第5話 喧嘩はダメなのです
リリサが孤児院で働きだしてから、マックスは不満だった。
孤児院の子ども、皆を嫌っているわけではない。
だが自分よりも年下で母に懐いている子供を見るとイライラしてくる。
お前らの母ではない。自分の母なのだ。
(シン兄ちゃんもシン兄ちゃんだ)
母にこの孤児院を紹介したシンに腹が立った。
嫌いになったわけではないが、それでもどうして母にこの場所を紹介したのだろうと不満が募る。
(母ちゃんも母ちゃんだ)
孤児院の年下の子どもたちがリリサに群がるのを見て、対抗心が芽生え、母を奪われまいとリリサに甘えようとするマックスに対してリリサは「孤児院のお兄ちゃんたちと遊んできなさい」なんて言う。
アルバートやシャナル達はマックスにも良くしてくれるし、嫌いではない。
むしろ好きだ。シン兄ちゃんが遊んでくれるのはせいぜい週に1回。
自分と遊んでくれる相手ができたのは嬉しかった。
だが、それでも一番一緒にいたいリリサの口からそんなことを言われるのはマックスにとっては面白いことではない。
そして、孤児院の子どもの中で一番いけ好かないのはビアーナだ。
リリサのことをお母さんと呼び、すぐに甘えようとする。
「私がお母さんを欲しいと思ったから、お母さん来てくれたの」
お前のお母さんではない。
ビアーナがそんなことを口にしているのを聞くたびにイライラが増した。
だから、つい言ってしまったのだ。
「お前の母ちゃんじゃねえ!俺の母ちゃんだ!」
ビアーナはマックスの言葉に反論した。
「マックス君のお母さんだけど、ビアのお母さんなのよ」
ビアーナは年上の男の子をお兄ちゃんと呼ぶが、マックスは別だった。
リリサはお母さんだが、マックスはお兄ちゃんではない。
自分たちをよく睨む少し年上の嫌な男の子なのだ。
「違うよ。お前の母ちゃんじゃねえ!お前の母ちゃんは別にいるんだ!」
「……じゃあ、どこにいるの?」
「俺が知るかよ。どっかその辺にでもいるんじゃないのか。わかったな。俺の母ちゃんはお前の母ちゃんじゃない。気安く俺の母ちゃんを母ちゃんって呼ぶな!」
ビアーナの問いに対してマックスは適当に答えた。
その後、ビアーナに対して何を言ったのかマックスはよく憶えていない。
たぶん、他にもビアーナにきつい口調で色々と言ってしまったような気がする。
ビアーナがさらに反論してきたことで頭に血がのぼってしまっていたのだ。
ビアーナが泣いてしまったことで後味が悪くなり、他の場所へ移動したが、リリサに呼び出されて、お説教を受けた。
「マックス、年下の子には優しくしてあげなさい」
リリサは困った表情を浮かべて、マックスを窘めた。
マックスは不満げながらも一応はリリサの言うことを聞く素振りを見せた。
(マックス君も良い子だと思うのですが、やはりこの年頃の子どもに求めるのは難しい。あと数年大きければ、話は変わってくるかもしれませんが)
ロベルドはマックスが喧嘩してしまったことをリリサたち家族の問題だからと言って、マックスに対して叱るような真似はしなかった。
こうなってしまう可能性はあらかじめ予測できていたのだ。
母を取られたくないと言うマックスの気持ちも理解できる。
そのマックスをロベルドが叱ったところで上手くはいかないだろう。
むしろ、逆効果だとロベルドには思えた。
これからマックスがどう成長するか、どう変わっていくかによって、リリサが孤児院の手伝いを続けられるかが決まってくることになる。
二度、三度揉めたところでそれほど問題はない。
だが、頻繁に揉めるとなると、マックスをリリサから引き離すわけにはいかない以上、リリサが孤児院で仕事を続けていくのは困難だろう。
孤児院の子どもたちが慕っているリリサに辞められるのは惜しいが、仕方がない。
(その場合、せめて自分の知り合いで信頼できる雇い主でも紹介してみましょうかね)
ロベルドはそう考えていた。
お説教の後、マックスはリリサに言われたようにビアーナに謝ろうとした。
ビアーナに対して色々と不満があっても、言い過ぎたかもしれないという気持ちはマックスにもあった。
だが、建物内を捜してもビアーナは見つからなかった。
泣いてしまったビアーナをアルバートが面倒見ていたはずなのでアルバートのところに行ってみた。
アルバートにビアーナは泣き止んだ後、先ほどまで花壇の前で花を見ていたと言われたので行ってみたが、ビアーナはいなかった。
(俺のせいでいなくなっちゃった?)
