職員にシンは苦笑する。

 何度か肉の差し入れをした時にも、お礼の言い方は「女房と子供が喜んだからまた頼む」という言い方をする男なのだ。


 シンは素材を換金して得た金を革袋に入れると、男に一礼して、副ギルド長室へと向かった。



「シン、5級に昇級おめでとう」


 そう言って、5級用の銀色プレートのギルドカードをシンに手渡した副ギルド長の顔はどこか機嫌よさげに見える。

 明後日からシンは騎士団の魔物討伐に参加するため、最低でも2週間強はボルディアナを出かけるので、しばらくは平穏な日々が戻ってくると思っているからだ。

 副ギルド長もエンジェを嫌っているわけではないが、少々複雑な思いを抱いているようだ。


「明後日出立予定でしたね。ところでシンさん、考え直してはくれませんか?」


 アメリアはエンジェをボルディアナに置いていくことを提案したが、シンははっきりと断った。

 1日や2日ならともかく、2週間以上エンジェを自分の手元から離して、誰かに預けるのは不安であったからだ。

 まだ子猫サイズだったころのエンジェならともかく、今のエンジェは戦力になるかはともかく、警戒役としての役目なら十分果たせるし、敵から逃げることもできる。

 ここに置いていく理由はない。

 ボルディアナに置いて、アメリアに預ければ、エンジェはそれこそシンに置いていかれた、裏切られたと不満を持ちかねない。


 幸い、まだ翼が生えていないのもシンにとっては好都合だ。

 ジルはエンジェに「いつ、ジルと一緒にお空のお散歩を楽しめるのですか?」と言って困らせていたが、シンとしては逆にもうしばらく生えてこなくてもいいと考えている。

 空からの偵察はジルに任せばいい。

 エンジェに今のところ求めている役割ではない。


「こいつはもう俺の家族ですから。どうしようもない場合じゃなければ、置いていくわけにはいきませんよ」


 シンの言葉にエンジェはホッとした表情を見せた。

 エンジェが大きくなったことでアメリアのエンジェに対する熱狂的なまでの愛情は薄れるかと思いきや、そうはならなかった。

 大きいのには大きいなりの良さがあるらしい。

 今のアメリアの夢は将来翼の生えたエンジェの背中をモフりながら、天にも昇るような気持ちで実際に大空を飛ぶことらしい。

 当然だが、その夢を聞いた時、エンジェはうんざりとした表情を見せた。


「……そうですか。エンジェ、私はいつもエンジェのことを想っていますよ」


 アメリアはエンジェの頭を撫でながら、そう言った。

 アメリアはエンジェのことをお猫様と呼ぶのはやめ、エンジェと呼ぶようになった。

 虎の誇りを持ちだしたエンジェが猫呼ばわりされることに対して不満げな素振りを見せるようになったため、アメリアは別の呼び方を色々と考えた。

 そしてその際、なぜエンジェが副ギルド長の方に懐いているのかを検討した結果、副ギルド長はエンジェを猫ではなく、名前で呼んでいるという事実に気づくと自分もエンジェを名前呼びし始めたのだ。

 シンとしては「それは違う。そうじゃない」と言いたいところだが、アメリアにエンジェと距離を保てと言ってもおそらく無駄なのでわざわざ指摘するつもりはない。


「グラス殿によろしくな」


 ボルディアナの冒険者ギルドにグラスからシン宛ての手紙が届いた。

〔そろそろ、魔物退治の季節である。俺がトイレ掃除の罰なんて受けているのだから、すっぽかせば叩き斬りに行くぞ〕とシンを軽く脅すような文言が入っていた。


「よろしくするのはいいのですが、魔物退治の前からあの人の相手なんてしたくありません。剣を同行前からぶった切られでもしたら、目も当てられませんし」

「ははは……」


 シンの冗談めかした言葉に副ギルド長は苦笑した。

 だが、同時にグラスならありえるとも思った。


「明日は一日休んで、明後日の朝にはグランズールに向けて出立するつもりです」


 ボルディアナのギルドで5級冒険者用の依頼の受注書をこの後にもらうつもりだ。

 シンは副ギルド長室から退出するとその足で新しいギルドカードを手に受付で騎士団の魔物討伐の同行依頼を申し込む。

 また訓練場で他の冒険者の指導をしていたガルダにも「2~3週間留守にしますけど、また戻ってきたら指導をお願いします」と挨拶を済ませた。



 明日は昼は孤児院でシンが5級になったお祝いでリリサの手料理を、晩は老婆の家でダリアとアイリスの手料理を御馳走になる予定になっている。


 すでに孤児院の運営費に当てる10月分の寄付を前倒しでロベルドに手渡している。

 仮にシンの帰還が多少遅れても孤児院が金銭的に困ることはないはずだ。


 シンは孤児院の子どもたちに「2~3週間ほど来れないけど、時々でいいから俺のことは思い出してくれよ」と念を押したが、「来れなくても、毎日シン兄ちゃんの無事を祈ってるよ」と子どもたちが言ってくれて、シンとしては非常に嬉しかった。

