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打算あり善行冒険者  作者: 唯野 皓司/コウ
第3章 6級冒険者 母と子、新たな相棒編
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第10話 母虎、子虎

 母虎は怒り狂っていた。

 子どもが危険に曝されていると思ったからだ。

 ようやく、ようやくここまで連れてきて、魔生の森を何とか抜けて、少しでも安全な場所を子どもに与えられそうだと考えていた。

 それなのに剣を抜いた冒険者が子供の傍にいるのだ。


 本来スカイタイガーはこんな魔生の森の浅い領域に巣を作る魔獣ではない。

 もっと森の奥深くに生息する魔獣だ。

 その魔獣が我が子を連れ、ここまでやって来たのには訳がある。

 母虎の余命だ。


 不覚を取った。

 子どもを産んで、まだ体力が回復しきってない時に、母虎の見知らぬ魔物が巣を襲ってきた。

 それほど魔物は強くなかったが、動きがまだ鈍かった母虎は身体を何箇所か噛まれ、傷つけられた。

 母虎のプライドを傷つけるかのように額にも小さな傷が入った。

 とは言え、無事に子どもを守ることができた。

 一度目の出産のときは死産だった。

 そして、二度目の今回は無事に出産し、子どももすくすく育ち始めている。

 ようやくできた可愛い我が子だ。

 自分の命に代えても守らなければと思っていた我が子を守ることができ、母虎は安堵した。


 だが、おかしい。


 一晩経っても、母虎の身体の傷つけられた箇所から血が止まらない。

 噛まれた時に、おそらく血が凝固しなくなるような毒や体液を流し込まれたのだと母虎は悟った。

 子虎を連れて、薬草の群生地に赴き、薬草を噛んだり、傷口にこすりつけたりしたが、効果は薄い。

 なるべく多くの獲物の肉を口にし、少しでも多くの血液が作られるように努力してみたが、作られる血液よりも傷口から流れていく血液の量の方が多いようで、少しずつ身体が衰弱していく。

