第4話 母を求める
クリスティーヌに剣の依頼をした数日後、シンが孤児院で子どもの面倒を見ていたときのことだ。
孤児院で最年少の女児であるビアーナが孤児院の敷地内から外を眺めていた。
「ビア、そんなところで一人でどうした?一人で外には出るなよ。危ないからな」
シンはビアーナの傍に行って、頭を撫でる。
今日のビアーナは他の子どもたちとは遊ばず、一人でずっと外を眺めているので気になった。
「お外には出ないよ。私、待ってるだけだもん」
「そっか、ビア偉いぞ。それで何を待ってんだ?」
「お母さん」
「……そうかあ。でもそろそろ暗くなるし、お家に戻ろうな」
返答に困ったシンがビアーナを抱っこして孤児院に戻ろうとするが、ビアーナはそれを嫌がる。
「私のお母さん、もうじき私に会いに来てくれるはずだもん」
そう言って、この場から動こうとはしない。
ビアーナが愚図っている様子を見て、何人かの子どもたちが集まってくる。
「ビア、俺たちが家族じゃ駄目か」
孤児院の子どもで最年長者であるアルバートがビアーナに声をかけた。
アルバートはこれまでに何度も孤児院の幼い子どもが母を恋しがり、いつか孤児院に来てくれるのを信じ、外を見つめるのを見かけたことがある。
幼い子どもはボルディアナの街で母と一緒に歩く子どもを見て、どうして自分には母がいないのか疑問を持つようになるからだ。
3歳か4歳程度になり、自分には母がいないことに気づいた子どもは迎えに来てくれるのを待つようになることがあった。孤児院長のロベルドのことを父のように皆思っているが、この孤児院に母はいない。
自分が親に捨てられた、親を失ったということを理解できない、理解しようとはせず、しばらく愚図りだすようになる。
そして自分が捨てられたということを理解できるようになると寂しがりはしても、表に出すことは少なくなる。
孤児院の前で置き去りにされていたため、ビアーナの正確な誕生日はわからないが、おそらく3歳にはなっているはずだ。
「駄目じゃないよ。アルお兄ちゃんもロベルドお父さんも皆も大好きだよ。でも、私もお母さんが欲しい」
「そっか、来てくれるといいな。ビアのお母さん」
アルバートはそう言いながら、ビアーナを抱き上げた。
シンよりもはるかに手慣れた手つきだ。
「シン兄ちゃん、俺がビアのこと見てるから心配しないでいいぜ。もう少し俺が一緒に外を見てるからさ」
「そうか。夕飯までには家に戻れよ。俺もロベルド先生に挨拶したら、そろそろ帰るから。その時にもう一度ここで顔を合わせるかもしれないけど、またな」
シンは二人と別れた後、ロベルドの部屋に赴き、ビアーナの言っていたことをロベルドに話す。
「そうですか。ビアがそんなことを」
「ええ、仕方ないんですけどね」
「母親。こればかりは私も無力ですね。この歳になっても父として慕われてはいますが、私では母にはなれません。……やはり女手が欲しいところです。うちの女の子は上の子でもまだ10歳程度。これからのことを考えれば、私ではなかなか厳しいところがあります。どうしても男性である私には相談しづらいことも出てきますからね……」
これまでにロベルドは何人かの女性を孤児院の手伝いに雇ったことがあったが、残念ながら子どもに愛情を持って接することのできる人物ではなかったため、結局解雇する形となった。
ロベルドの年齢を考えれば、そろそろこの孤児院を継いでくれるとまでは言わずとも、手伝いをしてくれる人が欲しいところだ。
孤児院の子どもの中には大きくなったら自分が孤児院を継ぐと言ってくれている子たちもいる。アルバートも冒険者をして金を貯めて、小さい子たちに美味いものをいつでも食べさせてやると言ってくれている。
孤児院を運営しているロベルドからすれば、とても嬉しい話だ。
だが、その子たちが一人前になるまで自分が元気でいられる保証はどこにもない。
少なくとも今の子どもたちが成長するまで見守ってくれるような人が孤児院で働いてくれることをロベルドは望んでいた。
「ロベルド先生、よろしければ会ってもらいたい女性がいるんです」
「シン君、急にどうしました?……会ってもらいたい女性とは?」
