第15話 老婆の過去
シン達は5刻半(11時)頃にランカサスの村に到着した。
ランカサスは自然豊かな美しい村だ。
果実栽培が盛んで、この村で作られた果実はボルディアナやグランズールにも出荷されている。
今はブドウと梨などが街へと出荷される時季だ。
ここからは遠目にだが、ボルディアナの街を見ることもできる。
シンはまず村長の家に訪れた。
村長はまだ40にならない程度の壮年の男性だった。
村長の話によると流行病の熱病に冒された村人たちは数か所に隔離しているそうだ。
老婆から渡された紹介状を確認してもらった後、シンは村長に熱病の薬を渡す。
村長の身内にも熱病にかかった人がいたのか、村長からシンに50の功徳ポイントが入る。
村で熱病を移された時のことを考えて、シンが老婆から予備にもらった薬は魔力袋に入ったままだ。
村長はシンにお茶を出した後、「これから薬を渡してくるので少し席を外させてもらう」と言って、家の外へと飛び出した。
それから数分後、村長は家に帰ってきた。
背筋の伸びた大柄な老人も一緒だ。
髪は高齢のためか、薄くなってきている。
老人はシンに対し温和そうな笑みを浮かべて話しかける。
「よく来てくれたね。カモミールは元気かい?」
「カモミール?」
いきなり知らない名前を出されて、シンは首を傾げる。
そんなシンの様子を見て、愉快そうに老人は笑う。
「ははは、相変わらずのようだね。自分の名前すら相手に教えてないのか。君に薬を渡した薬師の名前さ」
「婆さんってカモミールって名前だったのかよ……いや、すいません」
「気にしなくてもいいよ。シン君、君のことは知っているよ」
「えっ?」
「2か月に1度程度だが、カモミールとは文のやり取りをしていてね」
「……親父、いきなり話しかけられちゃ、冒険者さんも困るだろ。まずは挨拶くらいしろよ」
村長は老人の言葉を遮り、シンに対して挨拶をするように求める。
「ああ、すまない。挨拶が遅れたね。私はこの村の前村長で今はただの隠居の爺さ。妻もいるが、末の孫、こいつの娘が今、熱病にかかっていてね。嫁姑揃って、その看病の手伝いをしているから、挨拶は失礼させてもらうよ」
「冒険者のシンです。そういった事情なら別に挨拶してもらう必要はありません。薬師の婆さんの知人ってあなたですか?」
「そうさ。私もそうだが、妻もカモミールの友人だよ。かれこれ60年ほどの付き合い、幼馴染ってところさ。せっかくだし、よかったら食事でもしながら話をしないかね?そろそろ、お昼の時間だろう。私と妻の家はこの村の外れでね。村長職を奪い取った息子が今まで育ててもらった恩も忘れて、私たちを家から追い出したのさ」
「人聞きの悪いことを言うなよ。親父がもう村長の仕事はしたくないって俺に押し付けて、お袋と一緒に空き家に引っ越したんだろが!冒険者さん、あんまり父の言うことを真に受けないでください」
前村長の言葉遣いは温和だが、その性格はかなり癖のある人物だとシンは思った。
あの老婆と長年友人付き合いするだけのことはある。
父親相手に必死に突っ込みを入れる村長にどこか親近感が湧いた。
シンは前村長の話に興味があり、その申し出をありがたく受け入れた。
いつも老婆にからかわれているシンとしては昔の老婆の話は知っておきたい。
思いもよらないネタが入るかもしれない。
前村長の自宅はランカサスの村の外れにあった。
あまり家自体も大きくなく、2人で住むには十分だが、4人や5人となると手狭に感じられる小さな家だ。
家の中には、古びてはいるものの、日頃から綺麗に手入れされていそうな剣や鎧が置かれてあった。
「こう見えても、私も若い頃は7年間近く冒険者をしていてね。その時のものさ」
シンが興味深げに剣や鎧を眺めているのに気づいた前村長は説明する。
「村長の跡を継ぐのに冒険者なんかしていたんですか?」
「私は次男坊だったからね。幼馴染達と共にボルディアナに冒険者になりに行ったんだよ。妻とカモミール、そしてもう一人の幼馴染も一緒にね」
シンとしては前から薄々感じていたことだが、やはり老婆は冒険者出身だった。
いくら怪しげな薬品を所持していると言っても、荒事に慣れていない者がスラムの近くに店を構えるとは思えない。
それにシン以上に冒険者ギルドについて詳しいところがあるように見受けられる時があるからだ。
「まあ、そこに座っていてくれ。子猫ちゃんもスープは飲めるのかな。いや、やめた方がいいな。ミルクを温めるから待っていてくれ」
シンが椅子に腰を下ろして、しばらくすると前村長はスープとパンを持ってやってきた。
一度テーブルの上にそれらを置くと、再びミルクを取りに戻る。
「すいません。こいつに生肉を与えたいので、余ってる皿があったら、貸してもらえませんか」
シンの頼みを聞き、ミルクの入った皿と空の皿を何枚か持ってくる。