 母虎はもうすぐ自分が死ぬことを悟った。

 これまでに多くの他の魔物の肉を喰らってきた。

 弱肉強食。

 自然界の定めだ。

 自分よりも強い魔物や狡猾な魔物に殺され、喰われることはやむを得ないと母虎は思っている。

 だが、生まれたばかりの我が子まで他の魔物に喰われることは母虎には耐えられなかった。


 ここでは駄目だ。

 この魔生の森の深い領域で、生まれてからまだそれほど経っていない子虎が母虎を失い、生き延びられるはずがない。

 せめて、この魔生の森を出れば……

 子虎が母虎を失おうが、ある程度大きくなるまでは死んでいる動物の肉や虫などでも喰らって生き延びる可能性がある。

 だから、ここから出よう。

 母虎はそう判断した。


 子虎を口に咥えて、空を飛ぶ。

 せめてもう数か月の時間があったのなら、一緒に空を飛べたかもしれない。

 母虎は残念に思った。


 何度か休憩を挟みつつ、時間にして1日以上飛び、もうすぐ魔生の森を出られるところまで来て、母虎の意識が飛びそうになった。

 血を流し過ぎたのだ。

 仮に意識を失い、地面に墜落してしまえば、母虎だけでなく、子虎も確実に死ぬ。

 母虎は悔しく思いながらも、一度森の浅い領域に降りた。

 子虎を優しく地面に降ろすと母虎は大樹の傍でうずくまる。

 耐えようとはしたが、意識が朦朧としてきた。

 子虎がミャアーミャアー鳴いているが母虎は意識を手放した。


 十数分程度の間、意識を失っていた母虎は痛みで意識を取り戻した。

 キラーラビットが母虎をすでに死んでいるものとばかり思い、噛みついてきたからだ。

 母虎は即座にその愚かなキラーラビットを丸齧りにし、自分の血肉に還す。

 そして、気づいた。

 我が子がいない。


 ここに屍はなく、我が子の匂いが森を進んだ先から漂ってきている。

 どうやら無事だ。早く子どもの下へ行かなければ。

 母虎はそう思った。

 母虎が蹲っている場所に子虎の匂いが近づいてくる。

 それに人間の臭いも子虎の傍にあるのに気づいた。

 母虎は警戒しながら、自分が蹲っていた大樹の下から移動し、子虎の下へと近づいた。




 母虎が意識を失った後、子虎はなんとか母虎に元気になってもらうため、薬草や餌になりそうなものを探そうと、母虎のいる場所から移動した。

 その最中、子虎は空をパタパタと飛び回るジルを発見した。

 スカイタイガーは風の精霊を視認できる魔獣だ。

 スカイタイガーがよく視認する風の精霊は5㎝から10㎝程度。

 ジルの身長は50㎝程度なので、普通の精霊よりもはるかに大きかった。

 子虎は風の精霊によく似た雰囲気を持ったジルを風の大精霊様だと思った。


 ミャアーミャアー


 力を持った風の大精霊なら、母虎を元気にしてくれるのではないかと思い、子虎はジルに声をかけた。

 声をかけられたジルは子虎に気づくと「うわ~、可愛いのです」と言って、子虎に近づいた。


 ミャアーミャアーミャアー


 子虎が必死になって助けを求めるが、ジルはそれをわかってくれない。

 何やら考え事をしながら、「連れて帰ったら、シンさん、ジルのことを怒るのでしょうか。……うん、きっと大丈夫なのです」と言うと子虎の両前足を抱えて、飛び立つ。


 違う。そっちじゃない。

 子虎は後ろ足をジタバタさせて、ジルに抗議するがわかってはくれない。

 そして、ジルにシンの前にまで連れて行かれたのだ。


 知らない生き物だ。

 人間をまだ見たことのなかった子虎はそう思ったが、シンとジルの関係を見る限り、シンの方が立場的に上のようだ。

 それならこの人に頼めばいい。

 子虎はそう判断した。


 シンとジルが言い争っている。

 子虎はシンのズボンの裾に噛みついて、引っ張り、母虎の下へと連れて行こうとしたが、なかなかわかってはくれない。

 何度もズボンの裾に噛みついて、引っ張ったところ、ようやくわかってくれたようだ。

 子虎はシンとジルに連れられて、元の場所へと戻ると、自分の足で母虎のいたところまで歩き出した。




 母虎は子虎が自分の先ほどまでいた場所に近づいてくるのに気づいた。

 だが、すぐ傍に人間がいる。

 人間は狡猾だ。

 母虎が近づいたことに気づけば、子虎を人質に取るかもしれない。

 だから、迂闊にこれ以上は近づけなかった。

 人間、おまえの気が緩んだ時がお前の最後だ。

 そう思いながら、様子を窺う。

 子虎と人間は先ほどまで母虎が蹲っていた場所までたどり着いた。

 人間が子虎相手に話しかけている。

 今がチャンスだ。

 母虎は一度わざと植物に身体を当て、音を立てると場所を移動する。

 そして、シンの視界の隅からもの凄い速度で襲いかかった。

 我が子を返せ!

 そう叫びながら。



「やめるのです!シンさんから離れるのです!ジルが、ジルが悪いのですよ!その子を連れて行ったのはジルなのです」


 ジルはシンを組み敷き、シンを噛みつこうとする母虎に抗議しながら、その額をペチぺチと叩く。

 子虎も母虎に対して、何かミャアー、ミャアーと言っている。

 それに気づいた母虎の力が緩んだ瞬間、シンは何とか身体を捻り、母虎の組み敷きから脱出した。


(危なかった。もし母虎が怪我をしてなければ、俺は殺されていたかもしれない)


