第7話 老婆の頼みごと
夕暮れ時、冒険者ギルドの訓練場でガルダの指導を受け終えたばかりのシンをダリアが訪ねてきた。
「シン、鍛錬は終わったの?」
ダリアがアイリスと共に老婆のところに住むようになってから、もうすぐひと月になる。
最初に出会った時の痩せ細った身体とは違い、街娘らしい健康的な身体になりつつある。
肌の色も、老婆に頼まれ、市場などで買い物をする機会が増え、よく日に当たるせいか、不健康にも見えた色白さから、健康的な美白と言える程度のものになっていた。
「おう、さっき終わったところだ」
先ほど身体の汗を拭き、シャツを着替えたばかりのシンがダリアの問いに答えた。
「ところで、俺に何か用か?ダリアが冒険者ギルドに来るなんて」
「お婆ちゃんが出していた薬草の採取依頼の経過を聞きに来たの。それとお婆ちゃんがシンを呼んで来いって」
「へえ、そうか。俺はもう一度俺に剣の指導してくれているガルダさんに挨拶したら、ダリアと一緒に婆さんのところに行くからよ。ちょっとそこで待ってろ。……いや、やっぱりダリアも俺と一緒にガルダさんのところまでついてきてくれ」
シンは自分の発言を言い直した。
ダリアは美少女だ。そして、ここには鍛錬している男の冒険者が大勢いる。
シンが離れれば、ダリアはナンパをされるかもしれない。
ダリアが誰と付き合おうとシンには関係ないはずだが、なんとなく面白くなかった。
ダリアはシンがそう言った理由がわからず、首を傾げたが、シンの言葉に従い、シンの一歩後ろを歩く。
シンがガルダの下を訪れたとき、ガルダは剣を主に使う他の冒険者の指導をしていた。
「ガルダさん。俺、今日の鍛錬はここで切り上げます」
「そうか、わかった。ところでシン、後ろにいるお嬢さんは?シンの恋人か?」
シンの後ろにいるダリアを見て、ガルダはそう問いかけた。
『違います!』
シンだけじゃなく、ダリアもシンと声を揃えて、ガルダの問いを否定した。
とは言っても、二人とも顔を赤らめているところを見るとお互い多少の好意は持っているのだろうとガルダは推察したが、あまり他人の色事に首を突っ込む趣味などない。
「そうか、誤解か。それはすまん。用事があるのならさっさと帰れ」
「ええ、俺はこれからダリア、この子が世話になっている人と会う予定なので」
大声を出したシンとダリア二人に他の冒険者の注目が集まる。
中にはダリアを興味深そうにじーっと見つめる冒険者もいた。
仮にシンが一緒でなければ、ダリアは何人かの冒険者に声をかけられていたかもしれない。
二人はその後ギルドの敷地内の訓練場から出て、老婆の店へと向かう。
ジルも二人の後をパタパタとついていく。
「なあ、ダリア。婆さんとは上手くやれているか」
「大丈夫よ。お婆ちゃん、シンの言ってた通り、ちょっと口の悪いところはあるけど、とっても優しいわ。薬の調合の時くらいかな、よく怒られちゃうのって」
「そうか。ところで婆さんって、俺に何の用なんだ?」
「うーん、この前のお婆ちゃん宛てに手紙が来て、それからすぐにギルドに薬草の採取を依頼していたから、たぶんその件じゃないかしら」
どんな話かわからないが、場合によっては夕飯が遅くなるかもしれないと予想したシンはダリアに気づかれないように革袋から大銅貨一枚を取り出すとシンの後ろをパタパタと飛んでいたジルに手渡す。
(ジル、場合によっちゃ、ちょっと夕飯遅くなるかもしれねえから、これで買い食いしていいぞ)
「わ~い!やったのです。さすがはシンさんなのです。それじゃあ、ジルは何か食べた後にお婆さんのところに行くのです。後は若い二人に任せて、ジルは買い食いに勤しんでくるのです」