 明日は子ども達としっかり遊ぼうとシンは考えている。


 また老婆の店では様々な薬を大量に購入した。

 騎士団に同行する以上、傷の手当てはしてもらえるとは思うが、持っておくに越したことはない。

 余れば、その後にも使えるのだから。


「大量に買うんだから、婆さん、割引よろしく」


 そう言ったシンに対して、「厚かましいね。普段からサービスしてやってるんだよ」と若干呆れながらも老婆は多少割り引いてくれたようだった。


 ダリアとアイリスからは黄色のリボンを2本もらった。

 無事を祈るという言葉とシンとエンジェの名前が刺繍されている。

 シンとエンジェのためのものだ。

 エンジェは尻尾のところにつけさせてもらった。

 シンはそのリボンをあまり人からは見られない足首にでも巻いておこうと考えている。


「ジルも欲しいのです」


 ジルは自分の分がないのを不満そうにしたため、シンはダリアからどこでリボンを購入したかを聞くと同じ店で同じ色のリボンを選んで、慣れない刺繍をほどこして、ジル用のリボンも作ってやった。


「これでジルもお揃いなのですよ」


 ダリアとアイリスからもらったものかどうかはジルにとっては関係ない。

 シンとエンジェが持っているのに、自分だけ持っていないのが仲間外れのようで嫌なのだ。



 シンが5級冒険者になった翌日、午前中から子どもたちと遊び、昼食はすでに孤児院に引っ越してきているリリサが作った御馳走をみんなでワイワイと騒ぎながら食べた。

 そして夕暮れになると孤児院の皆とあいさつを済ませて、そのまま老婆の店へと向かう。

 2階ではダリアとアイリスが二人でシンのお祝いの料理を作っている真っ最中だった。


「あんたみたいな坊やにも、心配してくれてる人は大勢いるんだから怪我しないように注意して、無事に帰ってきな」


 老婆は二人を手伝う気はないらしく、その日は早めに店を閉めると、ダリアとアイリスがはしゃぎながら料理を作るのを、酒の入った容器を片手にのんびりと眺めていた。


 さまざまな料理がテーブルに並べられたが、そのうちの一つは卵だけのシンプルなオムレツ。

 アイリスが一人で作ったものだ。

 他の料理はアイリスが材料を切るくらいしかあまり手伝えないのだが、これだけは別だ。

 アイリスが大きくなったエンジェに卵を運ぶとエンジェはぺろりと平らげた。

 基本的に肉類しか食べないが、卵はエンジェも嫌いではないようだった。


 孤児院でも老婆の家でも、ジルは目立たずに大量の食事を摂ることに成功した。

 エンジェが大きくなったことで、どうしても周りの者が料理を多く作るし、床で食事をしているエンジェを気にかけてしまうため、気づかれにくくなったのもジルとしてはありがたい。

 意外なところでエンジェの恩恵を受け始めたジルであった。



 翌朝、一日休暇を過ごし終えたシンはマントを着用した姿でボルディアナからグランズールに向けて出立した。

 マントはグリズリーウルフの皮を仕立てたもので、もう少し日が昇り、肌寒さがなくなれば、脱ぐつもりでいる。

 そのシンの隣にはエンジェが寄り添うように歩いている。

 ジルはそのエンジェの背に跨っている。


「それではグランズールに向かって出発進行なのです」


 ジルはシンとエンジェ以外の者には聞こえないものの、大きな声を出し、グランズールの方向に向けて、指をさし示した。





〈9月終了時のシンの功徳ポイント 4万3000〉

〈目標達成まで     残り 995万7000〉

これで第3章 6級冒険者 母と子、新たな相棒編は終了です。

第4章の魔物退治同行編まで、しばらくお時間をいただきます。


第4章の投稿開始は4月18日の午前11時で2日に1度の隔日更新の予定です。

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