早く捜しに行かないと。
ビアーナに反感を持っていても、別にいなくなってしまえとかは思ってない。
でも、自分は憶えてないけど言ったかもしれない。
それなら自分のせいだ。
マックスは花壇に水やりをしていた自分と同い年くらいの女の子にビアーナがいなくなったから探してくると言い残し、孤児院の敷地から外へと飛び出した。
その日、シンは朝から便所掃除や雑用の依頼を何件かこなした後、昼からはガルダの指導を受けようと思っていた。
だが昼食を摂った後、シンはマックスが孤児院で上手く行ってないようなので少し気になり出した。
そこでお土産を買うと、ガルダの指導を受ける前にマックスやリリサの様子を見るため孤児院へと向かった。
シンが孤児院に到着した時、孤児院はいつもよりも騒がしかった。
マックスとビアーナが孤児院からいなくなったからだ。
マックスからの言伝を頼まれた女の子がロベルドとリリサにそのことを伝えると、ロベルドとリリサはまずビアーナが孤児院内に本当にいないのかどうかを確かめた。
ビアーナがいないことを確認すると、ロベルドとリリサは孤児院の建物に子どもを集めて、ロベルドとリリサはビアーナとマックスを探しに出かけるが、子どもたちには孤児院から出ないように言い含めた。
本当なら年長のアルバート達も捜索に出したいところだが、小さな子どもだけを孤児院に残しておくことにも不安がある。
そこへシンが訪れた。
「いったいどうしたんです?」
いつもと違う孤児院の様子にシンはロベルドに尋ねた。
「これはシン君!ちょうどいいところに来てくれました。シン君にも都合があるでしょうが、お時間をいただけませんか?マックス君とビアが孤児院からいなくなってしまったんです」
ロベルドはシンに今日マックスとビアーナが喧嘩をしてしまったことや、孤児院からいなくなったビアーナをマックスが捜しに出かけたことなどを簡潔に説明した。
「俺もあいつら捜してきます」
マックスはともかく、ビアーナが一人で街を歩けば、迷子になる可能性が高い。
それにボルディアナでもひと気のない通りなどをビアーナくらいの幼い子どもが一人で歩いていれば、人さらいなどに狙われる可能性もあるのだ。
あまりひと気のない通りを歩いたりはしないとは思うが、それでも心配だ。
「シン君、ありがとうございます。私とリリサさんもこれから捜しに行くつもりでしたが、シン君の協力は非常に助かります」
「3人で手分けして探すにしても、俺はどこを捜して行けばいいですか?」
「シン君にはここから東、市場周辺の方をお願いします」
「わかりました。おい、アル。心配しなくてもちゃんと見つけるから、お前らはこれでも食べて、マックスとビアが戻ってくるのを待っとけ。それとちゃんと二人の分は残しておいてやれよ」
シンは心配そうな表情を浮かべていたアルバートにお土産の入った袋を放り投げると、一目散に市場の方へと向かった。
ジルは空の上から探し、シンは市場にいる人から3歳くらいの女の子が一人で歩いていなかったか尋ねまわる。
そんなシンに顔色の悪い、少し前歯の出た細身の男が声をかけてきた。
「こりゃあ、シンの旦那。小さな女の子なんて尋ねまわって、いったいどうしたんです?」
スラムの住人であり、情報屋を営んでいる男だ。
情報屋の他にもスリを生業にしており、以前シンの革袋を盗もうとしたときに見つかり、シンにその手癖の悪い指の骨を何本か折られたことがある。
それからしばらく後、シンがスラムの情報を得る必要があった時に、何度か金を払って情報を得たこともある間柄だ。
基本的に恨みなどを引きずらず、得られる金を最優先する男だ。
「お前か。今はお前の相手してる暇なんてないからどっか行ってろ」
「そりゃないっすよ。あっし、これでも情報屋ですから、普段から道行く人のこともちゃーんと観察してんですよ。話してくれりゃ、役に立てるかもしれませんぜ」
シンは男にビアーナの特徴を話して、その子を探していると説明した。
「その子って、ひょっとして青いリボンとかつけちゃあいませんか?」