 せっかく、子虎を連れてきてやったというのに、この仕打ちだ。

 シンとしても子虎を見失い、人間がその傍にいることで怒り狂った母虎の気持ちがわからないわけでもないが、それでも怒りが込み上げてくる。

 それに、またシンに襲いかかってくるかもしれない。

 だから、シンは剣を構えて、ジルにこう言い放った。


「ジル、いつでも功徳ポイントを使えるように準備しておけ」

「……シンさん、お母さんを殺しちゃうのですか?」

「このまま立ち去るならそれでよし。だけど、次に俺に牙を剥くなら容赦なく殺す。幸い、怪我をしてだいぶ弱っているみたいだ。手負いの獣は強敵だろうけど、準備を整えた今なら大丈夫だと思う。4級の魔物を倒したことはないけど、今さっきの襲いかかってきた様子から見て、功徳ポイントを使えば、十分こいつを殺せるはずだ」


 功徳ポイントを使うのはもったいないが、自分の命には代えられない。

 それにスカイタイガーは金になる。まだ時間的に余裕があるから、手際良く、牙や毛皮あたりをはぎ取れば、大金に代わるだろう。

 特にその明るく薄い青の毛皮は、幸運を招き、子宝に恵まれると一部の王侯貴族から好まれているらしい。

 血で汚れてはいるものの、その汚れを取る方法もある。

 間違いなく、一財産になるはずだ。


 子虎と母虎は何やら会話をしているようだ。

 子虎はミャアー、ミャアーと鳴き、まるで母虎を説得しているようだが、母虎は首を振り、子虎をまるで諭すかのようにグルルルゥ、ガオガオーと唸り声を上げる。

 そして、子虎の身繕いをするかのようにペロペロと舐めだした。

 また、シンだけではなく、ジルの方もちらちらと何度も見ている。

 やはり、シンが思ったとおりスカイタイガーと言う魔獣は精霊を視認できるのだとシンは確信した。

 