「まだその人には何も話をしていません。明日にでも話を持ちかけてみようと考えていますが、俺が信頼している女性で今仕事を探している最中です。まだ6歳程度の小さい子どもがいるので頷いてくれるか、その子が賛成してくれるかという問題もあります。でも、俺は一度この孤児院で子どもたちの面倒を見てくれないか、話をしてみたいと思います」
「……小さい子どもがいるのですか。シン君、それならやめておいた方がいいでしょう」
「ですが……」
「もしその方がこの孤児院の手伝いをしてくださるのなら、私としては非常にありがたいことです。会ってお話をしてみたいとも思います。ですが、成人や成人間近の子どもならともかく、6歳程度の小さなお子さんがいるとなると子どもが母を奪われると思い、反発しかねません。やめておいた方がいいと私は思いますよ」
ロベルドは微笑みながらも首を振った。
だが、シンは一度リリサとマックスに話をしてみようと思った。
シンもロベルドが言うようにマックスが嫌がる可能性も考えた。
それでも一度話してみようと思ったのは、リリサの適性もあることながら、マックスがリリサから離れようとせず、友達もいないことをシンが好ましいとは思わなかったからだ。
最初はリリサが病気であったため、マックスがリリサから離れようとしない。
シンはそう思い込んでいた。
だが、リリサの病気が治ってもマックスはリリサの傍からあまり離れようとはしない。友達がいるという話や作ろうとしているという話を聞いたことがない。
これが自分のエゴであることは理解している。それでもこの孤児院でリリサが仕事をするのであれば、マックスにも友達がたくさんできるかもしれない。
スラムの治安は良くない。リリサもマックスが一人で遊びに出かけることには不安を感じるかもしれないが、ここで孤児院の子どもと遊ぶのであれば、心配することはないだろう。
住み込みはさすがに抵抗があるだろうから勧められないが、週に何日かリリサにここで働いてもらえないか。
シンはそんな風に考えていた。
その後、シンはロベルドの説得を続けてみたところ、「無理強いはいけませんが、連れてきてくれれば一度お話してみたいですね」と言って、納得してくれた。
翌朝、シンはリリサとマックスの家に訪れた。
しばらくマックスはシンと遊んだり、話をしたりしていたが、少しはしゃいで疲れたのかウトウトとし始めた。
リリサはベッドに腰を掛け、マックスを膝に寝かせる。
愛おしそうにマックスの髪を撫でるその姿は、シンには理想的な母の姿に見える。
(やっぱり、この人しかいない)
シンにはそう思えた。
実の子とは違う。
分け隔てなく同じだけの愛情を注ぐことはできないだろうが、マックスの何分の一かでも、まだ幼い孤児院の子どもたちに母の愛情というものを与えてほしかった。
「シンさん、どうしたの?シンさんも眠いなら良かったらどう?」
そう言って、リリサは空いている片膝を軽く叩く。
シンがじっとリリサとマックスを見つめる姿を見て、シンが眠いと勘違いしたのだ。
病気が治ったリリサは時々冗談を言うようになった。シンがリリサの膝枕を望んでいるとは思わなかったが、まるで歳の離れた弟をからかうかのように微笑む。
思いもよらないリリサの提案にシンの頬は少し紅潮した。
「シンさん、チャンスなのですよ。今すぐリリサさんの膝に飛び込んで行って、気持ち悪がられないように控えめながらも欲望のままにクンカ、クンカできる千載一遇のチャンスなのですよ」
ジルはここぞとばかりにシンにリリサの膝に飛び込むことを勧める。
シンは肩の凝りをほぐすかのように両腕を回し、ジルをぶん殴った。
ジルがからかってくれたせいでシンは余計にリリサのことを意識してしまい、しどろもどろになる。
「いえ、そういうことじゃないんです。俺はリリサさんにお母さんになってほしいって思っただけなんです」
室内の空気が一気に冷たくなったように感じた。
シンの言葉が色々と足りていないせいだ。
「は、はわ~。し、シンさん大胆です。マザコンじゃなければ、俺の子を産んでくれって言ってるようなものなのです。遠まわしでプロポーズでもしてるのですか?」