シンから大銅貨を1枚受け取ったジルはそう言って、市場の方へと飛んでいく。
何か見合いの席でよく聞くような台詞を言っていたが、街の中を飛び回っている時などにどこかで聞いたのかもしれない。
ジルが覚えたばかりの言葉を使いたがるのはいつものことだ。
シンはダリアと二人で老婆の店へと向かった。
「お婆ちゃん。シンを連れてきたよ、お婆ちゃん」
ダリアが店の中に入り、老婆を呼ぶが返事はない。
「たぶんお婆ちゃん、アイリスと一緒に夕飯の用意でも始めているのかも。シンもよかったら、二階に上がって」
老婆の所有するこの建物は1階が店舗で2階が自宅になっている。
シンは客としてしか、ここに訪れていないので2階に上がるのは初めてだ。
ダリアに勧められて、シンは2階へと上がる。
ダリアはスカートを穿いているため、シンの後から階段を上る。
2階に上がると老婆はアイリスと共に野菜を切り、夕飯の準備を始めていた。
「そうだよ。なかなか上手に切れたじゃないかい」
「えへへ、上手に一人で作れるようになったらお姉ちゃんとお婆ちゃんにごはん作ってあげるね」
「そうかい、そうかい。そりゃあ、楽しみだね。アイリス、指を切らないように気をつけな」
「うん」
その様子は仲の良い祖母と孫にしか見えない。
シンは二人の様子を見て、ほっこりとした気分になる。
「婆さん、なかなかいい婆さんぶりじゃないか」
シンは薬師の老婆に声をかけた。
シンにからかわれたと思った老婆は顔を紅潮させて、振り向く。
普段からシンをリリサのことなんかでからかっていたが、自分の婆馬鹿ぶりを見られてからかわれるのは面白いことではない。
「こほん。……なんでシン坊が2階に上がってきてんだい。とっとと1階へ戻りな!ダリア、あんたもシン坊なんかを2階に上げるんじゃないよ」
「お婆ちゃん、ごめん」
「……別に怒ってんじゃないよ。シン坊、仕事の話は1階でするから、さっさと降りとくれ。ダリア、あんたはアイリスと一緒に夕飯の用意をしときな」
シンは老婆の言うように1階へと降りる。
アイリスがシンに向かって、手を振っているのに気づき、シンも階段を降りる直前アイリスに向かって手を振り返した。
シンが1階に降りるとジルがすでに到着しており、いつものように興味深そうに老婆の店の中に置かれた薬草や薬などを眺めていた。
(ジル、もう食べ終えたのか?)
「はいなのです。これでジルも3時間は戦えるのです」
何を食べたのかは知らないが、口元を食べかすで汚したジルがシンの問いに元気よく答える。
3時間。非常にリアルな時間過ぎて、シンには何とも言えない。
老婆の話もそこまで長くはならないだろうし、問題はないのだが、食い意地の張ったところと燃費の悪さはなんとかならないものかとシンは思う。
「それじゃあ、シン坊。仕事の話を始めようかい」
シンの後に続いて階段を下りてきた老婆はまだ少しばかり不機嫌そうな顔をして、シンとの商談に入った。
老婆の話によれば、老婆の知り合いがいる村で熱病が流行っているらしい。
そして病気にかからなかった村の者が老婆の店を訪れ、老婆に対して熱病の治療薬の作成を依頼した。
そこで老婆もそのための材料の採集を冒険者ギルドに依頼したが、なかなかその薬草の集まりが悪い。
そのためシンに直接その薬草の採集を依頼したいというのが老婆の依頼だ。
「それで、婆さん。その薬草ってのはどこで取れるんだ?それになんて名前だ?」
「ここらでも取れないことはないんだけどねえ。確実な採取場所は魔生の森なんだよ。ある程度力を持った冒険者じゃないと頼めないが、あんたならいけるだろ?」