 10分程度過ぎたころ、シンとしては警戒心を薄めることはできないものの、母虎がもう一度襲ってくる可能性は低いように感じられた。

 母虎が流す血はいっこうに止まることはなく、先ほどよりもさらに弱ってきているようにシンには思える。

 だが、シンは治癒魔法が使えず、また母虎を治療するだけの薬や止血用の布などは持っていない上に、相手が一度襲ってきた以上、不用意に近づくこともできなかった。


 子虎を舐めるのを止めた母虎は子虎を口に咥えた。

 そしてシンの方に近づいてくる。

 シンは、再び警戒心を高め、いつでも母虎を斬れるように剣に魔力を流し、身構える。

 もう功徳ポイントは必要ではない。

 これだけ弱っているのだから、シンがきちんと態勢を整えておけば、何とでもなるように思えた。

 弱っているのが演技だとは思えないし、シンに襲いかかるだけの体力もすでに残されてはなさそうだった。

 先ほど、シンに襲いかかってきたのも最後の気力を振り絞っての攻撃だったのかもしれない。


 母虎もシンが警戒しているのをわかっているためか、3mほど離れた距離からそれ以上は近づかず、その場から咥えていた子虎をポーンと軽くシンの足下へと投げ渡した。

 そして、自らは地面に伏せて、まるで許しを願うかのようにガゥーと鳴いた。


 シンには母虎が何を言いたいのか理解できた。

 母虎はもたない。

 すでに死の淵に片足を深々と突っ込んでいる。

 母虎はシンにこの子虎を育ててくれとでも言いたいのだろう。

 ある程度大きくなるまで保護してやってくれと願っているのだろう。


「勝手なことを!さっき殺そうとした相手に何を願ってるんだ!どうして、俺がこいつの面倒なんて見なきゃならねえんだ!俺にいったい何の得がある!」


 シンは母虎にそう叫んだ。

 母虎はシンの言葉を理解しているかのように今度は仰向けに横たわり、両手足を伸ばして、無抵抗に腹を見せて、目を瞑った。



 母虎は子虎に説得され、シンが子虎を攫ったわけではないのを理解した。

 子虎は何とか母虎にシンから治療してもらおうと説得するが、今から治療されてももう遅い。

 もう眠いのだ。

 母虎は何度かシンとジルを見る。

 よく似ている。我儘で気まぐれでいたずらっ子な雰囲気。

 自分たちと親しい風の精霊によく似ていた。

 大きさから見て、母虎もジルのことを風の大精霊かなにかだと思った。

 あの気ままに行動する風の精霊があれだけ懐く人間だ。

 間違いなく面倒見のいい人間で、根は善良だろう。

 自分も我が子も幸運だ。

 おそらく乞い願えば、きっと我が子の面倒を見てくれるはずだ。

 魔生の森の外にこの子だけを放り出すより、この人間に託す方がこの子が生き延びる可能性は高い。

 それならば、自分は我が子との最後のひと時を楽しむことにしよう。


 子虎をペロペロと舐め、最後の身繕いを行ってやる。

 もう時間がない。

 そう思った母虎は子虎をシンの下へ連れて行く。

 シンは母虎を警戒しているが、それも無理はない。

 先ほど襲ってしまったのだから。

 必要以上には近づかず、子虎をシンの足下へと投げ渡す。

 そして母虎の意図を理解したシンの抗議を聞いて、母虎は思う。

 そう言えば、人間は金銭を欲しがる生き物だったはずだ。

 それならば、自分の毛皮や牙を剥ぎ取り、金に換えればいい。

 だから、その子が独り立ちできるわずかな間でも育ててほしい。

 

 母虎は仰向けになり、両手足を伸ばした。

 人間が自分の意図を理解してくれればいいが……

 きっと大丈夫だ。きっと理解してる。そして願いを叶えてくれる。

 だって、あんなに風の大精霊が懐いているのだから、きっと我が子の面倒も見てくれるはずだ。

 母虎はそう思いながら、息を引き取った。



「おい!俺は育てるなんて一言も言ってねえぞ!勝手に死ぬな!」


 シンが大声で母虎に向かってしゃべるが目も開かない。


「もう死んでるのか……」


 シンは剣を向けながらも母虎の身体に触れた。

 子虎は母虎の顔を舐めながら、ミャアーミャアーと鳴いている。


「シンさん、この子をどうするつもりなのですか?」


 シンは母虎の遺体から少し離れると、ガリガリと頭を掻きむしる。

 この母虎が卑怯すぎた。

 自分の身体から毛皮や牙を剥ぎ取れ。

 その代わり、子どもを育ててくれと頼んだのがシンにもわかったからだ。


「汚ねえ!やり方が汚ねえ!」


 分別なく襲いかかってくれればよかった。

 そうすれば、躊躇わずに殺せた。

 牙も毛皮も剥ぎ取れた。

 そして、この子虎も見捨てていけたはずだ。

 だが、母親の愛情とシンへの信頼を見せられた今、そうすることができなかった。

 だから、こう叫んだ。


「おい、子虎!お前が決めろ!お前が俺の言葉を理解しているかどうかはわからねえ。だけど、俺にはそんなの関係ない!俺はお前の母親の治療なんてしてねえ。俺を恨んで、そこで母虎の屍にくっついて、ここの森の魔物の餌になろうとお前の自由だ。だが、生き延びたけりゃ、俺の方に来い。その代わり、でかくなったら恩は返してもらうぞ。俺のために働け!」

「シンさん……」


 子虎は動かなくなった母虎とシンを交互に見比べる。

 そして、母虎の顔を舐めるのをやめて、シンの足下までやってきた。


「そうか、わかった。お前がでかくなるまで面倒みてやる。その代わり、きっちり俺に恩返ししてもらうからな」


 シンは子虎にそう言うと、母虎に近づき剣を向けた。

 子虎は慌てて母虎の遺体からシンを遠ざけようと、シンのズボンの裾を噛み、ミャアーミャアーと抗議した。


「シンさん、やめるのですよ。死んでいても、その子のお母さんなのですよ!」


 ジルもシンの突然の行動に驚き、悲鳴を上げた。

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