「あれ?1枚だけでいいんですよ?」
「何を言ってるんだい。どうせその魔力袋にハムか何か入れているのだろ?せっかくだし、私もいただくことにしよう」
自分から昼食に誘っておきながら、前村長はしれっとした顔でシンに食料を差し出すように要求した。
「これはグレイトホーンブルだね。昔はよく食べた。懐かしい。看護中の妻に内緒で思い出の御馳走を食べるのってワクワクするね」
シンが皿に盛ったスモークしたグレイトホーンブルの肉を口に運びながら、前村長は愉快そうに笑った。
「6級だったんですか?それとも5級?」
口ぶりからおそらく6級か、5級の冒険者だったと予想したシンは尋ねた。
「最終的には5級だよ、まあそれ以上は続けていたところで上がれなかっただろうけど。5級になってすぐだったかな、兄が亡くなってね。村長だった父の跡を継がなければならなくなって、引退したのさ。ちょうどそのころ、妻の妊娠も発覚してね。引退するかどうかで色々と迷ったんだが……迷っていると生まれてくる子どものことを考えろとカモミールのやつに思いっきり殴られた」
老婆の性格は昔から変わっていないようだ。
気に入らなければ、口だけじゃなく、手も出す。
だが、そこに思いやりもこもる。
「私と妻がパーティを抜けると、カモミールも冒険者を止め、同じパーティだった幼馴染の男と結婚し、以前から少しずつ知識を蓄えていた薬の店を構えたのさ」
「婆さんって子どもいるんですか?」
シンはこれまでに老婆の夫の姿を見たことがない。
すでに死んでいるのだろう。
だが、結婚しているのなら成人どころか壮年くらいの子どもがいてもおかしくない。
「いや、いないよ。旦那の方は早くに亡くなってしまってね。病気だった。カモミールも散々手を尽くしたようだけど、一向によくならず、店を構えてから2年も経っていないころだった。妻は子供の面倒があるため、会いに行けなかったが、私は何度か会いに行ったよ。痩せ細った幼馴染、そして辛そうなカモミールを見るのは私も辛かった」
「この村には戻らなかったんですか?」
「私も葬儀の後、勧めたんだが、断られた。今思えば、未熟な自分の腕が許せなかったのかもしれないな」
葬儀の後、2年ほど経ち、少し大きくなった長男と妻を連れて、カモミールに会いに行ったとき、カモミールは別人のように老け込んでいた。
身体のことを考えず、薬の研究に打ち込み過ぎたのだろう。
やめろと言おうとしたが、どこか鬼気迫るように薬の研究に打ち込む幼馴染の姿を見ると何も言えなかった。
せめて、子どもでもいればとあの時何度思ったことか。
前村長は軽く目を瞑り、今まで雄弁だった口を閉ざす。
部屋の中からはエンジェがピチャピチャとミルクを舐める音しか聞こえない。
いや、シンの耳には、前村長が目を瞑ったことで、急いで肉を口に運ぶジルの咀嚼音も聞こえているが。
1分ほどゆっくり目を瞑った後、前村長は話を変える。
「最近ね、カモミールの手紙が楽しそうなんだよ」
「そうなんですか」
「君のおかげだ」
「俺の?」
「口の悪いカモミールとよく口喧嘩をしているようじゃないか。これまではどこか事務的な手紙だったのに、ここ何度かは君の悪口ばかりが書かれてある。やれ、マセガキだの、口の悪い捻くれた糞ガキ、怪我ばっかりこさえる馬鹿ガキだの」
「それって」
「勘違いはしないでくれ。カモミールは嫌ってる相手とは話もしないよ。ところで、先ほども聞きかけたが、カモミールの様子はどうだい?元気にしているのは予想できるが」
前村長よりも老けて見える老婆だが、恐ろしいほど元気だ。
貴族や金を持ってる商人から金銭をむしり取っていますとシンが説明すると前村長は大きな声で笑った。
「そう言えば、一番新しい手紙っていつのものなんですか?」
「7月の上旬だったと思うが」
まだ老婆はダリアとアイリスのことについては知らせていないようだ。
「婆さんに同居人ができました。たぶん、次の手紙は俺のことじゃなく、彼女たちのことがたくさん書かれているんじゃないかな」
シンはシラガイの村の詳細は省き、たまたま自分が保護することになった二人の少女を老婆に頼んで、世話を見てもらっていることを話す。
そして、その二人を思いのほか可愛がっているという、老婆にとっては相手に知ってほしくないだろう事実についても詳細に語った。
「カモミールに、子ども、いや孫ができたか……」
前村長は目を瞑り、感慨にふける。
そして、目を開けるとシンの目を見据えてこう言った。
「ありがとう。君のおかげでカモミールにも孫ができた」
前村長からの思いもかけない言葉にシンは反応に困る。
こっちこそ、ダリアやアイリスの面倒を見てもらって、老婆に礼を言わないといけない立場なのだ。
