第17話 だから逃げないでいただきたい
グラスとしては、シンの申し出は好都合だった。
マンイーター討伐の時からシンに興味を抱いていた。
シンの背中や肩、二の腕を触れた時、まだまだといった印象を受けた。
魔力で身体能力を強化するにしても、ベースになる身体能力も必要だ。
シンから感じる武の気配も弱者ではないが、それなりのものに過ぎなかった。
単独であのマンイーターを討伐できるほどの強者なら、グラスならシンからもっと濃い武の気配を感じ取れるはずであるのにそれがない。
(何か秘密でもあるのか?)
グラスは思う。
そして、魔物退治に参加できなかったことは残念だが、不幸中の幸いはボルディアナでの待機を命じられたことだ。
シンが騎士団の魔物退治に同行していないことを知った時、笑みがこぼれた。
縁がある。
もしかすると剣を合わせる機会があるかもしれない。
だが、訓練場で日々冒険者たちを扱いていても、シンは姿を現さない。
どうやら自分を避けているようだった。ギルド長との約束がある以上、シンを無理矢理扱くわけにもいかない。
そのシンが、シンの方から立ち合ってくれと言っているのだ。
しかも自分に勝つとさえ言った。
これほど愉快なことはない。
「今日はもう遅い。そうだな、訓練場でも立ち合うのは他の者達の邪魔になるかもしれん。明日の5刻(10時)にボルディアナの城門を出てすぐの平原で立ち合おう。大きな木が城門を出れば見えるだろう。あの辺りで立ち合うことにしよう」
グラスはエールをもう一杯飲み干すとシンにそう言った。
宿屋の自分の部屋に戻り、レザーアーマーを脱ぐとシンは大きく息を吐きだした。
(一応、賭けには勝てたのかな)
シンとしても、自分がグラスに勝てるなどという増長はしていない。
ガルダの厳しい指導を受けたことで、マンイーター討伐時の時より、自分とガルダの力量差が肌で感じ取れるようになっていたからだ。
だが、最初から譲歩を引き出そうとすれば、グラスは頷かなかったかもしれない。
だからこそ、シンはグラスを挑発するかのように、魔道具を貸してもらうための条件としてグラスに勝つと言った。
そして、グラスの方から勝たずとも一太刀食らわせればいいという譲歩を引き出せた。
シンは目を閉じながら、明日の立ち合いをシミュレートする。
訓練場で猛威を振るっていたグラスがシミュレートの相手だ。
(一太刀……浴びせられるのか?)
グラスが低階級の冒険者相手に本気を出しているなどありえない。
あの何倍もの強さを明日は見せてくるだろう。
はっきり言って怖い。
マンイーターなどとは比べ物にならない強者であるグラスと立ち合うのが怖い。
それでもダリアを救うためにシンはこれ以上の方法が見つからなかった。
「ジル、今の俺なら功徳ポイントどれだけ使用できる?」
「……今のシンさんなら、600ポイントは大丈夫です。使った後、しばらく動けなくなることを覚悟するなら700ポイントでも大丈夫だと思うのですが、それ以上はジルが絶対に認めないです」
マンイーター討伐時よりもシンの地力が上がったせいで、一度に使用できるポイントが増えていた。
あの時以降、これだけ大量の功徳ポイントを使うのは初めてだ。
ぶっつけ本番の形になる。
「でも、シンさん。本当にいいのですか?」
「何の話だ?」
「だって、だって600ポイント使うのなら3000ポイントも稼ぐ必要があるのですよ。700ポイントだと3500ポイントも稼ぐ必要があるのですよ。あのお姉さんと妹さんからそれだけ感謝してもらうのはとても大変なことなのです」
「……確かに効率を考えたら、絶対に良くねえよな。でもな、ジル。絶対に助けるって約束しちまったんだ。それなのに副ギルド長の爺さんに手紙の話をされた時、俺はすぐに決断できなかったんだ。これ以上、俺は恥知らずになりたくない」
シンはそう言って、首からかけていた木彫りのペンダントに触れる。
「それにな。ジル、俺は善意の押し売り、感謝の回収業者だ。きっちりダリアやアイリスから感謝してもらって、何年かかってもきちんと元は取るさ。だから、明日はよろしく頼むな」
そして、片方の手でジルの頭をグリグリと撫でる。