ふっ飛ばされたジルは顔を赤くさせながら、シンとリリサのことを交互に見比べる。
ジルの突っ込みでシンも我に返る。
リリサも顔を赤くしている。
どっちの意味に受け取られたかはともかく、早く訂正しないと不味い。
シンは慌てて訂正した。
「あの、違うんです!すいません、変な意味じゃないんです。俺はリリサさんに孤児院の方でお手伝いしてもらえないかと」
「……以前からシンさんがお話されてる孤児院のお手伝いですか?」
「ええ、孤児院長のロベルド先生も高齢ですし、お手伝いしてくれる人を探しているんです。まだリリサさんがお仕事探しているのであれば、一度会ってもらえないかと。毎日でなくて構いません。週に何日か手伝うという形でお願いできませんか?」
リリサは病気が治ってから仕事を探していたが、なかなか上手く行っていなかった。
スラムの住人ということで何かと敬遠されてしまう。
一部のお店などでは働かせてやると言う商人や店主もいたが、それらの者たちはリリサに対して情欲のこもった眼でじっとりと身体を舐めまわすような視線を向けた。
愛人になるなら働かせてやると言うことを暗に示されたのだ。
さすがにリリサもそんな気はなかったので、それらの誘いは断ることにした。
(孤児院でのお手伝いか。ロベルドさんって方もシンさんが慕っている方だし信頼できそうね。ただ、マックスがどう思うかしら……)
リリサもマックスの独占欲の強さを危惧していた。
リリサの命を救い、マックスを可愛がってくれるシンには懐いている。
だが、リリサの病気が治ってもマックスはあまり外に出ようとも友達を作ろうともせずに、リリサの傍から離れようとはしない。
スラムは危ないからなるべく一人では外に出さなかったリリサのせいもあるだろうが、最近リリサはマックスに少しずつでいいから世界を広げてほしいと思うようになりつつあった。
(マックスとお話しする必要があるけど、受けてみようかしら。このままではきっと良くないはずよ)
リリサはマックスが昼寝から目を覚ますと、マックスにもよくわかるように噛み砕いて、孤児院のお手伝いをすることになりそうだと説明した。
そしてシンと一緒に三人で昼食を取った後、孤児院のロベルドに会いに行った。
雇用条件などを確認し、ひとまず週に4回、孤児院でお手伝いするという形で話は纏まった。
リリサが孤児院の手伝いをしている間、マックスは孤児院の子どもたちと一緒に遊ぶということになったが、マックスはどこか不満げだった。
それから一週間ほどが過ぎ、シンはクリスティーヌに新しく打ってもらった剣を受け取り、その出来に感動していた。
これだけの剣が格安で手に入るのなら、癖のある人柄でも気にはしない。
自分に害がないのなら、少々奇抜であっても構いはしない。
妻というか、ダーリンとクリスティーヌが呼ぶ女性のことを愛しているようなので、貞操の危機も感じない。
以前、日本にいた頃、街中でゴスロリファッションをしているおっさんを見かけたこともあるのだ。
このジルドガルドで暮らす一般的な人々より、シンはクリスティーヌのような人への理解があった。
リリサも孤児院の子どもたちの相手を上手くしているようだ。
特に年少者からの人気は凄い。
美人で物腰が柔らかく、自分たちに優しく接してくれる女性。
彼らにはリリサが自分たちの本当の母親のように思えた。
一方、マックスはなかなか孤児院の子どもたちと馴染めなかった。
アルバートやシャナルといった孤児院の中でも年長の者とはそれなりに仲良くしている。
だが、リリサのことをお母さんと呼ぶような年少の者には暴力は振るわないものの、少し敵意のようなものを見せることがあった。
まだまだ、これからだ。マックスと仲良くなった子どももいる。
年長者は何かとマックスの世話も焼いてくれて、マックスも機嫌良さそうに笑って他の子どもたちと遊んでいることもある。
きっともう少し時間が経過すれば、マックスがこの孤児院の子たちともっと親しくなれるはずだ。
何の根拠もない。
ただ、そうなればいいと期待する、祈るような気持ちをシンとリリサが持ち始めたころ、事件は起こった。
マックスがビアーナと大喧嘩をしたのだ。