すでに村長から薬の話を聞いた時に、前村長はシンに感謝をしていたため、功徳ポイントはつかなかったが、誰がどう見ても前村長がシンに深く感謝しているのがわかる。
「次のカモミールからの手紙が楽しみだな」
そして前村長は口元に穏やかな笑みを浮かべた。
食事を終えた後、シンは一度村長宅に戻る。
村長から依頼完了のサインと依頼の残金を受け取る必要があったからだ。
村長がサインもせずに薬を渡しに向かったことと前村長から食事に誘われたせいで、すっかりサインや残金を受け取るのを忘れていた。
前村長は、それならしばらく村長の家で待っておくようにシンに指示をする。
老婆とシンにお土産として、果物をもいできてくれるらしい。
シンがサインと残金を受け取り、シンは椅子に座りながら今回この村で得られた1500を超える功徳ポイントに頬を緩める。
ランカサスの村は大きな村だけあって、かなり稼ぎがいがあった。
それだけ身内が熱病にかかった人が多かったということでもある。
シンがしばらく前村長を待っていると外から荷車を引きずるような音が聞こえた。
前村長が無理やり村の若い衆の何人かに声をかけて、果物を大量に取ってきたのだ。
一人の若者は顔に青痣ができていた。
おそらく前村長の手伝いを嫌がったのだろう。
年老いても、5級の冒険者にまでなっただけのことはあり、そんじゃそこらの若者よりもいまだ前村長の方が強く、そして理不尽だった。
「そんなにたくさんいただくわけには……」
シンは荷車に積まれた果物を見て、そう口にする。
魔力袋の中に入れれば、何とか入れられそうだったが、お土産と言うにはあまりにも多すぎる。
グレイトホーンブルの肉を御馳走したことに対する礼も含まれているかも知れないが、それにしたって量が多い。
「何を言っているんだね?全部はあげないよ。そうだね、3分の1はあげるけど、残りの3分の2については買い取ってもらおうかな。カモミールの話じゃ、孤児院や子持ちの未亡人に貢いでるんだろ?彼らのお土産に買っていきなさい。何、もしあまり手持ちがなかったら、素材や食肉でも構わんよ」
前村長はシンが想像した以上に厚かましかった。
シンはランカサスの村を出る際に前村長から手紙を渡される。
どうせ老婆に依頼完了のサインを見せる必要があるのだから、ついでに持って行ってほしいと頼まれた。
シンは恨めしそうに「持っていきますけど、ちゃんと俺に感謝してくださいね。婆さんからの手紙が届くたびに配達した俺のことを思い出してくださいね」と口にする。
前村長はシンの様子を笑い、「細かいことを気にすると若いうちから禿るぞ。いや、怖い、怖い。ちゃんと感謝はしよう」とおどけた素振りを見せる。
「なかなか無茶苦茶なお爺さんだったのです」
ジルはボルディアナへの帰路時に、シンからおやつ代わりにもらった果物を口にしながら、そう言った。
「同感だ。婆さんと気が合うって言うか、あのくらいの人じゃないと婆さんと長く付き合えないんじゃねえの?」
シンも水分補給代わりに果物を口にする。
みずみずしくて甘い。
これが市場で買った物なら、安くていいものが買えたと喜ぶところだが、半分押し売りのような形だったのでどうも納得いかない。
シンはそんなにいらないって言ったのに、せっかく取ってきた果物を腐らせろと言うのか、子どもたちの喜ぶ顔が見たくないのか、よっ、この色男などと前村長から色々と言われ、結局すべて買い取らされる羽目になった。
「ジルは美味しい果物をたくさん食べれるので嬉しいのですよ」
ジルはそう言うが、量が量だ。
「まあ、明日は孤児院に行くつもりだったから持っていくけど、リリサさんに頼んでジャムでも作ってもらおうかな」
宿屋暮らしではなく借家で生活する以上、自分たちで毎朝朝食を用意しなければならない。
朝のパンにジャムを塗れば、それだけで朝食になる。
「ジルもジャムは好きなのでリリサさんにぜひお願いしたいのです」
エンジェはどうやら果物には興味がないらしく、シンに生肉をおねだりし、シンとジルの会話には無関心で肉に齧りついていた。
ボルディアナへの帰路は特にトラブルもなく、シンは予定通り9刻になる前には何とかボルディアナにたどり着く。
そして、その足で老婆に依頼完了のサインと残金、それにお土産として果実と前村長からの手紙を手渡すと、報酬を受け取り、家に帰った。
後日、シンが老婆の店に立ち寄った際、老婆からいきなり杖で殴られかけた。
上手く躱すことはできたが、老婆はシンに対してかなり怒っている。
前村長からの手紙が原因だ。
前村長の手紙には老婆をからかう文言が多数含まれており、ダリアやアイリスへの婆馬鹿ぶりを勝手に暴露したシンに老婆はお怒りだった。
「あの糞爺!!」
シンは老婆の店から一時撤退と言わんばかりに飛び出すとあの厚かましい前村長のことを思い出し、悪態をついた。