「シンさんがそれでいいと言うのならジルは何も言わないですよ。でも、でもシンさん、あのおじさんに勝てるのですか?」
「正直よくわからねえ。600、700使った場合にどの程度の力を発揮できるかにもよるし。本当なら罠でも仕掛けて、不意打ちでもしたいところなんだけどなあ」
それをやって、失敗したらグラスが怖い。
立ち合いを楽しみにしているグラスに対して、剣での駆け引きはともかく、そういった下手な小細工をするのは最悪の悪手に思えた。
シンよりも何十倍も対人戦闘の経験が豊富なグラスが相手だ。
小手先の技や小細工が通じる相手とは、とても思えない。
(俺がグラスさんと真っ向から立ち合えるとしたら1分程度。その時間をどうにか有効に活用しないとな。グラスさんが時間稼ぎをするとは思えないけど、念には念を……)
シンはその夜、普段より早い眠りについた。
翌日、3刻(6時)前にシンは目を覚ました。
朝食を摂る前に身体を伸ばし、今日の体調を確認する。
身体に疲れや張りは残っていない。
少なくとも万全の状態で戦うことができる。
シンはジルを起こして、朝食を摂った後、4刻(8時)の鐘がシンの耳に届くまで長時間に渡って、柔軟運動を行う。
その後、シンは普段の冒険者の装備を身に着けると、ジルと共に宿屋を出た。
グラスとの立ち合いの前に、ダリア達と会って行くか迷った。
なんとかなりそうだ。
そう言って二人を安心させてやりたかったが、あのグラスが相手ではそんな約束はできない。
シンはダリア達が今いるだろう施設の前で数秒だけ目を瞑ると、ダリア達には会わずに城門を出て、大きな木が一本そびえたっている平原の方へと向かった。
まだグラスとの立ち合いまで1時間くらいはあるだろう。
平原に到着後、シンは静かに魔力を研ぎ澄まし続けた。
「シンよ、今日は絶好の立ち合い日和だな」
5刻(10時)を知らせる鐘の音がシンの耳にも聞こえる前にグラスもシンが待つ平原に到着した。
肩には剛剣のグラスの代名詞と言うべき大剣を担ぎ、騎士の鎧を身に着けた姿だ。
グラスの後ろにはミーシャもいた。
「ねえ、グラスさん。本当にやるんですか。いくらなんでも無茶苦茶すぎますよ。シン君、何か事情があるなら私も協力するから」
「黙れ。男同士の戦いに無粋だぞ。ミーシャ、お前は後で治癒魔法を使えばいい。俺もシンを殺す気はない」
どうやら、ミーシャは治療要員としてグラスに連れてこられたらしく、あまり深い事情までは知らされてないようだ。
「シンよ。ミーシャなら腕の一本や二本切り落とそうと、すぐになら治療してもらえるぞ。さすがに時間が経つと無理らしいがな」
「グラスさん、だからいつも上手く行くとは限らないって言ってるでしょ」
「それを上手くやるのがお前の役目だ」
「グラスさん……団長に告げ口しますよ」
団長に告げ口されるのはさすがに嫌なのか、グラスはミーシャを言いくるめようと考えるが、上手い言葉が出てこず、うーむと悩んでいる。
ミーシャはそんなグラスを無視し、シンに声をかけた。
「ねえ……シン君、本当にやる気なの?」
「ミーシャさん、お久しぶりです。ええ、やります。もし怪我したら、後で治療をお願いします」
シンは久しぶりに言葉を交わしたミーシャに挨拶をすると、自分の決意をミーシャに伝える。
ミーシャはシンの目を見て、その決心が固いと感じると大きくため息をついた。
「本当に無茶ばっかりして。私の治せない大怪我なんかしちゃダメよ。シン君は、まだマンイーターの時の治療の貸しすら私に返してないんだからね」
「あははは、頑張ります」
「もう、笑い事じゃないんだからね」
ミーシャはシンの返事がお気に召さないらしく、少し頬を膨らませる。
ゴーンゴーンゴーン
ボルディアナの街から5刻(10時)を告げる鐘の音がシン達の耳にも聞こえてきた。
「では、そろそろ始めるとするか。シン、準備は万端か?」
「ええ、早めに起きて柔軟とか精神集中はしましたし。いつでも」
「そうか。それならいつでもかかって来るがいい。先手は譲ってやるぞ」
「そうですか。なら、お言葉に甘えて」
シンは剣を握りしめると魔力を剣に注ぎ込んでいく。