魔生の森。シンも浅い部分であればこれまでに何度か入ったことがある。
だが、奥に行けば、シンでは勝てそうにない相手もゴロゴロといるとされる森だ。
「婆さん、俺も浅い部分なら大丈夫だけど、奥にはとてもじゃないが行けねえぞ」
「別にそんな奥じゃないさ。ボルディアナから西に真っ直ぐ行って、魔生の森の浅い部分さ。歩いてせいぜい2時間程度といったところだね」
魔生の森に入って、2時間程度歩いた浅めの部分なら危険性は低い。
出てくる魔物も6級程度までだし、シラガイの村に行った時のように時間を無駄にしなければ、日帰りで帰って来れる場所だ。
シンの今の実力なら問題ない採取場所と言えるだろう。
「ところでなんて薬草が必要なんだ?」
「コルドって薬草さ。これがそのコルドって薬草だよ」
そう言って、老婆は冒険者ギルドから今日ダリアが受け取ったばかりの薬草を見せる。
葉の部分に斑な白い模様が特徴的な植物だ。
「それでシン坊、やってくれんのかい?どうなんだい?」
「婆さん、俺の方からも頼みがある。その村には俺が薬を運んでもいいか?」
「そりゃ、私としてはそっちの方が助かるさ。シン坊なら信頼できるし、また別の冒険者なんかに持って行ってもらうのは手間だしね。でも、薬を運ぶのには大した金は払えないよ」
「いい。薬草採取のついでだ。俺に行かせろ」
シンとしては熱病の流行病が蔓延している村に薬を届けるのは美味しい仕事だ。
単に薬を運ぶだけではなく、村人たちにこの薬はわざわざシンが魔生の森で採取したもので作られているということを説明すれば、かなりの功徳ポイントを見込める。
シン自身も熱病を移される恐れがあるが、そこは老婆の作った薬をあらかじめもらっておけば、問題にはならない。
シンとしては老婆に世話になっていることに加えて、功徳ポイントの稼げそうな老婆の依頼は好ましいものだった。
「シン坊、それなら私としては助かるよ。じゃあ、もう一つの話をしようかね」
「もう一つの話?」
「そうさ、こっちは金になる話さね。あんたに教えたコルドの群生している場所の近くによく生えている、ある植物を持ってきてもらいたいのさ」
「なんだよ、それ」
「ヒッヒッヒ、世の中には馬鹿が多くてね。そいつらときたら、金だけは持ってるからたんまり搾り取ってやろうってねえ」
そう言って、老婆がシンに見せたのは禍々しい紫色をした植物だ。
馬鹿から金を搾り取る。
その言葉でシンはある物を連想した。
その薬物を使えば、身を滅ぼす。
以前、日本にいた頃には毎日のようにテレビや駅のポスターなどで使用の禁止が呼びかけられていた薬物。
そう、麻薬や違法薬物だ。
「婆さん、さすがにその依頼は受けられねえ。って言うより、ダリアやアイリスがいるんだぞ。婆さん、何を考えてんだ?」
「シン坊、またなんかおかしな勘違いしてないかい?」
「麻薬とか違法薬物だろ。使うと気持ち良くなり、常習性があって、身体がボロボロになって最後は死んじゃうような」
「あんた、あたしをなんだと思ってんだい!」
「孫想いの心優しい婆さんかな」
「んなっ!?」
一瞬麻薬や違法薬物を連想したのは事実だが、シンとしてはこの老婆がそういったものを作るとは思っていない。
普段から弄られているから、逆にからかってやろうと思っただけだ。
老婆はシンにからかわれ、先ほどアイリスと料理をしているのを見られたことを思い出し、頬を紅潮させるとシンに怒鳴った。
「くそ生意気な坊やだね!あんたが私をからかうなんて、50年は早いよ!」