青いリボン。
以前シンがビアーナにあげたリボンと同じ色だ。
普段からつけていたから、今日もおそらくつけているはずだ。
「どこで見かけたんだ?」
「旦那、あっしは情報屋ですぜ」
そう言って、男は手を差し出す。
シンは男の手に銀貨を一枚握らせた。
「いや、旦那。もうちょっとだけ色をつけてくれません?」
単にどこかで見かけたという情報程度なら、銀貨一枚でも十分なのだが、男は稼げそうなときには稼ごうという性格だ。
シンの慌てている様子から見て、もう少し金銭を得られそうだと思い、シンの足元を見たのだ。
男のその思惑を感じ取り、イラッとしたシンは男の胸倉を掴んで持ち上げて睨み付けた。
「銀貨1枚でも相場以上だろうが。さっさと教えろ。あんまり舐めた真似したり、嘘を教えたりすりゃ、また手癖の悪いその指がどうなっても知らねえぞ」
シンの剣幕に男は押される。
折られた指はもう何か月も前に完治しているものの、どこかズキズキと痛むような感じがした。
「すんません。あっしも調子に乗りすぎました」
「いいから、どこで見たのかさっさと言えよ」
シンは男を地面に降ろす。
男は大きく息を吸うとシンに説明する。
「あっしが見かけたのはちょうどその子がスラムの中を走っていくところでさあ。こっちに来る直前だったのでまだ10分も経ってないってところでしょう」
「スラム?あのあたりには一人で立ち寄るなって小さな子どもなんかは特に教えられているはずだ」
「その辺のところはあっしにはよくわかりません。ああ、そう言えば、その子のすぐ後に6歳くらいの男の子が走って来ましたねえ」
「6歳?ひょっとして淡い緑色の髪をしてなかったか?」
「そうです、そうです。確かに緑色の髪をしてましたね。てっきり追いかけっこでもしてて、間違ってスラムに入っちまったのかとばかり」
その男の子はマックスに違いない。スラムで生活しているマックスであれば、ビアーナを探して見つけたら、たとえ一人でもスラムの中に入っていくに違いない。
年少のビアーナの方が心配だが、マックスの方も早く確保しておきたい。
スラムも場所に寄りけりだ。
マックスとリリサの住んでいる家はまだスラムの中でも治安がマシな部類だが、奥に入れば入るほど危険は増す。
シンは男の情報に偽りがないと判断し、さらに尋ねる。
「もうちょっとどのあたりで見かけたのか、どっちの方向に入って行ったのか詳しく話してくれ」
シンは男からさらに詳細な情報を得ると役に立ったと言わんばかりにもう1枚銀貨を握らせ、スラムに向かって走り出す。
(ジル、お前はスラムの上空から二人を探してくれ!)
スラムは小さな家が密集し、道が入り組んでいるため、普通に捜すのなら二人を見つけることはなかなか困難だ。
だが、空の上からなら話は別だ。
ジルはシンに先行して、空の上から二人を探し始めた。
「シンさーん、あっちです!あっちに二人がいるのですよ!」
二人を見つけたジルが空の上からスラムのある方向を指さす。
「そうか。二人は無事か?」
「無事は無事なのですけど、今、おっきいワンちゃんに襲われているのです。早く助けてあげるのです!」
野良犬。
シンや大人の男性などからすれば、大したことのない相手かもしれないが、3歳と6歳の子どもにとっては十分な脅威だ。
背の低い子どもであれば、喉などの急所を噛まれる危険もある。
それに治癒魔法では怪我を治療することはできても病気までは治せない。
薬師の老婆なら様々な病気にも対応できるだろうが、それでも噛まれて傷口が膿んだり、病気などを発症すれば面倒なことになりかねない。
「ジル!道案内を頼む!」
「わかっているのです。ジルに任せるのですよ」
ジルは空の上からシンに道案内をする。
スラムの入り組んだ道は住み慣れない者にとっては迷路のように感じるが、これなら迷わず最短でマックスとビアーナの元へと向かうことができる。
シンは魔力で身体能力を底上げし、スラムの汚く狭い路地を駆け抜けた。