「シンさん、まだ功徳ポイント使わないのですか?」
(ああ、あの人相手に駆け引きってほどの話じゃないけど、功徳ポイント使用した際に真っ向から勝負してくれないと困るからな。最初は俺の地力だけでやるから、俺が使えって思ったら、すぐに700ポイントを捧げてくれ。あと、ジルは少し俺から離れていろよ)
「わかったのですよ」
ジルはそのままシンから少し離れた場所の上空で待機する。
「グラスさん、行きます」
シンは自分の得意技である衝撃波をグラスに撃ち出すと、そのまま姿勢を屈めて、グラスの方へと全力で駆け出す。
「フン!」
グラスは己に向かってくる衝撃波に対して、かけ声と共に肩に担いでいた大剣を振り下ろす。
シンの渾身の魔力を込めた衝撃波が霧散する。
そして、シンがグラスを目がけて勢いよく繰り出してきた剣戟を大剣で受け止めた。
「温い」
力任せにシンの剣を弾くと大剣の刃のない部分でシンの腹を殴りつけた。
「ふざけているのか!貴様の力はこの程度なのか!」
グラスは数メートル先に弾き飛ばされたシンを罵倒した。
悪くはない。
悪くはないのだが、この程度の力ではよく言って5級冒険者の平均程度でしかない。
シンがまだ6級冒険者であることを考えれば、十分な力量とも言えよう。
だが、あのマンイーターを倒すにはこの程度の力量では足りない。
奇跡でも起こらなければ、この力量ではあのマンイーターを一人で倒すことはできないのだ。
(まさか、俺の見込み違いだったのか?)
グラスがそう思い始めた矢先、シンはのろのろと立ち上がる。
そして、シンはグラスの目を見据えて言った。
「そうです。俺の地力は残念だけど、この程度なんです」
「そうか。俺に立ち向かおうとした心意気だけは認めてやるが、正直なところがっかりだ」
「だけど……だけど、1分間だけなら!」
「何?」
「1分間限定だったら、俺はあなたにも負けやしない。だから、俺から逃げるな。俺から逃げないでいただきたい!」
「この俺がお前のような若造ごときから逃げるはずがなかろう!1分間なら俺に負けないと言うのなら、その力を見せてみろ!」
グラスはシンの言葉を聞き、一度は失いかけたシンへの興味が再び湧きあがってくる。
シンもまさか先ほどの自分の力が本気だとは思っていないだろう。はっきり力量の差を見せつけながら、1分だけなら自分にも負けないと言う。
グラスは歯をむき出しにし、笑みを浮かべた。
(ジル、使え!)
「はいなのです」
シンが功徳ポイントを捧げると、身体中から力や魔力が漲ってくるのを感じた。
全能感に身を委ねたくなるが、マンイーターの時にはそれで失敗した。
そして、グラスの力量はそのマンイーターのはるかに上だ。
シンは気を引き締めながら、溢れてきた力、魔力を自分の身体に再度注いでいく。
そして、準備が整うと弾丸のような勢いでグラスに切りかかった。
(凄まじい……)
グラスはシンの身体から湯気のように魔力が溢れ出るのを視認した。
シンの身体から溢れ出た魔力がシンの後ろの風景を蜃気楼のように歪め、暈す。
これほどまでの魔力で身体能力を向上させる相手と戦ったのは両手の指で足りる程度だ。
自分を睨み付けながら、牙を研ぎ、今にも襲いかかろうとするその様子は以前に死闘を繰り広げた魔獣を彷彿させた。
(これは俺も手を抜くわけにはいかぬな)
シンに対する失望はもうない。
それよりも、早く来い、早くかかって来いと言う思いがグラスの胸を高鳴らせる。
グラスも自分の魔力を身体に、剣に大量に注ぎ込み、シンと剣を交じあわせるその時に向けて準備を整える。
まさか、これほどの物とは思わなかった。
シンが言った言葉には嘘はない。
これほどの力があるなら、自分に立ち向かえよう。
そして気の緩みなどがあれば、容易に牙を届かせることができるかもしれない。
本気の自分と真っ向から斬りあえそうな相手が目の前にいる。
笑みが止まらない。
グラスの視線はシンの一挙手一投足に向けられる。
(来る!)
シンの足元から砂が巻き上がると、シンは剣を構え、グラスを目がけて一直線に飛び込んできた。
シンの剣とグラスの大剣がぶつかり、静かな平原に大きな剣音を鳴り響かせた。