そう言って、持っていた杖でシンの頭を小突く。
「悪い、悪い。婆さん、そんなに怒るなよ。ダリアやアイリスに良くしてくれて、感謝してるのはマジなんだ」
シンが真剣な表情でそう言うと、老婆は杖でシンを小突くのをやめた。
「別にそんなんじゃないよ。あの子たちには私の老後の面倒を見てもらうための先払いをしているだけさね。それでどうなんだい?こっちも受けてくれるのかい?」
「それは別にかまわねえけど、いったい何に使うのさ」
「シン坊にはまだまだ用のない薬さ。世の中の男ってのは禿と男性機能の低下には耐えられない馬鹿な連中が多いのさ。これはある特定の薬草と混ぜ合わせると男性機能が回復するのさ」
そう言って、老婆はにんまりと笑った。
確かにシンには必要のないものだ。
だが、それを欲しがる金持ちの気持ちも何となく理解できた。
今はまだ大丈夫だが、将来的には毛生え薬の方についてはシンとしても知っておきたい気もする。
「男は馬鹿な生き物なのですね」
老婆の話を理解したジルはふむふむと頷く。
「別に違法なもんじゃなければ、かまわねえぞ。ついでだ。ところで、俺の取り分はどのくらいになるんだ?」
「利益の2割でどうだい?」
「もうちょっとくれよ。今後も魔生の森に行く機会があればなるべく採取してくるからよ」
「甘ったれんじゃないよ。2割でも十分さ」
「せめて、3割」
「……2割5分ってところさ。それで納得しな。私の腕がなけりゃ、作れないんだからね」
駄目元で頼んだのが功を奏した。
どのくらい利益が出るのか、詳しくはわからないが、この老婆が金持ち連中からぼったくるのだ。
さぞかしいい値で売れるだろう。
シンは功徳ポイントだけじゃなく、多額の金銭も得られそうな今回の老婆の依頼にほくそ笑んだ。
「そうだ。シン坊、ダリアにはまだこっちの方の薬は教えるつもりもないから、馬鹿みたいにペラペラしゃべるんじゃないよ」
「ダリアにその植物の説明なんてできるかよ。マジでセクハラじゃねえか」
「エロガキには一応注意しとこうと思ってねえ」
老婆はシンにお返しとばかりにからかう。
老婆との依頼の話が済んだ後、ダリアやアイリスの普段の生活ぶりをシンは老婆に尋ねる。
老婆はダリアとアイリスを気に入ったらしく、照れくさそうにしながらも二人のことをいい子達だと褒めていた。
「お婆ちゃん、ご飯出来たよ~!」
階段をトテトテと降りてきたアイリスが老婆に声をかける。
「お兄ちゃん、まだいたんだ?一緒に食べる?」
「アイリス、シン坊は大食いだからね。私らの分がなくなっちまうよ。ほらっ、シン坊も話が終わったんだから、さっさと帰んな」
「おう、アイリス。またそのうち御馳走してくれ。……アイリス、ちょっと重くなったな」
シンはシンに近づいたアイリスを抱きかかえる。
シラガイの村にいた時よりもだいぶ体重が増えて、健康そうに見えた。
「お兄ちゃん。レディーに向かって重いって失礼よ。デリカシーのない男ってモテないらしいよ」
「ヒッヒッヒ、シン坊。アイリスに一本取られたね」
アイリスはしっかり老婆から教育を受けているらしく、シンの発言を注意した。
まだ8歳の女の子にモテない男呼ばわりされ、憮然としたシンの顔を見て、老婆は笑い転げる。
ジルも「くすくす、ちっちゃい子に言われてるのですよ」とシンを指さして馬鹿にした。
ダリアも1階で老婆が大声で笑う声が気になったのか、降りて来て、事情を聞くとウフフと笑った。
翌朝、日が昇り始めたころ、シンは万が一のときのために野営の準備も整えた万全の態勢で、ジルと共にボルディアナを出て、魔生の森へと向かった。